FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

127 / 133
episode102 代羽、シロウ、士郎

 もう一つ、戦いが在った。

 小さな、戦いである。

 取るに足らない、戦いである。

 例えば、その勝敗がこの決戦自体の趨勢に影響を与えるわけでもなく。

 例えば、その戦いに、世界の運命が委ねられているわけでもなく。

 ただ、意地と意地がぶつかる。

 故に、尊い。

 故に、凄惨な。

 戦いが、あった。

 

「さて、遠坂桜よ。まだ、続けるのかな」

 

 はぁはぁはぁ。

 

 荒い吐息が、広大な空隙を埋めていく。

 それは、少女の吐息。

 少女は、膝と接吻したがる掌を叱咤して、それでも背を伸ばして神父を見つめた。

 

「Es flustert―――Mein Nagel reist Hauser ab!」

 

 地を走る、鮫の鰭が如き影の刃。

 コンクリートを砕き、鉄を割り裂くそれは。

 

「蒙昧」

 

 ぐしゃり、と。

 神父の固い靴底、それが踏み砕いた。

 

「この程度の魔術では、今の私を相手取るなど、とてもとても―――」

 

 神父の、心臓。

 かつて、衛宮切嗣に打ち砕かれ、そして再生した心臓。

 既に、心臓ではない、心臓。

 それが、哭くのだ。

 嬉しさに、声を上げながら哭くのだ。

 ああ、帰ってきた、と。

 十年。

 決して短い時間ではない。

 その、長い旅路を終えた泥の一部が、母なるこの地において、涙を流し歓喜している。

 そこに、魔力が流れ込む。

 マキリ代羽に流れ込む魔力を真実無限と称するならば、今の彼に流れ込む魔力もまた、その飛沫とはいえ膨大な量で。

 魔術師としては二流の神父、しかし彼に為しうる最高の魔術行使を可能とし。

 

 五感強化。

 視覚嗅覚触覚聴覚味覚、その精度は、野生動物のそれよりも冴え渡り。

 

 反射の加速。

 全身を司る運動神経、反射神経、その伝達回路及び神経伝達物質の増幅及び質の向上。

 

 筋繊維と骨細胞、その量及び数の増幅。

 硬質化した骨格と筋肉は、真剣すら弾き返すほどに。

 

 身に纏う防弾僧衣及び各種武装の強化。

 ただでさえ小口径の機関銃の銃弾を弾き返すそれは、魔力をもって強化されたライフルの弾丸すら押し留めるだろう。

 

 かつて、『魔術師殺し』と畏怖された衛宮切嗣、彼をして畏怖させた魔人が、いまここに再臨したのだ。

 

「Satz―――Mein Blut widersteht Invasionen!」

 

 一点凝縮された、魔力の弾丸。

 それは、鉄を穿つ、金剛石の弾丸に等しく。

 

「脆弱」

 

 しかし、今の神父を包む、万単位の魔力の渦は。

 その一部を、拳頭に集中され。

 渾身の、中段崩拳突き。

 相殺され、霧散する、魔力の塊。

 

 遠坂桜の顔色が、その髪の毛が如く、白く染まっていく。

 

「尋ねるが―――よもや、本当にこれが限界なのか?」

 

 少女は、応えない。

 応える術を、持たない。

 何故ならば、完全に、それが事実であるから。

 彼女に許された、魔術行使は、今の彼女が為すそれで、完全に限界を極めていた。

 

「Es befiehlt―――Mein Atem schliest a!」

 

 魔力をもって織り成された、影の牢獄。

 それが、神父の四肢に纏わりつく。

 それでも。

 

「迂遠」

 

 極上の踊り手が如き連環腿。

 宙を舞う爪先が、細い、あまりにも儚い影の檻、その格子をへし折る。

 

 何一つ、通じなかった。

 何一つ、通じなかった。

 彼は、一度足りとてその脚を止めなかった。

 少女は、一瞬たりとも、彼の脚を止めることすら叶わなかった。

 

 圧倒的な、差。

 

 少女は、白を通り越して土気色となった顔で、震えていた。

 その足元に、ちょろちょろと黄色い小川が流れる。

 そのアンモニア臭に、神父は眉を顰めた。

 

「…懐かしいな、遠坂桜。君がマキリの家から救い出されたあの日、君はその排泄すら己の思い通りに出来ぬほど、衰弱していた。あの日、私は君の襁褓を変えながら、その細首を縊り折る誘惑と戦わねばならなかったのだよ」

 

 ゆっくりと、殊更ゆっくりと近付き。

 

 逃げ惑う少女は、小さな窪みに足を捕られ。

 

 可愛らしい悲鳴と共に、地に伏せる。

 

 それでも、這いずって逃げようとする。

 

 その、首を。

 

 後ろから。

 

 むんずと、掴み取り。

 

 生贄の雌鳥が如く、天高く吊るし上げる。

 

「祈れ、遠坂桜。神は、寛大である」

 

 ひい、と、小さな悲鳴が漏れ。

 

 ごきり、と。

 

 神父の掌に、枯れ木の枝をへし折ったような、乾いた、音が。

 

 びくびくと、痙攣する身体。

 

 その重量を心地よく思いつつ、神父は少女を寝かしつけた。

 

 見開いたままの、瞳。

 

 断末魔に歪んだ、美しい顔立ち。

 

 鼻から、小さく血が流れ出す。

 

 きっと、苦痛は少なかったに違いない。

 

 それが、神父の、唯一の慈悲であった。

 

 そして、彼は背を向けて歩き出した。

 

 少女の死体は、一度大きく痙攣して、その生命活動を停止した。

 

 

 少年は、血を吐き出した。

 そして、全身を大きく痙攣させ、苦痛に喘ぐ。

 それは、あたかも魔術回路の生成に失敗した、焼けた芯鉄に貫かれたが如き、苦痛であった。

 ある種、自身にとって懐かしいその痛みを噛み締めながら、しかし彼の意識はそこには無い。

 彼は、必死に考える。

 ある種、哲人が己の存在意義に思いを馳せるが如く。

 

 ―――ど―――うして?

 ―――なんで、発動しない?

 ―――スペルに間違いはなかった。

 ―――これは、衛宮士郎の心象風景を具現化させるための、唯一無二のキーワードのはず。

 ―――なのに、どうして。

 ―――どうして。

 

 少年は、理解しなかった。

 この瞬間も、そして、その死に至る瞬間までも。

 彼は、最後まで理解し得なかった。

 何故、彼がこの時、この場所において、その魔術の行使に失敗したのか。

 魔力の量は、十分であった。

 二十七の回路は悉くが唸りを上げて回転し、大気に溢れるマナを変換していく。

 まして、彼には複数のパスが通っている。今はこの場にいない、彼の恋人、そしてその妹と。ならば、魔力が不足するなど、ありえる話ではない。

 イメージは、明確であった。

 彼の身に宿った弓兵の記憶、そして彼が見た誰かの夢、それらによって彼が形作るべき世界の骨子は、十全に把握されていた。

 

 故に、彼は生涯悩み続けることとなる。

 

 ―――何故、自分は、あの時、あのような呪文を唱えたのだろうか。

 ―――あんな呪文で、己の心象風景を具現化するなど、出来るはずが無いのに。

 ―――しかし、思ってしまったのだ。

 ―――これこそが、己にとって、唯一無二の呪文である、と。

 ―――何故。

 

「ふん、期待させた挙句にこの様か。まあ、雑種如きに期待した我が愚かであったのやも知れぬ」

 

 ぼやける視界。

 奴の背後に、無数の波紋が。

 そして、その中央から。

 無数の、切っ先。

 その一撃一撃が、死神の鎌。

 逃れられない、絶対の死。

 それでも、そんなこと、今の俺には胡乱過ぎる。

 頭を埋め尽くす、たった二つの単語。

 

 なんで。

 どうして。

 

「全く、何を意図したかは知らぬが、その無様、貴様に相応しいといえばこの上ない」

 

 無表情に。

 その手は、高く掲げられ。

 そして、その指が。

 

「消え失せろ、雑―――」

「やれやれ、阿呆ですか、貴方は」

 

 その声は。

 振り返る。

 そこには。

 いつもの、冷ややかな微笑みを浮かべた。

 すたすたと。

 裸足。

 裸。

 円やかに、新たなる生命を宿した、腹部。

 長い、黒髪。

 滴る血液。

 ぱしゃぱしゃと。

 両手首から先。

 何も、無い。

 

「にい、さん―――?」

 

 その、傷は?

 あなたは。

 なぜ。

 私が、助けに来たのに。

 どうして、貴方は。

 私を。

 

「代羽、その傷…なるほど、喰いちぎったか」

「王の婚儀、邪魔するのは無粋かとも思いましたが。これでも、人の肉を喰らうのは、慣れていますので」

 

 彼女は、真っ青な顔で、そう言い切った。

 誇り高く。

 口元を、己の血で、真っ赤にしながら。

 そして。

 

「衛宮士郎。今の貴方に、その魔術は使えない」

「どう、して…」

「貴方の魔術に、その呪文は相応しくないということです」

 

 彼女は。

 轟然と。

 その胸を、敵に晒し。

 その背は、俺を守るように。

 限りなく、誇り高く。

 まるで、正義の、味方みたいに。

 

「その呪文は、衛宮士郎にだけ許された、オリジナルスペルです。貴方は、貴方だけの呪文を組み立てなければいけない」

「…それは、どういう」

「まぁ、今の私なら、繋ぐくらいはできるでしょう。後は、貴方の役割ですよ」

「…何を話している?」

 

 くすりと。

 艶のある笑い声が。

 漆のように艶やかな。

 少女の黒髪の、向こうから。

 

「王よ。これは、舞台を追われた哀れな道化、その一世一代の晴れ舞台。どうか、刮目されたい」

「ほう、ならば許す。誠心誠意、道化てみよ」

 

 彼女は、優しく微笑んで。

 蛇みたいに蹲った俺の、眼前に蹲り。

 そのまま―――。

 

「…ん、ちゅ……」

「……ふ、ん……」

 

 舌と舌が、鼻息と鼻息が交じり合う、濃厚なキス。

 その、蕩けるような血の味は。

 桜との口付けを、思い起こさせた。

 見詰め合う。

 それは、黒曜石ような瞳ではなく。

 ただ、錆びた鉄のように、赤茶けた。

 どこかで見た、瞳。

 少し考えて、思い出した。

 この瞳の、色。

 そうだ。

 これは、アイツの瞳の色だ。

 しかめっ面で、無愛想で。

 ソイツが腹の底から笑っている顔なんて、見たことも無い。

 ソイツの顔を見るときは、いつも無言。静寂とのお友達。

 ああ、なんだ、これは―――。

 俺の、瞳の、色じゃあないか。 

 

「…ふふ、遠坂先輩には内緒です」

「…話したら、殺されるよ」

 

 なら、安心です、と。

 彼女は、高らかに笑い。

 くるりと、背中を向けた。

 

「即席ですが、パスは繋ぎました。後は貴方のやる気次第」

 

 風が舞うように、靡く長髪。

 さらさらと、斜光が舞い遊ぶように。

 沈み行く太陽の残滓、その色ではない。

 真っ赤な、炎の海のような、赤毛。

 燃え滾る、血潮のような、赤毛。

 それも。

 ああ、それも。

 

「弱音の類は聞きません。不平不満は飲み込みなさい。逃げ出すならば殺します」

 

 そして、背中が。

 その小さな、背中が。

 それでも、見たことの無いくらいに、大きな背中が。

 

「血路は私が開きましょう。―――ついて、来れますか?」

 

 お前に、全てを託すと。

 そう、言っていた。

 

「I am the bone of my sword.」

 

 その響きは

 

「Steel is my body,and fire is my blood.」

 

 魂の、深奥に響くかのように

 

「I have created over a thousand blades.」

 

 その言霊は

 

「Unaware of loss.」

 

 俺の、最も懐かしいものを掘り起こすかのように

 

「Nor aware of gain」

 

 ああ、当然だ

 

「With stood pain to create weapons.waiting for one's arrival」

 

 俺が、この魔術を扱えなくて、当然だ

 

「I have no regrets.This is the only path」

 

 だって、これは、彼女にしか許されない呪文

 

「My whole life was」

 

 俺如きが唱えるなんて―――百年、早い。

 

 ―――unlimited blade works.

      

 

 世界が、改変された。

 風景が、侵食された。

 それは、見るものに吐き気を覚えさせるほど醜く、涙を流させるほどに美しかった。

 迸る炎の環が、世界を分かち。

 外なる世界と、内なる世界が、反転する。

 そこは、少女の内なる世界。

 そして、少年の内なる世界。

 剣の墓場にして、剣の産所。

 朽ち行く剣と、生まれ来る剣が、綯い交ぜとなり。

 そこに立つ、己が王を、讃える様に。

 固有結界、無限の剣製。

 それは、『衛宮士郎』という存在にのみ許された、一つの極致であった。

 

「―――見事」

 

 感嘆を含んだその言葉に、少女は相好を崩した。

 英雄王は、歩みを進める。

 縋りつく、彼の后を振り切って。

 

「そこで待っておれ、騎士王。婚儀の続きは、この舞台が終ってからだ」

 

 そこにあったのは、覇者の瞳。

 向かい来る逆賊、それを返り討ちにする喜びに、満ち満ちていた。

 

「私は、ここでおしまい。ほら、こんな手では、剣を握れないから」

「であれば、誰がこの舞台を引き継ぐか?」

 

 知っている。

 

 決まっている。

 

 ここまでお膳立てされたのだ。

 

 誰が、引けるか。

 

 引く奴は、死ね。

 

 今すぐ、死ね。

 

 俺が、殺してやる、

 

「…そうか、貴様か、雑種。…主菜にしては少々物足りぬが…酒の質によってはそれなりに愉しむこともできようか。ならば、必死をもって来い」

 

 ああ。

 

 そうだな。

 

 これでも、お前のほうが強いもんな。

 

 でも、さ。

 

 俺は、違うけど。

 

 俺は、衛宮士郎じゃあ、ないけど。

 

 衛宮士郎なら、こう言うんだろ?

 

 知ってるぜ。

 

 こう言って、啖呵を切るんだ。

 

 だって、俺も一応、衛宮士郎、だからな。

 

「行くぞ、英雄王。―――武器の貯蔵は、十分か」

「片腹痛いぞ、雑種。―――我が財数に、空想如きが及ぶと思うなよ」

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。