FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
「それを手に取る前に、きちんと考えたほうがいい」
得体の知れない、男だった。
声は、若々しいようで、しかしどこかに老成した雰囲気があり。
容貌は、二十歳に満たない若者とも、五十を過ぎた老人ともとれる。
如何にも魔術師然とした、その佇まい。
私は、悟った。
ああ、彼は魔術師なんだ、と。
「それを手にしたが最後、君は人間ではなくなるよ」
ならばこそ、その言葉に嘘偽りは無いだろう。
知っている。
そして、知っていた。
自分が如何なる運命を辿るか、そして如何なる結末を迎えるか。
私は、知っていた。
だからこそ、恐ろしくは無かった。
あらゆる人間に恨まれ、惨たらしい死を迎えるという言葉も、恐ろしくは無かった。
だって、知っていたのだから。
己が、そういう存在だと。
だから、畏れなかった。
ただ、唯一、この手を震わしたのは。
為し得ないこと。
己を犠牲にして、他者を犠牲にして、全てを置き去りにして。
それでも、己の誓いを果たせないこと。
それが、恐ろしかった。
それだけが、恐ろしかった。
だから、その言葉に対する返事は、一つだけだった。
それ以外の返答を、私は持っていなかった。
「―――いいえ」
それは、原初の誓いだった。
この胸に、最初に根を下ろした、誓いだった。
他の、どのように崇高な願いよりも崇高で、他の、どのように醜悪な欲望よりも醜悪で。
私は、頷いた。
きっと、震えながら。
それでも、彼の眼を見て。
「―――多くの人が笑っていました。それはきっと、間違いではないと思います」
剣に手をかける。
魔術師は困ったように顔を背けて、こう言った。
「奇蹟には代償が必要だ。君は、その一番大切なものを引き替えにするだろう」
それでも。
それが、宿命だとしても。
それを覆すのが、人の業では不可能だとしても。
私は。
この国を、人々を、そして。
私は。
どうしても。
◇
まず、へし折れたのは切っ先だった。
頑強を誇り、鉄とて断ち切る岩の切っ先が、ぺきりと砕けた。
ぺきり、ぺきりと。
まるで、小麦菓子を齧るように、少しずつ。
本当は短い時間に、しかし少年にとっては永遠とも呼べる時間の中で。
ぺきり、ぺきりと。
齧られていく。
子供が、最後の一枚となったクッキーを、名残惜しげに齧るように。
少しずつ、刃先から、柄元に向けて。
大英雄の岩剣が、食われていく。
乖離剣、その生み出した断裂に、耐え切れずに。
切っ先は飲み込まれ、刀身は折れ砕け、柄頭も消え失せて。
彼の手から噴出した血液が、血霞となって飛び散り、その血生臭さとて残さずに。
そして、少年は、霧散する。
あたかも、最初からこの世に存在しなかったかのように。
如何なる残酷さも残さぬ、完全な死。
刹那に分かたれた彼は、大気と同化する。
もはや、不可避の結末に、少年は目を瞑った。
そして、心の中で、呟いた。
凛、と。
彼が最後に想ったのは、己が愛した少女と、やがて生まれ来る新しい命。
それを守れなかったことが、唯一心残りで、悔しかった。
だから、心の中で、呟いたのだ。
もしかしたら、口に出していたのかもしれないが、荒れ狂う暴風の中では己の鼓膜を震わせることさえなかった。
そして、少年は、霧散した。
空間の断裂に巻き込まれ、粉微塵にされて、死んだ。
骨は、残らない。
遺髪とて、少女のもとに届けられることは無いだろう。
そういう、死。
そういう死を、迎える、筈であった。
いつしか、彼の手は、暖かく小さい掌に包まれていた。
その暖かさが、少年の瞳を、新たな涙で打ち濡らす。
理解したからだ。
誰が、隣にいるのか。
確認するまでも無いことだった。
決まっていた。
いつだって、彼女だった。
自分が死地に立って、もはや帰り道を断たれた時。
彼の手を引っ張って、安らかな場所に届けてくれたのは、いつも彼女の温かい掌だった。
「申し訳ありませんでした、シロウ」
何を謝る事があるのか、と。
彼は、問い質そうとして。
やはり、止めた。
その問いこそが、誰よりも無粋であると、確信していたから。
だから。
出来るだけ、暖かいものを、込めて。
「ああ、遅かったな、セイバー」
「後は、私が」
言葉は、紡がれなかった。
少年は、意識を失うように、崩れ落ちた。
安心したのだろう。
先程までの必死の形相は、柔らかな、母に抱かれた幼児の笑みにすり替わっていた。
「そうですね。貴方は、そうしていてください。貴方には、誰よりもその資格がある」
―――なぜなら、貴方は愛されている。
―――あれほど気高く、暖かく、優しい存在に、愛されている。
―――それで幸福にならないなら、嘘だ。
―――そんな世界、いらない。
―――そんな世界なら。
―――もし、貴方に犠牲を強いる、世界ならば。
―――私が。
―――遮断、してやる!
彼女は、前を見たまま。
その、聖緑の瞳で見つめたまま。
一切、視線を逸らせることなく。
その、至高の宝具の真名を、解放する―――!
「全て遠き理想郷―――!」
◇
濛々とした土煙の中。
この世の終わりのような、大空洞そのものを破壊するような、大破壊の爪痕の中。
少女の周囲だけが、清廉な空気であった。
妖精郷、その絶対の加護を受けた鞘は、世界の中に異界を持ち込む。
その、不可侵の境界線。
さしもの英雄王が宝具をもってしても、断ち切れるものではない。
ならば、英雄王は。
己が絶対の信頼を置く神剣、それを正面から打ち破られた、金色の王は。
その端整な美貌に、切れるような笑みを浮かべて、目の前の少女を見つめていた。
「―――見事。それが、音に聞く、聖剣の鞘か」
「その通りだ。一度は我が過ちによって失われ、悠久の時を経てこの手に戻った、私には不釣合いの宝具である」
その、聖緑の瞳が。
紅い、魔性の瞳を。
正面から、射抜く。
ギルガメッシュは、感嘆の溜息を吐き出した。
ゆっくりと、吐息そのものを味わうかのように。
「呪いに、打ち克ったか…」
「半分は、鞘の加護によって。後半分は…」
少女は、目を瞑り。
心中で、誰かと言葉を交わした。
それは、彼女の知らない男性だった。
しかし、彼女が誰よりも愛した男性だった。
一度も会ったことはないが、二度の逢瀬を経験し。
三度目の令呪によって、四散した聖杯。
誇り高く、見送った。
誇り高く、見送られた。
その、記憶。
私は、確かに救われた。
違う私は、彼に救われた。
そして、私も。
私も、救われた。
私も、彼に救われたのだ。
「守るべき人に、守られた。無様この上ないが、それが限りなく誇らしい。分かるか、英雄王。私は、今、幸福なのだ」
「間違うな、騎士王。貴様の幸福は、我の隣にこそ存在する」
少女は、微笑った。
馬鹿にしたような笑みではなかった。
無論、挑発するような笑みでも、卑下するような笑みでもない。
ただ、羨ましそうに。
純粋な、羨望を込めて。
「ああ、きっと、そうでしょう。貴方の隣は、安らかで、居心地がよく、暖かいでしょう」
その、表情で。
英雄王は、悟った。
この女は、絶対に、己のものにはなりえないと。
獅子。
獰猛さと、愚かしさと、それ以上の誇りを胸に秘めた、ケダモノの王。
この女は、それなのだと。
だからこそ、燃え上がった。
男の男性自身は、はち切れんばかりに、かつて無いほどに屹立していた。
男は、間違いなく、欲情していたのだ。
「…もう一度言うぞ、騎士王。我が物となれ。他の一切はいらぬ。お前が、お前だけが、我が物となれ」
「―――気の迷いかも知れない。魔が差したのやも知れない。藁に縋り付きたかっただけかも知れないのだ。それでも、英雄王。私は、あの時、お前の言葉を頼もしいと思った。お前の瞳を愛しく思った。あの時、私は確かに、お前を愛していたのだ」
だから、と。
少女は、言葉を紡ぐ。
「許してほしい、ギルガメッシュ。私は、貴方のものになることは出来ないのだ」
それは、砂を噛むような言葉だった。
じゃりじゃりと、歯を砕きながら、金剛石の礫を噛み潰すような、言葉だった。
「―――何故、に」
「私は、この身は、既に捧げてある。操を、誓ってしまっている」
「―――一体、何に」
国、と、答えれば。
彼は、失望を禁じえなかった。
民、と、答えれば。
彼は、激怒をもって報いただろう。
主、と、答えれば。
彼は、嬉々として少年の息の根を断ち切る。
そして、少女の答えは。
その、いずれでも、無かった。
「―――憶えているか、英雄王。私と貴様と、征服王を名乗るあの男の三人で酒を酌み交わした、あの日を」
「ああ、昨日のように思い出せるとも。『聖杯問答』と、あの男が呼んだ宴であったか」
第四次聖杯戦争。
集った珠玉の英雄は、三人。
それも、それぞれが、王を名乗り。
その王道の是非を、語り合う。
「そして、貴様だけが王道を語りえなかったのだ」
「ああ、あれは確かに、私の敗北でした」
剣を携えない、しかし剣戟よりも激しい言葉の応酬。
きっと、少女は敗れたのだ。
今の彼女ならば、そのことを認めることが出来る。
確かに、私は敗れた。
当然だ。
私は、間違えていた、いや、忘れていた。
原初の、誓いを。
いわば、剣を帯びず、鎧を纏わずに、戦場に赴いたようなもの。
敗北は必然であった。
それを思い出して、少女は苦笑した。
その様子を、男は愛おしげに眺めやった。
「この場にいないあの男、彼の王道は、『征服』でした。そして貴方は―――」
「我が王道は、法である。我が王として敷いた法、それを絶対とする。それ以外は拒絶し、破壊しよう」
少女は、頷いた。
それも、王道であると。
彼の一端に触れた彼女は、それを認めた。
何故なら、彼女自身がそうであったように、誰よりも、民衆がそれを望むのだろうから。
人は、常に支配したがる生き物ではない。
優れた存在に導いて欲しい、そう希うのも、人の業。
ならば、男の傲慢な物言いも、一つの覚悟と言い切ることができよう。
あらゆる存在の清濁を飲み尽くし、それでも王であると。
あらゆる存在をその背に抱え上げ、それでも王であると。
誰にも導かれず、己が導くと。
そう言い切って、省みないのならば。
彼は、やはり王として相応しいのだ。
「―――まっこと、貴方らしい」
それは、無限の羨望に満ちた、一言であった。
その、輝かしい笑顔を。
男は、星に憧れる少年のように、遠く眺めながら。
「そうだ。そうであったな。貴様だけ、己の志す王道を披露していなかったはずだ」
だから、この場で追いつめられているのは、英雄王だった。
だから、この場で追い詰めているのは、小さな少女だった。
それを自覚していたからこその、その問い。
しかし、誰より楽しんでいたのは、その男であった。
「であれば、あの男に代わって我が問おう。騎士王、貴様の王道は如何に?未だに、過去の滅却のみを求めるか」
少女は、騎士王は、セイバーは、アーサーは、アルトリアは。
しっかりと、目を瞑り。
己の中で、己に罵声を叩きつける、群像に。
しっかりと、相対して。
その、一人一人の名前を、しかと思い浮かべ、噛み締めながら。
背を、向けず。
逃げず。
畏れず。
涙を流さず。
気高く。
誇り高く。
原初の誓いを、口にした。
「私は、守りたい」
そうだ。
それが、少女だった、彼女の誓い。
彼女は、守りたかった。
人々の、安らぎを。
人々の、笑顔を。
だから、剣を引き抜いて。
だから、人を捨て去って。
そして、守ろうとした。
それが、原初の、誓い―――。
「そうだ。思い出したのだ。私は、守りたかったのだ。その想いが王たる私を産んだのであれば―――我が王道は、そこに他ならない」
「―――守ると。それは、果たして何を。国か、民草か、それとも、まさか恋しい男をか」
少女は。
一切の、照れも無く。
怯懦も、虚飾も、気負いも、後ろめたさも無く。
ただ、ありのままに。
「―――我が誇りを」
英雄王は、目を細めた。
目の前の存在は、さしもの彼にとっても、眩しい存在であった。
少女の、聖緑の瞳が、恋しいと。
早く、目を開いて欲しいと。
それは、男の性だろうか、愚かしさだろうか。
彼女は、敵であるというのに。
互いに、命を奪い合う存在であるというのに。
やはり、彼は、どうしようもないほど。
その少女に、惚れてしまっていた。
己が所有物と、蔑みながら。
その心は、既に彼女の虜であった。
「騎士としてではなく、王としてではなく。ただ、私としての誇りを守る。己に誇れる王である。それこそが私の目指すべき王道であり―――果たせなかった王道である」
くつくつと、笑い声が響く。
それは、その場にいた、二人からではなく。
彼らの後方で、輝かしい鎖に縛り上げられた、青い獣から。
見下す笑いではなく、全ての雑事を笑い飛ばす、笑い。
「ああ、ギルガメッシュよう、同情するぜぇ!こりゃあ、厄介な女に惚れちまったもんだなあ!」
その、当たり前の事実に。
英雄王は、苦笑をもって応じ。
乖離剣を。
四度振るう、その準備を。
「王が己を誇れぬ国に、明日があろうか。王は己を誇り、己が国を誇り、己が部下を誇り、己が民を誇らねばならない。ならなかったのだ。なのに―――」
出来なかった。
少女は王であろうとし、そのために己を押し殺し、己が誇りを蔑ろにした。
だから黄金の剣は失われ、聖剣の鞘は失われ。
その手には、刃だけが残り。
そして―――。
彼女の、瞼の裏側。
そこにいる、人々。
二十四の瞳。
その背後の、那由他の瞳。
その更に背後の、無数の瞳。
それらが、微笑っていた。
剣を持たず、鎧を纏わず、ただ、笑顔で。
餓えず、凍えず、病まず、穢されず。
ただ、微笑いながら、見送ってくれた。
罪深い、王を。
自らを滅ぼした、王を。
それは、何と残酷で―――。
それでも。
ああ、それでも。
そして、少女は、瞼を持ち上げる。
そこには、聖緑の瞳。
金色の呪いに打ち克った、聖緑の瞳。
そして、剣を構える。
ここは、通さない。
守る。
その、絶対の覚悟を込めて。
「礼を言おう、英雄王。貴方のおかげで、私は思い出したよ。原初の誓いは、なんとも青臭く―――しかし、芳しいのだな」
英雄王は、一度だけ、深く頷き。
「我には理解の出来ぬ想いである。だが、あの時貴様が今と同じことを言っていれば、我は貴様を仇敵として葬り去っていたであろう。―――見事な解だ、騎士王、いや、アーサー王」
風が、逆巻く。
淑やかに、静寂を保ったまま。
だからこそ、セイバーは確信した。
次の一撃が、最強。
今までのそれが児戯と思えるような一撃を、放つつもりだろう。
それは、英雄王の王道そのもの。
ならば、私が為すべきは。
「アーサーよ」
「アルトリア、と」
ギルガメッシュは、一度、笑顔に近い表情を作り上げて。
それから、真剣に、深淵を覗き込むような、表情で。
「では、アルトリア。これより、我が王道と、貴殿の王道がぶつかり、いずれかが敗れ去るであろう。その時、我が立っていれば、そして貴方が生きていれば―――我が求婚に、応じてくれるだろうか」
それは、異例の問いであった。
あらゆる存在を、人と神を含んだ悉くを己の所有物と言い切って憚らないこの男が、相手にその意志を問うたのだ。
それは、異例を越えて、異常な事態であったのかもしれない。
果たして、少女はそのことに気付いていたか否か。
気付いていたのであろう。
だからこそ、彼女は頷いた。
輝くような笑みを浮かべ、深く深く、頷いたのだ。
「―――起きろ、エア」
ごうごうと、風が唸る。
「―――起きろ、エア」
吹き込まれた風が、圧縮されて、吹き出ていく。
「―――起きろ、エアァァ!」
それは、あたかも、猛禽の羽が如く。
豪奢な乖離剣を、より持ち手に相応しい威容に。
「土壇場である!火急の時である!焦眉の急である!」
それを、握り。
しかし、少年のように、微笑み。
背後に、無数の切っ先を浮かべ。
大空洞が、切っ先で埋まるほどの、切っ先を浮かべ。
「我が臣下、剛の者から数打ちに至るまで、悉く目覚めよ!これよりは、王の誇りを賭けた、戦である!」
そして、令を下す。
その、覇気溢れる、王の声にて。
「敵は、この世最強の守り手!相手にとって、不足無し!!皆の者悉く、我のために、ここで死ね!!!」
極限まで魔力の装填された神代の魔弾は、正しく英雄達の乾坤一擲の一撃と変わる所が無い。
故に、宝軍。
彼の自我の象徴たる、最強の軍隊である。
「―――行くぞ、騎士王。見事、耐え凌いで見せよ」
そして、号砲が鳴らされる。
それが、この戦最後にして最大の、宝具の衝突であった。
「天地波濤す終局の刻―――!!!」
「全て遠き理想郷―――!!!」