FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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episode105 午前3時58分 終戦

 とぷん、と。

 その音は、誰の鼓膜も、震わさなかった。

 なぜなら、それは音ではなかったから。

 ただ、揺れたのだ。

 黒い、液体が。

 それは、影、と。

 辛うじて、そう呼べるものだった。

 

 少女は、死んだ。

 

 心臓は止まり、瞳孔は開き、小便と大便を撒き散らしながら、醜い死を迎えた。

 涎は白く乾き、舌はだらりと力無く垂れ下がり、瞳は濁り始めている。

 その姿は、紛れもない、死体。

 死体の形をした、人形だった。

 

 その、影が。

 

 死体の下に隠れていた、影が。

 

 とぷり、と。

 

 僅かに揺らめいて。

 

 そこから。

 

 白髪の頭頂部が。

 

 誰に気付かれることも無く。

 

 誰に、悟られることも無く。

 

 とぷり、と。

 

 やがて顕になった、その紅い瞳は。

 

 確かな、嗜虐に、歪んでいたのだ。

 

◇

 

 歩く。

 もはや、急ぐ必要も無いだろう。

 歩く。

 まるで、私が歩んできた人生のように。

 真っ直ぐに、ただ只管に、一つの道を目指して。

 歩く。

 果たして、どこを目指しているのか。

 分からない。

 知らない。

 気付き得ない。

 それは、おそらく、回答を得た後も同じこと。

 

 例えば、悪たる宿命を負って産まれた子を祝福しても。

 例えば、神と悪魔の落し仔たる赤子を、取り上げても。

 私の本質には、如何なる変更が加えられる訳でもなく。

 ならば、この、苦悩に満ちた、道行は。

 永遠に。

 

 それでも、いい。

 それが、いいだろう。

 私に似合いの生き方である。

 不平はあるが、不満は無い。

 文句ならば山ほどあるが、絶望しているわけではない。

 この世界は、寛容で、大らかで、神の愛に満ち溢れている。

 それは、純然たる事実だ。

 何故なら、私がいる。

 私のように壊れた人間が、その生を許されている。

 他者の不幸にしか幸福を感じえず、他者の嘆きにしか喝采を送りえない。

 明らかな、不良品。

 失格。

 廃棄処分。

 それでも。

 ああ、それでも。

 私は、生きている。

 そうだ。

 ならば、いいではないか。

 如何なる結末を迎えようと、私は私でしかないのならば。

 私を私とした神は、私が私であることを、誰よりもお望みのはず。

 ならば、私は私として振舞おう。

 愚者の頭を蹴り潰し、被害者の傷を丹念に切開する。

 それが、私で。

 この世を滅ぼすであろう、赤子の生誕を待ち望むのも、私で。

 師の娘にして、我が弟子となる少女を、絶頂をもって葬るのも、私ならば。

 私は―――。

 

「なんとも、救い難い―――」

「ええ、ですから、私が救いましょう、言峰綺礼」

 

 何かが、巻き付いて。

 ぐるり、と。

 足に、腕に、首に。

 そして、力が、抜けて、いく。

 視界が、霞み。

 舌が、震える。

 地面が、起き上がって。

 いや、違う。

 私が、倒れて。

 

「どうですか、マキリ秘伝、『吸収』を備えた、影の味は」

 

 くすくすと。

 倒れ伏した、私の背に。

 声が。

 声が。

 嗜虐に歪み、獲物を甚振る、猫の声が。

 

「―――死んだのではなかったか、遠坂桜」

 

 全く、愚劣に過ぎる質問。

 それでも、少女は律儀に。

 

「ええ、貴方は、殺しましたとも。首を、頚椎をへし折られて、生きている人間など、存在しない。―――それが、人間であれば、ですが」

 

 なるほど、つまり―――。

 

「人形―――か」

「正解」

 

 人形。

 しかし、あれほど精巧な―――。

 遠坂に、そのような魔術は、無かったはず。

 ならば。

 それは、おそらく。

 

「マキリの、魔術か」

「はい。遠い昔に『調教』されたそれを、虚数魔術に組み込んでみました」

 

 つまり、臓硯が、他人の肉を使って、己の肉に作り変えたように。

 この少女は、エーテルを練り上げて、己の身代わりの人形を作った。

 そして、自分は安全は場所から、それを操り、戦わせる。

 しかも、魔術まで行使させて。

 全く、恐れ入る。

 凡人たるこの身には、どうしても届き得ない遥か高み。

 私の半分ほどの人生も生きていないこの少女が、そこから私を見下すとは。

 

「それはなんとも…」

「もう、聞きたいことは、終わりですか?」

 

 少女は、その懐から、一振りの短剣を取り出した。

 アゾット剣。

 遠い昔、この姉妹に、戯れにくれてやった、儀式用の短剣だった。

 

「ほう、それをもって、私に止めを刺すか」

「ええ。昔、貴方に貰った、成人祝いの短剣ですもの。貴方を地獄に送り届けるなら、これ以上の品物もないでしょう」

 

 豊かな蜜を含んだ、唇が。

 なんと、神々しい。

 

「そうか、なるほど、ならば当然気付いているのであろう?」

「…何を、ですか?」

 

 だからこそ、それを破壊することに、私は。

 

「それが、貴様の父の命を奪った、凶器であることを」

 

 限りない、快楽を。

 

「―――えっ?」

 

 一瞬。

 

 ほんの、一瞬。

 

 少女は、その、サファイヤ色の、瞳を。

 

 可愛らしく、まん丸にして。

 

 自分が握った。

 

 その、短剣を。

 

 見つめた。

 

「―――ああ、やはり、若輩だ」

 

 腕を、ブリッジの体勢に。

 腰を大きく逸らせ。

 その反動と。

 手首、肘、肩、それらの関節を、最大限に稼動させながら。

 全身のバネを使って。

 跳ね起きる、だけではない。

 極限まで強化された腕部は、常人の脚部の筋肉を、遥かに凌駕し。

 故に、腕で、跳ね飛ぶ。

 足を、凶器として。

 狙いは、少女の顎。

 当たれば、確実にその骨を砕く一撃は。

 辛うじて意識をこちらに向けた少女の、顎の皮を掠め取るに終わり。

 しかし。

 

「さて、仕切り直しかな、遠坂桜よ」

「―――!」

 

 立ち上がり、互いの距離は、その吐息が交わるほど。

 少女の狼狽振りは、それが予想を超えた自体であることを、如実に示している。

 

「…なんで…?」

「気付いていなかったのかね?既に私の魔力は、君の許容量を大きく越えている。いくら君とて、その許容量を上回る魔力を吸収することは叶うまい。ならば、その限界まで奪われたところで、私にとって痛くも痒くも無い」

 

 私は、そおっと、右の掌を、彼女の豊かな乳房にあてがい。

 少女は、危機を察して、後ろに飛びのく。

 それでも。

 あまりに、鈍重。

 

「―――飛べ」

「げはぁぁ!」

 

 まるで、栓を開けた、風船のように。

 それは、高い音を、奏でながら。

 遥か後方に、吹き飛んだ。

 どしゃりと、着地音。

 手に残る、確かな破裂痕としての、高い音。

 まるで、水風船が破裂したような、感触。

 

 間違いなく、先程の一撃で、遠坂桜の右乳房は、弾け飛んだ。

 

「ぎ、いいいいやあああああ!」

 

 悶える。

 苦しみ、悶える。

 右胸を押さえ、転げまわる。

 ぼたぼたと、盛大に血を撒き散らしながら。

 その、平坦となった、片方の胸部。

 赤と黒に彩られた衣装の下では、飛び散った皮と脂肪が、さぞ愉快な抽象画を描いていることだろう。

 

「あ、あ、あ、あ…私の、私のぉぉ…おっぱいがぁぁぁ…」

「それでも、君は生きている。それは、確かに君の乳房のおかげだろうな」

 

 もし、それがなければ。

 私の寸頸は、少女の肺腑を、一撃にて引き裂き。

 逃れられない、絶対の死を。

 獲物を甚振る趣味は無いが、それでも目の前の少女の狂態は、甘美であった。

 それが、もっと、欲しいと。

 神よ。

 私は、罪深いのだろうか。

 

◇

 

 ざくざくと、近寄る。

 死神が、近寄る。

 私を殺そうとして、近付いてくる。

 駄目だ。

 私には、あれに勝つ術が。

 根本的に。

 

「策士は、その策が敗れたときは潔くするものだ。些か見苦しいぞ、遠坂桜」

「ぎはぁー、ぎはぁー、ぎはぁー、」

 

 這いずる。

 這いずって、逃げる。

 潰れた乳房が、地面と摩擦して、気の狂いそうな痛みを寄越す。

 それでも。

 それでも、死ぬわけには行かない。

 だって、託されたんだ。

 姉から、託された。

 なら、こんなところで、死んでたまるか!

 

「そうだ。そうでないと、愉しみが無い。死を覚悟したものを蹂躙しても、それでは意味を為さないのだから」

 

 がしり、と。

 首根っこを、捕まれて。

 高々と。

 まるで、あの影のように。

 

「命乞いは、不要だ。君はただ、泣き叫んでいればいい」

「は、なして…!」

 

「こうかね?」

 

 ぶうん、と。

 風切り音が。

 周囲が、ぶれて。

 私は。

 そのまま。

 壁面に。

 思い切り。

 ごしゃ。

 

 あ。

 

 私、は。

 

「さて、君が死を希えば、私はそれを与えよう。いつでも、口にしたまえ。ただし、口に出来るうちがいいだろう。しゃべれなくなれば…少し、辛いことになるやもしれぬ」

 

 ばき。

 

 くちゃ。

 

 ごしゃり。

 

 べき

 

 めきり。。

 

 がし。

 

 めじ。

 

 ぐちゃり。

 

 ぐちゃり。

 

 そこに転がったのは、少女の残骸。

 既に、人の形を止めた、少女の残骸。

 形容は、控えよう。

 それが、少女の魂の安らぎのためなれば。

 既に、肉親とて、それと判別のつかない程、破壊された顔は。

 細められた瞼の隙間から、虚ろな視線で、天上を見上げ。

 何事かを呟くように、口を開いた。

 

「懺悔か、遠坂桜」

 

 それを見下す、神父が一人。

 その手には、少女の持ち物だった短剣。

 アゾット剣。

 少女の父の命を奪い、正に今、己の命を奪わんとする短剣を。

 少女は、虚ろな視線で、見上げながら。

 やはり、何事かを呟いて。

 

「お別れだ」

 

 馬乗りになった、神父を。

 その目で、ぼんやりと。

 震える、手を、持ち上げて。

 そして。 

 

◇

 

 音が、消えた。

 光が、消えた。

 空間が、消えた。

 全てが、消えた。

 全てが、消えて、消えて、消えて。

 

 力だけが、あった。

 

「―――――――――!!!」

「―――――――――!!!」

 

 互いの肌を焼くのは、無言の殺気と、無言の気迫のみ。

 この瞬間、この世界には、この二人しかいなかった。

 

 全てを破壊する矛を携えた、金色の英雄王。

 全てを守護する盾を構えた、聖緑の騎士王。

 

 二人の戦い。

 

 その結末は、最初から分かりきっていたはずであった。

 

 アヴァロン。

 

 騎士王にのみ許された、至高の結界宝具。

 その機能は、もはや防御というレベルではなく、遮断の域にいたる。

 真名をもって展開された鞘は、即座に数百のパーツに分解され、所有者を妖精郷に置いてあらゆる干渉から守りきる。

 その効果は、魔法の域にあり。

 あらゆる物理干渉、魔法である並行世界からのトランスライナー、六次元までの多次元からの交信を断ち切る。

 それは、この世界における最強の守り。

 五つの魔法さえ寄せ付けぬ究極の一。

 ならば、英雄王の一撃が、どれほど破格のものであったとしても。

 それが、この世界の物理現象である限り。

 騎士王の柔肌を傷付けること、永遠に叶わぬ筈。

 

 で、あった。

 

 しかし。

 

「―――く、う、う、う、うぅぅぅ!」

 

 少女の、苦悶の声。

 それは、勝者の優越に満ちたものではなく。

 ただ、耐える者。

 耐え凌ぐ、苦境に立つ者の声であった。

 

 勝負の前から、その不利は、悟っていた。

 

 宝具、全て遠き理想郷は、対界結界宝具。

 その防御は、如何なる攻撃も寄せ付けない。

 それは、知っていた。

 しかし賢明なる騎士の王は、それの限界も十分に弁えていた。

 

 ランク:EX。

 種別:結界宝具。

 防御対象:一人。

 

 防御対象:一人。

 

 防御対象:一人。 

 

 防御対象:一人。

 

 それが、この絶対無敵を誇る騎士王の至宝、その限界である。

 もし、この場にいたのが、騎士王一人ならば。

 彼女は、その宝具、聖剣とその鞘を思う様に振り回し、絶対の勝利を得ていたであろう。

 しかし。

 彼女の、後ろには。

 倒れ伏す、かつてのマスターと。

 その兄たる、一度の主従も結んだことも無い、マスターと。

 鎖に縛られた、槍の騎士が。

 彼らを見捨てれば、己の勝利は約束されている。

 それを、彼女は知っている。

 だが、彼女の王道は、守る事。

 己の信念、そして、己の大切な人達を。

 ならば、彼らを見捨てることは、一度捨て去った王道を、再び投げ捨てることになる。

 それは、死んでも出来ないことだった。

 ならば、出来ることはただ一つ。

 

 防御対象を、一人から複数に。

 

 結界の範囲を、広げる。

 

 不可能ではない。

 

 ただ、そのパーツが展開する密度を薄めてやるだけでよい。

 

 しかし、それは結界の密度が薄まることを同時に意味し。

 

 空間の遮断は、その効果を劇的に減じるにいたり。

 

 妖精郷と、血塗れた地の底は、微細な穴をもって直結し。

 

 その、微細な、穴から。

 

 極大の、魔力の塊が。

 

 じわり、じわりと。

 

 小さな穴を、少しだけ大きな穴に。

 

 少しだけ大きな穴を、より大きな穴に。

 

 じりじりと焦げ付く、少女の肌。

 飛来した礫が、その頬に傷を付ける。

 熱風が、肺を焼く。

 その空気が教えることは、ただ一つ。

 少女の敗北。

 このままでは、勝てない。

 そう、少女に教え諭す。

 ならば、為すべきことは、一つだけ。

 少女は、その手に握った聖剣の柄を、もう一度強く握り締めた。

 

◇

 

 俺に見えるのは、後姿だけだった。

 その、小さくて、限りなく大きな、背中。

 今まで、どれだけの荷物を抱えてきたのか分からないような、そんな背中。

 それが、小刻みに震えていた。

 前方から襲い来る、最早知覚することが不可能なほどの魔欲の渦。

 それを支えて、小さく震えていた。

 駄目だ。

 そんなの、駄目だ。

 だって、俺は男の子だから。

 お前は、女の子だから。

 だって、俺はお前と一緒に戦うって決めたから。

 もう、一人で戦わせないって、決めたから。

 だから、セイバー。

 お前は、俺のことなんか、気にしないで。

 

「セ、イバー、俺のことは、どうでもいいから…」

 

 アイツを倒すことだけを、考えて。

 きっと、兄さんは死なない。

 ランサーだって、簡単にくたばるもんか。

 だから、俺だけ。

 死ぬのは、俺だけ。

 なら、十分だ。

 儲け物じゃあないか。

 だから、セイバー。

 その、結界を。

 

「おい、坊主」

 

 後ろから、声が、

 不機嫌な。

 でも、とても優しい。

 包み込む、父親のような。

 

「くだらねえこと言ってる暇があるなら、這いずってでもこっちに来い」

 

 その瞳は、言っていた。

 そんなことを言って何になる、と。

 セイバーが、それで己の信念を捨て去るような安い存在なのか、と。

 そうだ。

 それは、その通りだ。

 俺が、泣き喚いても、叱り飛ばしても、土下座をして頼み込んでも。

 こいつは、絶対に自分の信念を、曲げない。

 なら。

 

「ぐ、う、う、うぅおお―――」

 

 肘を、前に出し。

 それを、引き寄せて。

 また、肘を前に出して。

 それを、引き寄せる。

 その、繰り返し。

 もう、立つ力なんて、残ってないから。

 だから、もがき苦しみながら。

 一歩、一歩。

 

「そうだ、それでいい。お互い辛い立場だけどよ、この状況で燃えなきゃあ、男じゃあないわな」

 

 からからと、その笑い声が。

 俺の頬に、笑みを。

 ああ、そうだな、ランサー。

 頑張らないと。

 そうでないと、俺、凛に叱られちまうからな。

 全部、セイバーに任せて、眠ってました、何ていったら。

 きっと、アイツ、怒るもんな。

 

「そうだ、その槍を寄越せ」

 

 槍。

 真紅の、魔槍。

 一度は、俺の胸を刺し貫いた。

 震える指で。

 握り締める。

 重たい。

 どうやっても、動かせないくらいに。

 持ち上げられない。

 いや、持ち上げられても。

 俺が、立ち上がれない。

 なら、この槍を、ランサーの手に握らせるのは、不可能だ。

 諦観。

 それが、指の力を、奪って。

 からり、と。

 槍は、転がっていき。

 鎖で縛り上げられた、ランサーの、足元に。

 駄目だ。

 もう、今の俺に、あそこまで行く体力は、残っていない。

 涙が。

 なんて、役立たず。

 なんて、無様―――。

 

「すまない、ランサー…!」

「はぁ?何言ってんだ、坊主。お前は、よくやったぜ」

 

 ランサーは。

 みしみしと、その笑みを急角度に。

 それは、戦う前の。

 冬眠から目覚めた熊の、最初の狩りの様な。

 

「だって、俺はもう、動けない」

「ああ、もう、動く必要はねえわな」

「それに、あんた、その槍、拾えないじゃあないか」

「誰が拾うっつったよ、誰が」

 

 呆れかえった、その表情。

 それが、何故。

 こんなにも、頼もしく。

 

「ま、一対一の勝負に横槍入れるなんざ、俺の趣味じゃあねんだがよ。このクー・フーリンが足を引っ張るだけってのは、もっと頂けねえ」

 

 彼は、足首を、軽く回して。

 鎖で雁字搦めになった上半身、唯一動く首を、こきこきと鳴らし。

 

「手品を見せてやる。見て驚きな、小僧」

 

 炸裂する、魔力の息吹。

 一体、どこにそんな力を残していたのか。

 それほどの、魔力の奔流。 

 そして、男は。

 その自由な下半身、その片割れを大きく後方に引き絞り。

 その、足元に合った、槍の石突を。

 思いっきり。

 

 あ。

 

 思い出した。

 

 そうだ。

 

 何で、こんな簡単なこと、忘れていたんだろう。

 

 魔槍、ゲイボルグ。

 

 影の国の魔女、スカハサから与えられた、因果を操る宝具。

 

 人の手により鍛え上げたあらゆる武器を使い潰した彼に、唯一馴染んだ武器。

 

 巨大な海獣の骨から削りだされたといわれるそれは、投げれば三十の鏃となって降り注ぎ、突けば三十の棘となって破裂する。

 

 正しく、必殺の魔槍。

 

 そして。

 

 一説には、それは武器の名前ではなく、槍の投擲の秘術の名前だとも言われる。

 

 ゲイボルグという武器があるのではなく、魔力を用いた戦闘技術の一つが、ゲイボルグと呼ばれるのだ。

 

 その文献、曰く。

 

 アルスターの光の皇子。

 

 クー・フーリンは。

 

 その愛槍を。

 

 足を用いて、投擲したと。

 

 そうすることで、その威力を倍加させたと。

 

 それが、真実かどうかは問題ではない。

 

 重要なのは、それが神話として伝わったということ。

 

 この戦いは、神話の戦い。

 

 ならば、武神、クー・フーリン。

 

 彼に為せないはずが、無い―――!

 

◇

 

 果断即効。

 少女のそれは、正しく賞賛に値した。

 このままではジリ貧であると。

 そう判断した少女は、鞘を捨てた。

 無論、ただ投げ捨てたわけではない。

 まず、鞘の出力を全開とし、その展開範囲を、結界の維持しうる最大限まで広げる。

 当然、薄まった異界との境目は、荒れ狂う断裂の刃に蹂躙され、儚く砕け散るが。

 それでも、彼女のもう一つの宝具、それを射出可能に至らしめるだけの時間は、十分に稼いでくれた。

 がらり、と。

 その足元に転がった、傷だらけの鞘を見て、少女は感謝の哀悼を捧げ。

 即座に、視線を目の前の暴風域に向け。

 大上段に振りかぶった金色の聖剣、それを真名と共に振り下ろす。

 

「―――約束された、勝利の剣!!!」

 

 黄金の極光が、無色の嵐に立ち向かう。

 

 それは、賭けであった。

 

 鞘を展開し続け、嵐の猛威が収まるのを待つか。

 それとも、傘を畳み、嵐の中を目的地まで突破するか。

 

 二者択一。

 そして、正解があるのかどうか、それすらも怪しい選択肢。

 その中から、彼女の直感が選び出した回答は、後者。

 それは、現状維持よりも遥かに辛い決断を要する選択であり。

 そして、完全に正解であった。

 

 英雄王。

 溢れ出す威厳と、それに相応しい魔力。

 それにしても、異常である。

 騎士王という、生きた魔力炉とも言うべき存在とてその聖剣を解放するのは、一晩に二度が限界。

 ならば、その聖剣に勝る出力を誇る乖離剣、それを一晩に四連打。

 その、異常性。

 騎士王は、説明のつかない魔力の源泉を、もはや無限と見切った。

 故に、絶対足り得なくなった堅固な守りは、無価値と切り捨てて。

 その、絶対の信頼を置く聖剣に、最後の賭けのシューターを託した。

 もし、その選択を選ばなければ。

 偽りと化した妖精郷の加護に、その身を委ねていれば。

 おそらく、少女と、彼女が守るべき対象は、いずれは際限なく放出される魔力の渦に巻き込まれ、塵と化して消え失せていたであろう。

 何故なら、騎士王の読みどおり、英雄王の魔力は真実に無限。

 彼が、この晩に契りを結んだ少女、マキリ代羽。

 少女の体に流れ込む聖杯からの魔力が、性交によって繋がれたパスを通じて、英雄王のもとへと流れ込んでいるのだ。

 

 だからこそ、機会は一度切り。

 出力の限界を超えて展開した、聖剣の鞘、それが押し戻した魔力の流れを、聖剣の一撃をもって加速させ。

 一気に、英雄王を葬り去る。

 もはや、勝機はその一点に限られた。

 

 しかし。

 

 ああ、しかし。

 

「貧弱だぞ、騎士王!」

 

 嵐は、既に人の手に負える域を超え。

 それは、正しく大嵐。

 自然が、小賢しい人の営みに、牙を向けるが如く。

 如何なる、策も、術も。

 まるで、紙切れが如く。

 

「死ぬなよ、アルトリア!我が物となるまで、決して死ぬでない!」

 

 それでも、迸る魔力に一切の手加減は無く。

 ただ、無遠慮に。

 ただ、無慈悲に。

 騎士王は、迫り来る、嵐を。

 為す術も無く。

 

「突き穿つ―――」

 

 しかし。

 その声を、聞いて。

 少女は、決して振り返らず。

 一対一の決闘で勝ち得ない、その恥よりも。

 一対一の決闘、その誇りを穢してまで、自分を助けてくれる騎士の存在を。

 どれほど、心強く、感じたか。

 だから、少女は、振り返らず。

 ただ、その魔力を、最後の一滴に至るまで、聖剣の刀身に―――。

 

「死翔の槍!」

 

 其れは、光。

 一条の、光線。

 夜空を切り裂く流星にして彗星。

 まるで、彼の生き様が如き、一撃。

 一瞬。

 一瞬だけ光る、流れ星。

 しかし、人の記憶に、決して消しえない軌跡を刻み込む。

 凍てついた永遠ではなく、一瞬の燃焼を。

 それは、如何にも、その英雄に、相応しい―――!

 

 これにて、勝負は拮抗する。

 

 英雄王は、一言の不満も口にせず。

 

 騎士王は、ただ歯を食い縛り、前のみを見つめ。

 

 光の皇子は、己が仕事は終ったとばかりに、目を閉じる。

 

 少年は、地に伏して動きえず。

 

 故に、一人。

 

 ただ、一人。

 

 その場で動きえた、ただ一人が。

 

 その胸に、絶対の覚悟を刻みつつ。

 

 立ち上がった。

 

 覚悟の名は、『不帰』。

 

 それは、悲しいほど鮮やかな、顔立ちであった。

 

◇

 

 親指が、伸ばされて。

 人差し指が、伸ばされて。

 残りの指は、その全てが折りたたまれて。

 

 その形を、何と呼ぼうか。

 

 そうだ、拳銃だ。

 

 子供が、戯れに、ごっこ遊びに興じるときに、拳銃を模して形作る、手の形。

 当然、只のごっこ遊びである。

 その指先から、何かが飛び出るわけでもない。

 そんなもの、夢物語の世界である。

 だからこそ。

 その少女が手で作った、拳銃は、

 夢物語の世界に生きる、魔術師だからこそ。

 致死の、武器となり。

 

 どん、どん、どん。

 

 火薬が炸裂したが如き、発射音。

 それは、形を持った呪い。

 北欧に端を発する、呪いの一種。

 

 ガンド。

 

 通常は対象に性質の悪い風邪をプレゼントするに過ぎない魔術であるが、こと遠坂という魔術の家系に刻まれたそれは、他家のものとは威力の桁が違う。

 

 大型の拳銃にも匹敵する衝撃は、至近に在った神父の頭部を、強かに揺さぶり。

 

 その一撃で咄嗟の回避行動を封じられた彼の体に、機関銃も恥じ入る一斉掃射を浴びせかける。

 

 少女の体に馬乗りになっていた神父の体は、衝撃をもって宙に浮き。

 

 少女の魔力が尽きるまでの都合三十秒の間、宙を舞い続けた。

 

 そして、全身の骨を打ち砕かれ。

 

 まるで水母のように成り果てた神父の体は。

 

 重力に従って、力無く落下し。

 

 その下にあった、少女の体に。

 

 短剣を、己の腹部に固定するように構えた、少女の体に。

 

 覆いかぶさるように。

 

 呪文は、一言だけ。

 

 ならば、砕けた前歯でも。

 

 千切れた、舌でも。

 

 潰された、咽喉でも。

 

 その詠唱に、耐えることが叶うだろう。

 

「“läßt”――――!」 

 

 小さな、炸裂が。

 

 まるで、そこで手榴弾が破裂したような、音が。

 

 少女自身も、小さくは無い手傷を負うものの。

 

 神父のそれとは、比べるべくも無く。

 

 内臓、黒い心臓を含む全てを、挽肉にされた神父は、ごろりと寝返りを打ち。

 

 大きく、末期の吐息を吸い込み。

 

 そして、尋ねた。

 

「どうして、君が、ガンド打ちを―――?」

 

 それほど複雑な魔術ではない。

 

 しかし、あれほどに高密度の呪いは、一代の天才をもって為しうる術式ではなく。

 

 また、無詠唱ともなれば、その難度は飛躍的に高まる。

 

 だからこそ、彼は油断した。

 

 その距離で、彼女は如何なる攻撃も為しえるはずが無い、と。

 

 それ故の疑問は。

 

 しかし、隣に横たわる少女の横顔を見て、氷解する。

 

 その、頬。

 

 淡く輝く、幾何学的な、文様。

 

 それは―――。

 

「―――ああ、それは、遠坂の、魔術刻印―――!」

 

 まさか。

 

 ありえない。

 

 ついこの間まで、刻印を承継していたのは、少女の姉であった。

 

 刻印の移植には、悉く立ち会った神父である。

 

 その事実、曲解しようが無い。

 

 それは、間違いない。

 

 そして、それが刻まれた左腕は、遠坂桜との戦いによって失われて。

 

「…そうか、簒奪したか」

「―――ええ、その通り」

 

 全く、馬鹿馬鹿しい。

 

 正気の沙汰では無い。

 

 狂気の所業。

 

 通常は、十年を越えるような長い時をかけて行う儀式である。

 

 しかも、第二次性徴を越える成体の魔術師がそれを行うのは、ただでさえ死を希うような苦痛を伴うと言われる。

 

 その、荒行を。

 

 都合、三日の間に?

 

 その、神父の思考。

 

 しかし、事実は異なる。

 

 少女が、その儀式にかけた時間は、僅かに四時間。

 

 それを聞けば、神父は笑うか、それとも呆れるか。

 

「―――それゆえの、白髪」

「その通り。―――ああ、本当、痛かったです」

 

 ―――全く、姉が姉なら、妹は妹だ。

 

 そう思考して、神父は苦笑する。

 

 そのまま、少女は意識を失った。

 

 疲弊し尽した少女の体にとって、二言三言の会話は重労働に過ぎたのだろう。

 

 すうすうと、安らかな吐息。

 

 腫れ上がった、人かそれ以外かも分からないような、顔で。

 

 それでも、安らかな寝顔で。

 

 少女は、その、ぼろぼろの体と意識を、ヒュプノスの御手に委ねた。

 

 それを確認して、神父は安堵の溜息を吐く。

 

 その反応が、如何なる感情の発露によるものなのか、少しの間、考えて。

 

 やがて、彼は考えるのを止めた。

 

 もう、彼は思い煩う必要の無い、苦悩する必要の無い世界に旅立つのだ。

 

 その準備をするのに、何故思い煩わなければならないのか。

 

 その、致命的な矛盾に、今更ながらに思い至ったからである。

 

 やがて目を閉じた彼の頬には、如何なる感情も刻まれず。

 

 それゆえに、彼は完全に解放されていた。

 

「これにて、我が生も終わりか。―――ふん、小娘と侮った存在に終止符を打たれるとは些か予想外ではあったが―――相応しいかも知れんな」

 

 その言葉が、本当に最後の一言であった。

 

 神父は、今度こそ、大きく息を吸って。

 

 そして、吐き出して。

 

 再び吸うことは、なかった。

 

 言峰、綺礼。

 

 最後まで、献身的に神に仕え、神の愛を求め続けた男は。

 師を貫いた、裏切りの刃によって、己の生涯に幕を下ろす。

 無惨、と。

 どれだけ余人が嘆いても、彼は冷笑を浮かべるだけだっただろう。

 何故なら、彼は、確かに満足していた。

 己の、善悪の反転した生の果てにあるのが、無惨な死であると。

 その事実を受け入れ、その上で神の愛を信じ続けたのだ。

 だからこそ、彼は聖人であり。

 その魂は、紛れも無く天国に召されたのだ。

 

◇

 

 槍兵は、聞いた。

 

 その、少女の声を。

 

「今まで、ありがとうございました」

 

 少年は、聞いた。

 

 その、少女の声を。

 

「よく、頑張りましたね」

 

 騎士は、聞いた。

 

 その、少女の声を。

 

「これ、お借りしますね」

 

 そして。

 

 少女は。

 

 その身に、聖剣の鞘を埋め込み。

 

 その、懐かしく、しかし初めて味わう不可思議な感覚に戸惑いながら。

 

 騎士王の、前に。

 

 絶対の力と力がぶつかる、最前線の前に。

 

 まるで、ゴールテープを切る、マラソンランナーのように。

 

 無造作に。

 

 一切の、気負い無く。

 

 ただ、そこにある荷物を、取りに行くが如く。

 

 だから、誰も止めえず。

 

 一言の言葉も、発しえず。

 

 ただ、呆然と。

 

 あっさりと。

 

 少女を、見送り。

 

 

 

 そして、少女は、歩く。

 

 

 

 光の中を。

 

 熱の中を。

 

 音の中を。

 

 力の中を、

 

 ただ、己の足で。

 

 裸の、自分で。

 

 焼き尽くされていく、皮膚。

 

 死んで行く、思考。

 

 その度に、蘇る。

 

 蟲の再生。

 

 鞘の再生。

 

 その、相乗。

 

 それをもってしても、そこは地獄。

 

 生命の、許されない、環境。

 

 死の、原典。

 

 この星の、生誕を祝う、熱の祭典。

 

 マグマが、少女の足を溶かし。

 

 熱風が、少女の瞳を焦がし。

 

 飛礫が、少女の体を貫通し。

 

 血は、瞬時に気化する。

 

 酸素は、燃え滾って存在しない。

 

 体が粉微塵となり、即座に再生する。

 

 空間の断裂に切り刻まれ。

 

 宝具の雨に、貫かれ。

 

 それでも、前に。

 

 前に。

 

 前に。

 

 手を、振りながら。

 

 背筋を、伸ばしながら。

 

 前を、向きながら。

 

 ただ、前に。

 

 そして。

 

 そこには。

 

 少女を、犯した、金色の男の、顔が。

 

 一瞬、驚愕に歪み。

 

 しかし、その後に、納得の笑みを浮かべ。

 

 己の胸元を貫いた、短剣を見つめる。

 

「―――これは、あの暗殺者のものか?」

 

 少女は、頷く。

 

 その腹部には、何かに切り裂かれた跡が。

 

 そこから、取り出したのだろう。

 

 腹の中ならば、短剣を隠すだけの余地は、確かに存在する。

 

 無論、苦痛を意に介さなければ、だ。

 

 それを、理解しているからこそ。

 

 英雄王は、無粋な邪魔者を、無碍に扱おうとはしなかった。

 

 血泡の浮いた、口元を歪め。

 

 少女の頭を、撫でさすってやる。

 

 少女は、心地よさそうに、目を細める。

  

 まるで、恋人のような二人だった。

 

 そして。

 

 がらり、と音が響く。

 

 二人の足元には、持ち主の手から離れた、乖離剣が。

 

 いずれ、飲み込まれる。

 

 それを理解したからこそ、少女は尋ねた。

 

 恐怖に恐怖を重ねた、表情で。

 

 恐る恐ると、恐々と。

 

「―――蔑みますか」

 

 英雄王は、一切表情を変えず。

 

 くしゃりと、少女の赤毛を、一撫でして。

 

 それが当然のように、こう言った。

 

「―――是非に及ばず」

 

 それが、最後。

 

 二人は、光に飲み込まれ。

 

 あとには、何も残っていなかった。

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