FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
『子供の頃私は』この質問には回答が用意できない。
『私はよく人から』化物と指をさされる。
『私の暮らし』には娯楽が欠如している。
『私の失敗』が彼女を壊した。
『家の人は私を』ある程度認めているようだ。
『死』にたくない。
『私の出来ないこと』がこの世には多すぎる。
『私が心引かれるのは』彼女の笑顔である。
『私が思い出すのは』初めて見た眩い光。
『私を不安にさせるのは』彼女の笑い声。
『自殺』願望。
『私が好きなのは』敵を許すことだ。
『罪』はあくまで認識の問題でしかない。
『大部分の時間』私は眠っている。
『私が忘れられないのは』みんなの味である。
episode12 弱者蹂躙
夕食は平穏に終わった。
代羽は家に帰り、藤ねえは残業で遅くなるとのことだったので、今日は六人で食卓を囲んだ。相変わらずセイバーは美味しそうに全てのおかずを平らげ、アーチャーは皮肉交じりに料理の欠点を指摘し、キャスターは静かに箸を進めた。
食事が終わり、食器の片づけが済むと、いつも通りの作戦会議が始まった。
居間に漂う芳しい緑茶の香り、その中で凛がにこやかに口を開く。
「桜、準備はどう?」
「万端です、姉さん」
にっこり笑った遠坂姉妹。全く事情を知らない他人が見れば、今度の休日の予定のための準備でも済ませたのか、そう思ってしまうような柔らかい笑顔だ。
「準備って何だ?」
そういえば、今日は桜は学校を休んでいた。おそらく、その『準備』に関係するものなのだろう。
「はい、今後の戦いを有利に進めるための準備です」
少し勿体付けたような喋り方。きっと何かとんでもないモノを準備をしてきたのだろう。
「一体何をしたんだ、桜」
「ええ、実は――」
「ちょっと待て、桜」
突然会話に割り込んできたのはアーチャー。
「この男との同盟はあくまで期限付きのものだ。今後の戦いに関わる情報をわざわざ晒してやることもあるまい」
むぅ。
こいつ、とりあえず噛み付いてくるな。
でも、まあ、それはもっともかもしれない。
凛、桜との同盟はあくまで結界を張るサーヴァントを倒すまでの期限付きのもの。おそらくはそのサーヴァントとマスターが判明した今、同盟は終わりに近づいていると見るべきなのだろうか。
「アーチャー、あんたの言ってることは道理だけど、少なくとも現時点において彼は私達の同盟者よ。それに、今回桜に頼んでおいた準備は対慎二、ライダー用のもの。士郎に教えないわけにはいかないでしょ」
アーチャーは納得しがたいような、それともこうなることを見越していたような、そんな表情で庭の方に視線をやった。
それを合図にしたかのように、桜が話し始める。
「こほん、今回私とキャスターが準備したのは『門』です」
「門?門って何だ?」
にこりと、まるで良く出来た手品の種明かしをするマジシャンのような表情の桜が話す。
「空間転移のための門です、先輩」
「空間転移!?それって魔法じゃないか!」
魔法。
全ての魔術師が求め、それでも選ばれた極々少数にしか許されない奇跡。
現在、五つの魔法が存在するという話だが、その内容を知るものは少ない。
当然、俺もその全てを知っているわけではない。しかし、純粋な空間転移が魔法の域にある業だというのは親父から聞いたことがある。
「へぇ、結構物知りなのね、坊や」
淵の深い笑いを浮べたキャスター。
親しみが込められているような、ただ単に馬鹿にされているかのような呼ばれかたにも、もう慣れた。
「純粋なそれは確かに魔法の域にあるとされるわね。
でも、今回私達はわざわざ『門』を作った。そして、私に出来るのはその『門』と『門』を繋ぐだけ。
確かに大魔術ではあるけど、とても魔法と呼べるものではないわ」
ふむ、そんなものなのだろうか。
純粋な空間転移とそうでない空間転移の違いがどこにあるのかはよく分からないが、とりあえずとんでもない仕掛けをしてきたんだということは分かった。
「一応この街の霊脈と呼べるところを中心に約20箇所。キャスターの作成した陣地、『神殿』である遠坂の敷地からなら、一瞬でそこまで移動することができます」
「何でそんなことを?」
俺がそんな疑問を抱くのも当然だろう。
逃走経路の確保だろうか。それとも奇襲のための布石か。いずれにせよ、何らかの意図があるはずだ。
「決まってるでしょ、これは魚を釣り上げるための仕掛け」
不敵な笑みを浮かべた凛。
「ちなみに餌は私とあなた。覚悟は出来てる?私は済んだわ」
◇
静かな夜だ。
冬木市で一番の賑わいを見せる歓楽街。コートの裾を風に遊ばせながら歩く。
本当に静かだ。遠い昔に観た、時の止まった街を歩く、そんな映画のワンシーンを思い出す。
普段なら仕事帰りのサラリーマンや、騒ぎたい盛りの学生で賑わうはずのこの通りも、不自然なほどの静寂を帯びている。聖杯戦争のことなんて露も知らない一般人も、ただならぬ雰囲気だけは本能で察知しているのだろうか。
すれ違う頭の悪そうな少年達のグループが好色な視線をぶつけてくるが、一睨み効かせてやるとすごすごと道をあけた。
衛宮邸を発ってから感じる何者かの視線はその気配をどんどん強めている。かなり高等な術式で編まれた使い魔によると思われるそれは、私に大漁の予感を抱かせるに十分だった。
「当然気付いていることと思うが、ずっと監視されているぞ」
今は実体を持たない私の従者が背後から警鐘を鳴らす。
「当たり前でしょ。願ったりかなったり、渡りに船、鴨が葱しょってやってきた、ええと、ほかに何て言ったかしら」
つまり、魚は餌に食いついたのだ。
しかし、つくづく慎二は運が無い。
私と士郎は二手に分かれて街を探索している。
もし、彼が狙ったのが士郎の方ならば、少なくとも問答無用に殺されるということは無かったはずだ。何だかんだ言ってもあいつは甘ちゃんだ。説得くらいはしようとするだろうし、それは慎二の最後のチャンスにもなっただろう。
しかし、慎二は私を狙った。
私は士郎ほど穏やかじゃあない。
士郎がなんと言っても、私は慎二を殺す。
そこまで考えたとき、後ろから微かに笑い声が漏れた。
「ああ、やはり君には戦場がよく似合う。目前に迫った戦いを前に高揚する君ほど美しい『赤』を、寡聞にして私は知らない」
聞きようによっては中々失礼な感想だが、私は好意的に解釈することにした。
「それは違うわ、アーチャー。私達の目の前にあるのは戦いじゃない。あるのは勝利、それだけ」
策は練った。技は磨いた。力は満ちた。供は見つけた。
さあ、どこに敗北の要素がある。
来るなら来なさい、マキリ慎二。私があなたに最後の敗北を与えてあげるから。
足の望むままに歩いていたら、いつの間にか冬木大橋の袂の海浜公園まで来てしまっていた。『門』からは少し離れている。一番近くにあるものでも、数分の距離はあるだろう。
身を切るように冷たい海風が、火照った頬に心地よい。微かに感じる海の香りは遠い昔に遊んだ誰かを思い起こさせる。
思わず苦笑してしまう。私はこんなに感傷的な人間だっただろうか。それとも、何時死んでもおかしくない、そんな戦場の空気が過去を美しく思わせるのか。
なんとはなしに空を見上げた。月は出ていなかった。新月だったか、それとも雲が隠しているのか。
その時、私の背後にあった木の影から、聞きなれた、しかし気に入らない声が聞こえた。
「やあ、遠坂、こんな時間に女の子が一人で出歩くなんて無用心だと思わないか。もしよければ家まで送っていこう」
片頬を歪ませる独特の笑み。
それを整った顔に貼り付けた少年が、木陰から姿を現した。
「遠慮しておくわ。どうせ送っていくのはあなたの家まででしょう?」
その言葉にマキリ慎二は声を上げて笑った。
「ははっ、もし遠坂が望むならそうしてやってもいいぜ。何せ僕は寛大だからね、学校での非礼も許してあげるよ。どうせ衛宮に弱みでも握られてるんだろう?結界を張ったのだってあいつに決まってる。
もう一度言うぞ、遠坂。もし君が学校の結界に心を痛めてるなら、僕と一緒に戦おう」
右手を前に出しながらゆっくりと近づいてくる慎二。
その笑顔には一点の曇りも無い。
だから私は腹が立った。
理由なんて無い。
何となく、目の前の馬鹿を殴りたくなった。そして、私は実行力のあるほうだ。
体の芯まで冷える、そんな夜空の下、高らかな音が響き渡る。
響いた音はゴツッ、という、かなり固い物体同士が高速でぶつかったときに奏でる音。
盛大に吹っ飛んだ慎二が、左頬に手を当てながらこっちを見る。唖然とした視線。何が起こったのかわからない、そんな感じ。倒れたままの姿勢といい、まるで突然夫に暴力を振るわれた女性みたいだ。
人を思いっきり殴るのは久しぶり。思ったより気持ちいい。
「あら、御免なさい、間桐君。別にあなたが悪いわけじゃないわ。ただ、突然何かを殴りたくなっただけなの。
でも、あなたは許してくれるわよね、だってあなたは寛大なんだもの」
痛む右拳を軽く摩りながら、おそらくは最高の笑顔を浮べた私が言う。
「もしよろしければ右頬も殴らせてくれない?だって昔の偉い人も言ったでしょう?汝、右の頬をぶん殴られたら左の頬を差し出せって」
空白だった彼の表情に色が生まれる。
それは、怒りに震える、まるで泣き出す寸前の幼児みたいな表情。
口元に血を滲ませた慎二が立ち上がる。
「ああ、そうかい、遠坂、これがお前の返事か。わかった、ならば僕も遠慮なんかしてやらない。半殺しにした後で、裸にひん剥いて僕の前にひれ伏させてやる!」
彼は唾を吐きながら喚き散らす。この上なく滑稽だ。
「ああ、それがあなたの[地]なのね、間桐君。いいじゃない、普段の賺したあなたより遥かに素敵よ」
意味の無い会話で慎二を挑発しながら、レイラインを通じて遠く離れた桜と連絡を取る。
『桜、聞こえる?』
『はい、姉さん』
目の前の馬鹿が何かほざいているが、今の私の耳には入らない。
『馬鹿が釣れたわ。場所は深山町側の海浜公園。何分で来れる?』
『五分以内には』
『三分で来なさい。じゃないとあなたの活躍の場が無くなるわよ』
そこまで伝えて私はラインを切った。
これが、桜とキャスターにわざわざ門を作らせた理由だ。
慎二を釣り上げること事態は難しくない。こちらがあからさまな隙を作ってやれば一も二も無く食いついてくる、それは分かっていた。更に言うなら、状況が一対一に限定されるならばどんなに不利な状況でも私には勝つ自信がある。
しかし、もしも奴が他のマスターと手を組んでいたら?
あの程度の器しかない凡百な男にまさか従う魔術師がいるとは思えないが、逆に慎二を傀儡にして漁夫の利を得ようとするマスターの存在は十分に注意する必要がある。まだ見ぬランサーとアサシンのマスター、それらの動向が掴めない以上、警戒するに越したことはない。
だが、それに警戒してこちらも徒党を組むとなれば、今度は逆に猜疑心の強い慎二のこと、こちらの思惑通り餌に食いついてはくれなくなるだろう。
こちらが隙を見せつつ、万が一、多対一の状況を作られたとしても互角以上の戦況を作り出す。そのためにはキャスターの大魔術が必要だった。士郎なんかは呆れながら『やりすぎだ』と呟いたが、小細工はこれくらい徹底するくらいでちょうどいいと思う。
とはいうものの、どうやらそれらの作業は徒労に終わったらしい。
アサシンのように隠密性の高いサーヴァントなら話は別になるが、今、この場に置いて慎二が引き連れるサーヴァント以外に強い魔力の気配は無い。つまり、状況は一対一。ならば私が遅れを取る道理は無い。
「しかし、僕の誘いを蹴って、手を結んだのが、まさか『あの』衛宮とはね。つくづく遠坂も見る目が無いね。あんなのただの社会不適合者じゃないか。学校であいつがなんて呼ばれてるか知ってるか?便利屋だぜ、便利屋。ははっ、まさにあいつにぴったりだ」
気がついたら、慎二はまだ何か叫んでいた。
目を見開いて歯を剥き出しにしたその表情は、怒り狂って檻を揺らす動物園の猿を思い起こさせる。
「だいたい最初から僕はあいつのことが気に入らなかったんだ。人から頼まれればどんな厄介ごとでもへらへら笑いながら引き受けて、なんの報酬も受け取らない。かと思えば自分はこの世の全ての不幸を背負ってます、みたいな訳知り顔をしちゃってさ。ふん、あの偽善者面には反吐が出るね」
へえ、珍しく慎二にしては正論を吐くじゃないか。
「断言するよ、あいつは人間としてどこか壊れてる。同情するぜ、遠坂。あいつは絶対にお前の足を引っ張る。まあ、この場で僕に敗れるお前が心配することじゃないけどね」
なるほどなるほど。
「最後の部分は置いておいて、中々わかってるじゃない、間桐君。
その通りね、確かに士郎はどこか壊れてる。きっと私の足を引っ張ることもあるでしょうね」
「はっ?」
唖然とした慎二の顔。
「ねえ、間桐君。あなたに質問するわ。
あなたは傷ついた自分のサーヴァントを守るために、敵の前に胸を晒すことができる?」
「ははっ、なんでそんな馬鹿なことしなけりゃならないのさ。サーヴァントなんてただの道具、もしくは兵器だろ?だいたいマスターが死んだらサーヴァントだって現界できなくなるんだぜ、そんなの無意味じゃないか」
「理想に近づくために、毎日毎日、死ぬほどの苦痛に耐えながら魔力回路を一から生成することができる?」
「それこそ無意味だ。スイッチさえ作れば魔術回路なんて簡単に起動できるものなんだろう?どこの馬鹿がそんな無駄な真似をするのさ?」
「顔も見たことも無い他人のために、自分の命を危険に晒すことが出来る?」
「なに、ソイツ?どこの正義の味方様だよ。偽善を通り越して醜悪だぜ、それって」
なんだ、思ったより気が合う。
その通り、私もそう思う。
彼の行為は無駄で、馬鹿で、醜悪だ。
だから、慎二の言ってることは正しい。
百点満点だ。
非の打ち所が無いくらい正しい。
そのはずなのに。
何で、私はこんなに怒っているのだろう。
思わず満面の笑みを浮べてしまうほどだ。
彼のことを笑われると、限りなく腹立たしい。
よし、今、決めた。
あいつを笑っていいのは私だけだ。
私だけが彼を笑ってやるんだ。
だから、目の前で士郎を笑うこの男を。
私は許さない。
「あなたには何一つできないのね」
「できないんじゃない、やろうとも思わないだけだ」
「士郎にはできるのよ」
「それはあいつが異常だからだろ」
「そうね、あいつは異常よ。でも、正常なあなたには何ができるの?」
「っ、……」
「そう、あなたは何もできないのね。なら、やっぱり士郎のほうが強いわ。
がっかりね、間桐君。あんたのような半端者に彼を笑う資格なんて無いみたい」
あまりの怒りに赤くなり、青ざめ、ついには蒼白な顔色になった慎二が呟くように言った。
「……どいつもこいつも衛宮、衛宮。あんな屑のどこがいいんだ。ルックスも運動神経も頭脳も人望も僕の方が優れてる。魔術の知識だってそうだ。それに僕は名門マキリの後継者だぞ、あんな下種に劣る要素なんて何一つ無いはずだ!ライダー!」
己のマスターの声に反応した美しい紫のサーヴァントが姿を表す。
「やれ、ライダー!遠坂もあの女と同じ目に遭わせてやれ!」
私の方に向かって疾走してくる紫色の騎乗兵。それを私の従者が阻む。
ライダーの持った杭のような短剣と、アーチャーの持った干将・莫耶が火花を散らす。
しかし、私の意識は先ほどの慎二の言葉に集中していた。
あの女?誰のことだ?
そんな私の表情を見て、得意気に慎二が笑った。
「ふん、誰のことか知りたいかい?実はここに来る前にちょっとした知り合いとばったり出くわしてね、あんまり鬱陶しいことを言うもんだから少しだけお灸を据えてやったんだ。やっぱり女の子はお淑やかなのが一番だしね」
ちょっとした知り合い。
慎二は女友達が多い。それだけでは誰のことか特定できない。
「は、あの女、この僕に向かってなんていったと思う?言うに事欠いて『衛宮を見習え』、だぜ。あまりにも無礼が過ぎる、そう思わないか、遠坂。だから生意気な口を二度と利けなくしてやったんだ」
士郎と慎二の共通の知り合いで女の子、さらに慎二よりも士郎を高く評価しているとなると、私が知っているのは一人だけだ。しかも、どうやらそいつは私の友人でもあるらしい。
軽い頭痛が、した。
「……慎二、あなた綾子に何をしたの」
目の前の男は吐き気がするほど嫌らしい薄ら笑いを浮べた。
「犯して殺した」
……こいつ、今何て言った。
おかして、ころした。
綾子を、私の友人を、犯して、殺した。
そう、言ったのか。
「ああ、そんな怖い顔で睨まないでくれ。ちょっとしたジョークじゃないか。
だいたい僕はあの女に欲情するほど趣味は悪くない。ほんの少しだけ、ウチのサーヴァントに生気を分けてもらっただけだよ」
……今、決めた。
もし、万に一つの可能性でこいつが学校の結界を張った犯人じゃなかったとしても、こいつは私が殺す。少なくとも、死んだほうがマシと思えるくらいの目にはあわせてやる。
「ただ、その後何しても起きてくれなかったからさぁ、僕の友人に介抱をお願いしたんだよ。そいつ、気の強い女の子を従順に調教するのが大好きな奴でね、今頃美綴の奴、どんな目にあってるんだろうなあ」
くすくすという笑い声が聞こえる。
私は桜とのラインを繋いだ。
『桜、聞こえる?』
頭の中で、妹の声が響く。
『何ですか、姉さん。あと少しで着きますが』
『簡潔に言うわ、綾子が攫われた』
『……!』
『どうやら命に別状は無いみたいだけど、今も危険な状況にある。
遠坂の当主として命じます。あなたは彼女の救出に向かいなさい』
かすかな沈黙。
『……姉さんは甘すぎます。これは聖杯戦争ですよ、犠牲が出るのは当然じゃないですか』
あまりにも正論な妹の意見。
『わかってる。これは心の贅肉、いえ、心の税金ね。でも、やらなければきっと後悔する。だから、お願い、桜』
『……敵は、マキリ慎二一人ですか?』
『ええ、ほかに魔力の気配は感じない』
『本当ですね?』
『私が桜に嘘を吐いたことなんてないでしょう?』
『まず一回目ですね、姉さん。
……わかりました。遠坂の系譜に名を連ねるものとして、当主の命令を受け入れます。だから、姉さん、死なないで』
その言葉を聞いて、私はラインを絶った。
この街は遠坂の管理地だ。この街で私達姉妹の目の届かないところなんて存在しない。まして妹に付き従うのはキャスター。人探しなどお手の物だろう。
打つべき手は打った。もし、これで最悪の結果が訪れたとしても、私はそれを受け入れることができる。
だから、これはただの自己満足。自分に対しての言い訳を用意しただけ。
やれるだけのことはやった、自分に責任は無い、そう言うためだけに、私は自分の身を危険に晒している。こんな姿、とても父さんには見せられない。
でも、まあ、どうでもいいか。
そもそも私が慎二に負けるなんてありえない話だ。
桜が来ようが来まいが、結果は変わらない。
ならば、くだらないことをグジグジ考えるのは止めだ。
さあ、目の前の害虫を叩き潰すとしよう。
威を正し、正面の仇敵に相対する。
「始めましょうか、間桐君。おそらくはあなたにとって最初で最後の本物の殺し合いよ。十分に渇を癒していきなさい」
私がそう言うと、慎二はポカンとした表情を浮べて、その後笑い出した。
「ははっ、なに言ってるんだよ、遠坂。これは聖杯戦争だろ?サーヴァント同士の殺し合いだ。何で僕が戦わなくちゃいけないんだ?」
「そうね、これは聖杯戦争。サーヴァントと魔術師同士の殺し合いね」
慎二は笑顔のまま固まった。
「サーヴァント同士が互角なら、あとは魔術師同士の戦闘で勝負が決まるわ。そして、あなたは私に喧嘩を売った。高く買ってあげるわよ、間桐君」
私は柔らかく微笑んでやったつもりだが、どうやら彼にはそう映らなかったみたいだ。まるで鬼か悪魔と出会ったみたいに顔を引き攣らせている。
そして、彼は自らの従者に救いを求めた。
「ライダー!何してるんだ!そんな奴さっさと片付けて僕を援護しろ!」
無様極まる叫び。
私は赤と紫がぶつかる戦場のほうを見た。
騎乗兵が振るう杭と鎖が組み合わさったような奇妙な短剣を、アーチャーが二本の短剣で凌ぎ続けている。
一見すれば騎乗兵が押しているように見えるが戦況は互角、いや、おそらくはアーチャーの方が有利だ。守りに入った彼の強さは私が一番よく知っている。彼は先日、ランサーの瀑布のような突きを捌ききるどころか、捌きながら前進すらしてのけたのだ。
アーチャーは冷ややかな笑みを浮べながらライダーの攻撃を捌いている。さもありなん、彼は勝つ必要などないのだ。戦いを長引かせて、主が勝利するのを待てばいいのだから。騎乗兵もそのことに気付いているのだろう、しかし彼女にはどうすることもできない。
「残念ね、ライダーはあなたに手を貸せないみたい。従者が頑張っているのよ、マスターの端くれとして根性みせたら?」
慎二は何かに助けを求めるように視線をあちこちに彷徨わせた後、泣き出す寸前みたいな表情をしてポケットから折りたたみ式のナイフを取り出した。
それは、何の神秘も内包していないただの鉄の塊。そんなもので魔術師に勝負を挑むというのか、この男は。
「ひゃああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
狂人みたいな叫び声をあげて突っ込んでくる。
私は彼に対して右手の人差し指を向けると、一呼吸も開けずにガンドを放った。
ドン、という、まるで自動車と人がぶつかったみたいな音をたてて彼は吹き飛ぶ。どうやら呪いは彼の左大腿部に直撃したようだ。おそらく今日、明日は歩くこともできないだろう。
彼はなんとか体を起こした。
流石に立ち上がることはできないのか、尻餅をついたような姿勢でこちらを見る慎二。
私がゆっくり近づくと、彼は手近に合った小石を投げながらあとずさった。
「くるな、くるなああぁぁぁぁ!」
出鱈目に投げられた小石の一つが私のこめかみを直撃する。痺れるような痛覚に思わず顔を顰めたが、この際痛みは無視することに決めた。
私は殊更ゆっくりと歩を進め、優しい声色で彼に語りかけた。
「あなたに最後のチャンスをあげるわ。正直に答えなさい、そうすれば命だけは助けてあげる」
唇が震えて上手く発音できないのか、言葉と呼べない言葉を発した彼は、ブンブンと首を縦に振った。
「学校の結界を張ったのはあなたね、間桐君」
慎二はごくり、と唾を飲んで、固まってしまった。おそらく彼の頭の中では、打算の洪水が一縷の望みを探して荒れ狂っているのだろう。
仕方ない、ここは一つ道しるべを立ててやることにする。
「ちなみに言うとね、私の妹、遠坂桜も魔術師でマスターなの。そして彼女が従えるサーヴァントはキャスター。さて、間桐君。あなたはあの結界を誰が張ったって言ってたかしら」
その言葉で、彼の顔は大きく驚愕に歪んだ。
「な!あの魔女のマスターは、あの男じゃあないのか?」
……何を言ってるのかよくわからないが、少なくとも自分が致命的なミスを犯してしまっていたことに、今更ながら気付いたらしい。
僅かな時間、彼は逡巡していたようだが、やがて意を決したように口を開いた。
「……そうだ、あの結界はライダーが張ったんだ。
勘違いするなよ、僕は悪くない。むしろ、僕は止めたんだぜ。でも、あいつが『私達が勝ち残るためにはこの結界が必要だ』ってしつこいからさあ」
媚び諂うようなに笑いながら彼は言った。今まで見てきた彼の笑いの中でも、最も醜悪で、最も哀れだ。
「……あれは魔術なの、それとも宝具なの?」
「あれはライダーの宝具で、他者封印・鮮血神殿っていうんだ。その効果は結界の中の一般人の溶解、その精神、魂の吸収だ。
なあ、遠坂、ここまで正直に言ったんだ。反省もたっぷりしてる。マスター権も放棄する。もう二度と君の前に姿は現さない。だから、君は僕を許してくれるよな?」
彼が言ったことは、とっさに考えたにしては筋が通り過ぎている。だから、彼が外道なマスターなのは間違いあるまい。
縋るような視線、しかし私はゆっくりと彼に人差し指を向けた。
「な、な、な、」
『なんで、命は取らないって言ったじゃないか』、おそらくはそう言いたいのだろう。
「ごめんなさいね、間桐君。私のモットーは『やるからには徹底的に』、『汝、左の頬を打たれる前に、打つべし打つべし』なの。だから、あなたを許すつもりはないし、下手なチャンスを与えるつもりも無いわ」
投げる小石も無くなったのだろう、慎二の両手は何かを探すように滑稽に動き続けている。
「恨むなとは言わない。むしろ恨みなさい、あなたにはその資格があるから」
慎二は、涙と、鼻水と、涎を垂らしながら何かを呟いた。
おそらくは命乞いの類だろう。聞こえなかったことにする。
「私にとって、これが最初の殺人なの。だからきっとあなたのことは忘れないと思う。さよなら、慎二」
指先に神経を集中させる。
命を絶つ、それも同族、さらには見知った人間の命を。
外面には出していないつもりだが、内心は酷く動揺していた。
それでも、これは義務だ。聖杯戦争の参加者として、この地を管理する遠坂の当主として。だから、最初から私に選択肢なんてありはしない。
大きく息を吸い込んで、吐き出して、また吸い込む。
さあ、笑いながら彼を殺そう。私は今日、童貞を捨てるのだ。
そして、容易く目の前の男の命を奪えるほどに高めた魔力を放とうとした時、まさにその時、アーチャーが叫んだ。
「避けろ、凛!」
考えるよりも早く、私の体は反応していた。
体を投げ出すようにして横に飛ぶ。
飛び込み前転の要領で、きれいに着地。
振り返ると、私の立っていたその場所に、三本の短刀が突き立っていた。射線の延長線を見ると、巨木の上に白い髑髏の仮面が浮いていた。
見覚えがある、あれは――。
「アサシン」
私は呟いた。
その瞬間、夜空を滑空するかのように舞い降りた白い髑髏が、私の足元に倒れた慎二を掻っ攫っていった。
アーチャーと剣を交えていたライダーも、後方に下がり距離を取る。
何かが、いる。
この闇の向こうに、何かおぞましいものがいる。
そう確信する私の前に現れたのは、二体の従者を引き連れた老人だった。記憶にあるマキリの支配者の名前が浮かび上がる。
なるほど、戦いは今から始まるらしい。