FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
「――告げる。
汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。
聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ。
誓いを此処に。
我は常世総ての善と成る者、
我は常世総ての悪を敷く者。
汝三大の言霊を纏う七天、
抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ」
短くない時間の詠唱。
乱舞する第六要素。
それが収まったとき、そこには二つの影があった。
暗く、粘ついた闇の中、なお一層暗い影。
僅かでも明りがあるなら、その正体に気付くだろう。
一つは、矮躯の老人。杖をつき、海老の如く曲がった背中。
枯れかけて腐り始めた老木、その表現が相応しい。
一つは、長身の女性。奇妙な眼帯でその美貌を隠し、まるで棒切れのように突っ立っている。
血塗られた巫女、いや、穢された女神。
彼らを結ぶのは一欠けらの石。遠い異国の名も無き島、そこで発掘された太古の神殿のものだ。
だが、それ以上に彼らを結ぶ縁というものは確かに存在した。
マスターとサーヴァントは似たもの同士が選ばれる。
その原則に従うならば、この二人ほど似通った組み合わせも珍しい。
かたや、理想を忘れ、理想を実現するための手段としての不死そのものが目的となった怪老。
かたや、大切なものを守るための手段に溺れ、それをもって大切なものを飲み下してしまった怪物。
手段が目的に堕した生き方。そして、化け物として討たれる運命。
だから、彼らには確かに共通項は存在したのだ。
しかし、物事の側面は常に二次元ではない。
三次元ならばその面の数だけ、四次元ならばそれこそ無数に。
読み解く人間の分だけ、解釈というものは存在する。
もしかしたら、違った選択肢もあり得たのだろうか。
例えば、堕ちた女神は、自分と同じく被害者のまま加害者として罰せられる少女の従者として召喚されることもありえたかもしれない。
万が一、朽ちた翁は、自分と同じく永遠の存在を求める暗殺者を召喚することがあったかもしれない。
だが、この世界、この運命においてはそれはなされなかった。
仮定には、なんの意味も無い。
過程など、読み上げる価値は無い。
この世界においては、ただ、その結果のみが真実だった。
そして、翁は満足げに頷いた。
彼は、自分が呼び出した従者に背を向け、真っ黒な部屋を後にする。
彼が向かうのは、地の底。
穢れたこの家の中で、なお穢れきった蟲の巣穴。
今夜そこで、もう一人の英雄が呼び出されるはずなのだ。
さあ、果たしてあの男はどんな怪物を呼び出すのであろうか。
できれば三騎士、いや、別に何でも構わないか。
あれは完成品だ。
ならば、サーヴァントの質は問うまい。
しかし、あれだけ穢れた存在が呼び出すものには興味がある。
さぞ熟成された魔が現界することだろう。
そこまで考えて、翁は不快な声で嗤った。
episode13 総力戦前
波が、コンクリートの消波ブロックにぶつかる音が間断無く聞こえる。
ここからでは何も見えないが、手摺から身を乗り出して黒くうねる海を覗けば、護岸と波との死闘と、その残滓である白い飛沫が見えるのだろう。
冬木の夜景は美しい。故に、狭い海を挟んでそれが一望できるこの海浜公園は夜のデートコースとして人気が高い。
しかし、今は私達以外、誰もいない。
「ふむ、こんな夜更けに何用かな、遠坂の娘よ」
月は出ていない。
僅かな星の光と、人工的な街灯の灯りに照らされたコンクリートの上で、私と老人は対峙する。
萎びた、鉛色の皮膚。
落ち窪んだ、奈落のような眼窩。
消え入りそうでいて、何故か耳に残る声。
頭部は禿げ上がり、腰は大きく曲がっている。
老人。それも、明日にも三途川の渡しの世話になって不思議でないように思える類の老人だ。しかし、その眼光は梟のように鋭い。
間違いない、あれは私の同胞だ。
「ただの散歩よ。あなたこそこんな時間にどうしたのかしら、マキリ臓硯」
老人の眉が微かに動く。カマをかけてみたのだが、どうやら当たりのようだ。
「かっか、いや、儂も有名のなったものよな。まさか儂如きの顔を遠坂の当主が知っているとは思わなんだ。身に余る光栄とはこの事よ」
痙攣するように笑いながら、なおその視線は油断なく私達を捕らえていた。
奴の背後には二体のサーヴァント。
紫の髪をした黒い女。
笑い顔の仮面をつけた、黒い襤褸を纏った怪人。
それに対して、私はアーチャーひとり。
個々の力を均一と仮定するならば、その戦力差は笑えるほど絶望的なものだろう。
認めざるを得ないか、私は油断していた。
『アサシンのように隠密性の高いサーヴァントなら話は別』、その思考に赤面してしまう。
正直を言うならば、慎二と手を組む可能性のあるマスターはランサーのマスター以外あり得ない、そう踏んでいた。
なぜなら、一昨日、代羽がアサシンに襲われているからだ。
まさか、いくら慎二でも自分の妹を襲うようなマスターと手を組むことは無いだろう、そう考えた。
しかし、事実は更にその斜め上を行っていたようだ。
もし慎二がライダーのマスターだと仮定するならば、臓硯はアサシンのマスターということになる。そして、代羽を襲ったのがアサシン。つまり、あいつらは自分の肉親をすらサーヴァントの糧としか見ていなかったということだ。
なるほど、肉親にしてそれなら、赤の他人など塵芥と変わるところは無いのだろう。何の躊躇も無くあのような外道結界を仕掛けるわけだ。
こいつらは、完全に踏み外している。
そんな私の思考を他所に、やっと嗤いを収めた臓硯が言い放つ。
「さて、儂も散歩のつもりだったのだがなぁ、運悪く毒の棘を持つ雌猫を見つけてしまった。
さてさて、どうしたものか。
このまま放置すればいつ刺されるやしれぬ、しかし殺すのも忍びない。
もし、猫めが自ら棘を捨てるならば、いらぬ殺生は避けられるのだがなぁ」
薄ら笑いを浮かべながら老怪が話す。
これは脅しだ。
令呪を破棄して負けを認めろ。
そうすれば今宵は見逃してやる。
奴はそう言っているのだ。
私に向かって。
この遠坂凛に向かって。
生殺与奪の権利は自分にある、と言っているのだ。
なるほど、そうか。
いい度胸だ。
いい度胸じゃあないか。
伊達に五百年生きていないらしい。
す、と頭から血が引いていく。
慎二の馬鹿を見たときから、少し頭に血が上っていたようだ。
良かった。
これで冷静になれる。
そうだ、私は冷静だ。
だから、逃亡とか、離脱とかは考えない。
冷静に、執拗に、そして優雅に。
あの化物を殺してやる。
◇
遠坂凛の口の端がゆっくりと持ち上がっていく。
三日月の形になった、美しい唇。
微笑。
そう、その表情に名を与えるなら、その名詞が一番近い。
しかし、足りない。
その表情が表す最も重要な情報が、その名詞では表せていない。
ならば、何が抜け落ちているのか。
彼女が浮かべているのは微笑みに違いはないのだ。
ただ、それは恋人と語らう時の輝くようなものではなく、
両親の愛情に包まれた時の安らいだものでもない。
例えるなら、猫科の肉食獣。
しかし、雄ライオンのように勇壮なそれではない。
もっとしなやかで、何より優美。
豹。あるいはチーター。
彼らが、獲物の首筋に牙を突き立て、溢れ出るその血で喉の渇きを潤した時。
或いは、哀れな贄の肉で、胃の腑を締めつける飢えを満そうとした時。
その時に、表情を作ることが出来たとしたら、おそらく今の彼女のような笑みを浮かべるのだろう。
美しく、完璧で、残虐な笑み。
それほどに、今の彼女は危険な存在だった。
◇
「アーチャー!」
背後に生じた仄かな熱。
数日前まで知らなかった、今は何より信頼できる熱。
「あの化物は私が仕留める。あなたはサーヴァントの足止めをして」
私の従者は軽く肩を竦めた。
「いくら足止めとはいえ、私一人で二体のサーヴァントを相手にするのはいかにも無謀ではないかね。私はあの狂戦士ではないのだよ、凛」
「できないの?」
私は知っている。彼は今もなお、あの皮肉げな笑みを湛えていることを。
「私は一言でもそんなことを言ったかね、凛。
無理、無謀、無茶、おおいに結構。それでこそ君だ。
なに、おそらくは地に足を付けた騎乗兵、姿を晒した暗殺者。物の数ではない。聊か急に過ぎるきらいもあるが、これはこれでいい機会だ。君の従者の最強を証明しようじゃないか」
◇
「――――――、Anfang」
凛の魔術回路が回転数を上げていく。
ローからハイに、そしてハイトップに。
一流と称してなお賞賛しきれないそれが、まだ発展途上でしかないことを私は知っている。彼女の翼は強く、なお疲れを知らない。目的地は遥かに、視線は更にその先を見据えている。
ならば、その翼をこのような瑣末事で汚すわけにはいくまい。
と、その時。
暗殺者の投げた短刀が、凛を襲う。
瞬きをするほどの時に三閃。
眉間、喉、心臓。そのいずれもが必殺。
しかし、そのいずれもが彼女に毛程の傷も付けることができないことを私は確信している。なぜならこの身は弓兵。例え空を舞う燕であろうと、例え狙撃手の放つ弾丸だろうと、悉く叩き落としてみせよう。
キ、キキン――。
硬質な金属音が周囲の静寂を破る。
目を閉じ、己に埋没する凛の前に転がった三対の短刀と矢。
再び訪れた、時が止まったような静寂。
私は短刀を拾って情報を読み取った。
理念、骨子、歳月。
短刀、ダークと呼ばれるそれから読み取った情報、虚ろな気配。
奴に該当するクラスはアサシン以外ありえない。
そして、短刀の持ち主にこう言った。
「ふむ、暗殺者よ。我がマスターを害するに、使う道具がこの薄汚れた短刀か。いささか出し惜しみが過ぎるのではないかね。吝嗇も過ぎれば非難の対象となろう」
仮面の下の気配が微妙に変化した。
暗殺者とは、すなわち一種の職人だ。
自らを鍛え一つの道具となし、徹底的かつ綿密に対象を調べ上げ、天が与えたが如き最高の一瞬を選択して目的を達する。
ならば、自らの一部といっても過言ではない仕事道具を貶されて、不快に思わないはずがない。
私の挑発に乗ったのか、それとも排除すべき障害として認識したのか、いずれにせよ、暗殺者は私を標的としたようだ。
あとは彼女にパーティーの招待状を送らねばなるまい。
◇
弾幕と弾幕が衝突する。
少女が放つのは魔力の弾丸。
フィンの一撃と呼ばれるものに昇華されたそれは、呪いでありながら物理的な破壊力を持つ。
老人が放つのは蟲の弾丸。
硬い外骨格を持つ甲虫を魔力によって強化し、更に加速して放ったそれは、さながらライフル弾のような貫通力を有する。
互いの攻撃がぶつかり、威力を殺しあうが故に致命傷には至らないが、両者とも細かい傷を負っている。
果たして、どちらを賞し、どちらを貶めるべきなのであろうか。
若輩の身でありながら、齢五百を超える大魔術師と張り合う少女を褒めるべきか。
それとも、普通の人間なら既に片手の指では足りぬほど大往生を迎えているであろう歳でありながら、眩いばかりの若き才能に立ちはだかる老人だったものを讃えるべきか。
いずれにせよ、並みの魔術師なら既に十度は冥界の門をくぐっているであろう壮絶な戦いは、それでも開演のベルの余韻すら残した段階にすぎなかった。
◇
甘かった。
私は思わず舌打ちをした。
遠坂の魔術特性は転換。
お世辞にも戦闘に向いた特性とは言えない。
しかし、本来はそれでかまわないのだ。
およそ魔術師と呼べるものにとって、究極的な目標は根源への到達。そのためには戦闘技術などは必要ない。むしろ探求に必要な特性こそが王道であり、戦闘に特化した特性は外道だ。
だが、今、私が参加している大儀式は殺し合い。
王道と外道が反転する。
それでも勝てると思った。
いくら相手が、私の十倍以上の時を魔道に捧げた先達でも、所詮は一度も聖杯戦争に参加しなかったアナグマだ。家が廃れ、血が枯れたから、穴から燻りだされたにすぎない。
そう思っていた。
見込みが甘かったと言わざるをえない。
奴は正面から私のガンド打ちとやりあっている。まさかこれほどの力を持っていたとは。
もし、最初から虎の子の宝石を使っていれば、難なく勝てたはずだ。そうでなくても戦局ははるかに優位に運べていたに違いない。
一瞬。
一瞬でいい。
奴に隙ができれば、ポケットから宝石を取り出すことができるのに。
一瞬。
今の私には、それがとても遠い。
◇
ゆらり、と目の前の白い髑髏が動いた。
決して遅い動きではないが、単純な速度だけならかの槍兵と比べるのもおこがましいものだ。
しかし、その動きに目が追いつかない。
いつの間にか視界から姿が消え、死角から短剣が飛んでくる。
理由は極めて単純だ。
奴の動きには起点がない。
例えば、パンチを打つとき。
人はただ単純に腕を伸ばすのではなく、必ず溜めを作る。
足をねじり、膝を撓め、腰を回し、肩を入れ、そして腕を伸ばす。
初心者の動作は、テレフォンと呼ばれるほどわかりやすく、上級者であればあるほど、その溜めがわかりにくい。
奴はその溜めを、人間として可能な限り消している。
故に先読みができない。
奴が動き出した後に、やっと動いたという事実がわかる。
まるで薄だ。
風に揺られる薄。
風がいつ吹き、いつ薄が揺れるのか。
それを読むことのできる騎士を、私は憶えている。
だが、私には。
それを先読みするような才は私には無い。
だから、いつも通りだ。
いつも、私は自分の非才さに呆れていた。
呆れながら、戦ってきた。
呆れながら、いつも通り。
いつも通り、愚直に。
愚直に、前へ。
前へ。
◇
目の前で二つの戦いが繰り広げられている。
きっと、自分はそのいずれかに参加するべきなのだろう。
いずれの戦闘に参加したとしても、自分なら勝利をもたらすことができるはずだ。それだけの実力は兼ね備えているはずだし、覚悟もある。
しかし、私にはそれが許されていない。
何故なら、令呪をもってこう命令されたからだ。
[私が指令を下すまで、自衛以外、独断で動くことを禁じる]
ぎしり、と歯が鳴る。
まるで木偶だ。
私は何のためにここにいるのか。
少なくとも、特等席で戦いを見物するためでは無かったはずだ。
そこまで考えたとき、案山子のように突っ立っていた私の足元に一本の矢が突き刺さった。
「せっかくの夜だ。なのに、君ほどの女性が壁の花というのは申し訳ない。どうかな、私と一曲」
始めのうちこそ暗殺者の奇妙な動きに翻弄されていた弓兵だが、今はほぼ互角、いや、明らかに暗殺者を圧倒し始めていた。だからこそ私を挑発することができたのだろう。
もともと、暗殺者は正面きっての戦闘に向いていない。闇に住み、標的をより深い闇へ引きずり込むのが暗殺者の常道。おそらくは百戦錬磨の弓兵、彼を相手に僅かな時間だけでも優位に立っていたのが、むしろ賞賛を受けるべきだろう。
「なるほど、今代の遠坂は主従ともに死にたがりとみえる」
枯れた声が聞こえる。
この声は嫌いだ。
でも。
「いいじゃろう、ライダー、戦闘を許可する。その愚か者を血祭りにあげよ」
この言葉を待ち望んでいた。
なるほど、それが主の意思か。
あの老人が言うのだ、間違いあるまい。
この身を縛っていた不可視の鎖は放たれた。
さあ、愚かな弓兵よ。
あなたのおかげで私は戦える。
だから、私は優しい。
優しくあなたの血を吸って。
優しく殺してあげましょう。
◇
暗殺者の奇妙な動きは、始めのうちこそ戸惑ったものの、ある程度慣れてくれば心眼をもって反応できないほどのものではなかった。
そうなれば後はこちらのものだ。攻撃も距離をとってからのダークの投擲一辺倒であり、防ぐのは難しいものではなかった。何か、英霊のシンボルとなる宝具を持っているのは確実だが、それを使う気配は無い。
距離を詰めての接近戦では、私は奴を圧倒した。手にした武器も、剣の技量も、確実に私の方が上だった。
故に、アサシンについては問題ない。
しかし、それ以外は。
二つの戦場が生まれていた。
一つは、凛と醜悪な老魔術師との戦場。
もう一つが、私と暗殺者との戦場。
それはいい。それ自体に奇妙なところはない。
奇妙なのは、敵方に、戦闘に参加していない戦力がいる点だ。
紫の美しい髪をしたサーヴァント、ライダー。
もし、彼女が凛の戦場に参加すれば、間違いなく凛は殺される。
奴は全身から迸るような殺気を溢れさせている。
何故戦闘に参加しないのか疑問ではあるが、少しでも状況が変化すればすぐにでも参戦することは間違いない。
下手に奴のことを警戒し、集中を乱しながら戦うよりは、いっそ二対一の方がマシ、私はそう判断した。
だから、私は紫のサーヴァントに招待状を送りつけたのだ。
「せっかくの夜だ。なのに、君ほどの女性が壁の花、というのは申し訳ない。どうかな、私と一曲」
私の送った招待状に答えたのはかの女性ではなかった。
「いいじゃろう、ライダー、戦闘を許可する。その愚か者を血祭りにあげよ」
まるで戒めの鎖が引きちぎられたかのように、騎乗兵が疾走する。
全サーヴァント中最も進軍速度に優れるという前評判に恥じぬスピード。
なるほど、これが彼女の本当の姿か。
それに向かって私は弓を引き絞る。
一瞬の間に五射。
適度に的をばらした、散弾銃のような射撃。
しかし、彼女はそれをいとも容易くかわすと、私の背後に回りこんだ。
「ちいっ!」
反射的に干将・莫耶を振り上げる。
ギイィン
杭と鎖を組み合わせたような武器と、干将・莫耶がぶつかり合い、鮮やかな火花が瞬間的に闇を打ち消す。
「ふぅっ!」
干将をそのまま防御に使い、莫耶を横なぎに振るう。
手ごたえが無い、かわされた。
まずい、間合いをとらねば。
バックステップ。
しかし、それも読まれていた。
綺麗に間合いを詰められ、
彼女はくるりと背中を向けた。
その瞬間、腹部を吹き飛ばされたかのような衝撃。
後ろ蹴り。
防御が間に合わなかった。
体が宙に浮く。
十メートルは吹き飛ばされた。
「がはっ!」
呼吸が上手くできない。
ダメージは大きい。
試合なら、ここで一本負けだ。
だが、これは試合ではない。
殺し合いだ。
――蹲るな。
立ち上がる、
――弱みを見せるな。
両手に干将・莫耶を、
――倣岸に、不遜に。
暗殺者と騎乗兵を睨みつけ、
――笑っていろ。
◇
目の前に悪夢がいた。
水晶の瞳。しかし、その複眼は何も映さない。
金剛石の体。ぬらぬらと光ったそれは、死蝋化した死体を思わせる。
百足のような足。見ているだけで、怖気が走る。
振り下ろされる一対の鎌と、襲い来る毒針。
蟷螂と蠍を組み合わせて巨大化させ、悪意で彫り上げたかのようなフォルム。
食物連鎖に組み込まれた生き物ではありえない。人より大きな昆虫など、通常存在するはずが無い。
間違いなく、幻想種。
マキリ臓硯。
蟲使い、マキリの当主。
最初に感じたのは嫌悪。
次に感じたのが殺意で、その次が驚愕。
しかし、今は畏敬すら覚える。
人の身でこれほどの幻想種を従える魔術師が、この世にどれほどいるだろうか。
人形師の使役する人形や、サーヴァントのような規格外に代表されるごく一部の例外を除いて、使い魔は総じて主人よりも力が弱い。そうでなくては絶対的な支配権を確立させることが不可能だからだ。
しかし、目の前の蟲は、明らかに臓硯本人よりも高密度な魔力を備えている。
そんな化け物相手に、私は相も変わらずガンド打ちで対抗する。
攻撃は当たっている。
しかし、効いていない。せいぜい、少し動きを鈍らせることができる程度。
当たり前だ。
いくら物理的な攻撃力を兼ね備えている呪いとはいえ、衝撃そのものは大口径の拳銃と変わらない。
この程度の呪いでは幻想種に通用するはずもなく、この程度の威力では硬い外骨格を貫くことはかなわない。
だが、一瞬でも弾幕を薄めれば、鎌が私の体を両断するか、毒針が私の眉間を貫くだろう。
ジリ貧だ。
アーチャーは複数のサーヴァントと戦っている。援護は期待できまい。
これは私の判断ミス。
マキリ臓硯の実力を読み違えた私の責任だ。
歯を軋らせる。
横から襲い来る鎌。
頭を下げて、それをかわし。
振り下ろされる毒針。
横っ飛びに、それをかわす。
息が上がる。
本来、この程度の動きで息が上がるほど柔な鍛え方はしていないが、ガンドの多用と強烈なプレッシャーが秒単位で体力を削っていく。
滝のように汗が流れる。
体中に溜まった乳酸が、休息を求めて抗議の悲鳴をあげている。
「お爺様、そいつは殺さないで下さい!その女は僕のものだ!」
手摺を支えに突っ立ったどこかの馬鹿が、素っ頓狂な声で叫ぶ。
マキリのお坊ちゃまは、相も変わらず私の体に御執心らしい。
こんな状況で性欲が優先されるなら、それはそれで凄いことなのかもしれない。
頭のどこかで冷静に考えながら、私は早すぎる死を覚悟した。
「どうかな、ここいらで負けを認めては。令呪を放棄し、戦争が終わるまでこの街から離れることを約するならば、命まではとらぬ」
使い魔には攻撃を命じたまま、マキリ臓硯はそう言った。
その言葉に私は微かな違和感を憶えた。
マキリ臓硯は、いや、普通の魔術師は自らに敵対したものに対して容赦をしない。かくいう私も『やるからには徹底的に』がモットーだ。
「お優しいことね、マキリ臓硯。でも、お生憎さま。私は勝てる戦で尻尾を丸める趣味はないの」
無理矢理つくった笑みを浮べて私はそう言った。
損な性分だと思う。
でも、そんな自分が嫌いではない。
「ふむ、残念じゃの。目の眩まんばかりに輝く才能。それを摘み取らねばならんとはのう」
その言葉を聞いた直後、私は地面と望まぬ抱擁を強制された。
短くはない時間の激闘。それによって抉られたコンクリート。鎌をかわして飛びのいたその地点に、不運にも小さな小さなクレーターがあったのだ。
終わった。
戦いも、人生も。
ごめんなさい、お父様。
あなたの娘は親不孝でした。
遠坂の秘宝を浪費し、聖杯を手に入れることも叶わず、まだ二十歳にも届かぬ若さであなたのもとにむかいます。
どうか、怒らないで。
そちらに着いたら、昔のように、暖かい背中で休ませて。
◇
流石にきついな。
嵐のように襲い来る杭のような短剣と、ダークと呼ばれる短剣を、干将・莫耶で弾きながら私は心の中で舌打ちをした。
正面からは全てをなぎ倒す爆風のような攻撃。
それに対応しようとすると、側面、或いは後方から短剣が飛んでくる。
まずい、この二体の相性はすこぶるいい。
このままでは殺される。
駄目だ。
殺されてやるわけにはいかない。
せっかくのチャンスなのだ。
無限ともいえる時の中でやっと見えた光明なのだ。
死ぬのはかまわないが、それが潰えるのは許せない。
仕方ない、少しだけ手の内を見せるとしよう。
「――工程完了。全投影、待機」
虚空に現れた多数の剣。
その全てが、名剣・妖刀の類だ。宝具には遠く及ばないものの、サーヴァントを傷つける程度の神秘は内包している。
驚いた暗殺者と騎乗兵が距離を取ろうとする。
逃がすものか。
私は、きっと冷酷な笑みを浮かべた。
「停止解凍、全投影連続層写」
いっせいに剣の弾丸が放たれる。
その数、約二十。
しかし、この程度では奴らを倒すことはできないだろう。
そんなことはわかっている。
ドドドドンッ
剣の着弾音が響く。
その後に訪れる一瞬の静寂。
そして。
コンクリートに突き立った剣の群れの中で、やはり暗殺者と騎乗兵は傷一つ無く立っていた。
「驚きました。今のがあなたの宝具なのですか」
静かな、聴くものを魅了するかのような声。黒い装束に身を包み、荒れ狂うが如き攻撃を加えてきたモノと同一とは思えない。
私は自分でもわかるほど皮肉な笑みを浮べてこう答えた。
「残念だが、今のはただの手品。宝具と呼べるような上等なものではない。どちらかというと、今からお見せするものの方が、私の宝具に近いな」
騎乗兵と暗殺者は身構える。
私は内心ほくそえむ。
好都合だ。
なぜなら、次の手品の種は、哀れな観客の足元に既に仕掛けられているのだから。
「壊れた幻想」
その言葉と同時に、奴らの周囲に突き立った剣達が爆発する。
宝具による爆発に比べれば規模は小さいものの、それでもその威力はサーヴァントにとっても無視できるようなものではない。
これで形勢逆転だ。
私はそう思った。
そう思ってしまった。
だから、一瞬の隙が生じたのだ。
その瞬間、私の大腿部に深々と短剣が突き刺さっていた。
「ぐぅっ」
思わず膝を突く。
そして次の瞬間私が見たのは紫の美しい髪がこちらに向かって疾走してくる光景だった。
そうだった。
私にとって、譲れぬ願いがあるように。
彼らにも、譲れぬ願いがあるはずなのだ。
その執念を、見誤った。
体中を血に染めながら、騎乗兵が迫ってくる。
地に膝を突いたまま、干将・莫耶を投影する。
騎乗兵の手から放たれた巨大な杭。
それを、干将で弾く。
背後から放たれた短剣。
それを、莫耶で弾く。
そして、私は無防備になった。
片膝を突いた姿勢では、飛びのくこともできない。
騎乗兵はそんな哀れな獲物の足をきれいに払った。
あまりにきれいな足払いだったのでなんの苦痛もない。
ただ仰向けに転がった私の視界には天に歯向かうが如く振り上げられた騎乗兵の踵が映っていた。
ああ、あれが振り下ろされれば、私の頭は石榴のように砕け散るのだろうな。
そう思った。