FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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episode14 総力戦中

 今までの動きが嘘のように、ゆっくりとした動きで蟲が近づいてくる。

 もはや、哀れな獲物は逃げることが叶わないことを知っているのだ。

 私は来るべき衝撃に備えて拳を握った。

 人生の最後に見えるという、走馬灯は見えなかった。

 ただ、最近知り合った半人前の魔術師の顔が浮かんだのが酷く不快だった。

 迫り来る、避けようのない死。

 ゆっくりと振り上げられた鎌を、まるで他人事のように眺める。

 そして―――。

 声が聴こえた。 

 

「Es flustert――Mein Nagel reist Hauser ab!」

 

 声の主によって放たれた影の刃は、コンクリートを削り飛ばしながら蟲の横っ腹に炸裂した。

 

「姉さん!」

 

 顔など、確かめるまでもない。

 そこにいるのは、自慢の妹だ。

 

 episode14 総力戦中

 

 蟲は桜の放った魔術によって吹き飛ばされ、いまだに動けずにいる。

 少し悔しいが、桜の魔術は私のそれより強力だ。

 魔力回路の数はほぼ互角。 

 精密さにかけては、私の方が一枚も二枚も上手。

 だが、瞬間的な魔力の放出量と最大貯蔵量については、桜に軍配が上がるだろう。

 私の魔術を精密なスナイパーライフルに例えるなら、桜のそれは強力なバズーカ砲だ。

 私のガンドでは毛ほどの傷も付けられなかった蟲だが、桜の魔術ならば昏倒させることくらいはできたらしい。

 もちろん、このまま放っておけば遠からず蟲は復活する。そして、いくら桜の魔術とはいえ、あの蟲に止めを刺すのは難しいだろう。

 だが、十分だ。

 例え十秒に満たない時間でも、私にとっては十分。それは桜もわかっている。

 なぜなら、私があの蟲を倒すためにする行為は、ポケットに手を突っ込む、ただそれだけなのだから。

 

 まず、蟲は素早く立ち上がった。

 

 驚異的な回復力だ。正面から桜の魔術をくらってこの程度のダメージとは、正直信じがたい。

 

 次に、蟲はこちらに走ってきた。

 

 百足のように生え揃った多数の足が規則正しく動くさまは、生理的な嫌悪を呼び起こした。

 

 そして、蟲は鎌を振り上げた。

 

 その複眼からは何の感情も読み取れないが、おそらくは勝利を確信しているのだろう。

 

 最後に、蟲は鎌を振り降ろす――ことができなかった。

 

 

「くうぅっ!」

 

 裁きの鉄槌のように振り下ろされる踵。

 身を捩って、それをかわす。

 ちっ、と数本の髪を引きちぎる音が聞こえ、

 どごぉっ、とコンクリートを破壊する轟音が鼓膜を叩いた。

 ごろごろと地面を転がる。

 わずかばかりの距離をとってから、バネに弾かれたように立ち上がる。

 大腿部の短剣は、地面を転がったときにより深く突き刺さっていた。

 この戦闘において、機動力は失われたと見ていいだろう。

 

「しぶといですね」

 

 騎乗兵が呟く。

 その体は傷だらけで、まるで赤いペンキでも被ったかのように真っ赤だ。常人ならば、痛みによるショックか、出血性のショックによって命を失っていてもおかしくない。

 彼女の傍らに立つ暗殺者も同じような状態だ。

 それに対して、私のダメージは左足に深々と突き刺さった短剣。おそらくは、それに塗られていたであろう、暗殺者の毒による意識の混濁。騎乗兵の蹴りによって受けた、内臓の損傷。

 ダメージ自体はそう変わらない。

 ならば、手の内を見せた分、私のほうが不利になっている。

 状況は最悪。

 しかし、この身は不敗の弓兵。

 そして、この身は彼女の従者。

 いままで、幾度となく望まぬ戦いを強いられてきた。

 これまで、何度となく救えぬ殺戮を繰り返してきた。

 そんな私が、久しぶりにこの身が沸き立つような戦いを味わえているのだ。

 眠るには、いささか早すぎるな。

 

「虚空から武器を生み出す。そして、それを弾丸のように、或いは爆弾のように扱うことができる。それがあなたの能力ですか」

「そのとおり、実は私は弓兵ではなく奇術師なのだよ」

 

 核心を抉るような騎乗兵の問いに対して、私はおどけた対応をしてみせる。

 騎乗兵の表情が少しいぶかしむようなものに変わったが、到底誤魔化すことなどできていないだろう。

 

「まあいいでしょう。あなたが弓兵でも奇術師でも、それは些細なこと。接近戦に持ち込まれた弓兵、種のわれた手品を演じる奇術師、共に哀れなものです」

 

 冷酷な笑みを浮べて、彼女が近づいてくる。

 

「あなたの足は、既に用をなさない。せいぜい芋虫のように地を這うことができる程度でしょう」

 

 干将・莫耶を投影、その片割れを投擲する。

 あたらない。

 

「そして、あなたの魔力は尽きようとしている」

 

 視界がぼやける。

 本格的に毒が回ってきた。

 考えてみれば、毒と暗殺者は切っても切れないほど密接に結びついている。

 ならば、暗殺者の頂点たるハサン=サッバーハの所有する毒に何らかの概念が付与されていたとしてもおかしくはない。いや、むしろそれが当然か。

 如何に概念の付与されているとはいえ、まさかサーヴァントが毒くらいで死ぬはずも無いが体の自由くらいは奪えるらしい。

 

「諦めなさい。そうすれば、優しく殺してあげます」

 

 誘うような声で紡がれた提案は、酷く蟲惑的だった。ひょっとしたら、何か暗示のようなものが含まれていたのかもしれない。

 

「ああ、それは魅力的だ。君のような女性に殺されるなら本望だよ」

 

 私の目の前に立った騎乗兵に対してそう言ってやった。

 

「賢い選択です。さあ、力を抜いて、私に身を任せて」

 

 彼女は私を抱きしめると、首筋に顔を埋めてきた。

 ちくり、とした感触が襲ってきた。

 それと同時に力が抜けていく。

 なるほど、彼女は吸血種だったのか。

 

「あなたの血は美味しい」

 

 うっとりとした声が聴こえる。

 

「ああ、それはよかった」

 

 そう言いながら、私は今まで味わったことの無い快楽に身を委ねていた。

 気持ちいい。血を吸われることがここまでの快楽をもたらすとは思わなかった。

 ともすれば意識まで手放してしまいそうになる快楽の中で、私は彼女に呟いた。

 

「最後に、伝えておきたいことがある」

 

 彼女は私の血液を嚥下しながら、こう答えた。

 

「あなたにはもはや歯向かう力は残されていません。それを承知の上ならば、聞いてあげましょう」

 

 私は口を彼女の耳の近くに寄せて、蚊が鳴くような声で、こう囁いた。

 

「人の恋路の邪魔する奴は、馬に蹴られて死んじまえ」

「がはっ」

 

 私の胸の中で体を強張らせた騎乗兵。

 その背中には、深々と干将が刺さっていた。

 

「窮鼠は猫を噛むものだ。憶えておくといい」

 

 崩れ落ちる騎乗兵。

 普通の人間ならば間違いなく致命傷。

 しかし、彼女は生きている。

 ならば止めを。

 そこまで考えて、気づいた。

 もはや、私にその力は残されていない。

 

「度し難いな」

 

 迫り来る暗殺者の短剣。

 その切っ先を見つめながら、そう呟いた。

 

 

 私が手にしていたのは黒曜石。

 どんなに品質の良いものでも、せいぜい三日分の魔力も込められればいいほうだ。

 つまりは、屑石。

 宝石と呼ぶのもおこがましい。

 だが、十分。

 この程度の虫けらを屠るのに、貴重な宝石を使うわけにはいかないでしょう。

 さあ、マキリ臓硯。

 あなたの魔術は十分過ぎるほどに堪能させていただいたわ。

 だから、今度は私の番。

 遠坂の秘奥、宝石魔術の粋。

 存分に味わいなさいな。

 

「Fixierung,EileSalve――! 」

 

 放たれたのは、一握りの黒い石。

 それ自体には、何の威力も無い。 

 子鼠一匹殺すことはできない。いや、傷つけるのも難しいだろう。

 だが、その黒い石から放たれた魔力は、巨大な蟲の体を破壊し尽くした。

 

「驚いた、まだ生きているなんて」

 

 私の放った黒曜石は、約二十。

 一年分の魔力を込めた取っておきの宝石の魔力量と比べても、さして見劣りするものではなかったはずだ。

 小さな家なら、吹き飛ばせるだけの魔力。

 それを正面から受け止めて、なお蟲は生きていた。

 水晶の瞳は破れ、金剛石の体は砕け、鎌も、毒針も跡形も無かったが、それはまだ立っていたのだ。

 

「なるほど、やるべきときには徹底的に、か。私のモットーを忘れていたわ」

 

 そう呟いて、外套の内側から取り出したのは小さな宝石。

 一年分の魔力を込めた、切り札の一つ。

 

「あなたの生命力に敬意を表します。これは私の切り札。もしあなたが話せるなら、冥土の土産話にでもしなさい」

 

 蟲は、その時初めて声を上げた。

 耳を塞ぎたくなるような甲高い声。

 蟲はこちらに向かって走ってきた。

 百足のように生えていた足も、今は半分も無い。それに比例するようにスピードも半減している。

 私は、蟲と臓硯が同一の射線上に重なるように微妙に立ち位置をずらした。

 そして、唱えた。

 

「Sechs Ein Flus、ein Halt」

 

 迸る冷気。

 放たれた巨大な氷柱。

 比喩ではなく、家一棟を吹き飛ばして余りある威力。

 蟲は、それを正面から受け止め、

 粉々に砕け散った。

 あれほどの嫌悪をもたらした金剛石の外骨格が、水晶の瞳が、きらきらと宙を舞う。

 街灯の淡い光に照らされたそれは、幻想的なまでに美しかった。

 そして、名も知らぬ蟲は、この世から消滅した。

 塵も残さず、まるで最初から存在しなかったかのように。

 なおも威力を失わない冷気と氷柱。

 それは蟲の後ろに立っているマキリ臓硯に襲い掛かり、彼も、彼の使い魔と同じ運命を辿る。

 筈だった。

 

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