FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
キンッ
硬質な音に思わず顔を顰める。
なんだ、不粋な奴がいるものだな。
せっかく人が気持ちよく寝ようとしているのに。
あの刃が私に心地よい眠りを与えてくれたはずなのに。
一言文句を言ってやろう、そう考えて目を開いた。
そこにあったのは、彼女の横顔。
どこまでも穏やかな聖緑の瞳。
金砂のような髪。
彼女を象徴する青い衣。
ああ、君は私を褒めてくれるだろうか。
俺は、地獄に落ちても、やっぱり君を忘れなかったんだ。
episode15 総力戦後
「大丈夫ですか、アーチャー」
鈴を転がしたような、澄み渡った声。
私は、この声を覚えている。
忘れることなどできるものか。彼女と私は、短くはなかった人生の中で、最も灼熱とした時間を過ごしたのだから。
ならば、この問いに対する答えは既に定まっている。
「問題ない。君が来なくてもかたはついていた。なに、君は横で休んでいればいい。ああ、手柄を横取りしたいというならば話は別だがね」
かすれた声で紡ぐ、他愛も無い憎まれ口。
彼女はそれに対して苦笑で答えた後、こう言った。
「それだけ減らず口が叩けるなら大丈夫でしょう。戦況を簡潔に説明してください」
「敵は三体。うち二体はここにいるライダーとアサシン。既にライダーは無力化している。もう一体はマキリの当主、マキリ臓硯。
凛ならば問題ないとは思う、しかし、奴はどこか得体が知れない。ここはいい、すぐに凛の援護にむかってくれ」
「落ち着いてください、アーチャー。士郎と桜、それにキャスターが凛の援護に向かっています。人の魔術師如き、あの三人の敵ではないでしょう」
軽い恐慌を起こしかけていた私の背中は、落ち着き払った彼女の声に蹴飛ばされた。
ああ、いつまでたっても、悠久ともいえる時を費やしても、私は君には届かない。
それは屈辱に満ちた認識であり、歓喜に溢れた再認だった。
「ならば――」
言葉を繋ごうとしたそのとき、暗い木々に遮られた彼方から、地を振るわせるような轟音が響き渡った。
まさにその瞬間。
我々の意識がほんの一瞬だけ逸れた。
その刹那。
大量の短剣が私目掛けて投げつけられた。
その数およそ十五。
一息の間に投擲されたことを考えれば驚異的とすらいえる数だ。
この身には、反撃する力はおろか、防御する力も、かわす力も残っていない。
だからこそ、暗殺者は私を狙ったのだ。
「危ない!」
セイバーは私の体を抱えて、傍らの草むらに飛び込んだ。
その隙に、暗殺者は意識の無い騎乗兵を抱え上げ、轟音のした方向へ駆け出した。
「待て!」
◇
空に浮かんだ白い髑髏の仮面。
さっき見たのは、哂う髑髏。
今見ているのは、啼く髑髏。
啼いているはずの髑髏が哂う。
――くふ。くふふふ。
ああ、嫌な笑い声だ。
凛は思った。
◇
私が放った宝石。
そこから生まれた、空気すら固形化させるような冷気と、膨大な質量を備えた氷柱。
それらは、散々私を苦しめた巨大な蟲を完膚なきまでに葬り去り、さらにはその主であったマキリ臓硯をも仕留めるはずだった。
しかし、マキリ臓硯は生きている。
なぜなら、私の魔術は、得体の知れない啼き顔の髑髏によって打ち消されたからだ。
蒼い襤褸を纏った長身。
髪の毛の色も蒼。
そして、周囲を圧するほどの魔力と、エーテルで編まれた肉体。
クラスは不明。
しかし、あれはサーヴァントだ。
「くふ。くふふ」
まるで頭の内側にへばりつくかのような、粘着質な笑い声。
だが、今の私に、そんなことを気にする余裕は無かった。
「ありえないわ……」
サーヴァントには抗魔力を備えているものが少なくない。
それはクラスによって与えられたものであるときあれば、サーヴァント個人の資質によることもある。
だから、生半可な魔術ではサーヴァントにダメージを負わせるのは難しい。
それは知っている。そんなことは当たり前だ。
だが、私が放ったのは、生半可な魔術ではない。
少なく見積もってもBクラス。
使い方によってはAクラスにも相当するような魔術なのだ。
故に、あの胡散臭いサーヴァントの抗魔力は、私の魔術に及ばなかった。
そこまではいい。
しかし。
何故、あのサーヴァントは生きているのだ。
半身、しかもサーヴァントにとっても急所の一つである、心臓を含む胴体の大部分を吹き飛ばされて、なおあのサーヴァントは哂っているのだ。
悪夢だ。
私はそう思った。
「おうおう、よくこの老いぼれを守ってくれたの、礼を言うぞ、プレディクタ」
プレディクタ。
訳すれば、預言者、あるいは予言者か。
聞き慣れないクラスだ。
間違いなくイレギュラー。
いや、クラスがどうこうという次元ではなく、奴はその存在自体がイレギュラーなのだ。
なぜなら、数が合わない。
セイバー。マスター、衛宮士郎。
ランサー。マスター不明。しかし、既に遭遇済み。
アーチャー。マスターは私。
ライダー。マスター、マキリ慎二(?)
キャスター。マスター、遠坂桜。
アサシン。マスター、マキリ臓硯(?)
バーサーカー。マスター、イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
これで七騎。
ならば、あの髑髏は?
八騎めが召還されたのか?
いや、それはない。
サーヴァントは七騎。
これはルールだ。
プレイヤーは、ルールを破ることはできる。不正を働くこともできよう。
しかし、ルールそのものを作り変えることは絶対できない。
ならば、あの髑髏は、何者だ?
◇
一陣の風が吹いた。
辺りは戦場さながらである。
抉れたコンクリート。捻じ曲がって、拉げた街灯。引きちぎられた柵。街路樹はなぎ倒され、ベンチは吹き飛び、海浜公園という名詞に相応しくない荒地が出来上がっている。
それでも、今ここに集まった面子が本気で戦えば、この程度では済まされないことは容易に想像がつく。
桜の魔術によって刻まれた深いコンクリートの亀裂。
それを挟んで、二つの陣営が並び立つ。
セイバー、アーチャー、キャスターの三騎を従えた遠坂凛を中心とする陣営。
ライダー、アサシンの二騎と、蒼い髑髏を従えたマキリ臓硯の陣営。
たった七騎のサーヴァントが戦うだけの儀式。
しかし、それには戦争の名が冠されている。
ならば、今まさにこの場で起きようとしているのは、まさに戦争そのものなのだろうか。
「まあ、今日はこんなところかの」
◇
老人の声。
遠い昔、どこかで聞いたことがある。
イメージは錆びた鉄。
自らの腐敗と、周囲への腐食。
「ずいぶんと虫のいい話ね、臓硯。あなたが納得するのは勝手だけど、こちらがそれに付き合う義務はないわ」
姉の声。
いつも、傍で聞いている。
イメージは冬の朝焼け。
鮮烈なまでの冷たさと、内に秘めた熱。
「ふむ、黙って帰すつもりはないか。まぁ当然じゃな」
なおも笑みを浮べたマキリ臓硯。
一時とはいえ、私の祖父となった怪人。
もしも。
もしも私が遠坂に返されなければ、私はどうなっていたのだろう。
背筋を羽虫に似た戦慄が走り抜ける。
そもそも、何故彼は私を手放したのか。
「追いたいなら追ってくるがええ。さあ、いくぞ慎二」
そう言って彼は踵を返した。ライダーを抱えたアサシンもそれに続く。
「待ってください、お爺様!このまま奴らを見逃すのですか」
一人喚きたてるマキリ慎二。
弓道部という限られたコミュニティでは精彩を放っていた彼だが、今、この場では他のどの存在より卑小で哀れだ。
「残りたいなら一人で残れ。今、圧倒的に有利なのは奴ら。それが判らず、猪突と勇猛の差異も判らんのならここで果てよ」
「っ……!」
彼は血が出るほど唇を噛み締め、片足を引きずりながら老人の後を追った。
闇に溶けるマキリの魔術師達。
そして、戦場に残ったのは私達を除けばただ一人。
半身を吹き飛ばされても生き残った、蒼い髑髏。
今、姉の魔術で吹き飛ばされた胴体は既に再生し、赤黒い呪刻の描かれた褐色の皮膚が姿を見せている。
「なるほど、あなたを殿にして他の全員の退路を確保する。正しい選択ね」
姉が言う。
確かに、あの場で戦う力が残っていたのはおそらく正体不明のこのサーヴァントだけだろう。だから、姉の言はもっともだ。
しかし。
私は言い知れぬ不安を感じていた。
「くふ、私が足止めか。なるほどなるほど」
男にしては高い声。女にしては低い声。
中性的とはいえない。あえて言うなら、人ならぬものの声。
「くふふ、戦いに前口上は不要だな。さあ、始めよう」
◇
セイバーが切りつける。
キャスターが唱える。
それでも、髑髏は其処に在った。
セイバーの剣が両断した右腕は。
キャスターの呪文で爆ぜた左足は。
なおも、髑髏と共に在った。
俺の目は、ただその戦いを映していた。
思考が追いつかない。
髑髏は、何もしていない。
最小限の回避行動を繰り返しているだけだ。
それに対して、セイバー達の攻撃は苛烈極まる。
バーサーカーと相対したときよりも、その精度は上がっていると言っていい。
事実、攻撃は命中している。
しかし、髑髏は笑っていた。
神経を逆なでするような、一定のリズムで。
右腕を斬られても。左足を吹き飛ばされても。
五体満足なまま、そこで笑っていた。
低く、聞き取りずらい音階で、絶えることなく。
「復元呪詛……?いや、それでもここまで出鱈目な回復力は……」
戦慄を帯びた凛の呟き。
それもそのはずだ。
斬られ、肉が爆ぜても。
奴は血の一滴も流していない。
斬られた右腕は、剣が通り抜けたその直後に接着が完了している。
破裂した左足が時を遡るように修復した瞬間は吐き気さえ催した。
奴には刃が届かないのではない。魔術が効かないのではない。
ただ、その回復力が尋常ではないのだ。それを追い越すことができないのだ。
「これじゃあ埒が明かない」
苛ついたようなキャスターの声。
「でかいのを用意します。時間を稼いで」
「承知」
前衛を務めるセイバーが答える。その声にも心なしか焦りの色が含まれている。
激烈な刃。
髑髏はそれをかわしきれない。
袈裟に斬られ、胴を薙がれ、首を両断される。
それでも、髑髏は笑いを収めない。
「………、」
キャスターによって紡がれる高速神言。
神代のそれは、俺如きに聞き取れるようなものではなかった。
その時、俺の耳にもう一つ、奇妙な旋律が飛び込んできた。
音源はすぐに分かった。
髑髏が、詠っている。
そうか、これは笑い声じゃない。
引き攣るような一定のリズム。
笑い声に聞こえるそれは、異様なほど長い一つの呪文だ。
不味い、奴はずっと詠唱していたのか。
「気をつけろ、セイバー!奴の呪文が完成するぞ!」
「させない!」
もともと桁違いに高かったキャスターの魔力が爆発する。
「避けなさい、セイバー。これをくらったら、あなたでも無事にはすまない!」
シャラン、と鳴った錫杖。
放熱板のように広がったローブ。
天を見上げると、夜空を祭壇に描かれた巨大な魔方陣。
パリパリと、空気が帯電していく。
未熟な俺にもわかる。
これは、神の怒りだ。
「忌々しいわ。在るべきところに還りなさい、不死の化物!」
「『轟雷』」
錫杖が振り下ろされる。
それと同時に、耳を劈く轟音。
瞼に焼け付く閃光。
切り裂かれる大気、轟く大地。
これが、人だったモノの成せる業なのか。
神代の魔術などという安い表現では、到底この奇跡を言い表すことはできない。
空間ごと漂白するような一撃。
その後に残ったのは静寂。
髑髏が立っていた場所を中心に、半径20メートルほどのクレーターができている。
その中心にある黒焦げの塊。あの夜、嫌というほど見た物体。熱で縮こまり、幾つかのパーツに飛散したそれは、最も大きいものでも手毬くらいのサイズしかない。
「……流石です、キャスター。これほどの魔術は見たことがない。確かに、これをくらえばいくら私でも無事には済まないでしょう」
呆けたようなセイバーの呟き。
「ふん、キャスターが最弱のクラスだ、などと定義した愚か者に見せてやりたい光景だな」
これはアーチャーの言葉。その言葉にいつもの軽さはない。
俺と凛、桜は言葉を失っていた。
これが魔術師か。
人は、磨き上げられたその刃は、ここまでの存在になることができるのか。
戦慄と、感動。
目の前には、一つの到達点がある。
その圧倒的な幸福を、何と名付ければいいのだろうか。
「さあ、奴らを追うわよ。まだ遠くには行ってないはず」
キャスターの言葉で俺達は現実に帰った。
そうだ、まだ結界は解呪されていない。問題は解決していないのだ。
早く慎二かライダーを確保して、結界を解かせなければ。
「「「「おや、もう私の相手はしてくれないのかな」」」」
もぞもぞと、一斉に黒い塊が動く。
手毬ほどのサイズのそれ、野球のボールほどのサイズのそれ、小さいものはビー玉くらいのおおきさほどでしかない。
しかし、それらは生きていた。
それぞれ、その中心には、赤い亀裂があった。
ああ、なるほど、あれは口だ。
手も足も、胴体すら失った燃えカスが、口だけ持って喋っている。
は、はは、何だ、あれは。
卵巣を取り出すためにパックリと割られた海栗。そんな外見だが、禍々しさは例えようもない。
「「「「――ああ、どうやら主達は無事逃げおおせたようだ。残念だが、今日はここまでだな。私の魔術をお見せするのも又の機会だ」」」」
凛も桜も、セイバーもキャスターも、あっけにとられている。
そんな中、ただ一人、ぼろぼろのアーチャーが叫んだ。
「逃がすか!」
その手には螺旋くれた不可思議な剣と、漆黒の弓。
満身創痍でガス欠寸前のアーチャーは、まるで長年の怨敵を前にしたかのような凄まじい形相で、髑髏の残骸に向けて矢を構えた。