FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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episode17 昨日の顛末

『○月○日 素材を手に入れる』

 

 episode17 昨日の顛末

 

「ごちそうさまでした」

 

 空になった皿とカップを前に、手を合わせる。

 

「はい、お粗末さまでした」

 

 桜も同じく手を合わせる。

 今日の朝食は、フレンチトーストと、かりかりベーコンのサラダ、挽きたての香り高いコーヒーというお手本みたいな洋風のものだった。

 衛宮邸の朝は白いご飯と味噌汁から始まることが多いのだが、遠坂低の朝はその外見に違わず洋食から始まるものらしい。

 いつもは畳の上に直接座りながら箸を進めるので、外国の映画か何かでしか見たことがないような大きなテーブルに座って食事するのには些か緊張した。

 しかし、どうやらそれは俺だけだったようだ。

 家主である遠坂姉妹は言うに及ばず、俺達のサーヴァントであるセイバー、キャスター、アーチャーも、まるでこういった豪華なセットが当然であるかのように、物凄く絵になっている。本当に映画のワンシーンみたいだ。

 

「朝食はとらない主義なの」

 

 そう言った凛はぼんやりとコーヒーの香りを味わっている。その横に、まるでそれが当然であるかのように控えるアーチャー。二人のことを初めて見る人間なら、深窓の令嬢とその執事、そう考えても不思議ではあるまい。事実、凛はお嬢様であり、アーチャーは召使だ。もっとも、凛の場合『深窓の』なんて修飾語は間違ってもつかないし、アーチャーも、召使であってもその仕事は給仕なんて平穏なものではない。

 

「なによ、なんか文句でもあるの」

 

 じとりとした三白眼で俺を睨む凛。

 もしも学校にこんな顔をした凛が現れたら、男女を問わず卒倒する生徒が続出することだろう。

 凛が朝に弱いことは俺の家での経験から知っているが、それにしても今日の凛は辛そうだ。目の下に出来た大きな隈も、普段の彼女にはありえない物ではないか。

 

「えっと、大丈夫か、凛」

 

 俺の問いに、全身を包帯と絆創膏で着飾った彼女は、机に突っ伏した。

 

「大丈夫じゃない。今日は駄目」

 

 あはは、と乾いた笑いを漏らす桜。

 ふう、っと溜息を漏らすアーチャー。

 どうやら、彼女は本当に駄目らしい。

 

 

「逃がすか!」

 

 夜気を切り裂くような裂帛の叫び。

 満身創痍のアーチャーが手にした剣は、いままで彼が手にした多数の武器とは比較にならないほど巨大な魔力と深い神秘を備えていた。

 彼がまさにその剣を射放たんとしたとき、彼の主である凛が叫んだ。

 

「だめアーチャー!」

 

 その言葉に、辛うじて赤い弓兵は手を止めた。

 

「あなた、消滅する気!?少し頭を冷やしなさい!」

 

 確かに、今のアーチャーは俺なんかにも分かるくらい激しく消耗している。もしも、彼が今からあの剣を放つなら、それは命を賭けたものにならざるを得ないだろう。

 心底悔しそうな顔をした彼は、ゆっくりと弓を納める。

 

「「「くふ、ありがたいありがたい、どうやら見逃していただけるようだ」」」

 

 挑発するような不快な声が、色々な場所から同時に聞こえる。

 

「「「今日はこれで終劇。

  だが、忘れるな。今宵、今晩、このことは、月が消えても忘れるな。

  我が名はヨハネ。

  我は予言者にして預言者。貴様らに絶対の死を予言し、預言し、そして実現させる者ぞ」」」

 

 あっさりと、まるで舞台役者のように自分の名を口にした黒い塊達は、突然吹いた強い風を合図にしてその場から姿を消した。

 そして、周囲には何の気配もない。

 狂った魔術師の気配も、圧倒的なサーヴァントの気配も、小動物の気配すらも。

 だから、本当に戦いは終わったのだろう。あくまで『今日は』という条件付だが。

 

「大丈夫か、凛」

 

 俺の声に、凛はゆっくりと振り向く。

 

「これが大丈夫に見えるなら、とっとと眼科に行ってきなさい」

 

 アーチャーを霊体に戻し、深く溜息をついた彼女。

 凛は本当にぼろぼろだ。

 全身は泥と埃と血に塗れ、お気に入りと言っていた真紅の外套は見るも無残なボロ布に成り果てている。すらりと伸びたしなやかで長い足にも、無数の擦り傷や切り傷が刻まれている。

 それでも、彼女は胸を張って立っていた。誰かの手を求めるでもなく、膝に手をついて身体を休めるでもなく、腰に手を当てて前のみを見据えていた。

 

「姉さん!」

 

 凛に駆け寄る桜。

 

「桜、ありがとう、命拾いしたわ」

 

 姉さん、姉さん、姉さん、と、涙声でしゃくりあげながら何度も繰り返す桜。

 『家族を失うことを極度に恐れてる』、一昨日の凛の台詞が頭に浮かぶ。

 凛はそんな桜を抱き締め、頭を撫でてやっていた。

 

「大丈夫、私はどこにも行かないわ」

 

 慈愛に満ちた声。

 身体は傷つき、服はぼろぼろで、声だってしゃがれていたが。

 今の凛は、今までで一番綺麗だった。

 

「ああ、でもそろそろ駄目みたい」

 

 苦い笑いを浮べながら凛が言う。

 

「きっと私は意識を失うわ。でも、落ち着いてね、桜。私は大丈夫。ただの魔力切れだから」

 

 幼子をあやすように、優しい声で語りかける。

 

「遠坂の家まで運んで頂戴。あそこなら、アーチャーも私もすぐに回復できる。運ぶのは、そうね、セイバーか士郎にでもお願いして」

 

 瞼が重くなってきたのか、とろんとした表情の凛。ちらりと俺のほうを見てから、再び視線を桜に戻す。

 

「それじゃお願いね」

 

 そう言って彼女は体を桜に委ねた。どうやら本当に意識を失ったらしい。

 桜は壊れものを扱うようなたどたどしい手つきで凛を横たえた。

 胸部の上下運動からわかる規則正しい呼吸は、彼女の体の機能が正常なものであることを教えてくれる。

 

「俺が運ぶよ」

 

 一歩前に出たセイバーの肩を制してそう言った。

 声は自分でも不思議に思うくらい固い。

 セイバーは困ったみたいな表情を浮べた。

 

「シロウ、凛について、あなたが責任を感じるようなことなど何一つない。

 彼女は自分の意思で戦いに赴き、自分の力で生き抜いた。それに対してあなたが自分を責めるのは、凛だけでなくあなた自身をも侮辱している」

 

 分かっている。

 そんなことは分かっている。

 でも、自分が許せないんだ。

 俺がもっと強ければ。

 俺が慎二の凶行に気付いていれば。

 彼女が傷つき倒れることなんて無かったはずだ。

 

「それでも、俺が運ぶ。頼む、セイバー」 

 

 彼女は無言で道をあけた。

 凛の傍らで屈みこんだ桜は、縋るような赤い目をしていた。

 

「先輩、姉さんをお願いします」

 

 弱弱しいその声。

 頭では凛の状態が致命的なものではないことを理解しているのに、感情の方がそれについて行かない、そんな感じの声だ。

 

「分かってる、任せてくれ、桜」

 

 セイバーに手伝ってもらって、彼女を背負う。

 意識の無い人間を背負うのは非常に難しいという話を聞いたことがある。背負われるほうの重心が安定しないからだ。

 しかし、それでも彼女は軽かった。全身の血を流し尽くしてしまったのではないか、そう思ってしまうほどに。

 手に液体の感触が伝わる。おそらくは彼女の汗か血液だろう。

 自分の無力さに歯噛みする。

 遠坂邸までの短くない道のりは、顔を顰めるくらいに苦かった。

 

 

「それにしても、ヨハネ、ねえ。えらくあっさりと真名を教えるものね。おそらくはくだらないミスリードなんでしょうけど…。

 でも、本当にあれがヨハネなら、納得できる点もあるのよね」

「どういうことだ、凛?」

「士郎、ヨハネっていったら何を思い浮かべる?」

「そりゃあ、黙示録のヨハネ、かなぁ」

 

 ヨハネの黙示録。

 最近はとっぷり聞かなくなったけど、一昔前にはテレビ番組で特集を組まれることすらあった終末思想。世紀末の訪れと共に恐怖の大王が舞い降りる、マスコミがそんな馬鹿げた書物を呷って視聴率を稼いでいた期間が、確かにあったのだ。

 その中で預言の信憑性を高めるために引き合いに出されたのが、壊滅的な原子力発電所の事故を予言していたといわれるヨハネの黙示録である。

 実際は救済の預言の性格が強いのだが、そのショッキングな内容から破滅の預言書として紹介されることが多い。

 

「そうね。

 でも、ヨハネっていうのはキリスト教圏ではかなりメジャーな名前だから、個人を特定するのは難しい。

 あいつ、自分のことを預言者って言ったから、まず真っ先に思い浮かぶのは『黙示録のヨハネ』だけど、もしも、あれが『十二使徒のヨハネ』ならあの不死性にも説明がつくの。まぁ、この二人は同一人物っていう解釈あるんだけどね。

 あくまで神話学の話でしかないし、異説の方が有力なんだけど、使途ヨハネはキリスト再臨のときまで決して朽ちぬ身体を与えられたっていうふうに読み取れるくだりが聖書にあるわ。この世が滅びるときにイスラエルを導く天使になったとも言われてる。だから、もしあいつが本物の『ヨハネ』なら、あの馬鹿げた再生力にも一応の説明はつくってわけ。

 でも、それってほとんど神霊なのよねぇ…。そんなもの、どうやって…」

 

 凛はそう呟いて黙り込んでしまった。

 

「なあ、それはいいんだけど、凛。それとあいつと何の関係があるんだ?」

「あなたこそ何言ってるのよ。敵の情報を探る、戦いの基本でしょう?」

 

 ……?

 どうも会話が噛み合わない。

 やはり、昨日の戦いで凛は疲れているのだろうか。

 改めて凛を眺める。

 マキリ臓硯の使役する使い魔との戦いで負ったのだろうか、全身のいたるところに大なり小なり傷がある。

 中でも一番痛々しいのが右頬についた大きな裂傷だ。おそらくは蟲の鎌によってつけられた傷だろう。彼女は傷の上に不思議な軟膏のようなものを塗っている。

 俺の視線に気付いたのだろうか、首を傾げて尋ねた。

 

「……何よ」

「いや……傷、残っちまうかもな」

 

 沈んだ口調の俺の言葉に、凛は破顔した。

 

「馬鹿ね、あなた、そんなことであんなに暗い顔をしてたの?」

 

 息も絶え絶えに笑って、それから彼女は不敵な笑みを浮かべた。

 

「確かに痕くらいは残るかもね。でも、それで影響を受けるのは私以外の人間よ。私には何一つ影響を与えない。だからこんなもの、気にするだけ無駄よ」

 

 出来立ての陽光を浴びながらそう言い切った彼女。

 

「……ああ、そうだな。何があっても、凛は凛だ。何もお前を変えられないさ」

 

 鷹揚に頷く彼女は、よく見知った俺から見ても、輝くように美しかった。

 コーヒーカップをカチャリ、とソーサーに戻した凛が、今日一番真剣な視線を桜に向けた。

 

「桜、綾子は」

 

 その言葉にびくり、と体を振るわせる桜。

 そういえば、凛は昨日結局目覚めなかったから事の顛末を知らないままだ。

 

「……命に別状はありませんし、暴行を受ける前に保護しました。でも……やっぱり意識はまだ……」

 

 美綴を救うことが出来たのは偏に幸運の賜物といっていいだろう。

 魔力に秀で、探索の魔術の使い手だったキャスター。

 近代から現代に至るまで、この街の管理を担い続けていた遠坂という家。

 そして、セイバーの持つ未来予知にも似た直感。

 このいずれが欠けても、彼女を救い出すことは叶わなかった。

 

 

 冬木の霊脈を利用してキャスターが街中に放っていた数多の使い魔達が、不審な動きをする幾つかの集団を掴んだ。

 しかし、短時間でそれらの中から美綴をさらった犯人を特定するのは流石の彼女にも困難を極めた。もちろん、ゆっくりと時間をかければそれは容易なことではあるのだろう。

 だが、今や時間は金剛石の粒より貴重だ。美綴を救う意味でも、凛を助ける意味でも。

 全てはセイバーに委ねられた。

 無茶な話だ。何の判断材料も渡されず、ただ直感のみで当たりくじを引けといわれても、そんなこと出来るはずもない。まして、賭かっているのは一人の女性の人生、そう言っても過言ではないのだから普通は躊躇する。

 それでも、彼女は眉一つ動かさずに地図の一点を指差した。

 そして、彼女の直感は完璧に的中した。

 

 裏路地に面した、崩れかけの廃ビル。

 潮風の影響下、錆びて朽ちかけた螺旋階段を五段飛ばしで駆け上がる。

 キャスターによって強化された筋力が、人間離れした曲芸を可能にする。

 

「はっ、はっ、はっ」

 

 それでも、翼を持たないこの身がもどかしい。

 背後から響く足音は三つ。

 俺のすぐ後ろで響くのがセイバーの足音。

 少し下から聞こえてくるのが桜とキャスターの足音だろう。

 

「シロウ、ここは私に任せてください」

 

 俺の身を案じる彼女の言葉を無視する。

 はぁ、と小さな溜息が聞こえたのは、その忠告が無駄なものと悟ったからか。

 目的地は最上階。

 地上20メートルの高さまで一気に駆け上る。

 途中、階段の踊り場でたむろしていた少年達がいた。

 顔は憶えていない。だって、すれ違いざまに叩きのめしたから。

 もしもここが目的の場所じゃなかったら、額を地面に擦り付けて謝ろう、頭の隅でそんなことを考えながらひたすらに足を動かす。

 無限に続くかのように思えた階段がついに途切れた。そのことが、自分が目的の階まで来たことを教えてくれる。

 どうせ中から施錠されているだろう、錆の浮いた、それでも重厚な非常口のドアを蹴破る。

 がん、という盛大な衝突音。

 一瞬遅れて響く、どたん、という間の抜けた音は、倒されたドアの不平の声か。

 中は思ったより広々していた。

 細かいパーテションは工事によって取り除かれているのだろうか、ワンフロアの隅々まで見渡すことが出来る。。

 漂う紫煙には、煙草以外の匂いが含まれていた

 光源は小さかった。おそらくキャンプ用のランタンか何かだろう。

 その小さな光に照らされて、二十人前後の若い男女の集団が見て取れた。彼らは訝しそうにこちらを見ている。

 数瞬の空白があって、それから彼らは一斉に笑い始めた。

 こちらの人数が少ないこと、どう見ても警察には見えないことで安堵したのかもしれない。

 人垣の中心に美綴はいた。

 意識は無いようだ。薄明かりでも分かるほど青白い顔を、がっくりと前方に傾けている。

 椅子に座らされ、後ろ手に縛り付けられていたが、着衣にはそれほど乱れがない。どうやら間に合ったようだ。

 

「なに、お前ら?」

 

 彼らなりの威嚇なのだろうか、一人の男が妙に粘ついた声を喉から絞り出しながら誰何する。

 その声と同時に幾人かの男が立ち上がる。中にはかなり体格に恵まれた者もいた。

 

「ああ、お前が慎二の言ってた『便利屋』クンか。なに?見物に来たの?いいぜ、ゆっくりしてけよ、そこらの無修正モノよりかは刺激的なやつを見せてやる」

 

 一斉に下卑た笑い声が巻き起こる。中には明らかに少女の声もあった。それが俺には信じられない。

 

「帰りたきゃ帰ってもいいぜ。ただし後ろの子は置いていけよ」

 

 後ろの子。おそらくはセイバーのことか。なるほど、魔力を感じ取ることの出来ない者にとって、獅子は子猫に映るらしい。

 交渉の余地は無いだろう。いや、こんな奴らと話している時間なんて無い。そんなの無駄な労力だ。

 ゆっくりと彼らに近づく。

 無言のそれを敵対行動とみなしたのか、誰かがビールのビンを放ってきた。

 がつん、と鈍い音をたてて、それが俺の頭に命中する。

 視界が赤く染まる。

 ちょうど良い。

 どうせ、この部屋は赤く染まるのだから。

 そして、気がついたとき、立っているものは誰もいなかった。

 男は悉くが地に伏せり、女は怯えたように身を寄せ合って震えていた。

 俺が手にした得物は短い鉄パイプ。それが二本。

 双剣のように握られたそれらは、ぬるりとした赤い血で彩られていた。

 

「シロウ、少しやりすぎでは」

「ふん、女を性欲処理のモノとしか見れないような下種どもには当然の報いよ」

 

 溜息と共にキャスターが言う。

 

「お嬢ちゃんが戦ってるのはすぐそこでしょ。ならば『門』を使うよりも直接向かった方が早いわ。先に行きなさい、私はこいつらに然るべき処置をした後ですぐに向かうから」

「頼んだ、キャスター」

 

 俺とセイバー、桜は扉に向けて奔った。

 

 

「そう……なら、あなたは胸を張りなさい。あなたは確かに綾子を助けたのだから」

 

 その声に含まれていたのは、虚飾の励ましではない。己の分身の功績を讃える、称賛の響きだけがあった。

 

「でも……」

「少なくとも、慎二の馬鹿が綾子に手を出すのを防げた人間はいない。

 ならば、傷跡を最小限に抑えること、それがあなたに課せられた役割で、あなたは完璧にそれを全うした。あなたが自分を誇ることができないのならば、それは命令を下した私の責任ということになってしまうわ」

 

 いつもより幾分硬い口調の凛。

 それは、きっと遠坂という魔術の名門を統べるものとしての声なのだろう。

 最初は目に薄っすらと涙を浮べていた桜も、辛うじて笑顔と呼べる表情を作った。

「……わかりました。すみません、姉さん」

 

 満足げな顔をした凛が、僅かに苦笑する。

 

「謝る必要はないわ。……でも、あなたと士郎はどこか似てるわね。不必要に責任を背負い込むところとか、自分より他人を大切にしすぎるところとか。なるほど、あなた達はお似合いかもね」

「ねっ姉さん!」

 

 にしし、と例のチェシャ猫笑いを浮かべた凛と、真っ赤になって何かを否定する桜。

 そっか、いくら桜だって俺とお似合いなんて言われたら嫌がるに決まってるよな。

 

「そういえば、キャスター。『然るべき処置』とか言ってたけど、あの後どうしたんだ?」

 

 悠々と食後の紅茶を楽しんでたキャスターは、視線を彼方にやったままこう応えた。

 

「別に。たいしたことはしてないわよ。最低限の記憶操作と悪夢の刷り込み。『だいたいは』こんなものね」

 

 ふうっ、と虚ろ気な溜息を吐き出す彼女の瞳は、何かを思い出して楽しげに揺れていた。

 

「『だいたいは』以外のところを詳しく聞きたいな」

 

 彼女は今日初めて視線を俺に向け、『魔女』という形容に相応しい、あまりに相応しすぎる表情を浮かべた。

 

「魔女の軟膏って知ってる?」

「魔女の軟膏ってあれだろ?よく漫画とかで魔女が大釜で煮てるどろどろの」

 

 俺の稚拙なイメージに、彼女は苦笑する。

 

「そうね、概ね坊やのイメージで合ってるわ」

「士郎、あとでちょっと顔貸しなさい」

「先輩、あなた本当に魔術師ですよね?」

 

 俺の魔術の指導を引き受けてくれた美人姉妹が、揃いも揃って奥ゆかしい笑みで俺を射抜いた。

 ゴッド、俺、何か悪いことしましたか。

 

「普通の軟膏が何種類もあるみたいに、魔女の軟膏の効能も一つではないわ。

 媚薬になるものもあれば、人を操り人形に変えるものも、超人的な力を授けるものもある」

 

 気を取り直して、そんな感じでキャスターが続ける。

 

「じゃあ、今回キャスターはどんな軟膏を使ったんだ」

 

 にやり、と、男性ならば誰もが底冷えする、それは絶対零度の笑顔。

 

「ドクニンジンを主体にした、一番性質の悪いのを大奮発しておいたわ。本当は蛙にでも変えてやろうと思ったのだけど、あんな奴らを蛙に変えても可愛くないし、第一そんなあっさりした魔術じゃあ面白くない」

「ああ、なるほど。確かに下種な連中には丁度いい特効薬ね。慎二用に私も貰おうかしら」

 

 妙なところで不可思議な連帯感が生まれつつあるが、俺にはなんのことやらさっぱりだ。

 

「ドクニンジン?一体どんな効果があるんだ?」

 

 控えめに桜が教えてくれた。

 

「男性を不能に変える秘薬です、先輩」

 

 不能。

 この場合の不能っていうのは当然そのことだろう。

 しかも、その薬を処方したのは神代の大魔術師。その効能は折り紙付、きっと一生消え去ることはあるまい。

 つまり、あの場にいた連中は、今後死ぬまで男性として役に立たないというわけだ。

 

「それはまた……」

「やりすぎ、とでも言うつもりかしら?」

 

 そんなことはない。

 きっと、いや、確実に奴らは初犯ではあるまい。

 今回は未遂に終わったが、奴らの手馴れた手口から言って、犠牲になった女性は少なくないはずだ。

 ならば、この程度の罰では生温過ぎるのではないか、そんな気すらする。

 

「いや、当然の報いだと思う。むしろ足りないくらいだ」

 

 俺の言葉にキャスターは頷く。

 

「そうね、だからあいつらには飛びっきりの悪夢をプレゼントしておいたわ。自分の大切な女性が、自分達がしてきたことと同じ目に遭う、そんな悪夢。きっとやつらの内の何人かは罪悪感で自殺するでしょうね」

 

 こともなげな彼女の言葉に驚く。

 

「それはいくら何でも……」

 

 やり過ぎではないだろうか。

 

「じゃあ、ちょうどいい罰って何かしら?どうすれば奴らに汚された女性達に報いることができるの?教えて頂戴、坊や」

 

 それは――。

 

「はいはい、この話題はこれで終わりよ。下衆な罪があって、過酷な罰があって、そして何も残らない。これはそれだけのお話。これ以上時間を割く価値なんてないわ。私達には決めないといけないことが山ほどあるんだから」

 

 ぱんぱんと手を鳴らした凛が言う。

 確かに、今の俺達にはもっと重要なことがある。

 

「そのことなんだが、凛。これからは凛達の家を本拠地にするってことでいいのか?」

 

 凛は真剣な面持ちで頷く。

 

「あなたの家の結界は優れてるけど、気配遮断のスキルをもったアサシンが正式に敵に回った以上、その意味を成さないと考えた方がいい。

 ならば、火力と守備力、そして回復力に優れた遠坂の家を本拠地に据えるのが賢明だと私は思う」

 

 凛の意見はもっともだ。

 遠坂の家には侵入者を生かして返さない無数のトラップが仕掛けられているという。そして、過去幾度にもわたる聖杯戦争を耐え凌いだその防御力は衛宮の家のそれとは比べ物にならない。更に言えば、ここは既にキャスターの作成した陣地、『神殿』になりつつある。遠からず衛宮の家の警報装置よりも優れたものが完成するはずだ。

 唯一の欠点は目立ちすぎることだが、それは遠坂という家系が持つ宿命のようなもので、防ぐ術はない。ならば開き直ってここを本拠地にするのが正道だろう。

 

「ああ、俺も凛と同じ意見だ。それに、あの『門』はまだ使えるんだろう?攻めるにせよ守るにせよ、あれは役に立つと思う」

 

 無拍子で彼我の距離をゼロにする。

 こと戦略をたてる上で、これほど魅力的な条件はあるまい。

 相手の位置を正確に把握することさえできれば、これ以上ないくらいに鮮やかな奇襲が成功するだろう。なにせ、相手からしたら何もない空間から突然敵が攻撃してくるのだ。防ぎようなどあるはずもない。

 それに、万が一のとき、例えばバーサーカーが攻めてきたときにもあの『門』は使える。戦局が不利になれば逃げればいいのだ。いくらあの怪物でも、空間転移に喰らいついてくることはできないはずだ。もちろん、一回使ってしまえば種は割れて、二度と使えないくらいに破壊されてしまうだろうが、それでも一度は逃げ切れる、その意味は大きい。

 

「じゃあ、今日からは士郎に私達の家に移ってもらう。藤村先生には適当にごまかしておいて」

 

 そうだ、藤ねえがいた。

 きっと、俺が遠坂の家に泊まるって言ったら、

 

『ばっかもーん、貴様、どこのエロゲの主人公か!桜ちゃんだけでは飽き足らず、遠坂さんにまでその毒牙をのばそうなんて、このわたしがゆるさん!

 ていうか今すぐ私専用ルートを用意しろ!』

 

 くらいは叫びながら大暴れするだろう。

 まあ、それはそれで構わないのだが、不必要なカロリー消費は避けたいところだ。

 

「ああ、わかった。何とかしてみるよ。とりあえず一度家に帰らせてもらうぞ、制服とか鞄とかも取りに行かないといけないし」

「では、私も一緒に」

 

 セイバーと俺が同時に腰を浮かす。

 凛と桜は笑顔でそれを見送る。

 これで今朝の作戦会議は終了。

 

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