FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
『……結局のところ、この戦争を勝ち抜くための重要な要素の一つとして、マスターたる魔術師の性能というものを無視することはできない。
マキリ、遠坂、アインツベルンは言うに及ばず、外来の魔術師ですら強力な英霊に縁のある品を用意してくる。つまり、よほど飛び抜けて強力な英霊を用意するか、逆に、敵がとんでもなく貧弱な英霊を召喚するかでもしないかぎり、英霊の質のみを持ってこの戦いを楽に勝ち抜くことは叶わないということだ。
そういう意味では、今回のアインツベルンのとった戦略は概ねの方向性として正しかったと言える。事実、あと一歩で聖杯を手にするところであった。サーヴァントをサーヴァントで押さえ、その隙に相手のマスターを電撃的に殲滅する。これがもっとも確実でもっとも効率的な戦略であると私は確信するに至ったわけだ。
しかし、私が考えるようなことは他の者も考えているはずだ。魔術の性質そのものが絶望的に戦闘に不向きなアインツベルンを除けば、宝石魔術を操る遠坂、時計塔の派遣する屈強な魔術師等、一筋縄ではいかない相手ばかりだ。手酷い裏切りにあったアインツベルンが今回も外来の魔術師を用意するとは考えにくいが、それでも事態がどう転ぶかは、なお予断を許さない。
つまり、通常に強力な程度のマスターでは、魔術師の性能をもって、この戦いを勝ち抜くことは困難と言わざるを得ない。それは素材の質自体がどれほど高くても同じことだ。
十の神秘を一の結晶にして残すのが魔術師。
ならば、一の結晶から刹那の粋を取り出すことは出来ないものか。それを身に宿した完成品ならば、烏合の魔術師程度、物の数ではあるまい。
思索は出来ている。それは、この国に根を下ろす、退魔と呼ばれるある一族の秘儀を模したものだ。
当然、常人に耐えられるものではない。しかし、あれは最高の素材である。肉体的にも、精神的にも。万が一精神が壊れても構わない。むしろ、その方が望ましいとすら言える。
実験は明日から始めよう。この胸の高鳴りが、これより私が得る無限の生の予兆であることを願って止まない』
episode18 彼女の訓練
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
冷たい道場の床の上、素足で竹刀を振るう。
己のイメージはかの弓兵。倒すべき相手はかの槍兵。
繰り出される光線のような突きを捌く。避ける。いなす。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
おそらくはオリジナルの半分以下のスピードの槍兵。
しかし、それでも今の俺には反応できる限界を超えている。
徐々に追い詰められ、後退していく。
そして――。
「そこまでですね、シロウ」
朝の張り詰めた空気の中、落ち着いた、澄んだ声色が響き渡る。
「はぁっ、はぁっ、セイ、バー、か、はぁっ」
呼吸がなかなか整わない。
情けない、超えるべき目標はまだまだ先なのに。
「はぁっ、はぁっ、はあぁぁ、すぅぅ、ふぅ、」
息を一気に吐き出し、ゆっくりと吸う。
無理矢理に呼吸を落ち着け、彼女と向かい合う。
道場の入り口に立ち、朝日を背負った彼女は、どこか神話に登場する戦女神を思わせた。
「どうだったかな、セイバー」
「独闘の相手はランサーですか」
やはりセイバーには分かっていたようだ。
「ああ、一応その通り。すごいな、どうして分かったんだ?」
彼女は真剣な瞳で俺を射抜きながらこう答えた。
「シロウの剣の動きを見れば、相手の武器として長柄を想定しているのは容易にわかります。そして、おそらくは尋常でないほどの突きの速度、中でもあなたが想定する敵といえば考えられるのはかの槍兵くらいのものでしょう」
「なるほど。で、セイバーから見てどうだった?」
彼女は無言で道場に入り、竹刀を手にした。
「学校までまだ時間はあるのでしょう?私が感想を述べるのは剣をあわせてからでも遅くはない、そう思いませんか?」
不敵な笑みを浮べたセイバー。
いいだろう、この前の俺とは一味違うところを見せてやる。
いまだ夜の冷気を孕んだ道場の空気。
対峙するは剣の英霊。
普段は、まるで菩薩のように柔らかな彼女の笑顔。しかし、それを鑿で削れば、現れるのは数知れぬ敵を屠った羅刹の貌だ。
一縷の隙も見逃さぬ、獅子の瞳。
否応無く緊張に硬くなる身体。
「シロウ、これは訓練ですが、しかし同時に実戦です。気を抜けば叩き伏せます。お忘れなく」
正眼に構えた彼女の持つ竹刀。
その切っ先から放たれる殺気が、喉元をひりつかせる。
周囲の空気は凍てつき、まだ微動だにしていないというのに、汗がこめかみを伝う。
恐怖が身体を動かそうとする。
人は死を恐れる以上に、死に至るまでの緊張を恐れるのだ。
前に出よう、楽になろう、そう主張する身体を精神力で押えつける。
まだだ。まだ俺は追い詰められていない。
「……いきます」
静かな侵略宣言。
瞬間、視界に映る彼女が大きくなった。
分かっている、ただの錯覚だ。
彼女の正中線が全くぶれず、頭部がほとんど上下しないまま前に出てきたから、一瞬彼女が巨大化したように見えただけ。
しかし、それは、俺が彼女の間合いに入ってしまったことを意味していた。
最小限の動きで、最短距離を、最高の速度をもって襲い来る刃。
それを防ぐことが出来たのは、ただ単に勘が上手く働いてくれただけのこと。
真正面から襲ってきた、頭部を狙った打ち下ろしの一撃を、切り上げるようにして弾き返す。
ばきぃ、と、まるで金属同士がかち合った様な凄まじい衝突音。
痺れる両手を叱咤しつつ、追撃を避けるためにバックステップで飛び退く。
間合いは、一足一刀のそれから、遠間に。
セイバーは、既に油断無く正眼の構えに戻っていた。
その表情はいつもの冷静なそれ。
だが、その瞳の奥に、髪の毛一本分ほどの驚愕の色が湛えられていた。
「……次、行きます」
比喩ではなく、彼女の姿が掻き消えた。
探すな。視線を彷徨わせたら、その瞬間に命を失うぞ。
勘で判断するな。
知識で判断しろ。
それ以上に、経験で判断しろ。
経験?
そんなもの、俺にあったか?
無いなら、補え。
自分に無いなら、誰かの経験を引っ張って来い。
誰か?誰のものだ?
決まっている、俺の内に宿った、偉大なる誰かのものだ。
――下!
飛び退く時間は無い。
スウェーして上体を反らす。
直前まで俺の顎があった場所を、すごい勢いで通過していく切っ先。
地に伏せるような構えのセイバーが放った必殺の一撃が、弧を描くように宙を舞う。
――まずい!
「はああぁ!」
身体を、まるで射離す直前の弓のように撓めていた彼女が、そのエネルギーを前方に向けて解放する。
体当たり。
肩口が狙っているのは、俺の鳩尾。
鳩尾への打撃。
横隔膜の機能停止。
呼吸の困難。
結論。
あれが当たれば、少なくとも一分は動けなくなる。
一分の隙。
確実な死。
駄目だ。
よけろ。
よけろ。
よけろ――無理。
なら、防げ。
腹に力を入れて防げ。
両手を交差させて防げ。
膝を間に入れて防げ。
とにかく、死にたくなければ防御しろ!
稲妻のような思考速度。
不純物の無い生存本能。
次の瞬間。
どん、と。
自動車と衝突したかと錯覚するような、凄まじい衝撃。
交差させた両手を貫いたそれは、僅かだが鳩尾に響いてきた。
呼吸が停止する。
体が吹き飛ぶ。
だが、彼女はどこまでも無慈悲。
既に追撃の体勢を整えている。
次に放たれる一撃こそ、真の必殺。
かわしようがない。
防ぎようもない。
ならば、どうする。
どうする。
決まっている、ならば攻めるのみ。
ここだ。
ここが、俺の精一杯の虚勢を張るときだ。
宙に浮いた体を重力に任せる。
自然、体は地に倒れる。
覚悟していたので、衝撃で意識が飛ぶ、ということはない。
寝そべるような姿勢。
そこから、剣を横薙ぎに振るう。
狙いは彼女の足首。
地面と剣が描く平行線。
当たれ。
当たれ。
当たれ。
あ。
駄目だ。
『当たれ』では当たらない。
それはただの希望的観測に過ぎない。
『当たれ』では当たらない。
『当たる』。
その意志で放った一撃でなければ、彼女には触れ得ない。
「甘い!」
剣先は、宙に跳ねた彼女の足が、その直前まであった場所を通過しただけ。
振り下ろされる、彼女の剣。
避けられるはずがない。
ならば、受けよう。
そこまで考えて、はたと気付いた。
ああ、今、俺は一本しか剣を持っていない。
駄目じゃないか、どこで忘れてきたんだろう。
俺の剣は、もう一本――。
――。
「気がつきましたか、シロウ」
ぼやける視界に映し出されたのは心配そうに顔を顰めた彼女。
ああ、やっぱりセイバーには敵わなかったんだ。
苦痛に顔を歪めながら、ゆっくりと体を起こす。
「あちゃ、また負けたか。今回は結構いいところまでいけると思ったんだけど」
彼女は顔を顰めたまま、しかし心配とは違う感情を込めてこう言った。
「シロウ、以前私が言ったことをもう忘れたのですか。サーヴァントは人に有らざる者。人たるあなたが敵しようなど片腹痛い」
言葉とは裏腹に、慈愛に満ちた彼女の声。
なんとなく一言くらい言い返してやりたい気もするが、彼女の言の正しさを実証された後ではぐうの音も出ない。
「ちょっとは強くなった気がしてたんだけど、やっぱり一日や二日でそんなに変わるはずがないよな」
がっくりと肩を落とした俺を見ながら、セイバーは言った。
「気付いていないのですか?あなたは一昨日とは比べ物にならないほど強くなっている」
「はっ?」
慰めの言葉かとも思ったが、彼女の瞳はどこまでも真剣だ。それに、下手に実力を勘違いさせるような危険な嘘を彼女がつくはずがない。
「少し悔しいが、アーチャーの特訓は確かにあなたの糧になったようだ。彼には感謝しなければいけませんね」
アーチャーとの特訓?なんだ、それは。
「アーチャーがどうしたんだ?俺はアーチャーに稽古をつけてもらった記憶なんてないんだけど」
「憶えていないのですか?」
びっくりしたような顔をしたセイバーは、少し考え込んでから静かにこう言った。
「……まあいいでしょう。大事なのは結果ですから」
「なあ、セイバー。実際のところ、今の俺の力はどれくらいなんだ?」
「防御に限れば、一般人というカテゴリに含まれる中では最も堅牢と呼べるレベルに達していると言っていいでしょう。
その動き、そして咄嗟の判断力、一昨日のあなたと同一人物とは思えない。悪い夢を見ているような気すらします」
一昨日。
ああ、今思い出した。
俺が止めてくれ、って言ってるのに、血に餓えた獅子は許してくれなかったんだ。
うふふ。
自分でも、最高の笑みを浮かべていることが分かる。
しかも、言うに事欠いて悪い夢か。
言ってくれるのう、セイバー。
「あーっと、守備に徹したその動き、戦術面ではアーチャーに酷似している。よっぽど彼の訓練があなたに合っていたと思っていたのですが……」
視線を明後日の方向に向け、ばつの悪そうな表情をした彼女が続ける。
「キャスターによる身体強化を受け、戦術を防衛に限定し、あくまで限られた時間稼ぎを目的として戦うならば、サーヴァント相手でも辛うじて生き残ることができるかもしれない、今のあなたはそれくらいのレベルです」
「……それって、要するに『ずるして逃げ回ればなんとか生き残れるかも』ってくらいだろ?喜んでいいのか落ち込んだ方がいいのか」
「何を言っているのです、以前のあなたならば間違いなく出会い頭に殺される、そんな相手をして生き残る可能性が生まれたのですよ。間違いなく喜んでいいことです」
そう言われると、それはそうかも、と思えてしまうあたり俺は現金な性格をしているのだろう。
「ただ、サーヴァントはサーヴァントでしか打倒し得ない。これは絶対の真理。間違えても一人でサーヴァントと立ち会うことなどないように」
……まぁ、なんにせよやはり今の俺ではサーヴァントと互角に戦おうなど夢のまた夢ということか。