FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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episode20 彼女の看病

 やはり、この映像は地獄から配信されている。

 私が確信したのは、映像に音声が付加された時だった。

 泣きわめく少女の声。

 昔はこんな声ではなかった。

 そして、今やそれは人の声ですらない。

 獣の叫び声だ。

 最初は意味のある単語で許しを乞うていたが、

 今、その喉から発せられるのは意味をなさない絶叫だけ。

 あああ、とか、ギイイ、とか、

 まるでその苦痛を吐き出そうとするかのように叫び狂っている。

 それはまだいい。

 痛がってくれるほうが、苦しんでくれる方が、救われる。

 しかし、そのうち少女は哂うのだ。

 喉が裂け、それでも叫び、ようやく血を吐き出したときに、

 少女は声にならぬ声で哂うのだ。

 その声を聞いたとき、私は初めて神を呪った。

 自分に腕がついていないことを呪った。

 耳が塞げない。

 私は己の存在が自覚できる全ての時間を、少女の狂笑とともにあらねばならない。

 それは耐えがたい苦痛だった。

 なぜなら、それは私が望んだモノだったからだ。

 私がいたずらに娯楽を欲しがったから、少女は苦しんでいる。

 その事実に気付いたとき、この空間は天国から地獄へと堕落した。

 長い、永い贖罪の時が始まった。

 

 episode20 彼女の看病

 

「ただいまー」

 

 誰もいない空間に向かって帰宅の挨拶をする。特に意味はないが、体に染み付いた習慣というものは中々抜けないものなのだ。

 

「お邪魔します」

 

 後ろから聞こえのは、代羽の声。いつもの彼女の声よりかは幾分柔らかいそれは、無機質な玄関に優しく響いた。

 靴を脱いで下駄箱に入れる。

 とりあえず居間で落ち着いてそれからお茶でもいれようか、そう考えながら廊下を歩く。

 歩きなれたはずの廊下が、今日は不思議と長く感じる。

 あれ、おかしいな。

 そう考えた瞬間、膝から力が抜けてよろめいてしまった。

 

「先輩、大丈夫ですか」

 

 あいも変わらず冷静な代羽の声が、どこか遠くのほうから聞こえる。

 ふわふわしたような、それでいて重く縛り付けられたようなこの感覚は久しぶりだ。どうやら本格的に風邪をひいてしまったらしい。

 

「大丈夫大丈夫、ちょっとふらついただけだから」

 

 自分の声すらどこか遠くに感じながら、家に帰って気が抜けたのかな、などと取りとめもないことを考える。鼻風邪程度ならともかく、足がふらつくような風邪を引くなんて何年ぶりだろう。

 壁にもたれかかって少し休んでいたら、壁とは反対側の手をぐいっと引かれた。

 

「よいしょっと」

 

 あれだけ重かった体がふいに軽くなる。代羽が肩を貸してくれたようだ。

 

「いいよ、重たいだろ」

 

 鼻腔をくすぐるいい香り。香水などのような人工的な香りではありえないそれは、どこかに蟲惑的な雰囲気があった。

 

「心配は無用。これでもそれなりに鍛えていますから」

 

 そう言った彼女の背中は、女性ということを勘案しても小さく、そして細かった。

 

 

 とん、とん、とん、というリズミカルな音が聞こえる。

 これは味噌だろうか、郷愁を誘う香り。

 ――代羽、料理ができたんだ。

 布団に体を横たえながら、ぼんやりと濁った頭で考える。

 何時以来だろうか、こんなふうに他人に看病されるのは。

 切嗣はとても優しかったけど、こんなふうに料理を作ってくれることはなかった。俺が風邪で倒れたときは、たいそう心配そうな瞳で俺を一晩中見守ってくれていた。

 ひょっとしたらこんなふうに看病されるのは初めてのことなのかもしれない。

 ただ、この感情はひどく懐かしい気がした。

 

「失礼します」

 

 襖の開く音と静かな声。

 彼女と一緒に部屋に入ってきたのは食欲をそそるいい匂いだった。

 

「体を起こせますか?」

 

 枕元に座った代羽が尋ねる。

 

「ああ、大丈夫。よいしょっと」

 

 声を出しながらでないと持ち上がらない身体が恨めしい。

 代羽はそんな俺の背中を支えながら、湯気の立つ小さな土鍋を載せたお盆を差し出した。

 

「手早く作れるものということで味噌仕立ての牡蠣雑炊を作ってみました。お口に合えばいいのですけど」

 

 消化にいい雑炊。浅葱を散らして仕上げたそれは目にも鮮やかだ。

 

「口のほうを合わせるよ。ありがとう」

 

 お盆に乗せられたレンゲを使って、雑炊を掬う。

 もうもうと湯気が立つそれに息を吹きかけて冷まし、ぱくりと一口。

 ……美味い。

 味噌仕立ての雑炊は下手をすると味が濃すぎたり、しつこくなりすぎて食べれたものではなくなることがあるが、これは絶妙のバランスで限界を見極めている。細かく刻んだ野菜と、ふっくらと煮られた牡蠣の相性も最高だ。

 ひょっとしたら、代羽は俺よりも料理が上手いのだろうか。ほんの少しだけ、驚いた。

 身体が求めるままに箸を進めていたら、いつの間にか土鍋は空になっていた。

 

「ごちそうさま、凄く美味しかった」

 

 まだ料理の感想すら言ってなかったことに気付く。だから、自然と漏れた感想は何よりも正直だ。

 

「ええ、あれだけ美味しそうに食べていただけると私も作った甲斐があるというものです」

 

 心底嬉しそうな笑みを浮べた代羽。

 こんなに嬉しそうな彼女を見るのは初めてかもしれない。

 普段の彼女は人を寄せ付けない冷たい雰囲気を身に纏っているし、その笑みにもどこか影がある。言葉にするのが難しいが、ここではないどこかに自分を置いている、そんな感じがしてしまうのだ。

 だから、初めて見る彼女の笑顔に見惚れてしまった。

 

「どうかしましたか、ぼうっとして」

 

 気がつくと、吐息が感じられるほど間近に彼女の顔があった。

 驚いて、動けない。

 心臓が、跳ね上がる。

 自分でわかるほど、真っ赤になっていく顔。

 

「あれ、また熱が上がりましたか。どれどれ」

 

 さっきよりも近くから聞こえる声。

 こつん、と額に何かが当たった。

 そこに感じるひんやりとした彼女の体温。

 片手で前髪をかきあげて、目線を真っ直ぐにした彼女。

 黒い瞳。黒真珠みたいにまんまる。ブラックホールみたいにまっくろ。

 こんな瞳に見つめられたら、神様だって恋に落ちるはず。

 

「あ……う……」

 

 間の抜けた自分の声。

 ぱくぱくと、陸に上げられた金魚みたいに口を動かす。

 酸素が欲しいんじゃない、欲しいのは心の平衡。

 一番の特効薬は、あなたとの距離。

 どのくらいそうしていただろう、額に感じる温度が俺の体温と等しく感じられるようになったとき、やがて彼女は怪訝そうな表情で俺から離れた。

 不思議そうに眉をひそめた代羽が、やがて納得したように苦笑した。

 

「……ああ、そういえばあなたには恥ずかしがる理由があるのでしたね」

 

 よくわからないことを呟いて、彼女は今までと同じ、寂しそうな微笑を浮べた。

 

「汗をかいたでしょう、着替えて眠ればいい。栄養と睡眠、それが何よりの薬です」

 

 そう言ってから、代羽は着替えと蒸らした温タオルを持ってきてくれた。

 

「手伝いましょう。さあ、服を脱いで」

 

 それがさも当然というふうに、何気ない口調。

 

「い、いい。じぶんでする」

 

 機械みたいに固い体と、その何倍も硬い声。針で一突きしたら、粉々に砕け散ってしまいそうだ。

 

「恥ずかしがる必要はないでしょう。あなたは病人で看護を受ける権利がある。

 ……それに、私は、男性の裸など、兄のそれで見飽きていますから」

 

 ほんの少しだけ翳った声。理由は、わからない。

 

「それとも、私のような女に看護を任せるのが嫌なのですか。ならばはっきりそう言ってください」

 

 真剣な瞳で俺を見る。真一文字に結んだ唇がひどく愛らしい。

 

「い、いや、そういうわけじゃ……」

「ならば話は早い。そういえば以前のお礼もまだでしたね。さあ、とっとと服を脱ぎなさい」

 

 にんまりと、最高の笑み。

 ああ、神様。

 何故代羽と桜が親友なのかがわかりました。

 朱に交われば、赤くなる。

 朱が染めあって、真っ赤になる。

 そんな埒もない言葉が、不思議なくらいすとんと俺の胸に収まった。

 

「意外と筋肉質なのですね」

 

「まだ生えていないのですか」

 

「へえ、兄さんより大きい……」

 

 汗のふき取りは完了。清潔な下着に着替えも完了。

 さっぱりとした体と、いまだふわふわとした思考。それでも納得のいかない感情。

 一通りの精神的陵辱を受けた俺は、代羽の言葉を聞き流していた。

 もうお嫁にいけない。

 そんな大昔の台詞が思い起こされる。

 俺で遊ぶのに飽きたのか、やがて彼女は鞄の中から五角形の薬包紙を取り出した。

 

「我が家秘伝の風邪薬です。これを飲んで一眠りすれば、嘘みたいに体調が回復します」

 

 誇らしげに薄い胸をそらせた彼女は、押し付けるようにその包みを俺に手渡した。

 おそるおそる包みを開けると、そこには金魚鉢にへばりついた苔を乾燥させたような、グロテスクな緑色の粉末があった。

 鼻を突く刺激臭。

 生臭いような、ケミカルちっくな。

 臭いの奥に、大鎌を携えた死神の映像が浮かんだ気がした。

 

「代羽、これ……」

「製造方法は秘密です。もっとも、模造品を防ぐためではなく、治験者の精神衛生のためですけども」

 

 真剣な表情の代羽。普通そこは笑うところなんじゃないのデスカ?

 

「飲む飲まないはあなたの自由。今のあなたに病床に伏せる暇があるならば、ゆったりと身体を治すのも一つの選択肢でしょう」

 

 ぐりぐりと包みを俺の額に押し付けながら彼女が言う。

 

「さあ、どうしますか、衛宮先輩」

 

 そうだ、俺にはぐずぐず眠りこけている暇なんてない。俺にはしなければならないことが山ほどあるのだ。この程度の試練、乗り越えられなくて何が正義の味方か。俺を止めたければこの三倍は持って来い――!

 

 駄目でした。

 すみません、生意気言いました。

 心の中で緑色の悪魔に土下座をしながら思う。

 舌が痺れる。

 手が震える。

 ああ、意識が、意識が……。

 これが、この世で最後の思考。

 

「驚いた。本当に飲むなんて」

 

 目を見開いて、手を口に当てた彼女が言う。

 

「ですが、安心してください、衛宮先輩。効き目は本物ですから」

 

 当たり前だ。

 これで効き目がなかったら、いくらお前が女だからってこの衛宮士郎容赦せん。

 

「でも、本当は飲んで欲しくなかったんですけどね。まあ体調を崩したまま戦うよりはましでしょうから」

 

 苦笑と共に、代羽の声が、どんどん沈んでいく。

 おかしい。何で彼女が悲しんでいるのか。

 嘲笑ってくれ、いつもみたいに。

 君が悲しいと、俺まで悲しくなるじゃないか。

 

「あなたは、きっと前にしか進めない人だから」

 

 代羽、君は何を。

 

「無駄です、先輩。目覚めれば、あなたは今のことを何一つ覚えてはいない」

 

 嫌だ。

 

「わがままを言わないで」

 

 嫌だ。

 

「眠りなさい」

 

 いや。

 

「おやすみ」

 

 お■■ちゃん。

 

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