FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
「あなたは、祈らないのですか」
「対象が、見つかりません」
「そんなもの、なんでもいい。石ころでも、花でも、土産物屋で買ったキーホルダーでも、それこそ神様でもかまわない。それを見つけるだけで、人は救われます」
「彼は、何にも救われなかった。だから、祈りません」
「そうですか。でも、きっとあなたも祈ることがあるでしょう。自分のためだけではない。あるいは、名前も知らない誰かのために。そうなれば、きっと幸せでしょうね」
「はい。そう思います。きっと、奇跡みたいに、幸せ」
episode22 少女と少女
小さな公園。
まだ明るい日差しの下、母親に見守られながら無邪気に遊ぶ子供達。さんざめくような歓声が耳に心地いい。
この上ないくらいに、平和な日常風景。
しかし、俺の心臓は所有者の意志を無視しながら早鐘を刻んでいた。
どくん、どくん、と。
己の心臓が刻むリズム、それが耳に響く。
脇の下を嫌な汗が濡らす。
目の前に立つ、銀髪の少女。
あの夜、絶対の死の気配を背負いながら、妖艶に微笑んだ美しい妖精。
名前は確か……。
「イリヤ……」
俺の言葉に、彼女は少し不機嫌そうに応じる。
「勝手に人の名前を略すなんて、少し失礼じゃない?……別にいいけどね」
頬を膨らませ唇を尖らせたその表情からは、あの夜の無慈悲な笑顔など、想像もできない。
イリヤスフィール・フォン・アインツベルン。
バーサーカー・ヘラクレスを従える、最強のマスター。
出会ったら、殺しあうのが戦争の大原則。
ならば、ここで戦うしかないのか。
しかし、彼女は本当に嬉しそうに笑った。
「安心して、お兄ちゃん。今日はバーサーカーはいないから」
「えっ?」
「だって、私たちに相応しいのは夜でしょう?こんなに明るいのに殺しあうなんて、つまらないじゃない」
言われてみれば、今この場には、あの大気すら歪ませるような殺気の磁場がない。あの感覚、例えバーサーカーが霊体化していたとしても、見逃せるようなものではないはずだ。
つまり、今彼女を守る存在は本当にいないということか。
彼女は一人で街を歩いていたのか。
殺し、殺される、この非常識の世界の中を。
そう考えると、安堵感と共に、なぜだか妙な怒りが沸々と涌いてくる。
「駄目じゃないか、イリヤ!」
突然の怒声に驚いたのだろう、彼女はびくりと肩を震わせた。
「えっ、わたし何か悪いこと、した?」
「当たり前だ!イリヤみたいに小さな子がこの時期に一人で出歩くなんて、何考えてんだ!そんなの、襲ってくれって言ってるようなもんじゃないか!」
脅えたような表情から、ぽかんとした感情の抜け落ちた表情に。この子はころころと表情が変わる。まるで万華鏡みたいだ。
「お兄ちゃん、もしかして、わたしのこと心配してくれてるの?」
「当たり前だ。別に戦おうとか言ってるわけじゃないけど、それでもバーサーカーは連れて歩いた方がいい。そうじゃないと――」
まだ言葉を繋げようとしていた俺の口は、一足早い春の到来を思わせる、暖かな笑顔に遮られた。
くすくすと、嬉しそうにイリヤが笑う。
「うん、合格。本当のことを言うとね、お兄ちゃん、わたし、あなたがどんな人なのか見に来たの。わたしが想像していたよりも、あなたは面白いわ。
ねぇ、お兄ちゃん、お名前教えて?」
「……衛宮、士郎、だ」
「エミ、ヤシロ?」
「違う。それじゃあ、笑み、社だ。衛宮が名字、えっとファミリーネームっていうんだっけ?で、士郎が名前、こっちはファーストネームかな?」
「ふうん、じゃあシロウだね。うん、中々いい名前ね。少し孤高な感じがするけど、お兄ちゃんにぴったりだね」
何故だろう。
心臓が、どきり、と、不協和音を奏でた。
士郎、と。
イリヤに、その名前を呼ばれたとき。
何故だが、自分がここにいてはいけない人間のような、そんな感じがした。
足元の地面が崩れ落ちるような。
階段を踏み外したような。
墜落する夢を見たときのような。
世界に、拒絶されたような。
あるべきものが存在しない、そんな虚無感。
ああ、違う、違う、違う、俺は、俺は――。
「先輩、この子は誰なのですか?先ほどから妙に物騒な単語が飛び交っていましたが」
隣から聞こえた、冷静な後輩の声。それが俺を現実に引き戻す。
「そうね、シロウ、この女は誰なの?」
これはイリヤの声。
ざっきの俺に対する評価は妙に息が合っていたが、当然と言えば当然、この二人はお互いを知らないはずだ。
じゃあ、俺が二人を紹介するべきなのだろう。
そこまで考えると、頭の奥のよく分からない不快感は自然と消えていった。
「あ、ああ、イリヤ、こっちは俺の後輩で間桐代羽っていうんだ。一応言っておくが、マスターじゃないぞ」
後半は囁くように言う。
「代羽、こいつはイリヤスフィール・フォン・アインツベルン、イリヤだ。まぁ、一応年の離れた友人、かな?」
二人の紹介を終える。しかし、そこにはさっきまでの和やかな雰囲気は無かった。
無言でお互いを見つめる二人。その視線は心なしか険しいものになっている。
空気が帯電するかのように、刺々しいものに変化していく。
いい加減俺がその重たい沈黙に耐えられなくなって口を開こうとしたとき、イリヤが言った。
「握手しましょう、代羽。だって、私達は初対面なのだから、その必要があるわ」
代羽はにこやかに応じる。
「ええ、そうですね、イリヤ。私もそう思ってたところです」
口ではそう言いながら、二人とも視線は剣呑だ。男同士なら、握手からそのまま握力勝負になだれ込む、そんな雰囲気。
「お、おいおい」
そんな俺の心配をよそに、がっちりと握られた二人の小さな手。
それはしばらく続いたが、やがて、より小さな手をした少女が呟くように言った。
「……驚いた、本当に違うのね、お姉ちゃんは」
その言葉と共に、イリヤはその手を離した。
違う?何が違うというのだろうか。
「よかった、もしもあなたが穢れた蟲なら、今すぐにでもバーサーカーを呼ばなくちゃいけなかったから。そしたらお兄ちゃんに嘘を吐くことになっちゃうし」
ぎりぎりのイリヤの言葉に、代羽は首を傾げつつ応じる。
「はて……まあ、いいでしょう。とりあえずお気に召したようで幸いです」
自分より明らかに年下のイリヤにもいつも通りの固い口調で話しかける代羽。ひょっとしたら、いつか彼女に子供が出来ても、やはり今みたいな口調で接するのだろうか。
そうこうしてるうちに、二人の間からよそよそしさの分厚い壁は取っ払われていた。
そこには気さくに話しかけるイリヤと、硬い口調で楽しそうに応える代羽がいた。
「シロウって、お兄ちゃんと同じ名前なんだね」
「ええ、いつも言われます」
「それって普通男の子につける名前なの?それとも女の子につける名前なの?」
「一般的には男性に用いられることが多い名前ですね、不本意ながら」
「ふーん、それじゃあお兄ちゃんと区別がつかないから困るね。じゃあお姉ちゃんのことは何て呼ぼうかな」
「好きに呼んでいただいて構いません。名前如きで怒る私ではない」
「じゃあシロ!シロって呼んでいい?」
「……犬みたいな名前ですね」
「……嫌?」
「構いません。名前など、所詮記号に過ぎない。個人の識別が可能なら、それ以上の機能は望むべくも無い」
……そういえば昔、代羽の名前を呼び間違えただけで、酷い目に合わされたことがあったなあ。
そんなことを考えながら、冷たい冬の空気を味わう。
白い吐息が大気に溶けていく。
ぼんやりと思う。
この白さは一体どこに行くのだろうか。
溶けて無くなってしまうのか、それともどこかに隠れているだけなのか。
無くなったとすれば、そこに意味はあったのか。憶えている人がいれば、そこには意味があったのだろうか。
「先輩、それでは私はそろそろ……」
気がつけば二人の視線は俺に集まっていた。
「あ、ああ、わかった」
「イリヤは先輩に用があるのでしょう?では私は帰ります。ちなみに、送迎は結構ですからそのつもりで」
確かに、いくら冬とはいえまだまだ陽は高い。こんな時間ならわざわざ送っていく必要はあるまい。
「それでは、イリヤ、また近いうちに」
「うん、ばいばい、シロ」
「あ、代羽!一つだけいいか?」
「はい?」
「実は、桜が代羽も家に呼びたがってたんだ。もし予定が空いてるなら、今日とかどうかな?」
「はぁ、そうですか」
代羽は視線を遠くにやって考え込む。
実は、これは真っ赤な嘘だ。
きっと遠坂の家はこれから戦場になる。だから、本来なら一般人である彼女がいるべき場所ではない。
しかし、マキリ邸にいるのは彼女を肉親とは思わないような外道ばかり。そこにいるよりは、まだ遠坂の家の方が安全だろう。
かといって、無理矢理彼女を連れて行くわけにはいかない。彼女がどうしても嫌だと言ってしまえばそれまでだ。
「……分かりました。せっかくのお誘い、無碍に断っては失礼ですね。とりあえず家に帰って荷物を纏めてから伺うと、桜にそう伝えてください」
俺は、ほっと、安堵の吐息をつく。最悪、これで俺達がマキリ邸に攻め込むときでも彼女が傷つくことはなくなった訳だ。
「ああ、確かに伝えておくよ。じゃあ、また後で。
……っとそういえば代羽、俺の家に忘れてたものって、見つかったのか?」
公園の入り口で、彼女はくるりと振り返る。
少し声を張り上げて、彼女が答える。
「さあ、そんなこともありましたか。すみません、憶えていません」
母親みたいな笑顔を残して、彼女の姿は曲がり角に消えた。
「イリヤ、さっきの『違う』って何だ?」
イリヤは代羽が消えた曲がり角に視線を固定させたまま、こう言った。
「彼女、マキリなのに本当に魔術師じゃあないんだな、そう思って驚いただけ。
だって、まともな魔術回路の一本も無いんだもの。あれじゃあ魔術は使えないわ。噂では聞いてたけど、本当に没落しちゃったんだね、マキリは」
なるほど、握手する振りをして代羽の魔術回路の探査をしてたのか。
「だから言ったろ、あいつはマスターじゃないって。魔術回路も無ければ令呪も無いんだから」
そう言うと、イリヤは妖艶に笑った。
「あら、魔術回路も令呪も無いマスターだっていないわけじゃないわ。例えば、野良サーヴァントを拾った一般人がマスターになることだってありえないことじゃないから」
「じゃあ、魔力はどうするんだ。代羽みたいに魔力が少ない人間がマスターになったら、すぐに魔力を吸い取られて死んじまうぞ」
「本気で言ってるの、お兄ちゃん?」
呆れた顔のイリヤ。
「足りないものは他所から持ってくるのが魔術師。そうでなくても、普通はそうするわ。だから、そういった契約をしたサーヴァントはほとんど例外なく魂喰いになる」
魂喰い。
赤い結界。
慎二。
そうだ。それを防ぐために俺達は走り回っているんじゃないか。
「まあ、どうでもいいんだけど。穢れた蟲が何を使役したところで、私のバーサーカーには勝てないから」
この話はこれで終わり、そう言いたげな表情で彼女は言った。
「そういえば、イリヤ。何か俺に用か?俺を探してたみたいだけど」
「えっ?用が無ければ会いに来ちゃいけないの?」
悲しそうな瞳。
「いや、そんなことはない。戦い以外なら、俺だってイリヤと一緒にいると楽しい」
「ほんとに!?」
「ああ、ほんとだ」
「よかった!」
まるで機嫌の良い猫のようにじゃれ付いてくるイリヤ。その姿からはあの夜の凄惨な雰囲気は微塵も感じられない。
駄目だ。やっぱりこの子には聖杯戦争なんか似合わない。
「なあ、イリヤ――」
「ねえ、お兄ちゃん。あれ、何?」
イリヤは不思議そうに首を傾げた。
彼女が指差す先にあったのは小さな屋台。そこから食欲を刺激する甘い香りが漂ってくる。
「ああ、あれは……、よし、ちょっと待ってろ」
小走りで馴染みの屋台へと向かう。
ポケットに手をつっこんで財布の存在を確認。確か今月はまだ余裕があったはずだ。
「いらっしゃい……おや、珍しいね、こんな時間に学生さんか」
「こんにちは、えっと、粒アンのタイヤキ二つお願いします」
「あいよ、ちょっと待っとくれ、焼き立てを用意するからね」
気のいい親父さんとの会話を楽しみながら、タイヤキが焼きあがるのを待つ。
「はいよ、粒アンのタイヤキ二つ、ついでにこれはサービスだ」
もうもうと湯気の立つ袋の中には、注文した品の他に中身のよくわからないタイヤキが二つ入っていた。
「ウチの新製品。今度来た時、感想を聞かしておくれ」
「わかりました、ありがとうございます」
「まいど」
過剰気味とも思えるサービスに恐縮し頭を下げてから、店の傍らにあった自動販売機に小銭を投入する。
今日も比較的暖かいが、それでも息は白くなるくらいの気温。まだまだ暖かい飲み物が美味しい季節である。
外国人のイリヤには紅茶なんかがいいかとも思ったが、ここは日本、『郷に入りては郷に従え』、イリヤにも従ってもらうとしよう。和菓子には日本茶が一番だ。
片手にはタイヤキの入った紙袋を抱え、もう片方の手には暖かい緑茶のペットボトルを二本掴んでイリヤのところまで走って帰る。
彼女は少し不機嫌そうな顔をして待っていた。しまった、置いていったのは不味かったか。
「お兄ちゃん、レディを一人で置いていくなんて最低よ」
「ごめんごめん、こういうことには慣れてないからさ、これで許してくれないか?」
「なに、それ?」
甘い匂いから何かのお菓子であることはわかるのだろう、隠し切れない興味を浮べてイリヤが尋ねる。
「ああ、それはタイヤキ。中には餡が入ってるんだ」
「アン?ああ、アズキビーンズで作ったクリームね」
んー、多分間違ってないんだろうけど、そういうふうに表現すると何か違う食べ物に聞こえてしまうから不思議だ。
「ああ、ここのタイヤキは結構美味いんだ。えっと……、そこのベンチで食おうか」
◇
「なにこれ!甘いよ、それにさくさくして美味しいよ!」
彼女の手には、小さな歯型の残ったタイヤキ。
大事そうに両手で持っている。
「そうだろ。焼きたてだしな」
これが家に持って帰った後とかだとこうはいかない。紙袋の中で湿ってしまうからだ。
焼きたてのクリスピーな皮の部分と、ふんわりと焼き上げられた生地、比喩ではなく尻尾まで詰められた上品な甘さの餡、その全てがタイヤキというオーケストラのハーモニーを構成している。
というのは言いすぎだろう。なんだかんだ言っても一つ百円の庶民の味、小難しい理屈は抜きにして美味ければそれでいい。
「ああ、イリヤが気に入ってくれてよかった」
何となく空を見上げる。
太陽が出ているとはいえ、冬の青空はどこか儚い。
「ねえ、お兄ちゃん」
「ん?なんだ?」
隣を見ると、イリヤも空を見上げていた。
「お話して欲しいな」
「何を?」
「お兄ちゃんのこと。何でもいいわ、だって私はお兄ちゃんのこと、何も知らないんだもの」
俺のこと。
そんなこと、俺だって何一つ知らない。
「きっと退屈だぞ」
「知らないことは何だって面白いわ。だから、外の世界はこんなにも面白い」
そんなものだろうか。
彼女は相も変わらず空を見上げていた。
だから、俺も空を見上げた。
ひょっとしたら、あの人の笑顔が映るのではないか、そう思ったのだ。
◇
「俺はね、一度死んだんだ」
彼は空を見上げながらそう言った。
その視線の先にあったのは、一面の青空の中に浮かんだ、たった一つのはぐれ雲。ひょっとしたら別の何かを見ているのかもしれない。
「それって前の晩のこと?」
「いや、違う。もっとずっと前に、俺は命を失った。きっと、生まれ変わったんだと思う」
「ふうん」
興味が無いふりを装っているのがばれてしまうのではないか、そう恐怖してしまうくらいみえみえの声。
「何もかも失って、家族も名字も名前さえも失って、でも俺は生き残った。そして、親父に拾われたんだ」
親父。
キリツグ。
私にとっても父だった人。
あなたが奪った、私の宝石。
「ほんとに駄目な人でさ、まだ小学生の俺を残してふらっと世界中を放浪するし、家事は全く出来ないし、きっと親としては落第点だったんだろうなぁ」
彼の表情は鉄のように固い。そこには何の感情も浮かんでいなかった。
しかし、きっと彼は懐かしんでいる。自分の思い出を美しいものだと感じている。私には、それがとても忌々しかった。
そして、なにより忌々しかったのが。
私からキリツグを奪ったこの男が。
ちっとも、幸せそうに見えなかったことだ。
◇
「あ、バーサーカーが起きちゃった」
突然、目が覚めたような表情で、雪の少女はそう言った。
「ごめんね、お兄ちゃん。私帰るわ」
「ああ、またな」
彼女はパタパタと可愛らしく駆けて、公園の入り口のところで振り返って、こう言った。
「今度は私の城で会いましょう。招待するから」
「ああ、きっと遊びに行くよ」
音符みたいな空気を残して、彼女は姿を消した。
「さてと、そろそろ行きますか」
すっかり冷めてしまったペットボトルのお茶を飲み干し、屑篭に入れる。
寒さで固まってしまった身体に喝をいれ、腰を上げる。
そういえば、城の場所を聞いていなかったな、そんなことを考えながらゆっくりと歩き始める。
空は相変わらずの晴天。
日差しの眩しさに顔を顰めながらも、太陽を見上げる。
その輝きは、夢で見たあの剣にどこか似ていた。