FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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episode26 鮮血校舎・前

 四方をコンクリートに囲まれた、小さな部屋。

 狭くて、暗くて、何より寒い。

 気休めのように取り付けられた、小さな窓。

 そこからは、月さえ見ることはできない。

 それでも、私の瞳はこの部屋の仔細を見渡している。

 以前は、こんなに夜目が効いただろうか。

 暗い、星明りのみに照らされる部屋。

 そこにあるのは、乱雑に詰め込まれた使用用途の知れない器具。

 元々は白かったのだろうか、汗と埃で黄ばんだマット。

 大きな籠に詰め込まれた、様々な大きさの球体。

 部屋の片隅に堆く詰まれた、生贄の、群れ。

 照明設備は整っているようだが、それは使ってはならない。

 身を潜めるものにとって、灯りこそが大敵だ。

 そうして、私達はここで二日目の夜を迎えている。

 でも、戯れに灯りを点けたくなる。

 知識では知っているが、自分が使ったことがないからだ。

 便利な道具だ。

 火を熾すこともなく、暗がりを追い払うことが出来るなんて。

 闇は、非合理で理不尽だ。

 人を無理矢理に呼びよせ、唐突に違う世界へと案内する。

 私は、闇が嫌いだった。

 きっと、二人の姉もそうだったんだと思う。

 だから、私達は肩を寄せ合って、寒い闇に耐えていたのだ。

 

『ねぇ、メデューサ、私が脅えているわ。何か歌を歌いなさい』

『ああ、メデューサ、あなたの歌声がうるさくて小鳥が逃げてしまったじゃないの』

『ほんと、駄目な妹』

『ほんと、愚かな妹』

『ねえ、私。私達は、本当に苦労するわね』

『そうね、私。私達がいないと、この子は寒さで死んでしまうわ』

 

 そう言って震える二人の姉の背中を。

 あやして眠った夜が、幾度あったのだろうか。

 優しい悪夢だ。

 こうしているだけで、幸せになれる。

 ああ、上姉さま、下姉さま。

 ご馳走様でした。

 あなた達は、とても優しくて。

 本当に、美味しかった。

 二人の甘美な味に想いを馳せながら、目の前の獲物を貪る。

 ごくり、ごくり、と。

 熱い液体が、喉を潤す。

 熱くて、甘い。

 甘くて、官能的。

 どろりとした舌触り。

 焼け付くようだと、意味の無い感想を抱く。

 それでも、私は満たされない。

 微かに鼻をつく臭気。

 饐えた埃の匂いと、染み付いた汗の匂い。

 それがどうにも許せなくて。

 鉄の匂いで、塗りつぶす。

 

 ――止めてくれ。

 ――まだ、間に合う。

 ――もう、これ以上は死んでしまう。

 ――殺さないで。

 ――お願いだから。

 ――許して。許して。許して。

 

 声が、聞こえる。

 哀れを誘う、無様な声で。

 私には、それが可笑しくって。

 それを止めるために、喉を鳴らす。

 からからと、まるで蛇のように。

 

「や……めて、ください……」

 

 泣き笑いの表情で、目の前の獲物が笑った。

 目からは、涙を。

 鼻からは、鼻水を。

 口からは、涎を。

 体中から、脂汗を。

 尿道からは、小便を

 肛門からは、大便を。

 あらゆる穴から、あらゆる汚物を。

 撒き散らしながらの命乞い。

 ああ、なんて滑稽。

 なんて、愉快。

 命が、目の前で消えていく。

 儚くて、涙が出そうだ。

 大丈夫。

 あなたの命は。

 あなたの命は。

 私の中で、生きるから。

 さあ、共にありましょう。

 

 ――止めてくれ。

 ――まだ、間に合う。

 ――もう、これ以上は死んでしまう。

 ――殺さないで。

 ――お願いだから。

 ――許して。許して。許して。

 

 また、聞こえる。

 不快な、命乞い。

 もう、いいって。

 もう、わかったから。

 

 やがて、それの命は消え去った。

 ああ、ごちそうさま。

 本当に、おいしかったです。

 首筋から、ゆっくりと牙を抜く。

 それを拘束していた両腕から、力を抜く。

 とさり、と。

 まるで紙で出来た人形みたいに、軽い音で。

 それは地面に倒れ伏した。

 土埃が舞い上がる。

 埃っぽくて、また喉が乾く。

 さあ、次はだれにしよう。

 私のめをみて動けなくなったえ物たち。

 がたがた震えル、かわいいこうさギ。

 かわいい、かわいい、獲ものたち。

 あんなにタクサんいたのに、いまはかタてのゆびでかぞえラレるクラい。

 

「はは、いいぞ、ライダー!凄い食欲だ!らしくなってきたじゃあないか、おい!このペースなら、あと二十人、全員喰えそうじゃん!」

 

 しょうねんの、声、がスる。

 あア、これは、誰ノこえだ?

 食べ物じゃなくて、タベモノジャナクテ。

 

 ――あなたは、かれにシタガイナサイ――

 

 ああ、イツダッタカ、遠いサイキンにキイた、最後のメイレい。

 

 ――ワタしはあなたを謀りマシた。私HAアナたを騙しマシタ――

 

 おもいだせない、ダレカノコエ――。

 

 ――しかし、私は貴方に謝罪しません。恨みなさい、貴方にはその資格がある――

 

 あやまらないで、あやまらないで。

 だって、わたしはこんなにしあわせ。

 

 ――止めてくれ。

 ――まだ、間に合う。

 ――もう、これ以上は死んでしまう。

 ――殺さないで。

 ――お願いだから。

 ――許して。許して。許して。

 

 こんなにおいしくて、こんなにあたたかい。

 だから、わたしはしあわせ。

 

「ほら、もっと喰えよ、化け物。明日はアイツを殺さなきゃならないんだからさ」

 

 そう。

 もっともっとたべないと。

 たべてたべてたべて。

 もっともっとおおきくなって。

 それで、どうするんだろう。

 わたしは、なにがほしかったんだろう。

 だれとだれに、あいたかったんだろう。

 そこまでかんがえたとき。

 わたしのなかからきこえていた、ちいさなちいさないのちごいは。

 ついに、きこえなくなった。

 ちょっとだけ、さみしくて。

 わたしは、ぱかり、とわらった。

 

 episode26 鮮血校舎・前

 

 夢を見ている。

 最近、そう考えることが多くなった。

 覚醒夢、明晰夢とでも言うのだろうか。

 自分か夢の世界にいる、そのことを自覚できることが多くなったのだ。

 理由は分からない。

 緊張の連続による精神の疲労が理由かもしれないし、最近できた魔術のスイッチが理由かもしれない。

 理由はわからないが、最近そういう夢を見ることが多くなった。

 

 二つの人影が歩いていた。

 時間は午前だろうか、それとも午後だろうか。

 煌煌と照らし出されたのは、森の中を行く二つの影。

 ひどく明るい。

 あくまで森の中にしては、という条件付きではあるが。

 きっと、昼間なのだろう。それとも、満月の夜だろうか。

 たおやかな光が光沢のある木の葉に反射して、蛍のように周囲を照らす。

 

 二人は、ただ無言で歩いていた。

 片方は、長身の青年。

 顔は分からない。

 身長の割りに、肩幅は狭い。

 ひょろりとして、どこか薄を思い起こさせる。

 少したどたどしい手つきで、少女の肩を抱き寄せている。

 片方は、小柄な少女。

 顔は分からない。

 降り注ぐ光にその真っ赤な長髪を弄らせながら、隣の青年に身を寄せている。

 不安定な足場、しかし少女は夢見るように目を瞑り、青年に自らを委ねている。

 二人は、ただ無言。

 しかし、その手は確かに握られて。

 本当に、幸せそうだった。

 

 わかっている。

 これは、夢だ。

 今までに起こったことではない。

 今、起こっていることでもない。

 おそらく、これから起こることですらないだろう。

 

 ただ、思った。

 本当に、こんなことが起こりうるなら。

 この世界も、捨てたものじゃあない、と。

 

 少し体が冷えていたので、シャワーを借りることにした。

 遠坂の家に泊まるのもこれで二日目。まだまだ慣れないことが多いが、それでもなんとなく勝手は掴めてきた。

 敷地そのものは俺の家よりも狭いようだが、母屋の部屋の数だけを比べるならばこちらの方が遥かに多い。その中で絶対に立ち入ってはいけない部屋は三つ。

 凛の部屋。

 桜の部屋。

 そして二人の工房である地下室だ。

 昨日、酒の席で聞いてみた。

 もし、無断でそれらに入ったらどうなるか。

 凛曰く、『どんな死に方が死体、いや、したい?』とのこと。

 桜曰く、『責任取ってくださいね、先輩』とのこと。

 だから、その三つの部屋の場所は間違いなく把握している。

 逆に言えば、それら以外はある程度自由に使っても大丈夫、そういうことらしい。

 当然、セイバーやキャスターの部屋に入るなんてことは許可されても出来ないが、とりあえずそういった部屋に足を踏み入れることは無いだろう。

 ぱたぱたと、フローリングの廊下を、スリッパを履いて歩く。

 突き当たりにある小さな窓、そこから見える外の世界はまだまだ暗い。

 階段を降りて、洗面所に向かう。

 ぎい、と、木製のドアを開ける。

 かなり広い脱衣所に、大き目の姿見。最新式の洗濯機を使っているのはもっぱら桜だと思う。

 昨日もそうだったが、どうもこの空間の空気は慣れない。ここにいるだけで、酷くいけないことをしている、そんな錯覚を覚えてしまうのだ。

 朝っぱらから何を考えてるんだか、そう苦笑してから服を脱ぐ。冬の、肌を責めるような空気が心地いい。

 シャワーの温度はかなり高めに設定した。痺れるような湯音。思わず声を上げそうになったが、これはこれで気持ちいいのだ。

 肌が赤くなるような湯音に慣れたら、こんどはツマミをお湯から水に切り替える。

 シャワーのノズルから出てくるのは身を切るような冷水。呼吸のリズムが変わっていしまうほど冷たい。

 それを数度繰り返すと、アルコールの残滓であやふやだった思考がはっきりした。サーヴァントならこんな無様はないだろうし、凛や桜も魔術師、二日酔いなんてことはないだろう。

 ぎゅっと、硬く蛇口を閉める。

 ぽたぽたと、髪の毛から水滴が滴る。

 昨日の桜の言葉が思い出される。

 今日が、リミット。

 阻止限界点だ、と。

 

 

「結界の成長速度が早まった?」

 

 真剣な瞳で、桜はこくりと頷いた。

 時は深夜。

 集まったのは、マスターとサーヴァント三組。

 代羽は既に深い眠りの中にいる。

 凛と桜に、先ほどまでの乱痴気騒ぎの残り香は無い。如何なる魔術か、体内のアルコールは既に一掃されてしまっているらしい。

 

「昨日までの成長速度とは段違いです。今日は私とキャスターで呪刻の消却処理をしましたが、それでも結界の成長の方が早い。このままいけば、おそらく明後日には完成するものと思われます」

「何でだ?今までと何が違うんだ?」

「……ライダーが負った傷……が原因ではないでしょうか」

「?どういうこと、セイバー」

「あくまで推測にしか過ぎませんが……あの結界は獲物を捕食するための、攻撃型の結界宝具。そして、宝具の効力は持ち主の身体的な、或いは精神的な状態に大きく影響を受けます」

 

 宝具とは、いわば英霊の切り札。その英霊そのものといっても過言ではない。故に、その存在は英霊自身の身体的、あるいは精神的な状態を如実に反映する。

 

「ライダーは大きな傷を負っていた。我々のように魔力の補給の可能なマスターがいるなら別段、彼女にはそういった存在はいない」

 

 ライダーのマスター。おそらくは慎二。あいつは自分を魔術師だと名乗ったが、凛によれば魔術回路は存在せず、魔力量も人並みのようだ。ならば、あいつがライダーを自力で回復させることは不可能に近い。

 

「……手負いの獣が、牙を剥いてる、そういうことね」

「はい。おそらく彼女はなによりも魔力に餓えている。非常に危険な状態だと思います」

「でも、おかしくないか?あいつはアーチャーにやられてボロボロだったぞ。結界の強化に回すだけの魔力なんてそもそも無いような気がするけど」

「それは――」

「彼女は吸血種だ」

 

 凛の後ろに控えていたアーチャーが口を開いた。

 

「彼女は当座の魔力を補給するだけならば、なんの労力も必要ない。夜道を行く獲物を狩る、それだけで魔力の補給は可能なのだ」

「つまり、それで結界用の魔力を補充して、あとで一気に馬鹿食いしよう、っていう腹づもりなわけね」

 

 凛が忌々しそうに人指指を噛む。

 

「必要最低限の魔力さえ確保できるならば、今のライダーにとってあの結界を完成させるのは如何にも容易いでしょうね。食欲とか性欲とか、自己保存に根差した欲求は他の何よりも魔術との結び付きが強い。

 彼女が元来どういった存在なのかは知らないけど、今はあの結界が顕すとおり、血に餓えた野獣より危険だと思うわ」

「しかも、その手綱を握るのが、よりにもよってあの馬鹿か……」

 

 キャスターの意見に、凛は苦々しく口を歪めた。

 慎二が変貌してしまったことについては、もはや疑いようが無い。現に、あいつは美綴を襲ってライダーの食事としている。

 おそらく、慎二は躊躇わない。道を踏み外したまま、その身が崖から転げ落ちるまで突き進むはずだ。

 

「姉さん、言峰神父は……」

「駄目。あいつ、薄ら笑いを浮かべながらこう言っていたわ。『凛、それは教会を頼るということかな』ってね。よくもまあ、あれで監督役を名乗れるものね」

 

 凛達の話によれば、あの似非神父はこの聖杯戦争の監督役を任されているらしい。

 監督役の権限は非常に大きい。神秘の漏洩という、教会にとっても協会にとってもありがたくない事態が起ころうとしたとき、その犯人に懸賞金をかけて他の参加者を嗾けたりもする。

 そもそも、本来であれば人の目を避けるはずの魔術戦を、昼夜を問わず街中で行うというのだ。ゲームマスターがいなければ早々に破綻するのは目に見えている。それを阻止するための監督役なのだ。

 その原則に照らすならば、今回学校に設置された結界型宝具は、忌むべき神秘の漏洩に直結する鬼子である。どういった形にせよ、神父が動くのは当然に思える。

 以前、凛は言っていた。あの結界が発動すれば、自分や桜は抹殺される、と。それは当然監督役にも当てはまることなのではないか。むしろ、事態の推移を知りながら何の手も打たず、座して状況を楽しんでいた、となれば余計に罪は重い気がする。

 

「凛、あいつだってきっと責任を問われる立場なんだから、きちんと話を通せば――」

「無理。絶対、無理。あいつにとって最大の娯楽は人が悩み苦しむ様を観察することよ。そのためなら、自分の身を危険に晒すくらい、何とも思ってないはずだから」

 

 それはなんとも……。

 とりあえず、奴に対する愚痴は飲み込もう。

 今、重要なのは何をするか、だ。

 

「桜、キャスター。慎二とライダーの気配は掴めないのね」

 

 桜は、少し申し訳なさそうに俯く。

 

「……はい。マキリ邸の周囲には百を超える使い魔を放っていますが、依然マキリ慎二が出入りした形跡はありません。街中に放った使い魔からも目立った報告は無しです」

「やっぱり屋敷に篭もってるのか……。そもそも、あいつ魔術師じゃないから追跡が難しいのね。

 もう、魔術回路の一本くらい持ってから生まれて来いっての」

 

 本人が聞けば激怒して笑い出すかもしれない台詞を事も無げに呟くと、凛は黙り込んでしまった。

 

「とりあえず、明日どうするか、それが問題だな」

 

 当たり前すぎる言葉は、口から出た瞬間に重苦しい空気となって場を満たした。

 結界を警戒するならば、学校に戦力を集中すべきだ。

 キャスターによれば、あのタイプの結界は術者が内部にいないと発動できないものらしい。魔力を喰らうための結界なのだ、それを喰らうものがいなければそれ自体に意味が生まれない。

 ならば、結界が発動したときには、ライダーと、おそらく慎二は学校にいることになる。それを叩くならば、最初から学校にいなければ出遅れる。

 慎二が屋敷に篭もっていると仮定するならば、こちらから攻め込むのも一つの選択肢だ。マキリにもかなり纏まった戦力があり、地の利はあちらにあることになるが、それでも贅沢を言っていられるような状況ではないだろう。

 

「……マキリに攻め込むっていう選択肢は出来れば遠慮したいわね。私もアーチャーもまだ万全とはいえない。そんな状態で魔術師の工房に攻め込むのは自殺行為。むしろこれは誘いなんじゃないか、そんな気すらするし」

「でも、あっちだってライダーは負傷している。条件は一緒なんじゃないのか」

 

 凛は呆れたような視線を寄越した。

 

「ライダーは既に外道に堕ちている可能性が高いわ。一体何人の命を喰らっているのか想像もつかないけど、最悪、結界の力を借りなくても既に傷は完治しているかも知れない。そうすると、かなり戦力差は縮まる。その程度の戦力差なら、地の利でひっくり返されかねない」

「じゃあ、明日はどうするつもりだ」

 

 凛は苦しそうに呟く。

 

「……私とアーチャーはこの場所から動くことはできない。まず傷を癒すことが第一課題だから。それに、他のマスターの動向も気になる。特に、バーサーカー。あの化け物が攻めてきたとき、各人がばらばらに動いてたんじゃあ間違いなく殺されるわ」

「でも、今はそんなことを言っている場合じゃあないだろう」

「いいえ、こういう状況だからこそ、足元から固めておかないと痛い目を見るの。

 ……でも、確かにそんなこと、言ってられる状況でもないわね」

 

 両肘をテーブルに付き、組んだ両の手で口元を隠しながら、彼女が発するのは決意に満ちた声。

 

「決めたわ。

 明日の午後、一番陽の高い時間にマキリ邸を襲撃します。キャスター、認知阻害の結界、準備よろしく」

「ええ、わかったわ。らしくなってきたじゃない、お嬢ちゃん」

「アーチャー、まさか、まだ動けない、そんな情けないこと言わないわよね?」

「そうだな、そろそろ体が鈍って動けなくなってしまうところだった。リハビリ代わりにはちょうどいい運動だ」

「と、いうことよ。

 各自、今日はゆっくり休んで明日に備えること。特に士郎、二日酔いで参加できない、そんな無様、認めないからそのつもりで」

「学校の結界はどうするんだ」

「完成前なら問題ないわ。大体、あれは内部に術者がいることが必須。校舎に出入りする人間と、マキリ邸周辺の監視は十分すぎるほどしているから、慎二が私達に気付かれずに校舎にはいるのは不可能よ。校内には『門』も設置している。万が一の場合にも、対処は可能なはず」

 

 まるで人形に生気が吹き込まれたかのように炯々と輝く彼女の瞳。

 そうだ、凛に待ちの戦略なんて似合わない。

 敵が要塞に篭もるなら、要塞ごと破壊する。

 罠があるなら食い破る。

 待ち伏せなど、意に介しない。

 それでこそ、遠坂凛だ。

 きっと俺の口元に浮かんだのは、苦笑の類ではなくて、感嘆の笑みだったと思う。

 

 

 電話が、鳴った。

 

 代羽は既に学校に向かった。

 『行ってきます』という元気な声が、妙に寒々しかったのを覚えている。

 俺達は、今日起こるであろう戦いに備えて学校に病欠の旨を伝えた。

 そうして、朝食を終え、俺は居間で寛ぎ、凛と桜は今日の準備のために工房に篭もっているとき。

 電話が、神経に触るけたたましい音で、鳴ったのだ。

 仕方ないので、俺が出ることにする。

 人は、何か不吉なことが起きるとき、その前兆を感じることがあるという。いわゆる虫の知らせ、というやつだ。しかし、そのときの俺にはそういった便利なものは働かなかった。後から思えば赤面してしまうほどのんびりと、受話器を手にしたのだ。

 

「はい、衛、いや、遠坂ですけど」

 

 無言。

 微かな息遣いが響くが、電話の向こうからは如何なる言語も聞こえない。

 さすがに、手に汗が浮かんできた。

 

「……もしもし……、まさか、慎二か?」

 

 くっく、というくぐもった笑いが聞こえてきて。

 俺の疑問は、確信に変わった。

 

「慎二、今どこにいる」

『それを聞いてどうするんだい、『正義の味方』クン?』

 

 その声には隠し切れない狂気が存在した。

 腹の中を黒くてグルグルしたものが渦巻いている。

 吐きそうだ。

 いや、吐いて楽になるならむしろ大歓迎。

 

「まだ遅くない。結界を解呪しろ。凛達は必ず俺が説得する」

『はははっ、さっすが偽善者、言うことが違う。百点満点プラス特別ボーナスだ!ご褒美に出血大サービス、クイズに正解したら豪華商品をやるよ。

 さて、この声は誰の声でしょう、か?』

 

 『か?』の部分を強調した妙なイントネーション。クイズ番組の司会者か何かの真似なのだろうか。

 しばらく受話器からは何も聞こえてこなかった。

 不吉な沈黙。

 不安な静寂。

 やがて、それを打ち破る微かな呻き声が聞こえた。

 

『…………』

 

 駄目だ、聞こえない。

 どこかで聞いたことのある声の気がするのだが。

 

『さて、今のは誰の声か分かったかな?今正解したら結界の解呪を考えてやるよ!』

 

 全く真剣みの無いうわっついた声。

 嘘だと分かっている、しかし、一縷の望みを託して本気で悔しくなるのは俺の未熟ゆえか。

 しばしの沈黙。

 その間も、ちっちっちっち、と、時計替わりの慎二の声が聞こえる。

 

『あー、残念。時間切れ。これで結界を撤去するわけにはいかなくなっちゃったね。お前のせいだぜ、衛宮。

 残念賞だ、答えを教えてやる』

 

 ごつん、と。

 何か、硬いものが硬いものにぶつかる音が聞こえた。

 それと同時に、微かな悲鳴。

 この声は。

 

『……やめて下さい、兄さん。私は何をされても構いませんから、その服は汚さないで。

 遠坂先輩が、借してくださったのです』

 

 その直後聞こえた、びりびりという布地を引き裂く高い音と。

 ああ、という、絶望の声。

 

『ひひっ、今度はその空っぽの脳みそでも聞き取れたかな?さて、もう一度問題だ。さて、この声は誰の声でしょう、か?』

 

 奴がそう言っている間も、彼女の、代羽の悲鳴が聞こえる。

 しかし、悲鳴はやがて、堪えるような喘ぎ声に変わっていった。

 その声がどういった行為を表すのか、性に疎い俺でもはっきりとわかる。

 

「……止めろ、慎二」

『はあ?何命令してんの、お前。今、どっちが優位にあるか分かってないみたいだね』

「俺は止めろ、と言ったんだぞ、慎二」

 

 胸の奥、内臓のさらに深奥に、真赤な色をした感情が堆積していく。

 しばらくしてから、この不吉な熱さが何者なのか気付いた。

 怒り。

 純粋な、殺意。

 それは、慎二に対するものであると同時に、何の疑いも無く代羽を学校に送り出した自分自身に対するものだ。

 考えてみれば、自分にここまでの怒りを覚えるのは初めてかもしれない。

 

『止めたけりゃ止めてみせろよ、正義の味方。僕は今学校にいる』

「学校だな」

 

 いつの間にか、代羽の声は聞こえなくなっていた。

 

『ただし、来るなら一人で来いよ。もし、お前以外に誰かいたら、僕も余計なことまで考えなけりゃあいけないからね。出来れば酷いことはしたくない。僕は平和主義者なんだ』

 

 どの口でほざきやがるか。

 

「二十分で行く。首を洗って待ってろ」

『ああ、いいね、ぞくぞくするよ』

 

 ぶつり、と、電話は切れた。

 視界が赤く染まる。

 まるで、美綴を助けたあの夜みたいだ。

 違うのは、あの時視界を赤く染めたのは眼球に付着した血液のせいだったが、今視界を赤く染めているのは脳髄で暴れまわる原初の感情だということ。

 玄関まで走り抜ける。

 途中、昨日キャスターに貰った鞄を引っ掴む。

 戦略なんて、はなから無い。

 戦術なんて、くそ喰らえだ。

 今はただ、慎二を、殺したい。

 

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