FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
体が、重たい。
まるで体重が倍になったみたいだ。
私は太らない体質だと思ってたけど、一気にツケが回ってきたのだろうか。
だって、仕方ないじゃないか。
士郎のご飯は美味しいし、桜ちゃんのご飯も美味しい。
なにより、あの家は暖かくて、どんなものでも一層美味しくしてしまう魔法の空間なのだ。
でも、それにしてもおかしい。
景色が、真っ赤だ。
多分今は朝のはずだから、夕焼けに照らされてるってわけでもないと思う。
それに、なんだか気分が悪い。
まるでインフルエンザか何かに罹ったみたいだ。
つまり、いきなり体重が増えた上に、性質の悪い風邪をひいてしまったのか。
なるほど、なら、立ち上がれないのも納得だ。
誰かが、走っていた。
視界のほとんどは廊下に占拠されてるから、当然顔なんて見えない。
それでも、時々映る運動靴が、記憶の琴線を刺激する。
ああ、どこかで見たスニーカーだ。
毎日、見てるスニーカーだ。
全身の力を総動員して、顔を起こす。
ああ、やっぱり士郎だ。
士郎が、いた。
『藤ねえ、俺、しばらく遠坂の家に泊まるから』
なんで?
『ごめん、理由は言えない。きっと、いつか話せると思う』
私にも言えないような、理由なの?
『ああ。でも、多分藤ねえを泣かせるようなことは、しないから』
うん、じゃあ仕方ないね。
いつの間にか、男の子から、男性になっていた弟分の表情。
覚悟に彩られた、硬い声。
ほんの少しだけ寂しかったけど、でも、同じくらい嬉しかったんだ。
なのに。
なんで、あなたはそんな顔をしてるの?
泣きそうなくらい必死で。
呆れるくらい、ひたすらで。
でも、それ以上に、禍々しい。
血塗れで、青痣だらけで、粘土細工みたいにぼこぼこで。
でも、まるで、人殺しみたいな、笑いを浮かべて。
士郎。
駄目だよ。
あなたが何をしようとしているのか分からないけど。
絶対に、駄目。
あなたがそんな顔したら、お姉ちゃん、悲しくなる。
きっと、泣いてしまう。
士郎。
あなたは嘘吐きじゃあないでしょう。
だから、止めて。
お願いだから、止めて。
episode29 外道転落
走った。
吹き飛ばされた。
走った。
吹き飛ばされた。
走った。
吹き飛ばされた。
走った。
吹き飛ばされた。
走った。
吹き飛ばされた。
殴られて、蹴られて、投げ飛ばされて。
何度も何度も、壁に叩きつけられた。
一体、幾度意識を失ったのか。
時間の経過が分からない。
一時間か。
それとも、気付いていないだけで一昼夜は戦い続けているのか。
そろそろ休みたくなってきた。
布団に寝転がって、『ああ、今日も一日疲れたな』、そう言ってみたい。
それは、何と甘い妄想か。
「衛宮、五分たったぜ。すごいな、サーヴァント相手に五分も戦えるなんて、予想外だ。インスタントラーメンよりは粘ったぜ、お前」
五分。
何が五分だと言うのだ、慎二。
まさか、俺が戦い始めてから、五分しかたっていないとでも言うのか。
これだけの疲労。
これだけの苦痛。
それでも、まだ五分か。
それとも、もう五分か。
くそ、やはり歯が立たない。
セイバーの言ったとおりだ。
人は、絶対にサーヴァントに勝てっこない。
「でも、そろそろ飽きてきちゃったな。ライダー、そいつの手足を折っちゃえよ。後で殺すけど、そいつは遠坂達を釣り上げる餌だからさ、今は殺しちゃ駄目だぜ」
慎二の表情は、いかにも退屈です、と言わんばかりだ。
ライダーも頑丈すぎる獲物に聊か辟易としているらしい。
好都合。
次が、勝負だ。
いつも通り飛んできた杭。
これがゲームの始まりだ。
これをかわしてライダーのもとまで辿り着けば、ご褒美が貰える。
約五秒間、こちらの好きに攻めさせてもらえる。
逆に言えば、五秒後には確実に攻撃を喰らう。
いかにも嗜虐性に満ちた甚振り方。
らしいといえば、この上なく、らしい。
だが、今の俺にはこの上なく好都合だ。
杭を避け、ライダーに向けて走る。
流石に、スピードは落ちてきた。
血も流しすぎたし、疲労も溜まっている。
だが、これが最後になるだろう。
最後に、してみせる。
再び飛んできた杭。
ざくり、と、右の太腿に突き立つ。
気にするか、こんなもの。
痛みで折れるほど、柔な心は持ち合わせちゃあいない。
今重要なのは、痛みじゃないからだ。
生き死にですらない。
目的を達すること。
その意志だけが、この身体を動かす原動機だ。
言うことの聞かない足を、叱り付ける。
折れそうになる膝を叱咤する。
まだだ。
まだ、頑張ってくれ。
やっとのことで、ライダーの間合いに。
『またおなじこと?』
うんざりした彼女の表情。
構わず、切りつける。
一秒。
それでも、当たらない。
二秒。
まるで、子供の喧嘩みたいだ。
三秒。
ただ、手を振り回すだけ。
四秒。
でも、ここだ。
彼女が、攻撃の回避と、反撃の準備、その両方に気を取られる、この瞬間。
さぁ、ここが勝負。
おそらく、これが彼女が許す、最後の攻撃。
右の短刀を、左肩から振り下ろすように振るう。
やや中途半端な一撃。
当然、彼女には掠り傷ひとつつけることは叶わない。
それでいい。
この一撃は、彼女を倒すことを目的にしたものじゃあないから。
目標は、この短刀の先。
すっぽ抜けたように飛んでいく短刀、それが突き刺さったもの。
赤くて、細長い、筒状の物体。
学校の廊下なら、必ず二、三は設置されている。
消火器。
これが、俺の狙い。
これで、五秒。
直後、ぼん、という、どこか間の抜けた音をたてて、消火器が破裂した。
轟音と共に、白い薬剤があたりを満たす。
それを、俺は予想していた。
予想して、期待していた。
さて、目の前の化け物はどうか。
予想していたはずが無い。
ならば、一瞬でいい、意識が逸れるはずだ。
頼む。
逸れろ。
逸れてくれ。
一瞬、奴の顔に、不審の色が浮かんで。
そして、その視線が、逸れた。
死ぬ思いで作り上げた、0,1秒の隙。
見逃すか、馬鹿。
過負荷ともいえる魔力を、四肢に込める。
燃やせ。
体力か、魔力か。
憤怒か、歓喜か。
私憤か、義憤か。
そんなものは、どうだっていい。
俺の中にある、あらゆるものを、燃やし尽くせ。
何だっていいのだ。
切嗣との思い出でも、藤ねえに怒られたことでも、魔術の修行で死掛けたことだっていい。
今、この瞬間は、あらゆる思い出が等価だ。
等価に、尊い。
全てが、愛おしい。
しかし、何かが欠けている。
何だろう。
何かが違う。
何かが、ずれている。
『――だなぁ、――は』
唐突に浮かんだイメージ。
赤い髪。
輝くような笑顔。
でも、その顔は煤みたいに真っ黒だ。
貴方は、誰だ。
俺に、何の用だ。
懐かしい、声。
思い出す、熱さ。
身を焦がす炎よりも熱い、掌。
俺のことだけを守ってくれた、優しい掌。
あ。
体が、燃え上がる。
赤い炎だか、青い炎だか、分からないが。
何かが、燃えている。
いいぞ。
いくぞ。
燃料は満タンだ。
それを、一気に注ぎ込む。
跳べ。
反復横跳びみたいに、足の裏の内側面で、床を蹴る。
一息で、壁まで跳躍。
今度はそれを蹴って、ライダーの背後に戻る。
まるで、サッカーのキーパーみたいに三角跳び。
目の前には、呆けた顔の慎二。
消化剤の白い霧の中、ボケたみたいに突っ立っている。
こいつ、戦場にいるっていうのに、戦う準備すら出来ていなかったのか。
幸せなやつだ。
苦痛を感じる暇すら、与えてやるつもりは無い。
死ね、慎二。
俺は、手に残った一本の短刀を突き出す。
ぞぶり、と。
肉を貫く感覚が、この上なく心地良かった。