FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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episode31 Don Quixote

 びちゃり、と。

 粘着質な音が、辺りを満たす。 

 落ちてきたのがスライムの類なら、B級のホラーだ。

 でも、落ちてきたのは、俺の友人だった男のデスマスクで。

 これが、くそったれな現実だってことを、再認識させてくれる。

 白い薬剤に塗れた廊下。

 其処に咲いた、真っ赤で大きな花が一輪。

 それは、人の命を喰らって咲く、醜悪な花だ。

 甘い蜜の香りではなく、鉄臭い血の香りで。

 虫ではなく、死神を狂喜させる。

 あれを育てたのは、ライダーだ。

 慎二を殺したのは、ライダーだ。

 でも、俺はあいつを殺そうとした。

 殺意を持って、排除しようとした。

 そして、嘘か本当かは知らないが、彼女がその手を汚したのは、どうやら俺を守るためらしい。

 ならば、慎二を殺したのは、ほとんど俺だ。

 誰が否定しても、これは事実だと思う。

 じゃあ、俺はどうしたらいいんだろう。

 慎二に詫びるか?

 許してくれと。

 俺もいずれ地獄に堕ちるから、気が済むまで殴れと。

 いやいや、流石の俺も、そこまで恥知らずじゃあない。

 詫びるくらいなら、殺さない。

 そもそも、俺はかけらも悪いと思ってない。

 あいつは殺されて当然のことをした。

 だから、だから――。

 ああ、もう。

 そんなことは、どうでもいい。

 後悔も、歓喜も、後で、全て、後でいい。

 今、重要なことは、唯一つだ。

 慎二は、死んだ。

 しかし、ライダーは健在で。

 やはり、結界は解呪されない。

 なんだ、そんなことか。

 万策尽きた、そういうことだな。

 簡単な、ことじゃあないか。

 

 episode31 Don Quixote

 

 

「うん、うるさいやつもいなくなったし、はじめよっか」

 

 にっこりと笑ったライダー。

 その表情からは、微塵の敵意も読み取れない。

 彼女は何を言っているのだろうか。

 ぐるぐるになった脳味噌は、満足のいく回答なんて、導き出してくれるはずが無い。

 でも。

 ぐらぐらと、茹る何かが在る。

 どくり、と一際大きな鼓動が、響く。

 頭ではない。

 精神ですらない。

 身体。

 細胞に刻まれた、被捕食者の記憶が、雄弁に己の置かれた状況を解説する。

 背筋に、ドライアイス染みた冷気が走り抜ける。

 

 何を呆けているのだ。

 逃げろ。

 間違いなく、食われるぞ。

 

「ぬわっ!」

 

 悲鳴が、漏れた。

 大穴の開いた足で、無理矢理飛び退く。

 空の消火器に刺さっていた短刀を、震える指先で引っこ抜く。

 涙が浮かぶ。

 がちがちと、歯が鳴る。

 膝が、震える。

 ライダーは、先ほどの表情のまま、動かない。

 思わず笑えるほど震える刃先、その向こうで、華が咲いたみたいに、笑っている。

 怖い、笑みだ。

 肉食獣が、獲物を捕らえる間際、その瞬間に浮かべる笑みだ。

 まるで、蛇に睨まれた蛙。

 いや、そんな程度の力の差ではありえない。

 突然涌いたイメージは、何故か、白魚の踊り食い。

 まだ、ぴちぴちと跳ねる、透き通った白魚を、噛み砕かずに、飲み込む。

 生きたままの白魚を、胃の腑に収める。

 

 『ああ、胃の中で飛び跳ねている』

 

 その感触を、味わうのだ。

 ゆっくりと、己の中で消えていく命を、慈しむのだ。

 その、喜び。

 自分が絶対的な超越者である、確信。

 彼女は、それを、楽しんでいる。

 そして、俺が、白魚だ。

 ぴちぴちと、胃酸の海で、飛び跳ねる。

 逃げ道は無い。

 ただ、死にたくなくて、飛び跳ねる。

 飛び跳ねながら、溶けていく。

 皮と肉は溶け、やがて、骨になる。

 なるほど、彼女は、俺を慈しんでいるのだろう。

 きっと、堪らなく愛おしいのだ。

 

「ころさなければ、いいんだよ」

 

 感極まったような、声。

 

「ころさなければ、いいんだよ」

 

 舌なめずりするように、言葉を紡ぐ。

 

「だいじょうぶだからね、きっと、すごくたのしいから」

 

 にんまりとした笑みが、鋭角な、ぱかりとした笑みに。

 裂けるような、その口。

 蛇だ。

 蛇が、哂った。

 

「にんげんってね、けっこうしねないんだよ。じょうずにすれば、てあしをぜんぶもぎとっても、しねないの」

 

 夢を見るように、掌を合わせる。

 

「かんせつをごきりとはずしてね、かわにざっくりつめをたててね、きんにくをぶちぶちひきちぎってね、けっかんがすこしずつのびていってね、ぷち、ってちぎれてね、おいしいちがあふれだすの」

 

 口の端に、泡立つ涎が。

 

「だいじょうぶだよ、いっぱいいっぱいためしたからね。さいしょはどんどんしんじゃったけど、いまはぜったいにしねないからね」

 

 髪の毛が、ざわざわと、蠢く。

 

「つめもはごうね。はもむしろうね。みみとはなはそいで、めだまはくりぬいて、したはひきぬこうね。きっと、きっと、たのしいからね」

 

 ゆるり、と彼女が歩を進めた。

 薬剤で濡れた廊下、そこに、ぬちゃり、と、非現実的な音が響く。

 彼女は、純粋だ。

 子供のように、純粋だ。

 だから、嘘は吐かない。

 俺は、生きたまま、解体される。

 俺は、剣を構えたまま、固まった。

 そう、ただ固まっただけ。

 形が構えの態なだけで、戦う意志など、欠片も残っちゃあいない。

 恐怖で、動けないだけ。

 これなら、這いずって逃げる輩のほうがまだ上等だ。

 

「あああああ……」

 

 情けない悲鳴が口から漏れる。

 きーんという、耳鳴りが聞こえる。

 これが収まったとき、俺は正気を失うだろう。

 そんな直感。

 

 ――助けてくれ。

 

 声にならない悲鳴。

 

 ――誰か、俺を助けてくれ。

 

 誰かの手を期待して、視線を彷徨わせる。

 

 ――まだ、死にたくない。

 

 廊下に張り付いた、未だ中空を見つめる慎二の濁った瞳。

 

 ――俺は、まだあの人に、言わなければならないことが、ある。

 

 藤ねえの、死人みたいな、顔色。

 

 ――ありがとう、と、言わなければ、いけないんだ。

 

 だから。

 

 だから、俺は、逃げ出した。

 

 

 彼は、逃げ出した。

 脇目も振らず、逃げ出した。

 涙を流し、鼻水と涎を垂らし、情けない声をあげ、ひょっとしたら小便も漏らしながら、逃げ出した。

 彼は、逃げ出したのだ。

 何者が、彼を侮蔑し得るか。

 彼の目の前にいるのは、紛れも無い死神。

 彼の魂の紐を切るために現れた、無慈悲な死の使者。

 堅固な意志をもってそれに立ち向かう。

 聞こえはいいが、それは迂遠な自殺であり、それを行いうるのは狂人のみだ。

 彼は、そこまで狂っていなかった。

 それが、彼にとって幸福なのか、不幸なのか、彼自身にも、分かるまい。

 ただ、彼は、逃げ出したのだ。

 硬く握り締められたその手に、短刀を収めたまま。

 がくがくと震える足で。

 逃げたのだ。

 

 前に。

 

 ただ、前に。

 敵に、向かって。

 己の命を刈り取る、神の農夫に向かって。

 まるで、戦士の鬨の声のような悲鳴を上げながら。

 泣き喚きながら両手を振り回す、駄々っ子のように。

 目の前の脅威に向かって、逃げ出した。

 まるで、風車に戦いを挑む、ドン・キホーテのように。

 ある人がそれを見れば、抱腹絶倒の笑いに身を捩っただろう。

 ある人がそれを見れば、その不屈の精神に輝きを見つけるだろう。

 ある人がそれを見れば、その悲壮な声に涙を誘われただろう。

 つまるところ、その行為は無価値なのだ。

 故に、多面体的な解釈が存在しうる、それだけのこと。

 ただ、その行為は美しかった。

 少なくとも、その行為を見つめる、唯一人の男にとっては。

 無謀で、無茶で、無鉄砲で、どこまでも無価値なその逃避が。

 ただただ、美しかったのだ。

 

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