FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
くそっ。
どうしてこうなった?
なんで、あの化け物との距離が縮まっている?
自分の思考経路が、全く追えない。
逃げないと、いけないんだ。
俺は、逃げないといけないんだ。
なのに、足が、俺の意志を裏切った。
足だけじゃない。
髪の毛が。
額が。
脳味噌が。
鼓膜が。
千切れかけた、耳が。
目が。
鼻が。
唇が。
喉仏が。
鎖骨が。
肺が。
心臓が。
横隔膜が。
臍が。
太腿が。
膝が。
脹脛が。
爪先が。
その全てが、俺の意志を裏切った。
許さない、と。
お前が逃げるのは構わないが、敵に背を向けるのは許さない、と。
自分の命を愛でるのは構わないが、名も知らぬ誰かの命よりも愛おしむのは許さない、と。
内なる声。
自分ではない、誰かの声。
自分という個以上に大きな、何かの声。
いつから俺の中に宿ったのか。
一体、いつから。
結局のところ、怖かっただけなのだ。
何よりも、怖かった。
死ぬのは、怖い。
死を許されない苦痛の泥濘でのた打ち回るのは、もっと怖い。
だが、藤ねえが、そして皆が死んで、俺だけ生き残るのは、それよりも遥かに恐怖だった。
俺だけが生きて。
また、俺だけが生き残って。
廃墟の中で、一人、生を謳歌して。
大事なものを、見捨てて。
許されるか。
許されるか。
そんなの、許されるか、馬鹿野郎。
何かが、ある。
あの時、全てを燃やし尽くしたと思った。
あの一瞬。
あの一瞬の跳躍に、全てを注ぎ込んだ。
だから、今の俺は空だ。
空っぽだ。
そう思っていた。
なのに、何かがある。
濡れ濡れとした、何かだ。
皮を剥いた枇杷のように、芳しく瑞々しい何かだ。
砥ぎ水に濡れた刃のように、妖しく輝く何かだ。
名前は、分からない。
名付けようもない。
だが、それは在る。
そして、それが在るうちは、負けない。
負けて、やらない。
行くぞ、ライダー。
お前、さっき言ったな。
俺を殺せないって。
甚振ることは出来ても、殺すことは出来ないって。
なら、俺は止まらないぞ。
俺を止めたければ、一発目の弾丸を、頭か心臓にぶちこめ。
それができないなら――。
この俺を止められるなんて、ゆめ、思うな――!
episode32 FAKE PILAYS WITH SNAKE. ;THE FIRST
「うおおおおおおおおおおお!」
迸る咆哮。
勝利の確信。
狙いは、首筋。
そこを断てば、いくら蛇でも、死なざるを得ない。
ぶん、と。
横薙ぎの一閃。
吸い込まれるように、刃が奔る。
敵は、相変わらず裂けた笑みを浮かべたまま。
勝ったか。
歓喜。
勝った。
俺の、勝ちだ!
なんてな。
知ってるさ。
こいつは、こんなちんけな刃物じゃあ、倒せない。
がちん、と硬質な音がして。
体が、短刀を握った右手を支点に、宙を舞った。
びき、と嫌な音が、手首から響く。
高速で流れていく風景と、重力による制御を失った身体が、咄嗟の思考を奪う。
背中に衝撃。
どうやら、地面に叩きつけられたらしい。
跳ね起きるように立ち上がる。
ゆらつく視界。
其処に映ったライダー。
彼女は、一歩も動いていなかった。
彼女は、さも嬉しそうに、俺の短刀を咥えて、其処にゆらりと立っていた。
全霊の一撃。
それを、顎の力だけで、受け止めたというのか。
刹那、ばきばきと、凄い音がした。
アルミ缶を握り潰した時に聞こえる破砕音を、何倍も忌々しくした音だ。
それが、明らかに彼女の口から、聞こえた。
もぐもぐと動く、彼女の唇。
からからと毀れる、金属片。
キャスターの魔力によって強化された、強固な金属。
彼女は、それを煎餅か何かみたいに噛み砕いたのだ。
ライダーは、やはり、ぱかりとした笑みを浮かべる。
口の端からは、砕かれ、捻じ曲げられた金属片が、零れ落ちた。
「これで、ぶきはなくなったね。じゃあ、つぎはわたしのばんだから。たっぷりひめいをあげてね。かわいいかわいいひめいをきかせてね」
残像じみた一撃。
中段蹴り。
咄嗟に肘を折り曲げてガードする。
ぐしゃ、と肉のひしゃげる音。
衝撃が腹を突き抜ける。
おかしいな。
蹴られたのは左側なのに、右側、肝臓が締め付けるられる様に痛い。
しかも、ガードの上からだぞ。
思わず笑みが浮かんでしまう。
なんだ、これは。
かは、と熱い呼気を吐き出す。
体が『く』の字に折れ曲がる。
効いた。
効いた。
たった一発だ。
しかも、完全に読み通り、受けも完璧。
これ以上無いくらいダメージを減らして、この威力か。
凝縮された思考。
一秒が、まるで永遠。
静止した、苦痛に満ちた時間。
それを割り裂いて、何かがすっ飛んで来る。
背中の産毛が総毛立つ。
「ぬわっ!」
海老のように丸まった背中を、無理矢理弓反らす。
鼻先を掠める、肉の形をした弾丸。
膝。
あれを食らえば、鼻骨骨折くらいじゃ済まない。
死。
それすら、許容の範囲内だ。
しかし、今か。
おそらくは必殺の一撃。
ならば、それをかわした今が、チャンスか。
そこまで考えたとき、がつん、と後頭部に凄まじい衝撃。
一瞬だけ意識を弾き飛ばされた。
暗転した視界。
無明の世界で理解する。
多分、あれは、蹴り足の変化だ。
俺がかわした膝は、中空でその方向を変え、たわめられた足を、まるで白鳥の翼のように羽ばたかせたのだ。
そして、その足が、執念深い蛇のように、俺の後頭部に噛み付いた。
飛燕の変化。
現代において発達した格闘技、その中でも特上の足技。
達人のそれは、突如足が消えたような錯覚に陥るというが、今のはまさにそれだ。
これが、英霊。
如何なる修練をも経ずして、あらゆる人種を凌駕する。
それが、英霊の最低限必要なラインなのかも知れない。
戦闘中とは思えないほど落ち着いた思考。
自分でも、少し不思議だ。
色を取り戻した視界の中で、そんなことを考える。
近づいてくる、廊下。
ああ、なるほど、俺は前に倒れていくのか。
きっと、楽だろう。
今、楽々と大の字に寝転がることが出来たら、これからの人生のあらゆる楽しみを引き換えにしても惜しくない。
そんな傾いた考えさえ浮かんでしまう。
しかし、現実はそんな妄想すら許してはくれない。
まただ。
また、何かが俺に向かってすっ飛んでくるのだ。
黒いもの。
黒くて、先が僅かに尖っている。
ああ、あれは靴だな。
彼女が履いている、靴だな。
つまり、あれは彼女の爪先か。
あれで、俺の顔面をぶち抜こうという訳だな。
サッカーボールキック。
お前、本当に俺を殺さないつもりか。
さっきから、明らかに殺気を込めた攻撃が続いているじゃないか。
この、嘘吐きめ。
心の中で、毒づく。
毒づきながら、顔面の前で、両手をクロスさせる。
爪先を受け止めるのではない。
そんなことそしたら、良くて骨折、最悪両手が千切れ飛ぶ。
だから、その僅かに上。
ちょうど、足の甲と向う脛の継ぎ目。
そこが当たるように、両手でガード。
それでも、その衝撃は止められない。
身体が、宙に浮く。
白まった脳味噌。
シナプスが、断線している。
背中が、何かにぶつかった。
そして、顔面が何かに打ち付けられた。
熱を持って腫上がった頭部に、ひんやりとした廊下の温度が心地いい。
おそらく、俺はピンボールみたいに天井に蹴り上げられて、潰れた蛙みたいに、廊下に張り付いたのだ。
多分、俺の攻撃から、十秒もたっちゃあいない。
なのに、この有様か。
「どうしたの。はやくたたかわないと、みんなしんじゃうよ」
嗜虐に満ちた声。
しかし、その内容は真実だ。
俺が慎二を対面してから果たしてどれだけの時間が経過したのかは知らないが、そろそろ限界だろう。
特に、藤ねえ。
俺が刺した傷口からはどくどくと血が流れ、生命力はちゅうちゅうと吸われている。
あと、何分持ち堪えてくれるか。
それとも、あと何秒の世界なのか。
くそ。
どうしたらいい。
どうしたら、この化け物に勝てる?
いや、そもそも勝てるのか?
俺に?
そんなの、最初の一撃で、結論は出ているじゃあないか。
結論。
俺には、衛宮士郎には、この化け物を倒す力は、備わっていない。
ちくしょう。
歯を軋らせる。
悔しい。
こんな理不尽な暴力に抗えない自分が、悔しい。
この様で、恥ずかしげもなく『正義の味方を目指す』、などと言えたものだ。
厚顔無恥にも程が在る。
ならば。
正義の味方ならば、どうするのだ。
彼ならば。
『――いいか。おまえは戦う者ではなく、生み出す者にすぎん』
誰の、声だ。
『――忘れるな。イメージするものは常に最強の自分だ。外敵など要らぬ。おまえにとって戦う相手とは、自身のイメージに他ならない』
誰の、声だ。
『――現実では敵わない相手ならば、想像の中で勝て。自身が勝てないのなら、勝てるモノを幻想しろ』
誰の、声だ。
『――所詮。おまえに出来る事など、それぐらいしかないのだから』
そうだ。
知っていた。
俺は、知っていた。
俺に出来るのは、これだけだ。
極めて限られた、この技術。
これだけが、胸を張れる、唯一。
ならば、これで勝負しなくてどうするか。
いくぞ。
イメージは、守るもの。
皆の命を、守るもの。
なら、相応しいのはかの短剣。
二振りで一組。
作られたのは、古代中国、呉の国。
戦乱。
荒れ果てた大地。
生まれた意味を、考えることすら許されずに死んでいく人々。
王の命令。
優れた剣。
戦さを終わらせるため、己にしか出来ぬ、天命。
交じり合わぬ、神鉄。
それを溶かすための材料、自らの妻。
最愛の人が飛び込んだ、灼熱の炉。
最愛の人だったものを孕んだ、一握りの純鉄。
其の鉄を打つ、鍛冶師の心中、いかばかりか。
かーん、かーん、かーん。
飛び散る火の粉。
妻の、命。
流す涙は、紅色。
赤く滾る剣の赤子、それを握るのは、からの手。
じゅうじゅうと、肉を焦がす匂い。
それでも、妻の苦痛に届かない。
それが悔しくて、ただ、悔しくて、鉄を打つ。
己の身体の代わりに、鉄を打つ。
かーん、かーん、かーん。
己の命を捨てて、たった二振りの剣を完成させようとした妻の愚行。
『この身は鍛冶師の妻なれば、剣のために身を捧げるのは当然でございましょう』
その言葉を期待し、珠玉の神剣を打つ、その栄光に身を震わせた夫の鬼畜。
『よく言った。ならば、其の方を、最高の剣にしてやろう』
ありがとう、あなたのおかげだ。あなたのおかげで、けんはできる。
ゆるしておくれ、ごめんなさい。わたしから、はなれていかないで。
かーん、かーん、かーん。
乾いた音をたてて、鬼が、鉄を打つ。
血の涙を流し、鉄を打つ。
三日三晩、鉄を打つ。
糞小便を垂れ流しながら、鉄を打つ。
かーん、かーん、かーん。
生れ落ちた、二振りの短剣。
鍛冶師はそれに、自らと、妻の名前を与えた。
分かたれて、戻れない、自分達。
それが認められなくて、その名前をつけたのだ。
戦乱を終わらせるために。
みんなが、涙を流さない、世界を創るために。
夫婦剣。
干将・莫耶。
この二本は、決して、分かたれない。
奪うためではない、守るための剣。
だから、他のどんな輝かしい聖剣よりも、ただただ彼に相応しい――!
「があああああああああ!」
身体中を、苦痛が這い回る。
脳の奥が、苦痛で点滅を繰り返す。
これは、許されざる罪を犯した、その証拠だ。
あれは、奇跡。
始まりの夜に見た、彼の短剣。
あの技は、奇跡だ。
到底、俺などに辿り着ける代物ではない。
そんなこと、分かってる。
ああ、分かってるさ。
でも、意地を張るなら、今しかないだろう?
虚勢を張って、大言壮語を吐いて、己すらも偽るなら。
それは、今しか、ないだろう。
そうじゃあないか、なぁ、衛宮士郎――?