FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
この目は、彼女に貰ったもの。
最初に写したのは、貴女を嬲る、醜い蟲。
この耳は、彼女に貰ったもの。
最初に聞いたのは、劈くような貴女の悲鳴。
この口は、彼女に貰ったもの。
ならば、最初の誓いは、貴女のために。
この命は、彼女に貰ったもの。
だから、貴女をこう呼んでもいいですか。
お母さん。
episode34 戦士交代
こつこつと、乾いた音が、廊下に響く。
ゆっくりとした歩調。
ちょっとそこのコンビニまで。
そんな、歩き方。
「ライダー、貴様は先に屋上で待っていろ。そこで、奴らを迎え撃つ」
一切の静寂を破ることなく、彼女の禍々しい気配は消えた。
こいつは、何者だ。
あの化け物の手綱を、完璧に握っている。
そして、俺は完全にスクラップ。
霞む視界。
呼吸が、荒い。
一定のリズムを刻めない。
はぁはぁと、まるで変質者みたい。
「さて」
足音は、俺のすぐ傍で止まった。
うつ伏せの姿勢のまま、顔だけ起こす。
たったそれだけのために、残された全身の力を総動員しなければならない。
そこには、俺の顔を覗き込む、啼き顔の仮面。
醜く歪められた、人間の表情。
叫び。
その名前の名画に、少し近いかもしれない。
「君が、彼女の言っていた正義の味方か」
何の感情も篭もっていない声。
いや、そうではないか。
あるのは、興味。
好奇心。
「お……ま、え……」
震える声。
しかし、何故だろう。
何故か、安心する。
こいつの声を聞くと、心が休まる。
何故だ。
そのことが、そのことが。
一番、恐ろしい。
「しゃべるな。君は、今、死に掛けたのだ。無理をすれば、本当に死ぬぞ」
そっと、肩に手を置かれた。
ひどく、優しく。
愚かな弟を諌める、兄のように。
「……な、……にも、の……」
ふう、と、まるで諦めたかのような溜息。
「仕方ないか、それが君の呪いなのだから。全く、名前というものは、かくも方向性に沿っていくものなのか」
何だ。
こいつ、何を言ってやがる。
「まあいい。君はそこで休んでいたまえ。今日の君の仕事は終わったのだ、そうだろう?」
俺の仕事。
皆を、助ける、それが俺の仕事。
なら、俺は出来なかった。
何も、出来なかった。
「認めることが出来ないか。ならば、それはそれでいいだろう。ただ、君の勇姿は美しかった。賞賛に値する。そうだ、少し手を見せてくれないか?」
突拍子も無い要求。
しかし、何故だか従ってしまう。
そもそも、そんな力は残っていないはずなのに。
どうして。
「ふむ。私はこれでも予言者。手相くらいは見ることが出来る。君の相は中々いい。きっと、君は幸せになれる」
手相?
こいつ、間抜けか?
そんな俺の考えなどどこ吹く風、手相占いの歴史などを語り始めた。
「手相学が生まれたのは紀元前2000年、古代インドのアーリア人によってだと言われているな。そもそも、人は天体や天候、果ては生年月日や動物の骨、石ころの形にまで己の運命を見出そうとした。ならば、己に刻まれたその兆し、それに着目したのは当然の流れだろう」
戦場に響く、朗々たる講釈。
妙に弛緩した空気が流れる。
「そして、それらが中国やエジプト、ギリシャ等に伝わり、今の形になったわけだ。近年日本で行われる手相見というのは易学、つまり中国からの影響が強いと思われがちではあるが、明治以降の手相学はその実ヨーロッパからの影響が強い。生命線や運命線などという呼び名もその影響だし、中にはソロモンの環などという相も存在することからもそれは明白だ」
理解したかな、と、問いかけてくる髑髏。
俺は、とっさの反応を返すことが出来なかった。
「ああ、よかった、理解して頂けたようだ。やはり、如何に優れた相とはいえ、その由来を知るのと知らぬのではありがたみが違うだろうからな。さて、私が言うのだ、君は間違いなく幸せになれるし、もう他の誰に占って貰う必要も無い」
ぞくり。
「ならば」
今までの、喋り方、そのままで。
「その手は」
何の気負いもなく、こう、言った。
「もう必要あるまい?」
――ぢょぎん。
何で切られたのか、分からない。
感じたのは、寒気。
痛みなどは、もう感じることは出来ない。
それでも、叫び声が漏れる。
「ああああああああああああああ!」
どこにこんな体力が残っていたのか。
肺腑を搾り出して、叫び声を上げる。
手が、
俺の、手が、
ちぎれて、しまった――。
「古来より戦場で最も厄介なことは、傷病兵の処理だ。回復は事実上不可能に近く、看病には人手を取られる。かといって、それを無慈悲に見捨てれば、指揮官の求心力の低下は免れない。この二律背反の命題が多くの名将を苦しめてきたが、さて、遠坂の当主はどういった解答を導き出すのだろうな?」
手が、手が。
血が、溢れてくる――。
「我らは今、戦力的に君達よりも数が少ない。そうだな、魔術師あたりが君の回復のために戦線を離脱してくれると言うことはないのだが」
こいつ、この野郎――。
「安心しろ。きっと、彼女達は君を見捨てない。しかし、見捨てられたときは、そうだな、私が彼女に怒られるか」
ああ、意識が、遠くなる――。
「美しい彼女のことだ。怒りに満ちた顔も美しかろう。しかし、聊か残念なのは、私にはそれを見ることができないことだな」
――。
◇
夢。
また、夢。
今朝も見たんだ。
そして、今も見ている。
こども。
ふたりの、こども。
ひとりは、おれにそっくりだ。
あかいかみ。
さびいろのひとみ。
まるで、かがみをみているみたい。
もうひとりは、かおがみえない。
くろいかお。
すすけたみたいに、まっくろ。
でも、わらっている。
かわいいこえで、たえることなく。
ほんとうに、しあわせそうに。
ああ、なんとなく、わかった。
ふたりは、きょうだいなんだ。
きっと、ふたご。
だって、そっくりだ。
あのかおは、きっとそっくりだ。
ひとりのかおはわからないけど。
それでも、ふたりはそっくりだ。
でも、おかしいな。
なんで、おれにそんなことがわかるんだろう。
◇
右手が、むず痒くて、目を覚ました。
おかしい。
俺の、右手は、あいつに、ヨハネに――。
「気がついた、坊や?」
優しい、母親を思い起こさせる声。
首を、必死に横に向ける。
「……キャ……スター……」
「喋らないで。今のあなた、生きてるのが不思議なくらいぼろぼろなのよ」
そう、なのか。
きっと、そうなのだろう。
こんなに必死な彼女は、初めて見る。
「……おれは……い……いから……ふじねえ……を……」
「応急処置は済ませたわ。でも、勘違いしないで。今、一番危ないのは間違いなくあなたよ。何十箇所内臓が破裂して、何十本骨が折れてるか、聞きたい?多分、無事な方から数えたほうが早いわよ」
ああ、それは派手だ。
だいたい、骨ってそんなに折れるものなのかな。
「治ったら覚悟しておきなさい。あなた、私の忠告を何一つ聞かなかったでしょう。本当、桜がいなければ今にも縊り殺したいところだわ」
そうか、そういえば、何か忠告されてた気がするな。
なんか、遠い昔のことみたいだ。
「……う……ん、……ご……めん……なさい……」
「―――はあ、もういいわよ、全く」
溜息と、諦めの声。
それと同時に、もう一つ、声が、した。
「謝罪の言葉、私も頂いてよろしいでしょうか、シロウ」
凛々しい声。
でも、今の俺の耳には、ちょっとだけ優しさが足りない。
「……セ……イバー……」
「何故、こんなにボロボロになるまで私を呼ばなかったのですか。貴方ではサーヴァントに勝てない、それこそ時計の針が時を刻む回数ほどには繰り返し諭したはずだ」
相変わらず、厳しい彼女の声。
きっと、怒ってる。
悪いこと、したな。
「……うん……、ごめ……ん……な……さい……」
きっと、自惚れていたんだと思う。
怒りで我を失った、そんなの、詭弁だ。
きっと、俺は勝てると思ってたんだ。
力をつけたと、セイバーに褒められたから。
凛に、己が異端であると教えられたから。
自分の魔術をキャスターに必要とされたから。
天狗になって、舞い上がってたんだ。
だが、現実はどうだ。
せっかくキャスターに貰った剣は砕け。
神経の焼き切れるような苦痛を味わって生み出した模造品は否定され。
手も足も出ず、ズタ袋のように甚振られ。
結局、誰も守れなかった。
「いい様だな、衛宮士郎」
落ち着いて、どこか悲痛な声。
何故だろう、ひどく安心する。
「……アー……チャー……」
「凛と桜はご立腹だ。貴様、ひょっとしたら彼女達に殺されるぞ」
そうか。
彼女達には、何も言わずに家を飛び出してしまったんだった。
さぞ、心配をかけてしまっただろう。
「……う……ん、……ご……め……ん、アー……チャー」
「……私に謝るな。私は、貴様が死のうが消え失せようが、どうでもいいのだからな」
そうだ、どうでもいいんだろう。
だって、俺には何も出来なかった。
俺は、こいつみたいに、頑張れなかった。
「……なあ……、アー……チャー、お……れには……、できな……かったよ……」
はは、なんだ、この声は。
蚊が鳴くよりも、遥かに弱弱しくて。
誰かの哀れを誘うくらい、弱弱しくて。
俺は、そんなに、弱かったか。
弱い、人間だったか。
「なにも……なにも、できなかった……」
力を失った拳に、目一杯の力を込めて、床に叩きつける。
ほんの一センチ、ほんの一センチだけ持ち上がったそれは、僅かな音もたてずに、廊下に舞い降りた。
それを、眺めるように見た後で、彼は、言った。
「何を勘違いしているのだ。貴様は無力な人間に過ぎん。目の前の女も守れぬ、弱い人間だ」
何も、言えない。
同意も、抗議すらもできない。
口を開けば、あらゆる言霊が言い訳に堕する。
だから、歯を噛む。軋らせる。
もう一度、拳を打ち付ける。
今度は、二センチ、持ち上がって。
とす、と優しい音が、鳴った。
もちろん、血は出ないし、痛みも無い。
それが、何より悔しい。
「貴様は、よくやった」
いつの間にか背を向けていたアーチャーが、そんなことを言った。
「……ば……かにす……るの……か、アー……チャー……」
「貴様は死ななかった。それだけでも、貴様は英雄だ」
俺が死ななかっただと。
そんなことが、何の慰めになる。
俺は何も出来なかった。
みんな、苦しんでいた。
藤ねえは死にかけた。
慎二は、もうこの世にいない。
これで、俺が英雄だというのか。
「貴様が何を考えているのかは大体想像がつく。それでも、だ。貴様は生き残ったのだ。胸を張れ。貴様にはその資格がある」
「……へたな……なぐ……さめは……、やめて……くれ。よ……けいに、つ……らい……」
「ああ、なるほど、それは愉快だ」
笑いと共に、かつかつと、奴のブーツの音が遠ざかる。
無言のまま、こつこつと、彼女の軍靴の音が遠ざかる。
奴は、続ける。
「貴様が死ねば、悲しむものがいるだろう。ならば、貴様は生き残ったことでそれらの人間を救ったのだ。それとも、そこに横たわる女性は、命を捨ててまで貴様を守ろうとしたその女は、貴様にとってその程度の価値しかないのか」
セイバーは言った。
「アーチャーの言うとおりです。あなたはよくやった。後は任せて欲しい。……ここから先は、私の戦場です」
その言葉を聴いたとき。
堰を切ったように、涙が溢れだした。
それを隠すために、握りつぶすように、くっ付いた右手で顔を覆う。
でも、そんなことで涙は止まってくれない。
「――っひっ……ぐっ……ふぅう……」
熱い液体が、掌を濡らす。
羞恥は覚えない。
ひたすら、己の、無力さが情けない。
視界は涙で歪み、失われた。
触覚は体中を覆う熱と痛みで、失われた。
しかし、最後に残った聴覚が、彼の言葉を認識させる。
「その狂った脳髄で、覚えておけるならば覚えておくがいい、衛宮士郎。
苦しみとは、痛みとは。
吐き出すものでもなければ、忘れるものでもない。
ただただ、噛み締めるためにあるものと知れ。
それを忘れなければ、貴様はまだ強くなれる」
嗚咽は、やっとの思いで飲み込んだ。
きっと何より無様な声で、それでも彼らに呼びかける。
「――た゛……の゛む゛……」
彼らは歩みを止めなかった。
一言の返事もしなかった。
ただ、涙で滲んだその背中はこう言っていた。
まかせろ、と。
◇
セイバーは怒っていた。
これ以上無い、それくらい怒っていた。
マスター。
此度の聖杯戦争で彼女に割り当てられた、脆弱で、未熟で、お人よしのマスター。
魔術を知らず、戦いを知らず、まっすぐで、しかし誰よりも捻じ曲がった彼女の主。
最初は絶望した。
今回は、完全に自分の力のみで戦わねばならぬ、そう覚悟した。
次に、呆れた。
自分を普通の女性と同列に扱い、自分を助けるために確定的な死の前に飛び込む無謀さ。
そして、危惧した。
無謀ではなく、確かな価値観のもとに彼は従者の死よりも己の死を選んだ、そう確信したとき、その在り様に恐怖すら覚えた。
それでも。
それでも、彼は暖かかった。
認めよう。
私は彼に惹かれている。
愛情ではあるまい。
しかし、確かな好意を抱いている。
餌付けされたか。
そう思わないこともない。
だが、彼の料理は温かく、彼の纏う空気は限りなく優しかった。
だから、私は彼を憎からず思っている。
彼女は、そう考えていた。
そんな彼が、泣いていた。
僅かにしか嗚咽の声は漏れなかったが、それでも泣いていた。
己の無力さに絶望し、なおそれに抗い、だから、泣いていた。
ならば、彼を泣かしたのはどこのどいつだ。
千に引きちぎり、万に切り刻み、地獄の最下層にぶちまけてやる。
セイは、そう思っていた。
しかし、彼女はそれ以上に猛っていた。
冷静な彼女の理性、それを沸き立たせるほどの怒り。
だが、それを遥かに凌駕する高揚感が彼女を包んでいた。
なぜなら、彼女は任されたのだ。
主が、 脆弱で未熟でお人よしの主が、比喩ではなく死ぬ思いで作り上げた戦場を、彼女は任されたのだ。
彼は、言った。
弱弱しく、今にも途切れそうな声で。
嗚咽に震える、無様な声で。
たのむ、と。
彼女の主は、己も連れて行けと、言わなかった。
あの男が、だ。
己の死を価値観の天秤に乗せない、乗せることすら知らない、そんな男が、己を連れて行けと言わなかった。己が戦場にいる必要はないと、言外にそう言った。
それは、彼が彼女を信頼していたからだ。
己の剣の勝利を微塵も疑っていない。故に、己が戦場にいなくても問題は無い。自分は傷ついた身体を休めていよう、そう考えて、彼は戦場を彼女に委ねたのだ。
全幅の信頼と、揺ぎ無い覚悟。
剣にとって、それ以上の賛辞があるだろうか。
何かが、自分の中で逸っている。
それが、己の内で猛り狂っている。
何がだ。
獣が、だ。
己の中にいる、凶暴な獣だ。
それが、走り回っている。暴れ回っている。
私は知っているぞ。
この獣の名前を、知っている。
これの名前は、誇りだ。
魂、と言い換えてもいいかもしれない。
私の中にある、何よりも熱いもの。
騎士として、王として生きることを選んだ私の、無くてはならないパーツ。
それに、真っ赤な溶鋼が注ぎ込まれる。
その熱が嬉しくて、獣が狂喜しているのだ。
そして、その狂喜が私に伝染する。
熱い。
身を内側から焦がされているかのように、ひたすら熱い。
その熱さに、狂いそうになる。
いいぞ、狂ってしまえ。
そもそも英雄など、狂人の蔑称なのだ。
狂うくらいで調度いい。
狂った主くらいで調度いい。
ならば、私達は似合いの主従。
その主に任された戦場。
これは、私だけの戦いだ。
彼女の端正な顔に浮かんだ凄烈な微笑み。その内に秘められた喜悦。
それを知る弓兵が、微かに笑った。
◇
「アーチャー、あなたは手を出すな」
かつ、かつ、と。
彼らは一歩ずつ階段を昇る。
数人、倒れ伏した生徒が彼らの視界を掠めたが、彼らの意識を盗むことは叶わなかった。
「分かっている。私もそこまで無粋ではない」
彼らが本気を出せば、一息のうちに敵の待つ屋上まで辿り着くことが可能だ。
しかし、彼らは唯人のように、殊更ゆっくりと歩を進めた。
既に結界は解除されている。
おそらく、結界に回す魔力を、何か別の宝具に集中させるためだろう。
穢れた騎乗兵は、準備を万端に整えて迎撃の体制にある。
ならば、そこは死地。
しかし、彼らの表情には微塵の怯えもない。
「だが、露払いくらいは構うまい?おそらく、鬱陶しい蠅くらいはいるだろうからな」
彼らは階段を昇りきり、鋼鉄の扉の前で歩みを止めた。
「アーチャー、あなたに感謝を」
弓兵は相も変わらず皮肉げに片頬を歪ませる。
「なに、かまわんさ。君がライダーを許せないように、私も」
バン、と、鋼鉄の扉が吹き飛ぶ。
開けた視界。
青く、那由他に広がる空、その下。
そして、彼らにとってはあまりに脆いコンクリートの舞台、その上。
そこにあったのは二つの人影。
鮮血で紅を引いた、濁った静脈血色の髪をした女怪と。
啼き顔の仮面をつけた、長身の髑髏。
「あの仮面の男が、どうにも気に入らないのだ」