FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
びーん、と、薄いセロファンを震わせたような音が響く。
耳鳴り、だろうか。
しかし、どうもそうではないようだ。
何かが実際に震えている。
細かい、何かだ。
薄い、何かだ。
それが、震えている。
時折小さくなり、また、大きくなる。
私はその間隔に一つの法則性を見出した。
小さな、光。
ふわふわと、まるで蛍か何かのように輝く、光。
奴のごく短い詠唱、それによって現れた、光。
それが近づくと、大きくなる。
それが遠ざかると、小さくなる。
つまり、この音はあの光体が発しているわけか。
明らかな害意を持って襲い掛かる、忌まわしい何か。
それを避けながらも栓の無い思考をしている自分が、どこか滑稽だった。
体に意識を通していく。
本来であれば、戦闘中にするべき作業ではないだろう。
少なくとも、戦闘が開始される前には終わらせておくべき作業である。
そう、これは作業だ。
己の体が、どれほどの性能を発揮し得るか、それを確認するための作業。
自分の体を道具として再認識するための儀式と言い換えることも出来るだろう。
ゆっくりと、体に意識を通していく。
まずは、先日の戦闘におけるダメージの確認。
腹部。内臓。挫傷。
ライダーの後ろ蹴りで与えられたダメージ。
問題無い。
完治している。
脚部。刺傷。毒。
アサシンのダークによって与えられたダメージ。
やや、引き攣るか。
やはり、毒に蝕まれた傷は治りが遅いと見える。
魔力の量は?
満タンとは言えまい。
消滅の一歩手前まで酷使してしまったのだ。
一日やそこらの休息では、荷が勝ち過ぎる。
なるほど、万端には程遠い、それが作業の帰結であるか。
凛にはああ言ったものの、やはりもう一日の休息が欲しかったというのが本音だ。
そこまで考えて苦笑する。
女々しい。
そう、考えたからだ。
結局、戦いなど己の思い通りにはならぬものである。
その帰趨もそうなら、その始点もそう。
試合ではないのだ。
時と場所を指定され、始まりの号砲を鳴らす審判がいる。
そんな恵まれた状況の実戦がどこに存在するか。
自分の望んだ状況と時間で、万全のコンディションの状態で戦える。
そんな幸運は、少なくとも私には備わっていない。
ならば、与えられた状況と、足りぬ武器で、十全の結果を残すしかない。
なんだ、いつものことではないか。
生前も、死後も、私にはそんな戦いしか許されていなかった。
そして、不敗。
それが私の矜持だ。
だから、負けるわけにはいかない。
目の前に立つ髑髏。
この程度の相手に、仮にも英霊の端くれである私が負けるわけにはいかない。
なにせ、衛宮士郎は、あの怪物――堕ちた騎乗兵を相手に生き残った。
生を、勝ち取った。
ここで私が敗れれば、嘲笑の的となるのは必定。
それでも、所詮は道化染みた人生である。
笑われることなど、慣れたものだ。
しかし、奴にだけは笑われる訳にはいかない。
何故かは分からない。
何故かは分からないが、その想いだけが、かえしのついた釣り針を飲み込んだみたいに、私の心奥に鎮座していた。
episode40 まぶしいほど青い空の真下で
硝煙と硫黄の香りが、濃厚に匂い立つような戦場であった。
ちりちりと、項を焼くような、空気。
きーん、と遠くで耳鳴りのような高い音が響く。
きっと口を開ければ、舌に唐獅子の刺激を味わうことが出来るだろう。
そんな、戦場。
コンクリートは抉れ、金属製のフェンスは既に見る影も無い。
濛々と立ち込める、砂煙、のようなもの。
それは微細に還されたコンクリートの破片か、霧散した二人の魔力の断末魔か。
ところどころに突き立つ短剣。
黒と白のそれらは危険を示す標識か何かに見える。
場違いである。
少なくとも、この場所、この時が、その舞台として相応しいとは思えない。
真昼間、校舎の屋上、青空の下、そこで人外の殺し合いが行われるなど、唯の喜劇だ。
夜、ならば相応しかったのだろうか。
夜は死んだ月の光が支配する、死者どもの世界だ。
死者が唄い、死者が踊ろうと、それを咎める閻羅王は眠りについている。
だが、今、空を支配しているのは地球から最も近くに輝く恒星であり、その下を歩く資格があるのは生者だけである。
ならば、この二人は生者なのか。
いや、そうではあるまい。
一人は、過去に死に、未来に死に、そして現在に仮初の生を受けた者。
一人は、厳密な意味でいえば、神よりその生を祝福すらされていない者。
赤い外套を纏った、鷹の目をした男。
燃え盛る炎のような髪の色は燃え尽きて灰色となり、肌は人の闇に染められ、瞳は己の無力を映し出す鏡と成り果てた、男。
その手には、黒と白の双剣。常の彼の武装ではあるが、その背にささくれ立ったような棘が突起が無数に生えかけているのは、隠し切れない彼の苛立ちを表したものだろうか。
襤褸のような外套を纏った、泣き顔の仮面。
本来持ちえた運命を、叩き壊され、捻じ曲げられ、しかし、己が自身に与えられた義務を淡々と実行する、男。
彼が唱えるのは、己と同じ名を持つ、古代の書物の一節。本来、呪文などではありえないそれは、他のどんな文節よりも彼に深い自己陶酔を与える。
そんな、二人。
そんな、たった二人の化け物が戦った傷跡。
一片の火薬も使用されていない。
しかし、その光景を見れば、誰しもが火薬の匂いに眉を顰めるであろう。
幻臭。
本来あり得ない感覚を、脳が作り出す。
それすら、止むを得まい。
それほどの、破壊。
それほどの、戦い。
二人が生み出したのは、比喩などではなく、唯、戦場であった。
「Et pax ab eo, qui est, et qui erat, et qui venturus est, et a septem spiritibus,Et pax ab eo, qui est, et qui erat, et qui venturus est, et a septem spiritibus」
初めは、唯の光体だった。
実在感も薄く、その動きも単調そのもの。
しかし、髑髏の詠唱が長くなるにつれ、光体は何かを形作っていく。
もやもやとした輪郭が少しずつ収斂され、その動きは何かの意思を持ったかのように。
何かが、見える。
弓兵の際立った視覚は、光体の中に、はっきりとしない何かが在ることを映し出していた。
昼間でも、なお光り輝く不吉な何か。その中に、何かが、見えるのだ。
顔だ。
人の、顔。
それも、女。
女の顔。
髪が、長い。
にこやかに、笑っている。
苦悶の叫びを、あげている。
しかし、それは人ではありえない。
吊り上った口の端、そこから覗く牙は、まるで獅子のよう。
目は、まるで彫刻刀で掘り込んだ切れ込みのようで、とろりと鈍重な印象を与える。
能の面、万媚と呼ばれるそれに般若の面を足して更にどろどろした感情を加えれば、あれに近しいものに成るのかもしれない。
弓兵は理解した。
つまり、あの光は、繭なのだ。
脆弱で、ひ弱な蛹を保護するための、美しい繭。
それが、あの光だ。
ならば、いすれあの繭は取り払われる。
いずれ、中からあの女の顔を持った何かが生まれるのだろう。
それは、きっと呪わしい何かだ。
遊んでいるのか。
あの髑髏は、英霊である自分を甚振って遊んでいるのか。
そう自問した弓兵は、心中で頭を振った。
そうではあるまい。
奴から伝わる気配は、正に必死。
一片の手加減すらしていないだろう。
事実、あれらはまだ私に敵し得ない。
つまり、これが奴の全力だ。
少なくとも、今の段階においては。
弓兵が己の思考に埋没している間にも、乱舞する光体は彼を襲い続ける。
明らかな害意に満ちたそれは、まるで生命を持ったかのように彼を襲う。
右から、左から。
前から、後ろから。
上から、下から。
可変性に飛んだその動きは敵を翻弄し、遠からず食い殺す。
通常ならば、だ。
しかし、弓兵は英雄。
虚実入り混じった光体の動きから致命的なものを見抜き、それをかわす。
かわし、いなし、受け止め、そして叩き切る。
背後からの攻撃も同じく。
そもそも、背後から狙われただけでその対応に苦慮するというのであれば、彼はここにいない。
弓兵は、生前に戦場を生きた。
比喩ではなく、戦場を生き抜いた。
銃弾飛び交い、背後の味方が十分後には敵に裏返っている煉獄を生き抜いた。
そして、英霊などというわけの分からぬものに成り果てた。
ならば、そこに死角は無い。
鷹の目に、死角など無い。
たかが十やそこらの敵など、脅威と数えるにも値しない。
陰陽の双剣。生前も、そして死後も彼の従者であり続けるその双剣を縦横に振るい、気色悪い女の顔をした光体を切り裂き続ける。
響く断末魔。
甲高いそれは、やはり女の悲鳴に似ている。
弓兵は、嫌というほど聞きなれたその悲鳴を、まるで久しく聞いたもののように眉を顰めながら、只管にその両手を振るい続けた。
只管にその両手を振るいながら、追う。
逃げ続ける髑髏を、追う。追い続ける。
髑髏は逃げる。
己の不死を忘れたかのように、逃げる。逃げ続ける。
屋上はそれ程広くない。
直線に逃げていては、あっという間に追い詰められる。
故に、髑髏の描く軌道は円。
そして、それを追う弓兵の軌道も円。
唯、単純に追いかける。
蒼い髑髏の動きは、決して速くない。むしろ、鈍重といっていい。
足で勝る弓兵がそれに追いつけないのは、偏に髑髏が生み出し続ける奇怪な光体のおかげだ。
ふわふわと、弓兵の周囲を漂う。
そして、思い出したかのように攻撃してくる。これではその足も時折は止まらざるを得ない。
しかし、弓兵も、ただ追うだけではない。
その手に持った短刀を、投擲する。
あの暗殺者には及びもつかないが、それでも恐るべき速さと正確さで、敵を襲う。
軌道は弧。
上空へと舞い上がり、急激な弧を描いて、敵を急襲する。
その様は、まるで天空より得物を襲う猛禽のよう。
予言者はそれをかわす。
時折軽い手傷を負うが、その程度は彼にとって何の痛痒も感じるものではない。
短刀は地に突き立ち、獲物を仕留めるには至らない。
逃げる髑髏と、追う男。
その光景は、凄惨な戦場に似合わず、どこか馬鹿馬鹿しかった。
「……君は弓兵だと聞いていたのだが、私の記憶違いだろうか」
のんびりとした予言者の声。
しかし、その声には隠し切れない驚愕と、それを上回る苛立ちの響きがある。
それも当然だろう。
髑髏は、魔術を使う。
弓兵は弓を使う。
ならば、生まれるのは飛び道具を主体とした遠距離戦。
少なくとも、髑髏はそう予想をたてていたのだ。
確かに、最初はその通りだった。
弓兵は、黒塗りの弓をもって髑髏を貫き、彼の生み出した光体を貫く。
そして髑髏は薄ら笑いを浮かべ、光体を生み出し続ける。
決め手に欠ける。
髑髏の魔術は弓兵を傷つけるに至らず。
弓兵の射撃は予言者を絶命させることは出来ない。
千日手とも思える戦局。
それを望んだのは、髑髏だった。
彼は、少なくともこの戦で弓兵を仕留めるつもりは無い。
邪魔さえされなければいい。
後でいいのだ。
完成さえされれば、後はこちらの思うがまま。
それまでは雌伏の時だろう。
そう、考えていた。
しかし、いつしか弓兵は自身に満ちた顔つきで、自らの呼称のもととなった武具を消した。
その代わりに彼が手にしたのは、明らかに接近戦にしか役立たない二振りの短剣。
黒と白。
陰と陽。
夫と婦。
鏡に映したかのように形状の同一な、双剣。
それを、握り締めていた。
それをもって、光体を切り払い始めた。
その意図するところは唯一つだろう。
弓兵は、接近戦をこそ望んでいる。
ならば、そこには何らかの意図が有る筈だ。
髑髏はそう考えて、僅かに身構えた。
「……くく、召喚されて、まさか二度もこの台詞を吐くことになるとは思わなかったな。
いいか、世間知らずの預言者よ。『英雄とは剣術、魔術に長けた者を指す。アーチャーだからといって弓しか使えないと思うのは勝手だが』、それを普遍のものと思わないことだな。まあ、君がそう思い込んでくれる分には、私は一向に構わないのだがね」
仮面の下の表情は、やはり動かない。
疑問を嘲笑によって報われた預言者は、しかし一片の不機嫌もその言の葉に乗せなかった。煮え滾る内心が如何であったとしても、だ。
「……なるほど、生粋の英霊は言うことが違う。私のような無芸非才の身には、正に羨望の対象だよ、君は」
謡うような響き。
その声に、弓兵は、僅かに、ほんの僅かに己の耳を疑った。
目の前に立つ、蒼い怪人。
今の今まで、嘲弄に塗れた言葉しか吐き出さなかったそれの口から、初めて真実の一端を感じることが出来たからだ。
「貴様――」
「さあ、始めようか。如何にも前振りが長すぎたのだ。喜劇は始まりと終わりが肝要というが、中弛みのするものもまた名作とは言えまい。終わりが既に定まっているとしても、だ。
septem stellarum, quas vidisti in dextera mea, et septem candelabra aurea
Septem stellae, angeli sunt septem Ecclesiarum, et candelabra septem, septem Ecclesiae sunt 」
その呪文を合図にして、再び現れた光体。
その中には、やはり女の顔。
先ほどよりも、さらに輪郭がはっきりとしている。
けたけたと嗤っている。
きちきちと、歯を鳴らしている。
早く出しておくれ。
ここから、出しておくれ、と。
彼女達は、懇願の表情のままが弓兵を襲う。まるで、死に魂か何かのように。
瞬間、先ほど弓兵の頭を過ぎった塵のように役に立たない思考は、闘争という濃密な思考に押し出されるようにして、その役目を終えた。
「そうだな、終わりなら、既に定まっている。もう、完成しているのだから」
「何?」
怪訝な、髑髏の声。
その声と重なるように、もう一つの声が響く。
淡々と、軽い響きで。
「壊れた幻想」
◇
地が轟いた。
地震。
少なくとも、蒼い髑髏はそう感じた。
だが、彼の仇敵はそう感じなかったのだろうか。
悠然と、彼目掛けて飛び込んでくる。
それは今までとは比べ物にならない速度。
まるで、隼。
脅威を感じたのは、髑髏。
飛び退いてかわそうとする、髑髏。
光体に迎撃を命じようとする、髑髏。
しかし、そのいずれもが叶わなかった。
なぜなら、彼の足元には頼るべき地面が無かったからだ。
故に、飛び退けない。
故に、迎撃を命じる余裕が無い。
一瞬。
固体のように凝縮された時間の中、弓兵の作り出した一瞬の空白。
それは、髑髏にとって、如何にも致命的であった。
当然、弓兵はそれを見逃さない。
見逃すはずが無い。
彼の手には、常の双剣は無かった。
代わりに取り出したのは、槍、のようなもの。
奇妙な武器であった。
いや、そもそも武器と呼べるのものなのかどうかが怪しい。
それを、何と表現すればよいだろうか。
長柄の先に、大きく湾曲した刀身が付いている。しかし、あまりに極端な反りによって刃先は大きく内側に隠れ、刺突という機能は完全に失われているといっていい。
そして、何より奇妙だったのは、その刃が湾曲した内側にしか付いていない点だろう。刃が外側に付いているならば相手を撫で切る際に有効であるのだが、この武器ではそういった使用方法は期待できまい。
鎌。
槍の穂先、その代わり農夫の使う鎌を取り付けた。
外見からは、そのようにしか判断できない、そんな武器だった。
或いは、ある種の拷問道具の中にこういった形状のものがあったかもしれない。
扱い辛い。
武器の扱いに慣れた者ならば、おそらく誰もがそう思うだろう。
長柄の得物の最大の利点はそのリーチだが、逆に言えばその懐の深さは弱点にも成り得る。長柄の武器は、一般的にその先端部にしか殺傷力が備わっていないため、一度間合いを侵されると圧倒的な不利に陥るからだ。
鋼鉄の柄による薙ぎ払いこそが長柄の真価、そういう意見もあるだろうが、薙ぎ払いはその予備動作の大きさと打ち終わりの隙の大きさから、間合いさえ掴めてしまえばそれ程脅威のある攻撃方法ではない。少なくとも、攻撃方法がそれしかないと分かっていれば防御するのも回避するのも容易である。
故に、刺突という機能が必要になってくるのだ。最小限の動きで点を破壊するというその機能は、他のどんな攻撃方法よりも機能的で致命的だ。その上、打ち終わりの隙も少なく、他の攻撃への連携も繋げやすい。これは間合いを侵そうとする敵にとって、この上なく厄介な攻撃方法である。また、単純に攻撃方法の選択肢を多くするという意味で相手にかかるプレッシャーもあるだろう。
だが、この武器は。
刺突という機能は、先も言ったとおり失われている。斬るという意味でも、その機能性はお世辞にも高いとは言えない。強いて言うならば、その湾曲した先端部で、引っかくように相手を搔き切る、それくらいだろうか。それとも、棍棒か鉄パイプのように殴りつける。それくらいの用途しかないように思われる。
なんにしても、扱い辛い。
それは、異形の武器であった。
それを携えて、弓兵は予言者の懐に飛び込む。
髑髏は、それに対応することが出来ない。
弓兵は、その武器を横薙ぎに振るう。
髑髏は、それをかわすことさえ出来ない。
弓兵の放った一閃は、予言者の喉笛を掻き切る。
髑髏の、半ば断ち切られた首から、間欠泉のような血液が舞い散る。
その武器の名は、ハルペー。
かの女怪、メデューサの首を断ち切った、首狩の鎌剣。
不死者、かの武具をもってつけられた傷、治癒させること、能わじ。