FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
次の瞬間、とんでもない魔力の奔流が、その場にいた全員の意識を強奪した。
それは、もちろん私も、アーチャーも、キャスターも。
アーチャーと同じ顔をした、正体不明のサーヴァントであるプレディクタも。
天から射殺す、漆黒の極光。
地より迎え撃つ、純白の聖光。
そのいずれもが、明らかな規格外。
しかし、それでも、その優劣は明らかだ。
「ちっ、不味いな」
声。
焼け付いた喉で、辛うじて声帯を震わせた、そんな人外の、声。
アーチャーと同じ顔をした、呪われた男の、声。
そして、二つの光が衝突し。
白が、黒を塗り潰す。
そう見えた瞬間に、枯れた薄が風で擦れあったような、そんな薄ら寒い声が聞こえた。
「消えて戻れ、ライダー!」
そんな、声。
同時に、巨大な魔力の発動。
これは、覚えがある。
覚えがあるだけでなく、何度か私も使った。
これは。
「令呪の発動……」
視線を、音源に。
給水塔の、すぐ下。
始まりの夜、青い槍兵が立っていた、その場所。
そこに、太陽の下にはこの上なく似つかわしく無い、妖怪がいた。
落ち窪んだ眼孔は、陽光すらも飲み込み。
萎びた鉛色の皮膚は、屍食鬼の腐りかけたそれよりも不吉で。
禿頭が表すのは賢者の知性ではなく、歴史による魂の磨耗。
「カカッ、これはこれは、遠坂のもの、一族郎党皆集いて、なにごとかのう?」
「……マキリ、臓硯」
奴が、いた。
episode44 事後処理的な話。
ふうわりと、まるで体重の無い者のように、奴は屋上に舞い降りる。
その様は、幽。
しかし、着地した際、奴の脚部から、ぐちゃり、と何かの潰れる音がした。
何が潰れたか、想像もしたくなかった。
「ふむ、しかし、桜がおらんか。いずこにいったかな?これでも、一時とはいえあれの親となった身、挨拶くらいはしておこうと思ったのじゃが」
……一瞬、怒りで思考が漂白された。
それが奴の狙いだということは百も承知だが、それを全く避けることはできなかった。奴の薄ら笑いを浮かべる口元を、耳から耳まで引き裂いてやりたかった。
「どの、くちで、そんなことがほざけるの、マキリ臓硯」
貴様のおかげで、あの子がどれほど苦しんでいるか。
貴様の所業が、あの子の人生をどれほど狂わしたか。
「おや、それは恨み言か?ふん、間違うなよ、遠坂の。別に、我らはアレを拐かしたわけでも、強奪したわけでもない。そちらが手放したのだ。そちらが、自由にせよと、そう言ってきたのだ。ならば、それを如何に扱おうが、少なくとも貴様らに非難する資格は無かろうて」
……何も、言えない。
非の打ち所の無い、正論。
確かに、桜を養子に出したのは父であり、その契約に、例えば『桜を人として扱うこと』などといった条項は設けられなかったのだろう。いや、例え設けられたとしても、その結果が変わったとは思えないが。
「むしろ、感謝して欲しいくらいじゃな。たとい一年という短期であったとはいえ、我らはアレに最高の魔術的な訓練を施した。その作品を、一切の対価を要求せずに返したのだ、それに恨み辛みをぶつけては、些か忘恩との謗りを受けることも止むを得まいよ」
……訓練?
訓練といったか?
貴様、アレを、訓練と、いうのか?
髪の毛の色、瞳の色、そういった遺伝的要素をすら塗り替える程の、肉体改造。
本来ならば、一生変化することの無い魔術属性、しかも、彼女に与えられた、虚数という奇跡。その宝石が、後天的に『水』というマキリの属性に擦り変えられようとしていた。
それが、どれほどの苦痛を齎したか。どれほどの屈辱を齎したか。それらを洗い流すために、彼女がどれほどの努力と苦痛を必要としたか。
それよりなにより、桜の瞳だ。
あの日。
桜が、遠坂に返された、あの日。
付き添いも無く。
着の身着のままで遠坂の玄関に立ち尽くしていた、桜の、瞳。
濁っていたのではない。
もちろん、澄み切っていたはずがない。
あれは、穴だった。
何も映さず、全ての光を飲み込む、穴だった。
そして、体は、真実、穴だらけだった。
もちろん、外傷があったわけではない。しかし、魔術的に見れば、体のあちこちに不自然で歪な穴が開いていた。それこそ、後一歩で桜の命を奪いかねないほどに。
今なら分かる。
あれは、蟲の巣穴だ。
おそらく、蟲を体内に強制的に植え付け、桜自体が不要となった際に、それらを一気に引き抜いたのだ。被寄生者の肉体的な苦痛は全く無視して。
マキリの魔術の一端を悟られないためならば当然の措置だろう。しかし、だからといって、それが納得できる所業になるわけではない。少なくとも、その穴を埋めるための処置を施すことは可能だったはずだ。
だが、それは為されなかった。
桜自身の魔術的な才、例えば強靭な魔術回路や豊富な魔力、そういったものが無ければ、もしくは蟲がもう少し深く根付いていたなら、彼女は間違いなくあの世に旅立っていた。
桜はそういう状態で遠坂に返されたのだ。高度な心霊医術の素養を持った言峰綺礼の治療が無ければ、桜は今も肉体的な苦痛に苛まれていたことだろう。
そして。
あの子が、何を言ったと思う。
驚き、しかし喜び勇んで玄関を開けた私に、なんていったと思う。
ごめんなさい、と。
できるだけ、いたくしないでください、と。
震えもしない、一切の抑揚を失った声で、そう言ったのだ。
姉である私に。
一年前までは、共に笑いあい、励ましあい、たまに喧嘩した、その私に。
『ごめんなさい』と言ったのだ。
『できるだけ、いたくしないでください』と言ったのだ。
その時、私は誓った。
この子を、絶対に幸せにする、と。
そして、この子の幸せを奪った外道どもに、裁きの鉄槌を下す、と。
マキリ臓硯、知っているか。
彼女は、桜は、今でも生の食材をほとんど食べることが出来ないのだ。
生魚や生肉など、致命傷だ。
サラダに入っていたサーモンの刺身の切れ端ですら、彼女は嘔吐する。
今ですら、そうなのだ。
貴様らの罪が、地獄の業火にどれほど相応しいか、わかるか、マキリ臓硯。
私は、教えてやるぞ。
ガンドで、少しずつ、その身を削り取って。
楽になど、死なせてやるものか。
小さきものに、少しずつ、その身を齧られていく痛みを。
貴様の、腐りきった脳髄に、叩き込んでやる。
だから、あの晩。
貴様を初めて目にしたとき、私がどれほどの歓喜に包まれたか、分かるか、マキリ臓硯。
この頬に、なぜあれほど深い笑みが刻まれたか、分かるか、マキリ臓硯。
魔術師としての貴様は、尊敬に値するかもしれない。あれほどの幻想種、主よりも強力な使い魔を手懐ける術式。それは、私ですら想像も出来ない。
しかし、人としての貴様は、こうして視界に収めるのも、許し難い。
「……そうですね、今代の遠坂の当主として、マキリの当主たる貴方に礼を言わねばなりませんね。どうも、ありがとうございます」
私は、自分の平坦な声を、興味の薄いラジオ放送みたいにぼんやりと聴きながら、ゆっくりと奴に右手の人差し指を向けた。
桜がいなくてよかったと、心からそう思った。
「カカカ、よいよい、人として当然のことをしたまでよ。愛し合う姉妹、離れ離れにするには、この爺、流石に心が痛んだわ!」
ぷちり、と。
それほど弾力的とはいえない、私の理性、その何か大切なパーツが、千切れ飛んだ。
「ああああああああああっ!」
一番驚いたのは、多分私だった。
この、優雅でもない、華麗でもない、いや、そもそも人の声とは思えない叫び声が、自分の喉から迸っていることに、私は何よりも驚いた。
狂っていた。
狂いながら、ガンドを連射していた。
まるで、マシンガン、いや、ガトリングガンよりも、猛っていた。
それを、後頭部から見下ろすように眺める冷静な自分が、苦笑の瞳で見守っていた。
「貴様が、貴様がいうなああああっ!」
ガンドが、乱れ飛ぶ。
黒い、ソフトボールよりも少し大きいくらいの球体。
それが、マキリ臓硯の喉笛を狙って、悶え狂う。
しかし、届かない。
奴が、まるで結界のように張り巡らしたのは、蟲の群。
翅刃蟲。
それが、ガンドとぶつかり合って、相殺していく。
汚らしい液体が、飛び散る。
砕けた外骨格が、宙を舞う。
それが、楽しかった。
もっと砕けろと、思った。
魔術回路が、黒々とうねっていた。
回転数が、天井知らずに上がる気がした。
魔法にだって届くんじゃあないか、そんな馬鹿な妄想が、現実味を帯びて圧し掛かってきた。
それが、酷く快楽だった。
「ぬうッ」
奴の右手が、千切れ飛んだ。
奴の左肩が、大きく陥没した。
当たり前だ、貴様が使役する蟲如きで、私の怒りが止められるものか。
死ね、マキリ臓硯。
死ね。
死ね。
死――
「落ち着け、凛!」
頬を叩かれて、正気に戻った。
叩いてくれたのは、赤い外套を羽織った騎士だった。
「アー…チャー?」
「落ち着いて奴を見ろ、凛」
そこには、四肢の大半を失い、しかしぐずぐずと蠢く、醜い肉塊が、いた。
「……蟲?」
「ああ、あれは蟲の集合体だ。単純な打撃や呪い程度では、あれを滅しつくすことは叶うまい。そもそも、この場に本体がいるかどうか怪しいものだ」
突然、疲労が襲ってきた。
ぐらり、と視界が歪んだ。
いくらなんでも、無茶をした。ガンドそれ自体の消費量は大したことはないが、それにしても連射しすぎた。貧血に近い。
「カカカ、もうお仕舞か?今代の遠坂の当主、体力に難あり、かの。これでは、前回で儂が殺した時臣のほうが、幾分か優れた魔術師じゃったかのう」
奴は、痙攣するように笑った。
「……くだらない嘘。臓硯。貴方はお父様を殺してなんか、いないんでしょう?」
「……ほう、何故、分かる?」
思わず、苦笑が漏れた。
この怪物、長生きし過ぎて脳の回路が焼き切れてしまったのだろうか。
「単純な話よ。貴方、お父様より弱いもの。貴方程度にお父様が殺されるはずはないし、貴方程度に殺されるなら、それは私のお父様じゃあ無かったってことね」
私がそう言い切ると、五体不満足の臓硯は、まるで火がついたかの様に笑った。狂笑、その単語が、この上なく似合っていた。
「カカカカカ、言いよる言いよる、中々の胆力、ということは、桜のことがよほど腹に据え兼ねておったか、哀れ、哀れよな、その程度のことに囚われるとは、宝石翁も後継者に恵まれぬわ!」
意識が赤く染まりかけた瞬間、肩に大きな手が置かれた。
――冷静になれ。
言葉を伴わずにそう語りかけてくる忠実な従者が、この上なく頼もしかった。
「臓硯、貴方――」
私が語りかけようとした瞬間。
まさにその瞬間、得体の知れない不快な匂いが、私の鼻腔を刺激した。
原因は、すぐに分かった。
マキリ臓硯、その傍らに控えるヨハネ。
彼の腕の中に、黒焦げの芋虫、みたいなモノが、いた。
「カカ、ライダーよ、ずいぶん手酷くやられたものよなあ」
「けひ、けひ、けひ」
あれが、ライダー、か?
あの夜見た神々しさなど、一欠けらも見当たらない。
片腕は根元からばっさりと断たれている。
足は、片方を膝下から失っている。
この二つは恐らく刃傷。セイバーの剣によって負った傷だろう。
そして、全身を覆う、重度の火傷。
四肢の末端は、完全に炭化している。あの美しかった髪の毛のほとんどが焦げて抜け落ちてしまっているのは、おそらく同じ女性として思わず目を背けたくなった。
それでも、それは、生きていた。
そのことが、ちっとも救いであるとは、思えなかった。
「ああ、これは酷い。痛かったじゃろうなあ、ライダー」
「けひ、けひ、けひ」
呼吸も、既に満足ではないのか。
恐らく、肺をはじめとした呼吸器にまで火傷が及んでいるのだろう。サーヴァントは酸素を必要とするわけではないが、しかしその様は痛々しいを通り越して憐憫を覚える。
臓硯は、辛うじて残った自身の左手に、先の尖った鋭利な杖を持ち、ライダーの傷口をその先端で抉った。
ライダーは、脊髄反射のように、びくり、と跳ねたが、苦痛の声はあげなかった。あげることすら、出来ないのかもしれない。
「なら、恨まんといかんなあ。お前にここまで手酷い手傷を与えた連中を。そして、お前の子孫の悉くを殺し尽くして、それを功績と誇る、あの似非英雄を」
「けひ、けひ、けひ」
それは、まるで呪文のように。
それ以上に、呪いのように。
「恨めよ、ライダー。恨めば恨むほど、強くなれる。お前にはまだまだ働いてもらわないと困るのでなあ」
「けひ、けひ、けひ」
薄ら笑いを浮かべながら、そう吹き込む、臓硯。
呪われた台詞を、さも嬉しそうに。
そして、その隣で、耳まで裂けた様な、深い笑みを浮かべるヨハネ。
胸糞が、悪い。
笑うな。
お前は、笑うな。
私の肩に手を置いてくれた、この信頼に値する戦友と同じ顔で、笑うんじゃあない。
その顔で、その嫌らしい笑みを、浮かべるな。
「どうでもいいが、貴様らがここから生きて帰れると思っているのか?」
アーチャーの呟きは、マスターである私の鼓膜にすら針のような鋭さを持って響いた。
彼の手には、あの夜、狂戦士が携えていた破壊の斧剣。
どういった経緯で今、それが彼の手にあるのかは定かではないが、相応の理由があるのだと思う。
そして、錫杖を構えたキャスター。常は冷静に微笑を湛えた彼女の表情にも、心なしか険しい何かが存在している。彼女と桜の間にどれほどの絆が構築されているのかは定かではないが、今の彼女がこの上なく不機嫌なのは、何となくわかった。
「ああ、さっきまでだったら中々に難しかったがね」
ヨハネが、そう言った。
突然、めきめきと音をたてて、奴の胸が大きく膨らんだ。
直径は50センチ位か。
まるで、破裂する寸前の風船、みたいに。
「今なら、問題無い。そうだろう、遠坂の」
視線が、私に。
拙い。
狙いは、私か。
「ごばあっ!」
吐き出されたのは、黒い霧。
それが、私の方に、飛んで来る。
あれは、虫。
甲虫。
黒光りしている。
本で見たことがある。
スカラベだ。
しかし、それは古代エジプトにおいて太陽神と同一視された聖甲虫ではない。
それと同じ姿をしながら、呪われたもの。
屍肉を喰らうスカベンジャーであり、生肉を喰らうプレデター。
それの、群だ。
しまった。
迎撃体制に無い。
「凛!」
アーチャー。
私の前に。
駄目。
あなたでも、全ては打ち落とせない。
きっと、サーヴァントには、ただの羽虫。
でも、きっと、人間には、致命的。
私は、ここで。
「――Μαρδοξ!」
喰われる。
そう思った瞬間、私と虫の群の間に、何かが生まれた。
濃密な魔力によって編まれた、何か。
べしゃべしゃ、と、汚らしい音をあげて、その透明な何かに、虫がへばりついていく。
これは、キャスターの魔術。
盾の概念。
「助かったわ、キャスター」
「ええ、でも」
言いたいことは、分かっている。
逃したか。
この隙を見逃すほど、敵は愚かではないだろう。
豪雨のように叩きつけられる虫の群。
そして、同じ数のそれが、『盾』と衝突して拉げていく。
不潔な粘液が飛び散る。
そして、それが終わったとき。
屋上には、私達以外、誰もいなかった。
「逃したか……」
忌々げなアーチャーの声。
そして。
声が、聞こえた。
カカカ、という、怪老の笑い声と共に。
意外なほど若々しい、しかし、聞くものの不快感を掻きたてざるを得ない、そんな声。
「今日は、ありがとう」
風に揺れるそれは、どこで発生したものなのかがわからない。
既に戦機は逸している。
追い詰めることは、叶うまい。
「君たちのおかげで、ライダーは完成するよ。礼を言っておく。ああ、それと」
声が、狂悦に、歪む。
「くふ、決着は、また後日だな、世界の奴隷よ」
その言葉に、アーチャーの表情が一変した。
まるで、凪。
なにも、浮かんでいない、空白の感情。
私には、それが怒り狂った彼の表情であることが、何となく分かった。
「くふふ、今度は一対一を希望するよ、正義の味方の残骸」
その言葉が、最後。
本当の静寂。
しかし、彼の表情は変わらない。
「アーチャー……」
「凛」
彼はその表情のまま、呟いた。
「何も聞かないで欲しい。だが、約束する。アレは私が、殺す。必ずだ。必ず殺す」
彼の呟き。
今まで私の聞いた中で、一番恐ろしい台詞。
しかし、その声を無視したかのように、キャスターが呟いた。
「……ねえ、この中で、あの老人の存在に気付けた人、いる?」
僅かな戦慄を含んだ、その呟き。
「私は、気付けなかった。あの瞬間、彼が令呪を発動するまで、わたしはアレの存在に気付けなかったわ」
確かに、そうだ。私も、そしておそらくはアーチャーも、マキリ臓硯の存在に気付いていなかった。
何故。
「それに、あの男、おそらくは吸血鬼か屍食鬼の類でしょう?なんで日光の下を堂々と歩けるの?」
私は、神代の大魔術師の質問に、満足のいく回答を用意することが出来なかった。
その時、びょう、と。
生暖かい、不吉な風が、吹いた。
◇
「だいたいこんなもんね、士郎が気絶した後の顛末は」
凛は静かに口を閉ざした。
外はまだ薄暗く、朝といっても時間はまだ早い。今家を出れば、部活の早朝練習に参加する生徒とも顔を合わせることなく校舎にたどり着くことが出来るだろう。
しかし、それは今日に限っていうならば、いくら時間が遅くても同じこと。少なくとも、今日登校する穂群原学園の生徒はいないはずだからだ。
穂群原学園を襲った集団昏睡事件。昨日学校にいた生徒及び教師、その全てが何らかの被害にあっている。ほとんどが、貧血に似た症状で、早々に退院が可能らしい。
しかし、中にはかなり重症の者もいて、場合によっては今後一生重いハンデを負って暮らしていかなくてはならないかも知れない、とのこと。
ガス漏れ。テロ。集団ヒステリー。
テレビをつければ、どんなチャンネルだってそんな単語が飛び交っている。いずれ、一番もっともらしい結論が後付されて、この事件は解決したことになっていくのだろう。当然、たった一人の行方不明者は忘れられたまま。
「藤ねえは…」
「大丈夫。一時はかなり危険な状態にあったらしいけど、持ち直したって。一、二週間もすれば退院できるそうよ」
その言葉に、目頭が熱くなった。
我知らず、上を向いて瞑目する。
心の中で、何か偉大な存在に感謝の言葉を捧げる。
そして、この人にも感謝を。
「本当に、本当にありがとう、キャスター」
「……感謝なら桜にしなさい。私は貴方達を見捨てても敵を倒すべきだと主張したわ。恨まれる筋こそ在れ、感謝されるなんて筋違いもいいとこなんだから」
神代の大魔術師は、頬を赤くしながらそっぽを向いてしまった。どうやら、感謝されるのに慣れていないのかもしれない。
「それでも、だ。俺が生き延びたのも、藤ねえが助かったのも、貴方の、それにみんなのおかげだ。本当に感謝してる。それと、ごめんなさい。とんでもなく迷惑をかけた」
そうだ。
俺は、何も出来なかった。
俺が、そして藤ねえ達が生き残ったのは、ここにいるみんなのおかげなんだ。
そう考えると、自分の不甲斐なさに腹が立つ。
結局、俺がしたことといえば、頭に血を昇らせて猪突し、みんなに迷惑をかけただけ。少なくとも、あの電話があった時点で冷静に対応することが出来ていたら、もっと違った結果があったはずだ。
もしかしたら――。
「……何考えてるか知らないけど、それくらいにしておきなさい。後悔なんて、何の役にも立たないわ。失敗したと思うなら、反省してこれからの糧にすること。とりあえず、今あなたのするべきことはそれね」
「……ああ、分かった。努力は、するよ」
凛は俺をじろりとした目線で射抜くと、諦めた様にため息を吐いた。
俺は、ゆっくりとみんなの顔を見渡す。
そこには、いつも通りのメンバー。
凛。
桜。
アーチャー。
キャスター。
そして――。
「あれ、セイバーは?」
そうだ。
さっきから、何かが欠けているような違和感があった。
食事を終えた後でその不在にやっと気付くとは失礼な話であるが、食事中の彼女はその健啖ぶりを発揮して目の前に料理の制圧にその全てを投入するため、会話をする余裕がほとんど無い。
故に、彼女が会話に参加するのは食事も終盤、彼女の前に並べられた皿がその白さを露にし始めたときである。それを言い訳にするつもりなど微塵も無いが、とにかく、彼女の姿が無いことに気付けなかった。
「なあ、遠坂、セイバーはどうしたんだ?」
後から考えれば、あまりにも呑気なその声。
「セイバーは……」
「そこからは私が話そうか」
自分で淹れた極上の紅茶、それの入ったカップを音も無くソーサに戻して、凛の従者である赤い騎士がゆっくりと口を開いた。
「彼女は宝具を使った。それがどういうことか分かっているはずだな、衛宮士郎」
その目は、鷹の目では無く、どこまでも人の目。込められたのは、殺意でもなく、嗜虐でもなく、唯、非難ともう一つの感情。
それが、怖かった。
鷹よりも、もしかしたら蛇よりも。
そんなこと、分かりきっている。
人が、一番、怖いんだ。
人さえいなくなれば、怖いものなんて、何一つありはしない。
当たり前のことじゃあないか。
人が、何よりも、恐ろしい。
「どうした、何故答えない。
貴様の未熟によって、彼女には正常な魔力の補給は為されていない。その彼女が全力で宝具を解放したのだ。それが、どういうことか、分かっているのかと。そう聞いているのだ、衛宮士郎」
声は、あくまでも穏やか。怒号の色など、微塵も感じない。
しかし、それ以外の音がする。
みしり、と。
アーチャーの纏った皮鎧、その軋む音だ。
本来、頑強を誇るはずの英霊の威装、それを、何かが軋ませているのだ。
怒りだ。
怒りによって膨れ上がった彼の筋肉が、本来それを守るべき守護者に悲鳴を上げさせているのだ。
自らの敵とその従者。
その不甲斐なさに、彼は怒っていた。
そうだ。
彼女は、俺の不完全な召喚のせいで霊体化もできず、満足な魔力の補給すらされない状態だった。それを補うために、本来は必要ない眠りすら強いられていた。
その彼女が、宝具を使った。
宝具の使用には、当然莫大な魔力が必要となる。
蛇口の閉められた湯船。そこの栓を抜けばどうなるか。
水は、無くなる。
どんどん、減っていく。
そして、空になる。
彼女は、空になる。
「そんな……」
「貴様の猪突、そして貴様の驕り、何よりも貴様の歪みきった理想……!その為に、彼女は必要の無い苦痛を強いられている……!その責任を、貴様はどう感じているのか、そう聞いているのだ、衛宮士郎……!」
その声は、まるで自分の恋人を傷つけられた戦士のように。
その声は、まるで己の子供を奪われた、父親のように。
その声は、まるで自らの傷口を抉り出す、茨の冠を頂いた罪人のように。
それ程に、彼は怒っていた。
自らの言葉に、怒りを蓄えていく。
自らが吐き出した火が、己を炙る業火を、更に燃え上がらせる。
要するに、彼は何よりも、自分に対して怒っていた。
その理由は、分からない。おそらく、己の戦友を徒に疲弊させた、その程度の怒りではあるまい。
一体、こいつとセイバーの間に何があったのか。
俺が、彼の怒りの前に身を竦ませていた時、穏やかな、しかし弱弱しい声が聞こえた。
「貴方の怒りは筋違いだ、そうでしょう、アーチャー」
大きく開いたドアの前に立つ彼女の姿。
本来は美々しく、何よりも雄々しいその姿は、端整な顔に浮いた隠しきれない疲労の影によって著しく汚されていた。人工の灯りに照らされた金砂の髪は、太陽の下にいるときよりも、細く、病的な印象を与える。
聖緑の瞳、その下には大きな隈ができており、その吐息も心なしか荒い。
「セイバー……」
それは、俺の罪。
彼女が苦しんでいるのは、俺の罪。
そうだ、全ては、俺の――。
「それも違う、シロウ」
片手を壁に寄せて体を支えながら、それでも芯の強い声で彼女はそう言った。
「私は己の意志で戦った。己の命と、誇りを賭けて戦った。その果実は貴方に帰する。それは当然だ。しかし、痛みは、苦しみは私だけのものだ。いくら貴方がマスターであるとはいえ、それらまで収奪しようというのは、如何にも暴虐に過ぎるのではありませんか?」
力無く笑った彼女。彼女はその疲れ、やつれた表情のまま。
「でも――」
「私は貴方の剣になると誓った。剣は、美しく飾られる装飾にあらず。戦場にて振るわれ、使われ、使い古され、最後は折れ砕けるが本望。そこを誤解なさらぬように」
その美しい笑顔のまま、そんなことを言いやがった。
「虚勢でも、それだけ吐けるなら大丈夫ね」
俺の隣から声がした。
「ええ、リン。貴方のそういうところは、非常に好ましい。シロウにも見習っていただきたい程だ」
水滴で曇った窓ガラス、そこから感じられる曙光。
それに照らし出された、二人の笑み。
美しく、不敵で、誇り高く、侵し難い。
その笑顔が。
その、美が。
己の矮小さを映し出すようで。
俺は、知らずに目を逸らしていた。
「じゃあ、今日、行くわ。覚悟は出来てる?」
「愚問です。覚悟というなら、食事中でも、睡眠中でも、異性を抱いている時でも」
「そうこなくちゃね。じゃあ、予定通りに」
「ちょっと待ってくれ、予定って一体……」
「決まってるでしょ、昨日こなせなかった予定は、出来るだけ早いうちにこなさないと、どんどん腰が重くなってしまうわ」
昨日こなせなかった予定?
それってまさか……。
「鈍いわね。今からマキリに攻め込む、そう言ってるのよ」
――。
一瞬、頭が真っ白になった。
今から、マキリに、攻め込む?
それは――。
「ちょっと待ってくれ、いくらなんでも、無茶だ」
「へえ、衛宮君にはしちゃ慎重な意見ね。一応、理由を聞いとくわ。なんで無茶なの?」
凛はにやり、と不吉に笑って、正面から俺を見据えた。
ぎっ、と椅子を引いて、セイバーが凛の隣に座る。
俺は、二人の色の異なる瞳を等分に見据えた。
「昨日の戦いで、セイバーはこの上なく疲弊してる。アーチャーだって、二日続けて戦うのはきついはずだ。それに、学校の結界はもう存在しない。それほど急く必要があるのか?」
「だ、そうよ。どうなの、アーチャー?」
真剣な凛の視線、それを真っ向から受け止めたアーチャーは事も無げに言った。
「問題ない。少なくとも、そこの未熟者に心配されるほど堕ちてはいないさ」
「そう。セイバー、貴方はどう?戦える?」
セイバーは、少しの間、己の体と対話するかのように目を閉じ、やがてこう言った。
「……ライダーの宝具、あれとの衝突がもう少し長引けば消耗は致命的なものになっていたでしょうが、幸か不幸か、あれを完全に滅する前に逃げられた。故に、今の私は、即座に消滅云々という段階ではない。しかし、風王結界を含めて宝具の解放は難しいでしょう」
じゃあ、と俺が口を開きかけたが、彼女は俺に発言権を認めてくれなかった。
「しかし、直感や魔力放出といったスキルは失われていないし、対魔力を備えたこの体は盾として相応しい。戦力としては十分かと思います」
「だってさ、士郎」
俺は、絶句した。
彼女は、俺なんか及びもつかないくらい、強い。
それこそ、俺が一生血を吐くような鍛錬を続けても、彼女の足元にすら辿り着けるかどうか、そういうレベルだろう。
しかし、それとこれとは話が違う。
彼女は、自分のことを、盾だ、と言った。
そんなの――間違えてる。
「士郎、あんたの言いたいことは分かってるつもりだけど、この作戦にセイバーの存在は欠かせないわ。魔術師の要塞である工房に攻め込むんだもの、一番気をつけなければならないのは魔術的なトラップ。それを未然に回避するためにも、発動してしまったそれを防ぐためにも、彼女とキャスターの存在は必要不可欠よ」
彼女は、正論を持って俺を説得しようとしてくれた。
正論。
それは、どうしてこうも神経を逆撫でするのだろうか。
そんなこと、分かってる。
分かってることを、一々繰り返すな。
そんな、感情。
「今回の作戦には、桜が参加できない。多分、猛烈なトラウマをフラッシュバックするのがオチだからね。人数が足りないのよ、分かるでしょう?」
桜は、申し訳なさそうに俯いた。
「……すみません、先輩。今日は私、お留守番です」
力の無い笑みでやっと笑った桜は、やはり力なく肩を落とした。
「それに、士郎、さっき『そんなに急ぐ必要があるのか』って言ったけど、事態は昨日より切迫してる、それは間違いないわよ」
冗談とは思えない、凛の真剣な瞳。
じとり、と、脇の下を、冷たい汗が濡らした。
「……どういうこと、だ?」
「ライダーは生きていた。それはさっき話したでしょう?一昨日、あの結界の成長が突然早まった、その理由をライダー自身の生存本能だと仮定すれば、かつて無いくらい魔力に餓えている今の彼女は、この上なく危険よ。メルトダウン寸前の原発みたいなもんかしらね、きっと。何しでかすか分かったもんじゃないわ」
「それだけではありません。彼女は吸血によって単純に魔力の回復が可能ですが、おそらく、私はそこまで急激に魔力を回復させることは出来ない。彼女が完全に回復すれば、今の私では到底敵し得ないでしょう。それに――」
「それに?」
「これはあくまで推測の域を出ませんが――。彼女の異様なパワーとスピード、その理由を考えてみたのです。あれは、おそらく『怪力』のスキルによるものと思われます」
怪力?
「『怪力』は、一時的に自らのパワー値をワンランクアップさせる、魔獣や魔物だけが持ちうるスキルです。しかし、元々の彼女にそういった雰囲気は極めて薄かった。それが、昨日の彼女にはかなり色濃く滲んでいた。おそらく、彼女は、何か、忌まわしいものに変貌を遂げようとしています。早いうちに仕留めるのが、彼女のためであり、何より我々のためでしょう」
沈黙が、流れた。
静寂ではない。
心臓の、不吉な拍動が、あったからだ。
「あらためて材料を並べると、絶望的で呆れるわね。時間も戦況も、基本的にはマキリの味方ってわけ、か。で、士郎。あんたの意見は?」
俺の、意見?
俺は、どうしたい?
決まってる。
やるべきことは、決まってる。
倒さなきゃ、いけない。
皆を苦しめてるものは、苦しめようとしているものは、倒さなきゃいけない。
なのに、この喉は。
何故、応、と、言ってくれないのか。
「重症だな、これは」
その時、アーチャーが、そんなことを言った。
「凛、間桐邸に攻め込むのは何時の予定だ?」
「え……と、キャスター、認識阻害の結界は?」
「出来れば二時くらいまでは待って欲しいっていうのが本音ね」
「だ、そうよ、アーチャー。それがどうしたの?」
「なに、大したことはないさ」
奴が、俺を、その鷹の目で、射抜いた。
「そこの臆病者に、軽い喝を入れてやろうと、そう思っただけだ。セイバー、君も来るか?私とその男を二人にさせるのは不安なのだろう?なら、君も来るといい」