FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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interval5 IN THE BACK ALLEY

interval5 IN THE BACK ALLEY

 

 少女が、歩いていた。

 大通りである。

 それにしては、人通りが多いとはいえない。

 地方都市の冬木市であるが、人口自体は数十万を数える。

 その中心部、決して人そのものが少ないわけではない。

 少ないのは、外出する人間の数だけ。

 異様な雰囲気に支配され、神隠しとしか思えないような失踪事件の多発している街。

 思い起こされるのは、十年前の悪夢。

 

 慮外の事件の数多。

 ホテルの倒壊。

 幼子の失踪。

 夜を切り裂く、化け物の威容。

 そして、あの火事。

 冬木が死んだ、夜。

 

 どれほど楽観的な人間でも、一抹の不安を抱くのは仕方あるまい。

 ならば、周囲に人影が少ないのも当然か。

 しかし、それでも大通りである。

 仕事に追われる類の人間は、言い知れぬ不安や根拠の無い噂程度で家に篭もれるほど幸せな人種ではない。

 彼らは、歩く。

 己の、そして家族の生活の糧を得るために、歩かざるを得ない。

 結局、たいした用事を持たない者、外部から冬木に訪れる酔狂な者がいなくなり、どうしてもここを歩かねばならない人間だけが残った。

 そして、人通りが疎らになったのだ。

 自然、ぴりぴりとした空気が、街全体を支配している。

 時間は昼過ぎ。

 太陽の息吹が、夜に冷えた空気を暖め、ようやく吐息の白さが薄れてきた、そんな時間である。

 彼女は、嗤っていた。

 美しい、その表現を許された、数少ない本当に美しい、少女である。

 髪は、長い。

 少し眉が太めであることが目を引くが、それ以上に目鼻立ちは整っている。

 上背はそれほどでもない。むしろ、同年代の少年少女の中では、かなり低い部類に属するはずだ。

 その少女が、嗤っていた。

 人塵の中、一人、嗤っていた。

 微笑んでいたのではない。

 声を上げて、嗤っていた。

 周囲には、誰もいない。

 人そのものがいないのではない。

 人は、いる。

 なにせ、大通りである。

 そこから人影が全く途絶える、そんなことは深夜でも中々あることではない。

 いないのは、あくまで彼女の周囲のみ。

 声を上げて一人狂笑する少女の周り。

 そこにのみ、人影が、全く無い。

 当然である。

 元々が美しいその少女。

 しかし、目を見開き、辺りを憚らずに声を上げて嗤い転げる様は、余人の理解を超えていた。

 もとがなまじ美しいだけに、その崩壊した様子は致命的なまでに凶。

 近寄れない。

 近寄り難い。

 周囲の人間は、一様に眉を潜めながら、彼女の立った場所、そこの外周を通り過ぎる。

 腫れ物を避けるように。

 忌まわしいものから目を逸らすように。

 そして、通り過ぎた後で。声量を抑えてこう囁きあうのだ。

 あの女、おかしいんじゃないか、と。

 

 

「見つけました!」

 

 我が主は、そう叫んだ。

 人通りの途絶えた、薄暗い路地。

 そこを見つけてから私に声をかけたのは、彼女に許された最後の自制心だろうか。

 彼女は嗤いながら歩き、いつしか嗤いながら走り出した。

 息を切らし、舌を出すように喘ぎ、それでも嗤い続けたのだ。

 そして、今は、生ごみの腐臭の残滓の濃い、薄暗い路地にいる。

 暗殺者である私には、ある意味なじみの深い場所である。

 

「やっと、やっと見つけました!」

 

 膝に手をつき、その乱れた呼吸を整えようとする彼女。

 しかし、その表情は、狂おしいまでに輝いている。

 目は炯炯と輝き、口元にはうっとりするような笑みが浮かんでいる。

 その一つ一つは、英霊である私の目をすら奪わんばかりに、美しい。

 しかし、その全てを目に入れると、暗殺者である私すら目を背けたくなるほどに、醜い。

 その彼女が、私に話しかけてくる。

 

「なるほど、確かに貴方の言うとおりです!」

 

 突然、視線を向けられた。

 そこにあったのは、歓喜。

 信徒が天啓を授かった、その瞬間でも、ここまで輝かしい瞳を浮かべ得るのだろうか。

 前髪は、汗で額に張り付いている。

 鼻腔は大きく膨らみ、青紫色の唇と相俟って、彼女が酸欠寸前であることを私に教えてくれる。

 それでも、彼女は嗤っていた。

 その視線が、あまりに重過ぎて。

 私は、思わず後ずさった。

 

「……何が、言うとおりなのだ?」

「私は醜かった!」

 

 彼女はそう言い切った。

 その声を歓喜で震わせ、しかし、それ以外の何かも振り撒きながら、そう言い切ったのだ。

 

「なるほど、貴方の言ったとおりだ!従者に救いを求める主、そんなもの、醜悪以外の何物でもない!」

 

 それは、昨日の朝、私が言った言葉か。

 『己の従者に媚びる主など、この上なく醜悪だ』、確かに、私はそう言った。

 あの時、彼女は震えていた。

 その小さな肩を己の罪を恐れるかのように、細かく震わしていた。

 しかし、今はどうだろう。

 いつの間にか、彼女は体を起こしていた。

 呼吸のペースは、通常のそれに戻っている。

 背筋はぴん、と伸び、轟然と胸を反らしている。

 そして、なによりその瞳。

 そこには、罪の意識など、一片も無い。

 ただ、決意と、歓喜と、そして、やはりそれら以外の感情が、そこには在った。

 

「……では、貴方はいったい何を見つけたというのだ?」

 

 彼女の呼気は、極めて冷静。

 太陽の差さぬ、うらびれた路地裏。

 その冷たい空気の中でも、彼女の吐息が白くなることは無い。

 なんと言うことは無い。

 彼女の吐息に、熱が無い、それだけのことだ。

 

「――敵を」

 

 にこやかな表情、それ自体はそのままに、彼女はそう言い切った。

 そこに、狂熱は、無い。

 圧倒的なまでに、冷たく。

 そして、その声に隠し切れない一つの感情を孕ませながら。

 

「やっと、見つけました。私の倒すべき、敵を」

 

 その感情。

 先ほどまでは、辛うじてその姿を隠し得ていた、感情。

 しかし、先ほどまでの彼女が振り撒いていた、歓喜、決意、狂気、それらを遥かに凌駕する、感情。

 

 憤怒。

 

 それが、その冷たい声の中に、含まれていた。

 いや、その表現は正しくない。

 その声の冷たさそのものが、彼女の怒りだ。

 触れれば火傷する、液体窒素のように。

 彼女の怒りに触れるものは、地獄の苦しみを味わうことになるのだろうか。

 

「殺しましょう、アサシン」

 

 その単語は、私にとって、あまりに耳に優しい。

 生前も、そして死後も、私の存在理由である、その単語。

 彼女の口からそれを聞いたのは、これが幾度目だろうか。

 

「殺しましょう、アサシン」

 

 彼女は、己の感情の機微を噛み締めるかのように、繰り返してそう言った。

 その瞳には、ほんの僅かな驚きが含まれていた。

 ひょっとしたら、そんな単語を吐きだした自分が、どこかで信じられないのかも知れない。

 

「遠坂凛を殺しましょう。遠坂桜を殺しましょう。藤村大河を殺しましょう。イリヤスフィール=フォン=アインツベルンを殺しましょう。言峰綺礼を殺しましょう。セイバーを殺しましょう。アーチャーを殺しましょう。キャスターを殺しましょう。ランサーを殺しましょう。バーサーカーを殺しましょう。金色の男を殺しましょう。立ちはだかる者、罪深き者、その悉く、その全てを、躊躇無く殺しましょう」

 

 その言葉を聞いて。

 思わず、仮面の下に苦笑が漏れた。

 この人は、なんと可愛いらしいことを言うのだろうか。

 なんと、微笑ましい人なのだろうか。

 そんな、簡単なこと。

 そんな、簡単な真理。

 

 坊主に会えば、坊主を殺し。

 親に会えば、親を殺し。

 仏に会えば、仏を殺す。

 

 それが、この世の真理ではないか。

 彼女は、そんなことも、知らなかったのか。

 そんなことも知らずに、苦しんでいたのか。

 

「私は、最早恐れません。そして、とても幸せ。目的の定まることが、ここまでの幸福を齎すとは、夢にも思いませんでした。『人の歩みを止めるのは絶望ではなく諦観、その背を押すのは希望ではなく意志』、その言葉の意味が、今はとてもよく分かる」

 

 にこりと、まるで天使のように微笑った彼女は、獰猛な肉食獣のように牙を剥いた。

 年端も行かぬ少女には、あまりに似つかわしくないその表情。

 いや、それは違うか。

 聖画に描かれる天使の翼は、実は猛禽類のそれと同一である。

 ならば、天使の笑みと猛獣の笑みは、同じ空間に存在しうる、ということだ。

 彼女は、その両方なのだと思う。

 どちらが本当の彼女、などという感想は笑止なものだが、その歪な捻れが彼女の本質なのは間違いあるまい。

 そして、私は思うのだ。

 痛々しさと、一抹の憐憫。

 それを噛み締めながら、私は思うのだ。

 美しいものを汚していく、破滅的な快楽とともに、私は思うのだ。

 ああ、愛おしい、と。

 

「恐れぬか」

「恐れません」

「脅えぬか」

「脅えてなるものですか」

「殺すか」

「笑いながら」

「地獄に、堕ちるか」

「それが、私の望みです」

 

 私は、彼女の前に跪いた。

 おそらく、これが二度目だ。

 しかし、これは必要な儀式だ。

 我々が本当の意味で主従となる、そのために必要な儀式。

 私は彼女を見据える。

 彼女は、私を見据える。

 凛と立つ彼女。

 その眼前に跪く、私。

 その視線の高さは、同一。

 まるで、それが初めてのことのように、私と彼女は見つめあった。

 腐臭の香る路地裏が、永遠の契約の聖地となる。

 そう、この時は、永遠だ。

 たとい、世界が我々を忘れたとしても。

 私が、覚えている。

 そして、しばしの沈黙。

 やがて、彼女はその手を差し出す。

 白く、いかなる不純物も含まれぬ、手。

 痣も、黒子も、そして契約の文様も描かれぬ、純白の肌。

 私は、そっとその手を取った。

 おそらくは、壊れ物を扱うような、辿々しい手付きで。

 それでも、或いは、だからこそ、彼女は微笑いながら、それに応じてくれた。

 

「ですが、地獄に堕ちても貴方は私と共にありなさい。私から離れるなんて、絶対に許さない」

 

 私は、陶磁器も恥らう程滑らかなその手の甲に、そっと口付ける。

 仮面を介して、その感触が、私が自らの手で削げ落とした唇に伝わる。

 その感触の、なんと甘美なことか。

 

「ここに再び誓う。この身は、主殿の生ある限り、その影と共に。そして――」

 

 私は、最後に、こう言った。

 哀れみと、それ以上の喜びを込めて。

 

「ようこそ、修羅道へ」

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