FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
「確かに、渡したぞ」
「ああ、確かに受け取った。君と、君の主に礼を言おう」
目の前の神父は、恭しく頭を下げた。
直接この男を見るのは初めてだが、彼の身に付けた法衣には、失われた記憶を刺激する何かがあった。
そうだ、私は殺した。
私の神の御名のもと、彼と同じ宗派に属する僧侶を、戦士を、王族を、それこそ数え切れないほどに。
「どうかな、英雄を労うというにはささやかだが、酒宴の席を設けてある。君の信奉する神の血ではないが、中々に芳醇な酒だ。それほど急ぎという訳でもあるまい?」
「……私の神と、貴様の神は、些か仲がよろしくないらしい。折角だが、遠慮しておこう。それに――」
「それに?」
「……主が心配だ」
私がそう言うと、神父は微笑った。
何か、喜ばしいものを見るかのように。
「ふむ、君は知らなかったのか?アレは、君よりも強い。精神的は意味ではない。物質的に、単純な火力として、君を凌いでいる」
「……百も、承知だ」
「ならば、何故君は帰るのだ?彼女の身を滅ぼすほどの危難があれば、君では役に立たない。彼女が凌げる程度の危難であれば、君がいる必要はない。ほら、君が急ぐ必要性など、どこにも無いのだよ」
その言葉に、言外の嘲りは、無かった。
ただ、単純な興味として、目の前の神父は私の真意を知りたいらしかった。
「……知らん。しかし、主を守るのが、サーヴァントの務めである。私は、私の存在意義を全うするために、急ぎ帰らねばならぬ、それだけの話だ」
私は振り返り、扉の方へ向けて歩き出した。
背中から、嗤い声が、聞こえた。
隠し切れない愉悦と、深奥を抉るような静謐さに満ちた、矛盾した嗤い声だった。
「なるほど、君は気付けていないわけか。英雄とはいえ、己のことには疎いものだな。何故君が彼女のもとへ急ぐか、教えてやろうか?単純な話だ、君は彼女に――」
「今、遠坂邸には、遠坂桜しかいない。接触を図るなら、今が好機だ」
しばらく、如何なる音も、響かなかった。
ステンドグラスを通じて降り注ぐ陽光が、奇跡みたいにきらきらと輝いていた。
「……了承した。貴重な情報だ。君は、或いは前回のアサシンよりも、優れているかも知れんな」
思わず、振り返った。
そこには、深い微笑を湛えて、まるで歳月を経た巨木のように、堂々と直立する、黒い神父が、いた。
「貴様――」
「あれも、今思えば中々滑稽な道化だったよ。たかが、己の名前を欲しがるために、聖杯という奇跡を必要とするとはな。いや、人間味に溢れていた、そう言うべきか」
「貴様、前回のアサシンのマスター……」
「まさか、君もそうなのかね?名前が欲しいか?ならば、私はそれを与える事が可能だ。君が、その宗派替えを承知するならば、私は君を祝福することが出来る。洗礼名とはいえ、それは君だけに与えられた、神を讃える御名だ。どうかな、前回の我が従者に与えられなかった救済、君は受け取ってくれるだろうか?」
思わず、殺気が漏れ出した。
こんなこと、初めてだ。
私が暗殺者として碌を食むようになってから、初めて感じた、抑えがたい怒り。
それをもたらしたのが、憎むべきハサン=サッバーハという存在全体に対する侮辱であったとは、想像だにしなかった。
そして、それを与えたのが、かつて己の神の敵であった偶像を祭る神、その僕であったことも。
「覚えておけ。貴様は、私が殺す」
「くく、暗殺者の頂点たる君に命を狙われるとは、恐怖を通り越して、光栄だな、これは」
私は、今度こそ出口に向かった。
しかし、さっき、奴は何を言いかけたのだろうか。
私が、我が主に対して、何を――。
いや、やめておこう。
この思考は、必要ない。
ならば、今は一刻も早く、主のもとに戻るべきだ。
そう考えた私の耳に、二つの音が、聞こえた。
一つは、奴の不快な笑い声。
そして、おそらくは奴の手にした二つの赤い宝石、それが擦れあう、チャラリ、という硬い金属音。
そのいずれもが、他者を不幸にさせるであろう、芳醇な予感によって彩られていた。
episode48 深奥にて
かつん、かつん。
乾いた音が、響く。
その音は、私達の足元から生まれる。
かつん、かつん。
乾いた、音だ。
階段の鉄板と、硬い靴底が奏でる、乾いた音。
それが、無限ともいえる闇に、吸い込まれていく。
吸い込まれて、拡散して、やがて消えていく。
ここは、そういう空間。
あらゆる光が、吸い込まれ、拡散して、そして消えていく。
かつん、かつん。
あらゆるものが、消えていく。
常識、救済、慈悲。
人を人足らしめる、温かい何か。
人が救いと思うような、心地よい何か。
それが、悉く、消えていく。
闇が深くなる度に。
闇が、私の心に、侵食してくる。
光が、遠くなる。
ここは、きっとそういう場所だ。
安っぽい例えが許されるなら、ここは、そう、地獄だ。
その言葉が、何より相応しい。
立ち上る、腐臭。
それは、この身を腐らせるような大気の流れを作り、下から上へ、何かから逃れるように上昇していく。
その微細な粒子は、一体何から作られた物なのだろう。
一体、何の身体を構成していた物なのだろう。
一瞬、蛍を幻視した。
まるで、失われた遠い誰かの魂、そんなふうに、儚く揺れる、蛍の光。
それが、星空に向かって立ち上っていく様を、ふ、と幻視した。
何故、こんな胸焼けのする、吐き気と怖気を同時に引き起こすような空気に、そんな光景を思い浮かべたのか。
しばらく考えて、納得した。
これは、きっと魂だ。
この腐臭は、この下に閉じ込められていた者の、魂なのだろう。
それが、歓喜しているのだ、そう思った。
地獄から、本物の地獄よりなお苦しい地獄から、開放されたことに。
唄が、聞こえた気がした。
歓喜の、唄だ。
そして、感謝の唄だった。
――ありがとう、ありがとう。
――私達を、解き放ってくれて。
――私達は、これから天に昇ります。
――もう二度と、地上になんて、降りてくるものか。
――それでも、お願いします。
――貴方にだけ、お願いします。
――倒してください、ここにいる、悪い魔術師を。
――もう二度と、私達のような魂が作られないように。
――お願いします、お願いします。
そんな唄が、聞こえた気がした。
そして、自分も悪い魔術師の一人なのだということを自覚して。
私は、ほんの少しだけ、嘔吐いた。
◇
地獄という言葉を思い出す。
螺旋階段はせいぜい数階分。
地の獄というにはあまりに太陽に近い距離。
しかし、そこは紛れもなく地獄だった。
広い、あまりに広い暗闇。その広さが自分と闇との境をあやふやにする。
漂う臭気は胸を焼き、吐き気と怖気を同時に引き摺り出す。
時折聴こえる湿った音。何かが這いずり、そして何かを食らう音。
結論。
ここは人の立ち入る場所ではない。
ここに住むのは、人以外の何かだ。
「何よ、これ……」
俺の後ろにいる凛が呻く。
俺は魔術的な素養に疎いが、それでもこの空間の異常さはわかる。いや、この空間の異常さがわからない人間がいるとしたら、そいつは間違いなくどこかが壊れていると断言できる。
でも、何だろう。
俺は、何も感じない。
異常さは、分かる。
理解ができる。
しかし、感情が、伴わない。
何も、感じない。
「これが、こんなモノがマキリの修練場なの……?」
凛の声が、どこか遠くに感じる。
俺と彼女の距離は僅か数十センチ。
ならば、その間に挟まれた闇が、空間を捻じ曲げているのだろう。
「凛、これが、魔術師の工房、なのか……?」
「……ええ、その通り。でもこれは魔術師の工房じゃない。マキリの工房よ」
肯定と否定が相混ざった返答。きっと、この空間は凛が有する魔術師としての最後の一線、それを容易く踏み越えてしまったものなのだろう。
目が慣れてくると、この空間の全体が辛うじて把握できた。
広い。おそらくは地上の屋敷がすっぽり入るのではないか。
俺達は歩を進める。
ぴちゃり、と湿った音が響く。
「シロウ、凛、あれを」
最前列を守りながら歩いていたセイバーが、壁の一点を指し示した。
其処にあったのは、壁にあいた穴。
地面に対して水平にあいた穴は、カプセルホテルの安ベッドを思い起こさせた。
そこにあったのは白い何か。
俺は知っている。あれが何か知っている。あの赤い異界の中で、腐るほど見たものだ。
なるほど、あれはベッドではなくて墓穴だったのか。
「あれは餌だな、いや、正確に言うならその食残しか。今日日の蟲は好き嫌いが激しいらしい」
アーチャーの軽口も、この空間では重苦しく響き渡る。きっとこの部屋の重力のせいだろう。
あらためて周囲を見渡す。
地獄だ。
何にとっての地獄なのか、分からない。
ひょっとしたら、この場に閉じ込められた蟲達にとってこそ、本当の地獄だったのかもしれない。
それでも、ここは地獄だ。
なのに、なんの感情も涌かなかった。
ここに閉じ込められて、ここでその生涯を終えた人達に対しても。
ここに閉じ込められて、ただ、闇を這いずることしか出来なかった蟲達に対しても。
ここを修練場として、その身を蟲に陵辱され続けた、マキリの魔術師達に対しても。
哀れみも、蔑みも、怒りも。
何の感情も、涌かなかった。
ただ、思った。
安心した。
代羽が、ここにいなくて、よかった。
そう、深く深く、思った。
◇
焼き払う価値もない。
小一時間かけて入念な探索をした結論がそれ。
敵は、既にこの場にいない。
マキリ臓硯も、彼に付き従うサーヴァントも。
在ったのは、いずれかのサーヴァントの召喚に使ったであろう、機能を失った魔法陣のみ。
そして、この空間それ自体には、興味すら涌かない。
只管に嫌悪の対象である。あの子が、桜が例え一時でも、この空間の慰み者であったと思うと、意識の白むような怒りを覚える。
更に言うならば、この空間は常識の範疇からは外れすぎていて、魔術的には雑すぎる。
何か、敵のアドバンテージになるようなものでもあるなら話は別だが、今この空間にあるのは濃く汚れた空気と、さらに穢れた蟲が数えるほどだ。
そう、蟲が数えるほどしかいない。
考えてみればこれは異常だった。
あの戦闘からわかるように、マキリの魔術は蟲を使役してそれを成す。ならば、その修練場は本来蟲をもって覆いつくされていなければならない。
しかし、現にここには数えるほどの蟲しかおらず、さらに言えば、その数少ない蟲が共食いをしているようだ。
放棄されたコロニー。見捨てられた家畜小屋。
そんなもの、焼き払うだけ無駄な労力。
「凛、あれを見ろ」
アーチャーの言葉。
彼の指の先には壁。しかし、よく目を凝らせば不自然な継ぎ目がある。
壁に手をあてて解析。あのへっぽこには及ばないが、それでも私は遠坂の魔術師、平均以上の解析能力は兼ね備えている。
――なるほど、隠し部屋。
私でもアーチャーの指摘がなければ見逃していたに違いない。
そもそも、この部屋自体が他者から秘されるように作っているのだ。さらに隠し部屋を作る必要性がどこにあるのか。
開錠の呪を紡ぐ必要はなかった。はじめからそんなもの存在しないのか、それとも部屋の主が、施錠もできないような事態に追い込まれているのか。
僅かな窪みに手をかけて、用心しながらそれを引く。
そこにあったのは静謐な空間。
畳六畳分ほどの、さして広くないスペースに、洋風の机と埋め込み式の本棚。
書斎、という言葉が真っ先に浮かんだ。
正常で、日常の空間。しかし、蟲倉という異常な空間の中のそれは、裏返した歪な異常さを醸し出す。
罠の存在に注意しながら、室内を探索する。
「凛、何か見つかったか」
小さな声が後ろから聴こえる。まるで、内緒で父親の部屋を探検する子供みたいだ。
声は小さく。呼吸も浅く。見つかるな。見つかれば怖いお仕置きが待っている。
「ええ、きっと大物」
本棚に並んだ古めかしい書物。
聞き覚えのあるものもあればそうでないものもあるが、私の知っているものだけでも相当な価値のあるものが並んでいる。おそらく、この本棚をまるごと売り払えばこの家と土地を倍の規模に増築することができるのではないか。
しかし、私が手に取ったのは、今まで目にすることもできなかった貴重な古文書ではなく、背表紙もついていない、比較的新しいただのノートだった。
ぱらり、と表紙をめくる。
『○年○月○日 鶴野が子供を拾ってくる。少なくとも、肉体的な素質は申し分ない。計画の変更を決定。』
……この日付には覚えがある。たしか前回の聖杯戦争の終結日ではなかったか。
ぱらり、とページをめくる。
『○年○月○日 素材が目を覚ます。命名も完了。経過は順調。』
素材?後継者や胎盤という表現ではない。一体何のことだろう。
ぱらり、とページをめくる。
『○年○月○日 桜を遠坂に返却する。素材をマキリの胎盤とするための調整を開始。淫蟲は使用できないため、他の蟲にて代用。経過は順調。』
確かに、この日は覚えている。間違いなく、桜が玄関に立っていたあの日だ。紙の痛み具合や字の擦れ具合等から考えても、この日記が虚偽のものであるという可能性は著しく低いか。
気になるのは、素材が胎盤となる、という記述だ。つまり、『素材』とやらは、初めのうちは胎盤として機能するような存在ではなかったということか?
ぱらり、とページをめくる。
『○年○月○日 分裂を確認。現在約三十程。選別が難しい。経過はおおむね順調。』
この部分は、全く意味不明。解明を要する。
ぱらり、とページをめくる。
『○年○月○日 調整完了。これより淫蟲を用いた調教を開始する。経過は順調。』
調整とは、前述の『素材をマキリの胎盤とするための調整』のことだろうか。淫蟲が、父の研究日誌に見られるものと同一の存在であると仮定すれば、『素材』は女性であるという可能性が高い。いずれにせよ、おぞましい。
ぱらり、とページをめくる。
『○年○月○日 クロルプロマジンやメタンフェミン等よりも、古来の方法によってダチュラを精製した薬物の方が、効果が高いことを確認。如何にも手探りな状態。それでも、素材の素質ゆえか、実験そのものは順調に推移。』
クロルプロマジン?何のことだろう。メタンフェミンは、確か覚せい剤のことだったはずだ。ダチュラ、朝鮮朝顔も精製すれば媚薬や麻酔薬になる、我々には馴染みの深い植物。それほど珍しいものではないが、それを何に使っていたのか。
ぱらり、とページをめくる。
『○年○月○日 順調に分裂。千を超えた症例は、おそらく初めてではないだろうか。泡沫的なものが多いものの、それでも素材は己を失っていない。驚異的な精神力。経過は順調。』
まただ。また、分裂という表現。分裂というからには、何かを分けたのだろう。一体何を。思い浮かぶのは、プラナリアや蛸の足の分裂だが、まさかそのようなものではあるまい。
ぱらり、とページをめくる。
『○年○月○日 分裂が停止。いや、停止というよりも、分裂を凌ぐ勢いで統合が始まっている。詳細は不明。今は静観が必要か。』
殴り書きに近い字。『経過は順調』の文字で末尾が括られていない、稀有なケース。よっぽどの想定外の事態だったと思われる。
ぱらり、とページをめくる。
『○年○月○日 尋常ではない勢いで、統合が始まった。理由が、全く分からない。この日の器に問いただすと、『喰われる。恐ろしい』とのみ言い残して、反応が無くなった。おそらく、明日には存在しないものと思われる。』
この日の器?日によって器が変わる、そういうことか?そもそも、『器』とは何だ?この表現からすると、一個の人格を備えているようだが、前後の記述との整合性に著しく欠ける。詳細は不明。
ぱらり、とページをめくる。
『○年○月○日 異常の原因となった器を発見。命名完了。時系列に従って、あくまで臨時的に1388号と呼ぶことにする。恐るべき才能。計画の修正に迫られる。』
珍しく、字が震えている。歓喜か、それとも恐怖だろうか。それにしても『器』という言葉が指し示す意味がわからない。素材がイコールで胎盤だとすれば、器とは何者か。全くの第三者か、それとも。
ぱらり、とページをめくる。
『○年○月○日 器に本体を移す。これで奴は逆らえぬ。そもそも、器には極めて積極性が少ない。従順、それとも無気力。しかし、その才は脅威の一言。蟲の統率、支配、使役。全てにおいて、歴代の当主を上回る予兆。これを後継者とすることを決定。経過は極めて順調。』
まただ。また、『器』という表現だ。そして、この頃になると、胎盤に関する記述がめっきり減ってきた。つまり、著者の興味が胎盤から器に移っていったことがわかる。そして、『後継者』という表現。その字からは、隠しきれない恐悦を感じることができる。
間違いなく、マキリ臓硯は、このとき、喜んだのだ。
ぱらり、とページをめくる。
そして、これからは、全く同じ表現が続く。ページをどれだけめくっても、全く同じ文字の洪水だ。
『○年○月○日 経過は順調。』 『○年○月○日 経過は順調。』
『○年○月○日 経過は順調。』 『○年○月○日 経過は順調。』
『○年○月○日 経過は順調。』 『○年○月○日 経過は順調。』
『○年○月○日 経過は順調。』 『○年○月○日 経過は順調。』
『○年○月○日 経過は順調。』 『○年○月○日 経過は順調。』
『○年○月○日 経過は順調。』 『○年○月○日 経過は順調。』
『○年○月○日 経過は順調。』 『○年○月○日 経過は順調。』
『○年○月○日 経過は順調。』 『○年○月○日 経過は順調。』
『○年○月○日 経過は順調。』 『○年○月○日 経過は順調。』
『○年○月○日 経過は順調。』 『○年○月○日 経過は順調。』
几帳面に毎日付けられた日誌に並ぶ『○年○月○日 経過は順調。』の文字。私にはそれが怪物の成長記録にしか思えなかった。
意図せず震える手を叱咤して、ページをめくる。
数年分は相も変わらずの文字が洪水のように溢れかえっていたが、最初の日付から四年ほどたったある日、久しぶりに異なった記述が現れた。
『○年○月○日 経過は順調。素材への胎盤としての調整及び器への術の承継は終了。これより戦闘技術の修行のため二人を時計塔へ留学させることを決定』
時計塔へ?そして、胎盤と器、初めて『二人』という表現が現れた。つまり、マキリにはまだ見ぬ魔術師が二人も存在するということか?
代羽がそのいずれかかとも考えられるが、淫蟲を用いた調教が行われているならば、処女である彼女は胎盤足り得ない。また、魔術回路の存在しない彼女は、後継者に選ばれることは、間違えてもないだろう。ならば、これは一体。
『○年○月○日 凶報。二人が、時計塔の管理執行部に捕縛された旨。詳細は不明。計画の中断を迫られるか。桜を返したことが、今更ながらに悔やまれる。』
時計塔の管理執行部に捕縛?それは、つまり神秘の漏洩ということか?ならば、今までの記述と現在の状況が符合する。もう、その二人はこの世に存在しないということだ。
『○年○月○日 吉報。捨てる神あれば拾う神あり。望外の幸運。これにより、二人は時計塔中枢へのパスポートを手に入れたも同然。なにせあの□□□□□□家に向かい入れられたのだ。計画は大きく前進』
『家』の前が、意味不明の文字。暗号か?そうして隠さなければならないほどの家?しかし、それは――。
「凛」
ぽん、と肩に手を置かれた。
思わず、体が硬直する。
「読み進めるのは、家でも構うまい。この場に敵は存在しなかった。必要なものだけ奪って、早々に立ち去るべきだ」
聞きなれたアーチャーの声に、恐怖の汗が滝のように流れる。それほどまでに、驚いた。
「……ええ、そうね。さっさと引き上げましょう」
万が一、時限式の爆弾等がセットしていた場合等を考えると、この場所に留まることは百害あって一理なしだ。自らの工房を吹き飛ばす馬鹿はいないと思うが、それでも追い詰められた鼠は何をするかわからない。
「キャスター、トラップの敷設、終わった?」
「ええ、もし誰かがここに帰ってきたら、悪霊と竜牙兵の群が襲い掛かるわ。そして、その情報は逐一私に伝わる。急ごしらえの物なら、これで十分でしょう」
私はその返答に満足の頷きで返すと、空洞の中央部に佇んでいた士郎に声をかけた。
「士郎、もうここには用は無いわ。さあ、帰りましょう」
彼は、振り向いた。
その表情は、闇と臭気に隠れて分からない。
ただ、妙に震えた声が、した。
「なあ、凛。代羽は、ここにいなかったんだよな?こんなところに入ったことなんて、無いはずだよな?代羽は、幸せに生きてきたはずだよな?なあ、凛。そうだよな?」
嗚咽の混じらない、しかし、嗚咽に塗れた声よりも、なお悲痛なその声。
私は、その声に何も答える事が、出来なかった。
「――そうかな?」
「うん、言われてみれば、そうかも」
「ちょっと、退屈しちゃったよね」
「そういえば、お兄ちゃんとの約束もあったし」
「手紙なんて、失礼だもん。直接迎えにいかないと」
「ついでに、遠坂の羽虫も、叩き潰そっか」
「マキリを殺すか、遠坂を殺すか、迷ったけど」
「そうだね、まずは遠坂を、殺そう」
「そして、お兄ちゃんを、私だけのサーヴァントにするの」
「一緒に行こっか」
「だって、貴方を連れて行かないと、お兄ちゃんに怒られちゃう」
「そうでしょう、ねえ、バーサーカー?」
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