FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
それを、人は何と名付けることが出来るだろうか。
蛇。
そう、呼ぶことが出来るだろうか。
濡れたように光る、黒い鱗。
長大な胴体。
それに一番近い存在は、と問えば、十人中十人がそう答えるだろう。
しかし、それ名を与えるならば、蛇という表現は憚られる。
まず、単純に大きい。
今、それが存在する城のロビーは、広い。
そして、広いだけではない。
天井が、馬鹿みたいに高い。
吹き抜けになったその天井は、十メートルに届くだろうか。
つまり、面積としてではなく、空間として広いのだ。
そのロビーに、それはみっしりと詰まっていた。
みっしりと、絡まりあうように、詰まっていた。
それは蛇でありながら、球体なのだ。
丸い。
だが、つるりとした丸さではない。
絡まって二度と解けなくなった糸屑、それが偶然形作る丸さに似ている。
絡まった糸屑。
それは存外、正しい表現かもしれない。
俯瞰した形だけでなく、仔細に渡って、その形は似ている。
丸まった糸屑のように、所々から細長い繊維のようなものが飛び出している。
細い、繊維。
それでも、巨木の幹よりも太い、その体躯。
それは、蛇だ。
その繊維の一本一本が、蛇。
ぱかりと裂けた口を持ち、しかし瞳のあるべき場所に瞳を持たない、異形の蛇の頭部。
それが、球体から無数に生え出している。
無数の巨蛇が絡まりあって二度と解けなくなったような姿。
そして、その球体の中央。
そこには赤く輝く、大きな瞳が。
それを、人は何と名付けることが出来るだろうか。
絶望。
辛うじて、そう呼ぶことが出来たかもしれない。
episode54 流血
体が、重たい。
手が、足が、まるで鉛に変えられたみたい。
重たい。
動くのが、億劫だ。
ならば、動かなくても良いのではないか。
このまま、大地と一体になることが出来れば、それはなんと快楽であろう。
硬い、石になる。
永遠にここに屹立する、石像になる。
雨に晒され、風に晒され、悠久の中で朽ちていく。
指は砕け、足が崩れ、地に倒れ伏す。
苔が生え、土中に埋もれ、やがて光も無くなる。
そして、緩やかに、緩やかに、微細になっていく。
それは、なんと心地よい悪夢であることか。
「ほう、腐っても聖杯か。瞳を向けられただけでは石化せぬとは」
ぽたぽたと、鼻先から汗が滴る。
それは伏した私の視界の中央に、黒々とした染みを作っていく。
息が、荒い。
膝が崩れ落ちそうになる。
己をコントロールできない。
これは、恐怖だ。
いと小さきものが、己の規格に収まらないものと対峙した時に感じる、恐怖。
それを感じたことを、恥じた。
確かに、私は強くない。
しかし、私達は最強だ。
ならば、何故恐怖を感じなければならないか。
それは、我が従者に対する侮辱ではないのか。
ああ、そうだ。
私達は強い。
私は彼が大嫌いだ。
それでも、彼は強いんだ。
絶対に、負けない。
負けるなんて、許さない。
メデューサ?
それがどうした。
そんな怪物、英雄の贄でしかないではないか。
いや、化け物と呼ばれる全ての存在が、悉く英雄の添え物でしかない。
ならば。
「叩きのめしなさい、バーサーカー!」
■■■■■■■■■■―――――――!!!!!
そう、一言命じる。
それだけで、いい。
◇
鋼が、駆けた。
巨人。
巨体。
巨躯。
巨腕。
何もかもが、大きい。
大きく、太い。
二の腕の回りなど。成人男子の胴囲よりも遥かに太かろう。
しかし、少しも緩んでいない。
むしろ、その強固さを表すのに、如何なる形容が相応しいか迷うほどだ。
硬さを表す言葉など、それこそ無数に存在する。
それでも、その肉体に相応しいのは『鋼』、これに尽きるだろう。
唯でさえ硬い鉄を、焼き、鍛え、強くしていく。
そして生まれた、硬く、粘り、砕けない鉄。
鋼。
鋼の、筋肉。
鋼より、強い、肉体。
それに身を包んだ勇者が、駆ける。
軽やかだ。
鈍重という印象は、どこにも無い。
大理石の床、それを裸足で破砕しながら、彼は駆ける。
まるで、水面を駆ける水鳥のように、優雅に、美しく。
手には、己の巨躯と等しいほどの、岩剣。
それを枝切れのように軽く携え、彼は奔った。
目の前には、黒い塊、そしてそこから生え出した異形の蛇。
それらが、彼を一斉に睨みつけた。
魔眼など、必要あるまい。
常人ならば、その異様だけで、恐怖に身を竦ませる。
しかし、彼は駆けた。
その殺気を、微風のように弄らせて。
咆哮。
彼の喉が、豪砲を迸らせる。
それが、合図。
怪物対英雄。
神話の時代にありえなかった、最も高名な二体の戦い。
それが、ここに、あった。
◇
ずしん、と衝撃が走った。
城が、揺れた。
地震?
……いや違う。
そんな自然現象じゃあない。
そんな生易しいものじゃあない。
もっと直接的で、なによりも人為的。
志向性を持った、害意。
戦い。
何かが、戦っている。
下だ。
恐らく、一階。
そこで何かが、戦っている。
片方は、多分バーサーカー。
もう片方は?
凛達……ではあるまい。
これほど近くで戦いがあれば、令呪を通じて何らかの反応があるはずだ。
それがないならば、バーサーカーと戦っているのは、セイバー達ではありえない。
ならば?
いや、考えていても仕方ない。
今、俺が成すべきなのは、動くこと。
立ち上がり、走ること。
既に誡めの縄は取り払われた。
長時間、椅子に縛り付けられていたからだろうか、関節が硬い。
だが、そんなことは埒外である。
それに、嫌な予感がする。
バーサーカーは、強い。
最強だ。
それでも、万が一のことがあれば?
守らなければ。
彼女を。
きっと、親父の娘を。
俺の、家族を。
◇
その戦いに技は無かった。
その戦いに術は無かった。
その戦いに策は無かった。
あったのは、もっと原始的なもの。
原始的で、根源的で、何よりどろどろしたもの。
熱い泥濘の中でのた打ち回るような、粘着質な戦い。
蜘蛛と蜘蛛が絡まりあうような戦い。
それが、あった。
巨人。
それの右手には、その存在に相応しい、斧剣。
それを小枝のように振り回し、襲い来る蛇を叩き切る。
技は、無い。
必要無い。
コンビネーション、フェイント、カウンター。
技など、人が人を相手取るために開発した技術。
どれほど突き詰めようが、小手先の域を出ない。
例え同時に三方向から防御不可能な攻撃することが叶おうが、その一撃がこの肉体に傷一つ付けられないならば、一顧だにする必要は、無い。
絶対の攻撃力と絶対の防御力。
それさえあれば、他は飾りでしかない。
その巨人は、存在自体をもってそう証明していた。
彼が腕を動かす度に、蛇の首が舞う。
舞い散る血飛沫が、大理石の床を血の赤絨毯で染めていく。
比喩ではなく、濃厚に立ち込める血煙。
鼻の奥を痺れさせるような血臭。
その中で聳え立つ鉄巨人。
彼の背に守られた少女に、もはや脅えの色は見えない。
それでも、彼の敵は堕ちた女神。
空を統べる男神に、追い遣られた地母神。
蛇。
生命力の象徴であり、再生の象徴。
その末端、無数の蛇の頭のごく一部を断たれたくらい、何の痛痒も感じない。
化け物の領分は、その不死性。
斬られても死なぬ。
潰されても死なぬ。
殺されても、死なぬ。
それでこそ、化け物。
それでこそ、恐怖の象徴。
人外と人外の戦い、聖杯戦争。
その中でも、更に外れた二体の戦い。
始まりは、むしろ静寂を感じさせるほど穏やかなものだった。
◇
やっぱりだ。
呆れるほど。
さっきまで脅えていた自分に、呆れてしまう。
それほどに、強い。
やっぱり、バーサーカーは強い。
だって、私のサーヴァントなんだもの。
私だけのサーヴァントなんだもの。
弱いはずがない。
弱いなんて、許さない。
だから、バーサーカーは強いんだ。
負けない。
絶対に、負けない。
なのに。
どうして?
どうして、膝が震えるの?
どうして、声が出ないの?
やだ。
やだよう。
はやく、その化け物を倒して。
お願い。
早く、倒して、リン達を殺しにいきましょう?
「肉を切らせて骨を断つ。如何にも陳腐な諺ではあるが、今の状況を表すのにこれほど相応しい言葉もあるまい」
黙れ。
お前は、喋るな。
そんなこと、許可した覚えは無い。
「そろそろ、じゃな」
何がだ。
お前如きに何が分かる。
時の暴虐に敗れ去った、理想の燃え滓が、偉そうな口を叩くんじゃあない。
お前が使役するサーヴァント如き、私のバーサーカーの敵じゃあない。
だから、黙れ。
お願いだから、黙れ。
◇
ごつり。
首が舞う。
ばしゃり。
血が弾ける。
ごつり。
骨が砕ける。
ばしゃり。
血が舞い散る。
ごつり。
ばしゃり。
ごつり。
ばしゃり。
戦況は互角だった。
バーサーカーには傷一つなく、辺りはゴルゴンの血で埋め尽くされている。
断ち切られた首が、小山のように折り重なっている。
それだけ見ればバーサーカーに戦機はあるように見える。
しかし、それでも攻め続けているのはゴルゴン。
断たれても断たれても、生まれ続ける蛇の頭。
それが、絶え間なく狂戦士を襲い続ける。
大顎で、丸呑みにしようと。
巻き付いて、全身の骨を砕こうと。
その牙で、八つ裂きにしようと。
あらゆる角度から、同時に襲い来る。
それでも、巨人には届かない。
牙も、顎も、その体も。
巨人が、その巨腕を振り回すたびに、悉く宙を舞う。
そして、鮮血が舞い散る。
びちゃびちゃと、粘着質な音を立てて。
互角。
傷つきながら、攻め続ける。
無傷で、守り続ける。
互角。
互角、だった。
それが崩れたのは、いつだったか。
それは、ほんの僅かな異変だった。