FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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episode55 終結

 ずしん。

 腹の奥を痺れさせるような、重い音。

 それが、絶え間なく鳴り響く。

 時折、がしゃん、という、やや高い破砕音が聞こえる。

 おそらく、豪奢な調度が砕け散った音だろう。

 それらの雑音を圧して、なお余りある、異様な音が響く。

 轟音。

 破裂音に近いかもしれない。

 それは、声だ。

 咆哮だ。

 

 片方は、それでも人の咆哮。

 声帯を開け放って、闘志と一緒に呼気を吐き出したような、狂戦士の鬨の声。

 息が、白い。

 それに含まれる、凄まじい熱量。

 人に許された体温など、とうの昔に超えてしまっている。

 熱せられた、鋼のような、体温。

 刀に焼入れを行ったときに、湯から溢れかえる蒸気のような、吐息。

 化け物。

 狂気に憑かれ、己が子を炎に投げ入れた、その時の姿。

 その身を焼く赤い炎は、愛しき稚児を焼き殺したそれと同じ色だろうか。

 

 片方は、既に人の声ですらない。

 彼女の、聞く者を魅了する、あの美しい声は、どこにも無い。

 高い、耳を劈くような、不快な鳴き声。

 ガラスを針で擦ったような、神経を鑢る、鳴き声。

 そこに、理性など、一欠けらも見当たらない。

 その巨体を動かすのは、理性ではなく、本能ですらなく、宿命。

 化け物として人を襲い、化け物として人に討たれる、宿命。

 決して報われない、単純作業。

 それを嬉々として行うのが、今の彼女だ。

 化け物。

 彼女が、彼女の愛しい人達を飲み込んだ、その時と同じ姿。

 その目に宿った赤い光は、愛しい人達の赤い体液を飲み下したときのそれと同じ色だろうか。

 

 episode55 終結

 

 城が、悲鳴をあげた。

 その身を震わせて、慟哭していた。

 やめてくれ、と。

 もう、もたない、と。

 地響き。

 ぱらぱらと、小石が舞い落ちる。

 みしみしと、壁が軋む。

 それは、長くこの地に屹立する、この冬城の断末魔だったのかもしれない。

 

 途切れることの無い、ゴルゴンの攻撃。

 無数の大蛇が、大英雄を襲い続ける。

 巨木の幹よりも、なお太い直径。

 肉を食い千切るための獰猛な牙。

 岩よりもなお硬質な、ごつごつとした鱗。

 腐ったように、蕩けた眼球。

 瞳の無い、熱の無い、蛇の群。

 それが、巨人の肉を喰らわんと襲い来る。

 疾い。

 鎌首を擡げた蛇が獲物に飛び掛るときよりも、なお疾い。

 まるで弾丸だ。

 事実、それに触れた物質は、悉く破壊された。

 大理石で作られた柱が、壁が、床が。

 まるで塩で作られたオブジェのように、あっけなく。

 唯一の例外が、彼女と対峙する巨人と、彼の握った岩剣くらいのものか。

 巨人は、一歩も引かずに迎え撃つ。

 己の重量と等しいほどの岩の塊を、小枝のように軽々と振り回して。

 彼の切っ先の届く範囲、それの作り出す円。

 透明な、球体。

 その中にのみ、蛇は存在を許されない。

 その中に侵入を試みる蛇は、体内で火薬が爆発したかのように、爆ぜ散る。

 正面からはもちろん、彼の視界の届かぬ後方から襲い来る蛇も、同じこと。

 そして、その肉片を浴びながら、巨人が少しずつ歩を進めるのだ。

 一歩一歩。じっくりと。

 その様に、彼の曾孫の姑息な印象など、一縷も無い。

 不可視の兜など、必要ない。

 彼は、戦士。

 その輝かしい雄姿を、どうして鼠の如く隠す必要があるだろうか。

 空を翔るサンダルなど、必要ない。

 彼は、勇者。

 蝿のように飛び逃げる必要など、どこにある。

 狂った彼は、それでも同郷最悪の魔物を、正面から凌駕していた。

 力。

 それのみ。

 それのみで、最悪の怪物を凌駕していたのだ。

 それほどまでに、彼は絶対だった。

 彼は、歩く。

 辺りは、惨状だ。

 砕かれ、ひき潰された大理石が、細やかな小石となり、どろりとぶち撒かれた蛇の血と混ざり合って、コールタールのようになっている。

 臭気が、耐え難い。

 肺腑を腐らせるような、濃厚な腐敗臭。そして、反吐のような饐えた臭い。

 空気が毒と交じり合ったような、そんな大気。

 そんな、紅く腐った空間の中でも、なお轟然と敵に胸を晒すのは、狂戦士。

 理性を失いながら、それでも最も深奥の誇りは失わない、その姿。

 その瞳に込められた意志こそが、彼を唯一英雄足らしめる証左だろうか。

 彼は、理解していた。

 致命的なまでに狂いながら、それでも理解していた。

 今、彼を襲い続けているうわばみの群は、彼女の末端器官でしかないことを。

 例えるならば、爪や髪の毛、その先に近いものだ。

 切り取られれば、それなりの苦痛はあるかもしれない。

 それでも、致命傷にはなりえない。

 いくら断とうが、この敵は倒せない。

 彼は、その事実を理解していた。

 だから、彼が虎視眈々と狙っていたのは、彼女の瞳。

 赤く輝く、大きな瞳。

 彼に不可解な重圧を加え続ける、あの不吉な瞳。

 それをこそ、叩き壊すべきだ。

 彼は、そう理解していた。

 そして、それは完全に正しかった。

 神話のとおり、そこを断たれては、さしもの蛇妖も、死なざるを得ない。

 だから、その拍子は、まさに必殺だった。

 一瞬。

 嵐に従えられた黒雲の隙間から、太陽が顔を出すような、一瞬。

 大蛇共の攻撃が、示し合わせたかのように止んだ、その一瞬。

 彼は、駆けた。

 一息で、蛇の塊、その足元まで。

 そして、跳ぼうとした。

 目の前の災厄、その息の根を断たんと。

 その時だ。

 巨人の体が、僅かに揺らいだ。

 彼が、絡まりあった蛇の球体、その中心に飛び掛ろうとした、正にその時。

 彼の体が、宙を泳ぐかのように、僅かに揺らいだのだ。

 彼の主人には、何が起きたのか、全く分からなかった。

 ただ、彼の無敵の従者が、何かに蹴躓いた、もしくは何かに足を取られた、そのようにしか見えなかった。

 それは、ある意味において、極めて正しい。

 ひょっとしたら、狂戦士自身も、己の置かれた状況を理解していなかったかもしれない。

 一瞬の、無音。

 蛇も、狂戦士も、城も、鳴き声をあげなかった、その一瞬。

 朽ちた身を震わせて、怪老が、一人笑った。

 

 

 はぁ、はぁ、はぁ。

 走る。

 音の源、戦場に向かって。

 はぁ、はぁ、はぁ。

 走る。

 長大な廊下、冗談としか思えないような建築の中を。

 はぁ、はぁ、はぁ。

 走る。

 彼女のもとに。

 俺の、妹のもとに。

 

「……っそったれ、階段はどっちだよ!」

 

 城。

 大きいとは知っていたが、それにしても常識外れだ。

 自分がどこにいるのかが、わからない。

 解析をしてみても、はじかれる。

 方向感覚も、はっきりしない。

 何らかの魔術的な加護が付されているのだろうか。

 それでも、聞こえてくる破壊音。

 音が反響して、どこから聞こえるのか曖昧だ。

 何かと何かが、縺れ合う、音。

 さっきから、絶え間なく響く、音。

 それが、変化した。

 どう変化したのか、言葉には表し辛い。

 音の志向性、そう言えばいいだろうか。

 先ほどまでは等分に聞こえた二つの音が、一つに収束され始めたのだ。

 音が、単調になってきた。

 或いは、一方的に。

 何かが何かを嬲るような、そんな音。

 よく分からない。

 確証なんて、無い。

 それでも、胸騒ぎが、する。

 この音は、不吉だ。

 急げ。

 手遅れになる前に。

 

「……あった!」

 

 階段。

 音が、さっきよりっもはっきりと聞こえる。

 なら、この下だ。

 跳ぶ様に駆け下りる。

 

「投影、開始」

 

 手に感じるのは、彼の夫婦剣のずっしりとした質量。

 鼻に感じるのは、風に運ばれてくる、鼻腔を腐らせるような腐臭。

 背に感じるのは、生きたいと希う、哀れな男の生存本能。

 そして、瞳に感じるのは、それらをひっくるめて、前に進むための、意志。

 父から受け継いだ、遺志。

 彼に教えられた、意志。

 この身体を、唯一意味在るものに変えてくれえる、掛け替えの無いもの。

 それを滾らせて、駆ける。

 やがて、光が。

 その中に、少女が。

 さあ、悦べ、衛宮士郎。

 お前の出番だ、衛宮士郎。

 お前がその名を語るに相応しい者か、それを審判する、格好の機会。

 それが証明できたなら、俺は――。

 

 

 少女が、泣いていた。

 瞳を乾かし、唇を恐怖に戦慄かせながら、泣いていた。

 その思考を支配するのは、悲しみではない。

 恐怖でも、怒りでも、絶望でもない。

 たった一つの、疑問。

 

 ―――何故?

 

 何で、あの化け物は、生きている?

 何で、バーサーカーが倒れている?

 何で、貴方が血塗れで倒れている?

 理解できない。

 理不尽だ。

 こんなの、認められない。

 嘘だ。

 バーサーカーは、一番強いんだ。

 絶対に、負けない。

 なのに、何で?

 

 

 いつしか、戦局は一方的なものになっていた。

 別段、何かが変わったわけではない。

 狂戦士は、剣を振るう。

 蛇は、狂ったように彼を襲う。

 その構図には、一切の変化は無い。

 変わったのは、結果。

 その結果だけが変わっていた。

 狂戦士が、剣を振るう。

 その先には、襲い来る大蛇の首。

 その首に、彼の携える斧剣が突き刺さる。

 今までならば、蛇の頭は、まるで飴細工のように弾け跳んでいただろう。

 しかし、今は、その岩のような頭部、その半ばまでしか断つことができない。

 自然、剣を戻すのが遅れる。

 それは、紛れもない隙。

 悪神は、それを見逃さない。

 四方から、まるで悪夢のように、大蛇が襲い掛かる。

 ぎらぎらとした牙を輝かせて、彼に襲い掛かる。

 

 一口めは右肩。

 

 血が、噴き出した。

 今は血の泥濘となった大理石の床、そこを巨人の体液が、初めて濡らした。

 

 二口めが左の脇腹。

 

 どろりとした腸が、毀れだす。

 毒々しい大気に、不快な臓物臭が満ちる。

 

 三口めでメインディッシュのその頭を。

 

 ばきり、と嫌な音がした。

 蛇の口の中で、彼の頭蓋が噛み砕かれる音だ。

 顔を半分失った巨人が、血の沼の中に倒れ伏す。

 その頭からは、乳白色の脳みそが、冗談みたいに零れ落ちた。

 蛇どもは、歓喜に身を震わした。

 殺したのだ。

 己の子孫を殺し尽くして、それを功と誇る、仇敵を。

 歓喜の、声。

 歌。

 しかし、それは即座に中断を余儀なくされた。

 弾け跳んだ。

 蛇の頭が、だ。

 死体に集る蛆のように、彼の死肉を啄ばんでいた醜い蛇どもが、弾け跳んだ。

 まるで肉片の竜巻。

 その中心には、かの大英雄。

 その立ち姿に、一筋の傷も、見出すことは叶わない。

 彼は、死んだ。

 間違いなく、死んだ。

 全身を齧られ、脳味噌まで溢したのだ。

 いかに英霊といえ、脳味噌を失って生きていられる道理がない。

 だから、彼は死んだのだ。

 死ねば、消える。

 消えて、塵となる。

 それが、サーヴァントと呼ばれる者の摂理。

 しかし、彼はその理を覆す者。

 一度や二度の死など、ものの数ですらない。

 瞬時に身体を修復し、迫り来る顎をその巨大な剣で迎え撃つ。

 ぶつん、とまるで大型のトレーラーのタイヤを引き千切るような音をたてて巨大な顎が宙を舞う。

 彼こそは大英雄ヘラクレス。

 無数の怪物を倒し、世界中にその威を知られた剛の者。

 神に祝福され、神に呪われ、それでもその存在を、ただ力をもって証明した、勇者。

 だから、この戦いは彼が勝者に相応しい。

 英雄対怪物の幕引は、人の勝利と相場が決まっている。

 でも。

 それでも、彼の主人たる少女の震えは止まらなかった。

 

 ――なんで。

 ――やだ。

 ――いやだよぅ、バーサーカー。

 ――早くその化け物をやっつけて、凛達を殺しに行かなくちゃいけないのに。

 ――なのに、なんで貴方はそんなにボロボロなの?

 

 不屈の勇者が、吼えた。

 その声は、今までのそれと同じでありながら、しかしどこか違っていた。

 声。

 怒りの、声。

 敵に向けられたものではない。

 己に。

 主に涙を流させた、己の不甲斐なさに向けられた、怒り。

 彼は、怒っていた。

 怒りながら、のた打ち回っていた。

 血の中を。

 どろりとした、粘着質な血の泥濘の中を。

 吼える。

 まるで、声をもってこの血の湖沼を吹き飛ばそうとしているかのように。

 しかし、それは叶わない。

 血が、彼に纏わりつく。

 全身を、彼自身と、それ以外の血に飾らせながら、彼は立つ。

 立ち上がり、剣を振るう。

 だが。

 だが、剣は蛇を両断できない。

 何が変わったわけでもない。

 例えば、蛇の鱗が硬くなったわけでもない。

 例えば、刃が油に塗れて、切れ味を失ったわけでもない。

 彼と、彼の敵は、何も変わってはいない。

 変わったのは、彼らを取り巻く環境。

 戦場が、変わっていた。

 大理石の床。

 その上に、これでもかと撒き散らされた、蛇の血液。

 彼らは、そこで戦っていた。

 粘着質な、血液の上で、戦っていた。

 蛇が襲い来る。

 狂戦士が、剣で迎え撃つ。

 足に力を込め、その膂力で、剣を振り下ろす。

 その瞬間。

 ずるり、と。

 彼の力を、安定しない地面が、奪い去った。

 そして、彼は弾き飛ばされる。

 まるでゴム鞠か何かのように、軽々と。

 大理石の壁に、亀裂が走る。

 それでも、彼は生きていた。

 床に手をつき、立ち上がろうとする。

 立ち上がって、向かい来る蛇の大顎を、迎え撃とうとする。

 だが、またしても。

 ずるり、と。

 彼の手を、地面が拒絶した。

 血の沼に、三度倒れ伏す大英雄。

 その身体に、蛇が巻きつく。

 鉄心に撒きついた、発条のように。

 巨人が、吼えた。

 その怪力で、蛇の身を、逆に引き千切ろうとする。

 しかし、蛇は構わずに、撒きついて締め上げる。

 一匹ではない。

 二匹、三匹が、仲間ごと絞め殺そうと、彼に撒き付いていく。

 巨人の声が、空しく響く。

 一瞬で、彼の巨大な体躯が見えなくなった。

 そして、響く鈍い音。

 ばきばきと、耳を塞ぎたくなるような低い音。

 彼の強靭な骨格、その全てが、仔細に渡るまで粉微塵になった、音。

 声が、だんだんと弱弱しくなっていき、やがて、途絶えた。

 いずれ、血が溢れ出した。

 まるで、乾いた雑巾から、強引に水分を搾り出したかのように、ぽたり、ぽたりと。

 蛇の発条、その直径が、少しずつ細くなる。

 少しずつ、少しずつ。

 その隙間から、形容しがたい紅い塊が、ぶちゅり、と溢れ出す。

 やがて、蛇は拘束を解いた。

 ぐるぐると、巻き付くときとは真逆に、ゆっくりとその身を捩じらす。

 その中には、棒切れが、あった。

 所々、蛇の胴の形に合わせて隆起と沈降を繰り返す、棒切れ。

 それは、人としての死を向かえることを許されなかった、人だったものの成れの果て。

 大英雄、だったもの。

 それが、ゆっくりと、やはり血の泥濘の中に倒れた。

 これで、四度。

 あと何度死を迎えれば、彼は苦痛から解放されるのだろうか。

 

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