FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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episode57 エミヤシロウ

 それを、何と呼べばいいのか。

 形だけ見るならば、それは槍、それもランスと呼ばれる、巨大な馬上槍だった。

 長さは、5メートル、重さは10キロにも届くだろうか。

 重く、しなやかな穂先、それが大理石の天井にめり込んでいた。

 

 用途だけを考慮するならば、それは待ち針であった。

 例えその針がどれほど大きかろうが、例え縫い付ける対象が古代ギリシャの蛇神であろうが、その用途が対象を縫い止めるということに使われるというのなら、やはりそれは待ち針なのだろう。 

 

 そして、その射出方法のみを考えるならば、それは間違いなく矢であった。

 剣だろうが馬上槍だろうが。

 相手を射殺すために使われようが相手を縫い止めるために使われようが。

 それが弓から放たれたものならば、弓兵が放ったものならば、それはやはり矢と呼ばれるのだ。

 

 だから、それは、矢だったのだ。

 少女と少年、二人をまさに飲み込まんとしていた、巨大な蛇、そのちょうど両の目を、一矢にて貫き、縫いとめる神技。

 崩れた外壁、そこから覗く、あまりに頼りない陽光。

 それを背にして、弓兵は、皮肉気に頬を歪ませた。

 

episode57 エミヤシロウ

 

 蛇は、激怒した。

 その身を捩るほどに、激怒した。

 獲物は、目の前だったのだ。

 それを、喰らおうと思っていたのだ。

 もちろん、噛み砕こうとは思わない。

 彼女の中で、しゃぶりつくそうと、思っていた。

 消化なんて、してあげない。

 永遠に、永遠に、彼女の中で、慈しもうと、その魂までもしゃぶりつくそうと、そう思っていた。

 傍らに目障りな人形がいるが、こちらは丁寧に噛み潰してやれば問題ない。

 彼は、飴玉だ。

 ころりころりと、口中で舐め転がし、徐々に、本当に少しずつ、悠久の時をかけて溶かしていってあげようと思っていたのに。

 突然、名も知らぬ闖入者が、無礼にもそれを邪魔したのだ。

 彼女は、身を捩った。

 その度に、豪奢な調度が、大理石の建築物が、破砕音の断末魔をあげる。

 許さない。

 許さない。

 許さない。

 その紅い瞳。

 そこに映ったのは、赤い騎士。

 一度は彼女に、瀕死の重傷を負わせた、騎士。

 それでも、そんなことすら、彼女の意識には胡乱過ぎる。

 彼女は、ただ怒っていた。

 怒りすら霞むほどに、怒っていたのだ。

 

 

 襲い来る、無限の大顎。

 その一つ一つが、私を丸呑みにして余りある、大きさ。

 到底、干将・莫耶では対応しきれない。

 そもそも、これらの頭を削ぎ落としたところで、アレに致命傷を与えることは叶うまい。

 これは、彼女の末端。

 精々が、掌や足の甲。もしかしたら、爪とか髪の毛とか、それくらいに痛痒も感じないパーツなのかも知れないのだ。

 だから、如何にして彼女の本体を叩くか。そこが勝負の分かれ目になるだろう。

 

「そうなると、やはりきついか……」

 

 彼女の本体。

 まるで、石のような重圧を投げ掛けて来る、怪物メデューサの大本。

 そこには、当然存在するだろう。

 神話に名高い、『キュベレイ』、最高位の魔眼、『宝石』。

 そもそも、魔眼とは術者の視界に存在する全てのものに問答無用の束縛をかける反則染みた魔術だが、対象者が術者の目を見ればその効果は飛躍的に上昇する。

 今、私は彼女の瞳を視界に入れていない。

 それでも、冗談みたいなプレッシャーが全身を覆っているのだ。これで彼女の瞳を見た日には、ほぼ間違いなく身体の自由を奪われる。

 それは、このとき、この場においては、逃れられない死を意味する。

 だから、本体を狙うことが出来ない。

 かといって、それ以外の箇所を狙ったところで、彼女に致命傷を与えることは不可能だ。それに、そのように無駄な魔力、私には存在し得ない。

 だから、かわす。

 今は、それしか出来ない。

 それも、いつまでも持つまい。

 頼む、凛、早く、あの馬鹿者を助けてやってくれ。

 長くは、持たないぞ。

 

 

 血臭。

 それも、腐って、発酵の進んだ、それ。

 肺が、腐りそうだ。

 いや、とっておきの宝石、それを飲み込んでいなければ、事実、私は窒息して死んでいただろう。

 それほどに、ここは人のいるべき空間ではない。

 そこを、走り抜ける。

 ばしゃりと、血が跳ね散る。

 思わず足を取られそうになるが、構っていられない。

 

「Es ist gros、Es ist klein…!」

 

 重力制御の呪文。

 それで、なんとか体を安定させる。

 後ろから、寸分違わず同じ呪文が。おそらく、桜だろう。

 桜、そしてセイバー、キャスター。

 セイバーは、血の泥濘の上を、滑るように走る。湖の妖精の加護とやらは伊達ではないらしい。

 キャスターは、そもそも地に足をつけていない。同じ魔術師として嫉妬を感じるが、力の差と、現在置かれた状況を考えれば、そんなことは意識の埒外だ。

 

「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ!」

 

 走る、走る、走る!

 幸い、階段は崩れ落ちていなかった。

 それでも、ぱらぱらと、小石が肩を叩く。

 崩壊が、始まっている。

 一刻の猶予もない。

 

「凛!」

 

 背後から、声が。

 それと共に、何かがこちらに向かってくる気配。

 しゅうしゅうと、この場を埋め尽くす腐敗した大気、それよりも更に濃厚な腐敗臭を撒き散らして、それが来る。

 だが、構っていられない。

 

「Neun、Acht、Seben、Stil、sciest、Beschiesen、ErscieSsung――!」

 

 振り返ることもなく、宝石を投擲。

 爆発音。

 確かな手応え、しかし、あまりに儚い手応え。

 これでは、倒しえない、そういう直感。

 急げ。

 急げ。

 階段を駆け上がる。

 黒い、影が。

 頭上に、蛇の、顎。

 不味い、反応が、遅れた。

 遅い来る、牙。

 しかし、それは私に届かない。

 何故なら――!

 

「――Ατλασ!」

 

 紡がれる、高速神言。

 

「サンキュ、キャスター!」

「急ぐわよ、長くは持たない!全く、アレの対魔力、セイバー並みよ!」

「そんなこと!」

 

 百も承知だ。

 階段が、終わる。

 そこには、四人の人影が。

 士郎。

 イリヤスフィール。

 おそらくは、彼女の御付きのメイドが、二人。

 

「なにやってんの!さっさと逃げるわよ!」

 

 振り返った彼女は、泣いていた。

 

 ぼろぼろと、歳相応の少女のように。

 

「リン……シロウが、シロウがあぁ……」

 

 彼女の、細い腕に抱きかかえられた、士郎。

 その手は、力なく垂れ下がり。

 その先端は、灰褐色の、石像と化していた。

 

「この、馬鹿……!」

 

 見たのだな、あの化け物の瞳を。

 いや、もしかしたら、瞳を向けられただけでこうなってしまったのかもしれない。

 それほどに、こいつの対魔力は脆い。

 私は、軽く頭を振った。

 そんなこと、今はどうでもいい。

 今は、とにかく逃げることだ。

 

「脱出するわ、イリヤスフィール、急いで!」

「でも、シロウが、シロウがあぁ……」

 

 ぱあん。

 高い音が、非現実に浸食された空間に、響いた。

 手が、ジンジンと痛む。

 きっと、彼女の頬も、同じくらいには痛いはずだ。

 

「ふざけるな、アインツベルン!そこで泣き叫んでいれば、満足か!それで、士郎は救われるとでもいうか!」

 

 彼女は、呆然と、私を見つめた。

 何かが、抜け落ちた、表情。

 そこに、徐々にではあるが、何かが満たされていく。

 怒りか。

 いや、違う。

 怯えか。

 そんなはずがないだろう。

 それは、誇り。

 一千年以上続いた、魔道の大家。

 その後継者としての誇りが、彼女の大きな瞳に、満ちていった。

 

「もしそうなら、士郎を寄越しなさい!貴方はここで死ね!私は、そいつを助ける!」

「リズ!」

 

 彼女は、素早く立ち上がった。

 その瞳に、もはや脅えはなかった。

 貴族としての、戦場で剣を振るうものとしての誇りが、そこにはあった。

 

「シロウを抱えて!離脱します!」

「了解しました」

 

 御付きのメイド、その一人が、軽々と士郎を持ち上げる。

 

「セラ!」

「はい、お嬢様」

「車の準備を!」

「了解しました」

 

 その声に、先ほどまでの弱弱しさは、微塵も見られない。

 強い。

 年端も行かない少女が、これほどまでに強い声を出し得るのか。

 そう、感嘆させるだけの強さと、そしてしなやかさが、そこにはあった。

 

「へえ、らしくなったじゃない、イリヤスフィール!」

「ええ、まるで遠坂みたいに粗野で、野蛮。全く、こんなの、お爺様には見せられない」

 

 彼女は、軽く溜息を吐いた。

 感謝の言葉は、無かった。

 代わりに、強がりも、無かった。 

 それが、この上なく彼女らしくて。

 私は、思わず噴き出した。

 

「はは、いいじゃない、あんた!ちょっと素敵よ!」

「ええ、リン。貴方と同じくらいには、きっと素敵!」

 

 私たちは、喧嘩する直前の猫みたいに、笑いあった。

 

「じゃれてるのもいいけど、さっさと離脱するわよ!」

「お願い、キャスター!」

 

 桜の、声。

 神代の魔術師が、にやりと笑った。

 

「――Αερο!」

 

 壁が、吹き飛ぶ。

 そこには、山の向こうに沈みつつある、西日が。

 軽やかな、大気。

 それを、深海魚みたいに、肺一杯に吸い込む。

 ああ、美味しい。

 空気が美味いとは、まさにこのことを言うのだろう。

 

「Es ist gros、Es ist klein……!」

 

 二度目の、重力制御。

 これは、私自身に掛けたものではない。

 士郎と、彼を抱える、イリヤの従者、二人に掛けたものだ。

 なにせ、今の彼は石となりつつある。

 その身体が砕け散っては、例え解呪が為ったとしても、彼が目覚めることは二度とない。

 そんなこと、耐えられない。

 だから、慎重に。

 

「感謝する、遠坂の魔術師」

 

 機械じみた、無機質な声。

 それでも、確かな信頼に値する、頼もしい声。

 

「そいつを傷つけてみなさい、地の果てまで追っかけて、殺してやるから」

「最大限の努力は払う、任せて」

「急いで、蛇が!」

 

 セイバーの声。

 それだけで、状況確認など終わっている。

 後ろは、振り返らない。

 高さへの恐怖なんて、とうの昔に捨て去った。

 だから、私は、宙へ。

 ふわりと、重力が、無くなる。

 そして、着地。

 そのまま、一目散に駆ける。

 駆ける。

 駆ける。

 そして、息が続かなくなったとき。

 やっと、立ち止まった。

 あたりを見回す。

 セイバー。

 キャスター。

 桜。

 イリヤスフィール。

 リズと呼ばれたメイド、そして、彼女の腕の中で、力無く項垂れた、士郎。

 セラと呼ばれたメイドは、既に姿が見えない。おそらく、車を取りに行ったのだろう。

 

「イリヤ、さっさとバーサーカーを戻しなさい!逃げるわよ!」

「……へえ、今、私を倒そうと、そう思わないの?」

「私達の力だけであの化け物を倒せるなんて、自惚れちゃあいないわよ!」

 

 それは、もはや自惚れというよりも自殺願望の域にある。

 力を失ったセイバー。

 対魔力の強い敵には、著しく相性の悪いキャスター。

 そして、アーチャー。

 この三人では、あの化け物を倒しえない。

 ヘラクレス。

 数多くの魔獣を屠った、化け物殺しの英雄。

 彼の存在は、不可欠だ。

 

「戻りなさい、バーサーカー!」

 

 イリヤスフィールの、全身に刻まれた令呪が、発動する。

 規格外の魔力の渦。

 その中心に、バーサーカーは、立っていた。

 身体には、傷一つない。しかし、何かが欠けている、そんな感じではあったが。

 そんな、あまりに逞しい鋼の従者に、彼女は優しく手を触れた。

 

「九回も死んじゃったんだね…ごめんね、痛かったでしょう……」

 

 まるで、巨木の幹のような太腿に、縋りつく。

 涙は、流さなかった。

 でも、それ以上に、悲しげな声だった。

「全く、アレは悪い冗談だな」

 

 

 背後から、声。

 振り返るまでもない。

 そこには、私の、私だけの、騎士が。

 

「ええ、全く。さ、逃げましょ、アーチャー」

「残念だが、それは出来ない」

 

 彼は、城の方を振り返った。

 そこには、崩壊しつつある居城と、そこから、まるで煙のように溢れ出す、黒々とした物体が、あった。

 いずれ、溢れ出す。

 それは、破滅というよりは生誕であり、その生誕は間違えなく破滅だ。

 

「あれはまだ生まれたてらしい。今、アレを殺さなければ、止め得る者はいなくなる。それは、この儀式の終焉であり、この街の終焉だ」

 

 言葉が、遠い。

 貴方は、一体何を言っているの?

 

「ここで、私が食い止める。君達はさっさと離脱したまえ。はっきり言って、邪魔だ」

 

 彼は、私達に、背中を向けた。

 それは、絶対の拒絶だった。

 駄目だ。

 何を言っても、彼は動かない。

 彼の覚悟は、動かせない。

 何故なら、彼はそういう存在だから。

 何度も夢に見たのだ。

 その愚直な生き方に、どれほど腹が立ったか。

 しかし、美しいと。

 そう、思ってしまった。

 だから、彼を止められない。

 彼を、止めてはならない。

 それは、彼の生を汚す行為。

 そんな権利、私には、いや、誰にも、ない。

 だから。

 だから、私は。

 

「遠坂凛の名において命ずる。アーチャー、石になることを禁じます」

 

 膨大な魔力の渦。

 それが、彼を包み込む。

 令呪は限定的であればあるほど、強い効果がある。ならば、たった一個に限定した命令、おそらく彼を守ってくれるだろう。

 

「……凛、君は正気か!」

 

 彼は振り返らずに、驚愕した。

 なぜなら、これは最後の令呪。獰猛なサーヴァントを御し得る、最後の頚木。

 わかっている。

 彼の言いたいことくらい、痛いほどわかっている。

 所詮、サーヴァントとマスターは、利害の一致を持って結ばれた主従。どれほど強い絆をもってしても、それは仮初のものに過ぎない。

 従順な振りを装って、飼い主の喉笛を噛み切ろうと涎を垂らしている忠犬など、それこそ数え切れないほどだろうに。

 だからこそ、最後の令呪は、一回目、二回目の令呪とは比較にならぬ意味を持つのだ。

 知っている。

 それくらい、知っている。

 それを承知で、思ったのだ。

 貴方に、勝って欲しいと。

 生き残って欲しいと。

 貴方を一人ここに残すことが、どれほど卑怯で、卑劣で、残酷かを知った上で、恥知らずにも願うのだ。

 もう一度、私の元に帰って来て欲しい、と。

 

「ああ、君は本当に愚かなマスターだ。白状しておくとね、凛、私は君が大嫌いだったのだよ」

 

 他愛もない憎まれ口。

 それが、どれほど貴重だろうか。

 

「ええ、知ってたわ。あれで隠しているつもりだったの?」

 

 涙が、溢れそうだ。

 

「ああ、一応はそのつもりだった。いつか、背後からその角の生えた頭を叩いてやろうと、そう思っていたのだ」

 

 でも、泣かない。

 

「じゃあ、許してあげる。どんなに叩いてもいいわ。だから、生きて帰ってきなさい」

 

 泣いたら、彼が悲しむじゃあないか。

 

「ああ、これはきつい命令を。いいか、もう君には令呪は残っていないのだ。無茶は言うものではない」

 

 だから、笑って。

 

「そう?じゃあ、こんな命令も、無茶かしら」

 

 笑って、見送らないと。

 

「どんな命令だね?」

「あいつをぶちのめしなさい、アーチャー」

「く、はは、はははっはははは!」

 

 彼は笑った。

 本当に、愉快そうに。

 嬉しかった。

 私は、笑わすことが、出来たんだ。

 お父様のときは無理だったけど。

 今は、大事な人を、笑わすことが、出来ました。

 救われましたか?

 ほんの少しでも、救われましたか?

 私は、ほんの少しでも、貴方の荷物を抱えることが、出来たでしょうか?

 涙が、視界を歪める。

 呼吸は、止める。

 息など、出来ない。

 息をすれば、嗚咽が漏れる。

 嗚咽は、彼の心を重くする。

 それは、荷物だ。重量だ。

 これ以上、彼に荷物を持たせてたまるか。

 だから、これは、意地。

 あまりにも、醜い、意地――。

 

「訂正しよう、君は最高のマスターだ」

 

 

 後ろで、少女が泣いていた。

 声は聞こえない。きっと、呼吸をすら止めているのだろう。

 私は、知っている。

 彼女が、最後の最後で、己の意地を張り通す強さを持っていると。

 だから、憧れたのだ。

 だから、眩しかった。

 尊くて、侵しがたく、故に偶像だった。

 それでも。

 それでも、君を、裏切った。

 泣いて縋りつく君の手を、振り払った。

 まるで、邪魔者を扱うように。

 だから、これは罰だ。

 この穢れきった身に相応しい、罰。

 だから、遠坂、お前が重荷に感じることなんて、何一つない。

 

「さあ、早く行きたまえ」

「バーサーカー」

 

 声が、した。

 イリヤスフィール。

 私の、妹にして、姉。

 私の聖杯戦争、私の救えなかった、命。

 しかし。

 もしかしたら。

 万が一、この世界なら。

 

「貴方は、彼を手伝いなさい」

 

 従者が、鋼の吐息で、それに答えた。

 

「先ほどの無様は何?たかがメデューサ如きに九度も殺されるなんて、恥と知りなさい」

 

 硬い、声。

 先ほどの凛と同じ、何かに耐える声。

 

「ここが、貴方の意地の張りどころ。貴方が大英雄ならば、耐え切って見せなさい」

 

 そして、彼女は言葉を紡ぐ。

 彼女が何を言うか、あまりにも明白だ。

 彼女の最強の従者、それを真に最強とする、唯一無二の、呪文。

 

「狂いなさい、バーサーカー」

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■―――――――――!!!!!!」

 

 巨人の雄叫びが、森の静寂を、破る。

 冷や汗が流れ出るほどの、死の気配。

 それが味方のものだとは、如何にも信じ難い。

 

「さあ、戦いなさい、バーサーカー。貴方には、それくらいしか価値はないのだから」

 

 その声も、泣いていた。

 知っているのだろう、これから彼が赴くのが、死地であると。

 蛇は、こうしている間にも、どんどん巨大化している。

 あれは、化け物ではない。

 既に、悪神の域に達しつつある。

 聞こえるのは、森の悲鳴。

 マナを吸い尽くされ、枯れ行く神木達の、断末魔。

「私も戦います」

 その声は、私の記憶の深奥に。

 鈴を転がしたような、しかし日本刀の鍔鳴りのような、心地よい、音色。

 

「駄目だ、今の君では、足手纏いにすぎん」

「しかし……!」

「セイバー」

 

 彼女は、押し黙った。

 私の言葉を正しいと認めたのか。

 それとも、これが私の最後の言葉だと、悟ってくれたのか。

 

「あの小僧を、頼む。頼りない奴だが、それなりに骨はある奴だ。鍛え直してやってほしい」

 

 それは、私の唯一の、心残り。

 何故、あの小僧のことが、こうも心残りなのか。

 その言葉は、今の私には遠すぎる。

 ただ、願う。

 セイバー。

 君の、その苛烈な人生の末に、幸おおからんことを。

 

「お嬢様」

 

 車のエンジン音。

 どうやら、お別れのときだ。

 

「アーチャーさん……」

 

 桜の、声。

 悲しげで、しかし戦士を見送る、女の声。

 

「アーチャーさん、私、貴方が大好きです」

 

 ああ。

 なんと、勿体無い。

 この世界の君は、救われた。

 あの小僧に、救われた。

 それだけで、あいつには生きる価値がある。

 少なくとも、この身よりは、遥かに。

 

「ああ、最高の賛辞だよ」

 

 緩やかに、ドアが閉められる。

 最後に、苦しげに呻く、私が、見えた。

 貴様にも、幸あらんことを。

 それが、最後の願いだった。

 車の後部座席で、雪の少女は、何度も彼の方を振り返った。

 ヘラクレスはその残滓を惜しむかのように、その方向を見た。

 私はその様を見て苦笑する。

 

「未練は断てたか、別れは済んだか。私はとうに終わっている」

 

 そう言うと、彼の口の端が微かに持ち上がった。

 多分気のせいだ。

 彼の理性は失われている。私の言葉など理解できるはずもない。

 言ってしまえば、今、彼が私に斬りかかってきたとしても何の不思議も無いのだ。

 しかし、彼の横顔には、信頼に値する、何かがあった。

 ああ、やはり、貴方は大英雄なのだ。

 謝罪しよう、貴方を狂戦士などと蔑んだことを。

 確かに、貴方はその鋼の身体と引き換えに、深く湛えた理性を失った。

 地を割り裂く剛腕と引き換えに、試練を越えて修得した技をも失った。

 それでも貴方は英雄たる資格だけは失わなかった。

 自らの死と引き換えに少女を守る大きな背中。

 それを持つだけで、貴方はやはり大英雄なのだ。

 ならば、この戦、勝ちだ。

 我らの、勝ちだ。

 ならば、何を恐れるか。

 

 ――I am the bone of my sword.

 

 ――Steel is my body,and fire is my blood.

 

 ――I have created over a thousand blades.

 

 ――Unknown to Death.

 

 ――Nor known to Life.

 

 ――Have withstood pain to create many weapons.

 

 ――Yet those hand will never hold anything.

 

 ――So as I prey――

 

 さぁ、行こうか、大英雄。共に誇ろう、此処が我等の死に場所だ。

 

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