FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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episode64 アベルカイン3 神の御名に栄光あれかし

 繰り返される、剣戟音。

 弾く。

 いなす。

 切り上げる。

 叩き伏せる。

 巻き込む。

 薙ぎ払う。

 その全てが、空隙。

 意味も無い、舞踊。

 こんなもの、戦いではない。

 戦いであっては、ならない。

 

「はっはぁ!たのしいなあ、セイバー!」

 

 目の前の男。

 血より、なお紅い瞳。

 刻み込まれるような凶相。

 みしみしと、皮鎧の下で、膨れ上がる筋肉。

 狂戦士。

 その異称が施されないのが、不思議とすら思える。

 

「ほうら、まだまだだ!」

 

 突然、穂先が、不可思議な動きを。

 まるで、中空に文字を描くかのように。

 文字。

 クー・フーリン。

 魔術。

 ルーン!

 

 ま

 ず

 い

 !

 

 突然、炎。

 視界が、焼け付く。

 白く、漂白されて。

 視えない。

 白い、闇。

 ぼやぼやと、亡霊が踊る視界。

 だが、奴がいない。

 どこから?

 前?

 横?

 後ろ?

 否。

 上!

 反射的に。

 切り上げ。

 勘。

 経験ですらない。

 賭け。

 衝撃。

 

「ちいいッ!」

 

 舌打ち。

 迎撃。

 成功。

 それでも、お互い、無傷。

 まだ、五分。

 だか、彼は。

 宝具。

 未使用。

 私も。

 だが、彼のは対人。

 私のは、対城。

 距離。

 接近。

 因果の逆転。

 どちらが有利?

 相性。

 最悪。

 発動が同時なら、勝てない。

 良くて、相打ち。

 隙を見て。 

 どこに、隙が?

 こうしてる間も、突きの嵐。

 昨日の嵐より、なお激しい。

 時折、頬に痛みが。

 鎧を、擦過。

 削れる金属。

 強い。

 ここまでか。

 ここまで。

 強い。

 だからって。

 だからって。 

 だからって。

 諦められるか!

 

「そこをどけえ、ランサー!」

 

 episode64 アベルカイン3 神の御名に栄光あれかし

 

「らしくねえな、何をそんなに焦る、セイバー!?」

 

 焦っている?

 当然だ。

 当然、私は焦っている。

 闘わせてはならない。

 彼女たちを、闘わせてはならない。

 肉親が、骨肉を相食む。

 そんなこと。

 そんなの。

 私だけで、十分だ!

 

「だから、押通る!」

「やってみろや、できるもんならな!」

 

 勝てると思っていた。

 楽に、勝てると思っていたのだ。

 あの、夜。

 始まりの、夜。

 あのときの私は、万全では無かった。

 限られた魔力。そして、未熟なマスター。

 その状態でも、宝具の解放までは、槍の騎士を圧倒することが出来た。

 そして、今。

 私の体には、高純度の魔力が溢れている。

 芳醇な魔力が、それこそ零れ落ちそうなほどに。

 これほど豊かな魔力を供給してくれるマスターは、今までもいなかった。

 それほどの、魔力。

 これなら、勝てると。

 勝って、桜と凜を止めにいけばいいと。

 そう、思っていたのだ。

 

「だがなぁ、他所見してると、死んじまうぜぇ!」

 

 ギアが、また上がった。

 底なしか、こいつは!

 さっきから、しばらく防戦一方。

 きっと、彼にも何らかの頸木がかかっていたのだ。

 そうでもないと、あの夜と今の力量の差が説明がつかない。

 それほどまでに、彼は強い。

 彼女を引き止めるのは、無理だと思った。

 圧倒的な、意志。

 それを曲げさせるのは、如何に私でも不可能だろう。

 だから、そこは折れた。

 折れざるを得なかった。

 だが、そこまでだ。

 それ以上は、許さない。

 肉親が殺しあうなんて、許さない。

 それが、どれ程の悲劇を生み出すか、彼女たちは知らないのだ。

 モードレッド。

 私の、息子。

 私が愛することが出来なかった、私の息子。

 カムランの丘。

 夕焼けよりも、なお朱に染まった大地。

 信頼すべき騎士達が、矛先を変えて遅い来る。

 その、恐怖。

 彼らを切り伏せなければならない。

 その、喪失感。

 あんなもの、もういらない。

 私だけで十分だ。

 リンに、サクラに、そしてシロウに。

 あんな思いをさせて、なるものか!

 

「だから、どけえ!」

「やかましい!」

 

 突き。

 それが、急激に変化。

 まるで、飛燕。

 穂先が、消えた。

 気付けば、空が眼前に。

 そして、背に衝撃。

 足を、払われた。

 隙。

 突きが、来る。

 思わず体を硬くする。

 

 ……。

 

 何も、来ない。

 顔を上げる。

 そこには、槍に騎士が。

 彼は、啼いていた。

 涙を見せずに、しかし、獣のような唸り声をあげて、悲しげに。

 

「俺では、不十分か!」

 

 その、声。

 倒れ伏したまま、聴く。

 

「俺では、貴様に見合わぬと、そう言いたいか!」

 

 空には、月が。

 いつしか、分厚い雲も、取り払われている。

 

「俺は、俺はこんなにも楽しいのに、貴様は、何故楽しんでくれぬ!」

 

 その、唸り声。

 苦悶の、声。

 悲恋の、声。

 耳が、絞り上げられるようだ。

 

「またか?また、俺は、こんな中途半端な戦いで朽ちるしかないのか?」

 

 その、声。

 それは、私の遠い記憶を呼び起こさせるに充分だった。

 ランサー。

 しかし、彼では、無い。

 十年前。

 しかし、私の主観では、つい先日、穂先を交えた、槍兵。

 ディルムッド=オディナ。

 第四次聖杯戦争の、槍の騎士。

 轡を並べて、戦った。

 そして、裏切った。

 例えそれが私の手によるものでなくとも、私は彼を裏切ったのだ。

 あの、悲痛な声。

 この世の全てを呪い、犯し、冒涜するような、声。

 あくまで清廉で高潔で潔い彼が発したなど、目の前ですら信じられない、そんな声。

 またか。

 また、私は、間違いを犯すところだったか。

 リン。

 彼女は、強い。

 間違えても、サクラに負けることはあるまい。

 なぜなら、それがサクラを不孝にするからだ。

 勝っても、サクラは間違いなく不幸になる。ならば、リンは負けない。

 如何なる苦痛にも、笑って耐えて見せるだろう。

 そして、彼女は間違えないだろう。

 間違えずに、サクラの袖を引っ掴んで、引きずってくるはずだ。

 なら、大丈夫。

 私は、彼女のサーヴァントだ。

 多少強引に結ばれた絆とはいえ、絆は絆。

 私が信じないで、誰が彼女を信じてやれるだろう。

 そうだ。

 なら、私は悠々と待っていればいい。

 彼女が、少し疲れた声で、凱歌をあげるのを、待っていればいいのだ。

 ならば、少し、幕間劇に興じようではないか。

 たまには、いいだろう。

 純粋に、斬り合う。

 純粋に、力を比べる。

 そんな遊戯、しばらく出来なかった。

 王は、それほどに軽い身分ではないからだ。

 ああ、そう考えると、体が軽くなった。

 うん、全身が動く。

 この鎧は、こんなにも軽かったか。

 この聖剣は、こんなにも手に馴染むものだったか。

 いいじゃあないか。

 ゆっくりと、立ち上がる。

 そこには、不可視の涙で啼き濡れた、ランサーが。

 

「ランサー、貴方に深い謝罪を」

 

 ちゃきり、と、鍔鳴りの音。

 振り返る、青い獣。

 いぶかしむような、瞳。

 ああ、私はここまで彼の信頼を裏切ってしまっていたか。

 

「ここに誓う。私は、貴方を叩き伏せる。この剣をもって、この誓いをもって!」

 

 ゆらり、と振り向いたランサー。

 その手には、やはり紅く濡れた、長大な槍が。

 

「ああ、それは、愛の告白かな、セイバー?」

「似たようなものです」 

 

 彼の頬に、深い笑みが。

 きっと、私の頬にも、同じ笑みが。

 いいじゃないか。

 久しぶりだ。

 久しぶりの、高揚感。

 目の前の敵、それを叩き潰す、その為に全力を挙げる。

 義、ではない。

 憎、でもない。

 まして、愛でもなければ悲でもない。

 喜。

 その文字をもって、戦いの理由と為す。

 さあ、始めよう、ランサー。

 今から、私たちの戦いが始まるのだ。

 そのとき。

 パリンと。

 頭上で、乾いた音が、した。

 

  

 冷たい。

 そう、思った、

 身を捩るような熱は、既に引いている。

 後に残ったのは、安心感を伴った、不思議な痺れ。

 もう、眠ってしまおう。

 もう、充分じゃあないか。

 そう、体に優しく語りかけてくる、甘い痛み。

 それに、身を委ねそうになる。

 まだ、何もしていないってのに、達成感で満腹だ。

 ああ、眠たい。

 瞼が、重たい。

 この際、冷たいアスファルトが、心地いい。

 この、奪われていく熱が、気持ちいい。

 非現実感。

 ヒュプノスの誘い。

 膝を屈しそうになる。

 膝を屈しても、いいんじゃあないか。

 そう思ったとき。

 何かが、聞こえた。

 金属が擦れあう、擦過音。

 何かが爆発する、炸裂音。

 ああ、あの夜と、同じだ。

 俺が、校舎で殺された、あの夜と、同じだ。

 でも、俺は、今、ここにいる。

 校舎の中には、いない。

 じゃあ、俺は殺されないってことだ。

 安全ってことだ。

 じゃあ、いいんではないか。

 ここで寝てても、いいのではないか。

 殺されるのは、別の人間なのだから。

 校舎にいる、別の人間なのだから。

 校舎にいる人間。

 誰がいる?

 今、あの薄汚れた校舎の中には、誰がいる?

 俺は、知っている。

 その名前を、知っている。

 その体温も、唇の味も、性感帯すらも、知っている。

 凜。

 遠坂凜。

 俺の、恋人。

 俺なんかの、恋人。

 彼女が、校舎にいる。

 なら、殺されるのは、彼女か?

 彼女が、あの美しい胸を一突きにされて、殺されなければならないのか?

 

「……そんなの……」

 

 体を、起こす。

 その瞬間、気が遠くなりそうな痛み。

 いいぞ。

 今の俺に、うってつけだ。

 痛みで、眠気が吹き飛んだ。

 ヒュプノスの使者が、尻尾を巻いて逃げ帰っていった。

 もう、二度と来るな、馬鹿。

 

「……認められる……かよ……」

 

 ゆっくり、歩く。

 急いでは、いけない。

 急げば、破裂した肝臓が、癇癪を起こしやがる。

 そうすれば、一撃で死にかねない。

 死ぬのは、構わない。

 ああ、彼女を守るためなら、死がどれ程のものか。

 それでも、今は、死ねない。

 ゆっくりと、歩く。

 ゆっくりと、ゆっくりと。

 ミミズがのたくるような速度で。

 それでも、これが精一杯だってんだから、笑える。

 いけない、いけない。

 そんな、笑うような力が残っているなら、前に進まないと。

 だって、待ってるだろう。

 誰かが、待っているだろう?

 やがて、校庭に。

 そこには、地に倒れ伏した、三つの泥人形。

 元は白かったのだろう、衣装も泥だらけ。

 元は美しかったのだろう、銀色の髪も、泥だらけ。

 泥だらけの水溜りの中に、倒れている。

 

「遅かったわね、坊や」

 

 ただ一人、貝紫の人影が、傷一つない体で、立っていた。

 優雅な、蜜を含んだような微笑を、口元に湛えて。

 

「退屈だったから遊んであげたけど、口ほどにも無いってこのことよね」

「お……にいちゃ……ん……?」

 

 辛うじて、うつ伏せに転がった、一際小さな人影。

 その、泥に汚れた、手。

 昨日、その手をつないで、歩いたんだ。

 その手が、何度も俺を慰めてくれたんだ。

 優しい、暖かい、柔らかな、掌。

 それが、泥に塗れている。

「ご……めんねぇ……いち、おう、がんばった……ん……だけど……」

 

 知っている。

 人間がサーヴァントに勝ち得ないことくらい、この身体が一番知っているのだ。

 聡い彼女が、それを知らないはずは無い。

 それを知っていて、彼女たちは挑んだ。

 誰のために?

 お前が、それを問うのか、衛宮士郎。

 

「なあ、キャスター」

 

 痛みが、引いていく。

 脳が、クリアに。

 視界が、鮮明に。

 

「なにかしら、坊や」

 

 彼女の艶姿。

 その仔細を見渡すことが出来るほどに。

 まるで、鷹の目。

 全てを見渡す、猛禽の王。

 

「俺と、戦ってくれるかい?」

 

 いつの間にか、両の手に、双剣が。

 黒と、白。

 寸分違わぬ、その形状。

 ただ、色のみが、違う。

 

「へえ、いい男になったじゃない、坊や」

「なら、坊やっての、やめてくれないかな」

「やめさせてみなさいな」

 

 彼女の背後に、無数の光球。

 一撃で、俺を十回は殺せる、魔力の塊。

 いくらサーヴァントでも、規格外の魔力。

 これは――。

 

「気付いた?これはね、この街に暮らす、全ての人間の命の輝きよ」

「……集団昏睡。まさか、キャスター、お前が――」

 

 その表情には、些かの曇りも無い。

 誇り。

 そして、慈愛。

 輝かしい感情の渦。

 

「そう、これは、桜が私に命令したの。全ては、姉に勝たせるためだって」

 

 衝撃……は受けない。

 何を今更。

 桜は、そういう子だ。

 全てを優先して、一つを愛する。

 だから、たまに間違いを犯す。

 だから、俺と、凜がいるんだ。

 俺たちが、彼女をひっぱたいて、連れ帰る。

 それで、万事解決、そうだろう?

 

「そんな彼女が、姉を殺そうとしたのよ……。それが、それがどれほど苦しかったか、貴方にわかる……!?」

 

 優美な表情は、そのままに。

 怒り。

 悲しみ。

 憎悪。

 そう言ったものが、どんどん混ざっていく。

 感情の坩堝。

 そこには。

 人間が、いた。

 

「決めたわ。貴方、一度死になさい。私が蘇らせてあげるわ。だから、いっぺん死んでみなさい。貴方には、その義務があるから」

 

 彼女の背後に、まるで従者のように控えた、魔力の塊。

 彼女が、それに号を鳴らそうとした。

 そのとき。

 パリンと。

 頭上で、乾いた音が、した。 

 

 

 勝負は、とっくの昔についていた。

 もはや、圧倒的な大差だった。

 本来、この二人は、ほぼ互角。

 故に神秘であり、故に至宝。

 それでも、この場においては、圧倒的に、片方が勝っていた。

 まるで、狂戦士と暗殺者が、正面からぶつかり合ったようなもの。

 片方の攻撃は、片方の防壁を突破することが叶わない。

 片方の攻撃は、片方の身体を蹂躙する。

 遠坂桜。

 彼女が張る。結界のような影の檻。

 本来、敵の拘束に使われるそれが、姉の魔術を悉く吸収する。

 質量を備えた呪いだろうが、五大元素だろうが、悪食極まる有様で。

 それでも、彼女の姉は、天才。

 宝石魔術。

 十年以上も熟成させ続けた、彼女の命そのもの。

 それを解放し、その防御壁を突破しようとする。

 しかし、妹は鬼才。

 彼女とて、宝石魔術の名門、遠坂の系譜に名を連ねし者。

 姉には一歩及ばぬものの、秘奥の宝石など、片手に余るほどだ。

 まして、姉はこの戦争において、湯水が如く宝石を使用している。

 今、この場においては、秘められた奥の手の数すら、妹が上。

 圧倒的な、大差。

 埋めることの叶わぬ、力の差。

 それをもって、妹は姉を蹂躙した。

 倒れ伏す、姉。

 その、黒絹のような髪が、血溜まりに浸かって、さながら水草のように揺らめいている。

 片腕は千切れ飛び、切断面から、微量の血液が、ぽたりぽたりと、血の池に新たな水量を加えている。

 呼吸も、浅い。

 まるで小動物のように、浅く、早いそれは、断末魔の到来を色濃く予感させた。

 それを見下ろす、妹。

 その衣装には、些かの汚れも見当たらない。

 彼女の姉の攻撃は、彼女に髪の毛ほどの傷も付けることは叶わなかった。

 それほどまでに、圧倒的な、力の差。

 この場、神殿における、神。

 それに信徒が歯向かうなど、愚劣を通り越して、哀れすら覚えるものだったのだ。

 

「いい様ですね、姉さん……」

 

 堪えきれない愉悦に、歪む頬。

 彼女の真意が何処にあったのかは別段、このとき、この瞬間において、彼女は確かに幸せだった。

 どうやっても、超えることの叶わなかった、壁。

 絶対の、存在。

 それが、目の前で、己の流した血の海で、ぜえぜえと喘いでいる。

 その様を、見下ろす。

 それは、彼女の心の、もっとも醜い部分を満足させるに、充分すぎる光景だった。

 

「あら、もう、答えてもくれないのですか、姉さん」

「……くら……」

 

 朦朧とした瞳。

 それでも、彼女は妹を見上げた。

 不屈の意志と、しかし折れつつある鋼。

 それが、彼女の視線に同居しているようだった。

 

「ああ、嬉しいわ。貴方が話せないと、私は嘘吐きになってしまうから……」

 

 ゆっくりと、歩み寄る。

 かつかつと、硬いブーツの足音。

 それは、死神の足音だ。

 姉は、自らが倒れ伏す場所が、かつて彼女の恋人が倒れていたのと同じ場所だと、果たして気付きえたか否か。

 

「さあ、言葉に出して。『桜、殺して』って。そういえば、全ては終わります。もう、苦痛を味わう必要はないのですよ……」

 

 姉は、辛うじて起き上がった。

 がくがくと震える膝を叱咤して。

 それでも、立ち得たのは、僅かに数秒。

 ただでさえ軽い、彼女の体重。

 血を流して、一層軽くなったそれすらも支えられない、そんなふうに。

 ばしゃり、と、盛大な水音。

 濃厚な血臭に、妹は眉を顰めた。

 

「もう、いいでしょう……。宝石も、無い。魔力も底をついた。もう、貴方は十分に頑張った……。もう、休んでください……!」

 

 苦渋に満ちた、その言葉。

 その言葉に、嘘偽りは無い。

 いや、彼女は一度も嘘など吐いていない。

 彼女は、心底姉を愛していた。

 愛していて、なお裏切らねばならなかった。

 それほどに、彼女は追い詰めれていた。

 真実、それを知るものの苦悩を、誰が知ろうか。

 

「さ……くら……。わ、たしの……うでは……」

 

 朦朧と、うつ伏せに倒れながら、視線だけを彷徨わせる、姉。

 赤い外套が、なお紅く。

 サファイアの瞳すら、ルビーのように。

 そんな、痛ましい風景。

 既に、正気も無いのかもしれない。

 

「……ここに、あります」

 

 ゆっくりと、既に熱を失った姉の一部を拾い上げる。

 だらり、と力なく垂れ下がった指先。

 傷一つない、優雅な指先。

 何度も憧れた。

 羨ましかった。

 しかし、それを奪い取った今は。

 ただただ醜くて、仕方が無い。 

 

「これは、貰っておきますね。それほど欲しいものじゃあないけど、遠坂の当主を名乗るなら、これは欠かせないわ……」

 

 千切れ跳んだ、姉の片腕。

 そこにびっしりと書き込まれた、呪刻。

 それを愛おしげに眺めながら、彼女は言葉を紡ぎ出す。

 

「貴方も、何かの呪文を残すことはできましたか?なら、大切に使ってあげます……」

 

 千切れ飛んで熱を失ったそれ。

 その冷たさを楽しむように、頬ずりをする。

 果たして、彼女は何を楽しんでいるのか。

 遠坂の当主という、魔術師ならば誰もが垂涎する地位を、だろうか。

 それとも、彼女が自ら切り捨てた、戻らない誰かとの絆を、だろうか。

 

「そう……あな……たが、もっ……ている……のね……」

「ええ、私が持っています」

 

 ふるふると震える右手で、姉は身体を起こす。

 歯を食い縛り、必死の形相で。

 そして、前に傾いた。

 それは、慣性と重力の仕業ではない。

 彼女の意志を持って。

 膝を綺麗に折りたたみ、腕を曲げて、額を地面に擦り付ける。

 土下座。

 命乞い。

 あまりにも、無様。

 

「お……ねが……い、さ……くら、もう、やめ……て」

 

 妹は、震えた。

 怒りに、震えた。

 まさか、ここまで醜いものを見せ付けられるとは思っていなかった。

 姉は、光り輝いていないといけなかった。

 常に彼女の前に立ちはだかる目障りな壁だからこそ。彼女がどう足掻いても超えることのできない幻想でなければ為らなかった。

 それが、目の前で土下座をしている。

 命乞いをしている。

 恥知らずにも。

 これは、違う。

 これは、姉ではない。

 こんなもの、生かしておいてはいけない。

 そんな怒りが、彼女の胸中を焼き尽くした。

 

「ふざけないで下さい……!最後は、せめて綺麗に死んでください、それが遠坂の当主の義務でしょう……!」

「こん……なにた……の……んでも、だ……め……?」

「もう、死んでください!こんな貴方を見るのは、苦痛です!」

「ど……う……して……も……?」

「くどい!」

 

「――そう。じゃあ、貴方の負けね」

 

 瞬間、凄まじい光が周囲を圧した。

 光のもとは、妹が握った、姉の腕。

 その先。

 掌の一部。

 そこから、凄まじい光が漏れ出した。

 そして、音。

 重爆撃機の離着陸音のような、爆音。

 その二つ。

 いかなる外傷も及ぼさない、二つの現象。

 それが、一瞬、妹から思考力を奪った。

 それが、姉の切り札。

 姉は、地面に伏せるように、目を閉じていた。

 妹は、怒り狂った瞳を、まざまざと開いていた。

 どちらがより強い影響を蒙るか、言うまでもない。

 

stark(二番)――Gros zwei(強化) !」

 

 だから、彼女はそんな声も聞こえなかったはずだ。

 そして、果たして、気付き得ただろうか。

 彼女が手にした、その姉の一部は、ついさっき千切れ飛んだにしてはあまりに冷たすぎたことに。

 姉が倒れ伏した血の池、その不快は血臭が、不自然な程に強かったことに。

 何より、姉の肩の傷、そこから流れ落ちる血液があまりに少なすぎたことに。

 しかし、妹は、それを思考する暇など、与えられなかった。

 衝撃。

 殴り飛ばされたのだと、彼女は、その明敏な意志をもって悟った。

 そのとき。

 パリンと。

 彼女の背中から、乾いた音が、した。 

 

 

 私は、振りかぶった剣をそのままに、頭上を見上げた。

 

 俺は、構えた槍をそのままに、頭上を見上げた。

 

 私は、振り下ろしかけた錫杖をそのままに、頭上を見上げた。

 

 俺は、投擲しようとした夫婦剣をそのままに、頭上を見上げた。

 

 その場にいた全員が、空を見上げていた。

 

 

 そこには、冗談みたいな光景が、あった。

 三階の窓ガラスから空中に飛び出した、漆黒のコート。

 あの髪の毛は、桜のものだろう。

 それだけなら、いい。

 それだけなら、理解の範疇だ。

 そして、桜を追いかけるように窓から飛び出した、赤い人影。

 きらきらと、砕けたガラスが、彼女の周囲を照らしている。

 凜。

 片腕。

 千切れた、左手を、口に咥えている。

 目が、吊上がっている。

 夜叉の、形相。

 そのまま。

 空中に浮かんだ体勢のまま。

 彼女は、桜を、殴りつけた。

 胸倉を掴んで殴るとか、そういうふうではない。

 空中で体勢を整え、腰の入った中段突き。

 水平方向に吹き飛ぶ、桜。

 それを追撃する、下段回し蹴り。

 当たる。

 吹き飛ぶ。

 それを、追いかける。

 空中で。

 鳩尾に、肘打ち。

 そして、繰り出される絶招の数々!

 まるで、安っぽい格闘ゲームの、空中コンボみたいに――!

 

 

 おかしい。

 

 慣性とか重力とか、色々なものを無視してる!

 

 ――あ。

 

 わかった。

 

 彼女の周りに、きらきらと光る、あれ。

 

 あれ、ガラスでもないし、星なんかでもない。

 

 あれ、宝石だ。

 

 宝石を、重力操作とか、質量操作とか、なんだかよくわからないことをして、空間に半固定化してやがる。

 

 それを足場にして、桜を殴り続けてるんだ。

 

 落下しながら、あんなにも優雅に。

 

 なんて、無茶。

 

「くく」

 

 ああ、失敗したな、桜。

 

「くははははは!」

 

 凜は、本気で怒らせちゃあいけなかった。

 

「はっははははははは!」

 

 あれじゃあ、サーヴァントだって、勝てやしない!

 

「ほどほどにしとけよ、凜!」

 

 彼女は、一切手を休めることも啼く。

 俺のほうに、親指を立てやがった。

 ああ、勝負ありだな、こりゃ。

 

 

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