FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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episode66 アベルカイン5 終幕、そして

「そうか、決心したのだな」

「はい、決心しました」

「誰もが君を蔑視するだろう。それに耐える覚悟は、あるかね?」

「そんなもの、ありません」

「ならば――」

「それでも、私は為すべきことを為さないといけませんから」

「その結果、救うべき対象にすら嫌悪されても、か?」

「耐えられません。そんなこと、耐えられない……!」

「今なら引き返せる。それを望んだとて、私は君を批判はしない」

「それでも、私が私を許せないでしょうから」

「ならば、前に進むか」

「はい。前に、進みます」

「よかろう。ならば、君を祝福しよう。ランサー」

「……!」

「何を驚くか。監督役がマスターになってはならない、そんな法も無かろう?」

「この、ペテン師が……!」

「非難中傷はもとより覚悟の上だよ。そう、今の君に等しいか」

「……私は、貴方を軽蔑します」

「それでも構わんさ。私は、ちょうど君がそうするように、私に課せられた義務を淡々と遂行するのみだから」

「貴方に、課せられた、義務?」

「聖杯の所有者に相応しい者を選別する。それが、代々の監督役に課せられた真の役割だ」

「ならば、貴方は……」

「私は、聖杯など、必要としない。ある種の興味があるのは事実だがね」

「そんな、こと、誰が信じるのですか」

「誰にも信じてもらおうとは思わんさ。ただ、自分だけが知っていればいい。さあ、遠坂桜。君はこれから、仮初とはいえランサーのマスターだ。これで、戦力は完全に逆転した。君の愛しい姉を、どう葬るも、君の思うがまま、そういうわけだな」

「……あとで、私は貴方も殺します」

「ああ、その激情は芳しい。今の君ならば、聖杯を授けるに相応しいな、全く」

 

episode66 アベルカイン5 終幕、そして

 

 周囲の喧騒に、何となく眉を顰めた。

 体が、熱い。

 熱いというよりも、痺れて、膨らんでいる。

 痛いのか、疲れているのか、それが判別できない。

 それでも、何となく目を開く。

 そこには、心配そうに私を見つめる、キャスターと、先輩が。

 

「お、起きたな、桜」

「せ……ん、ぱい……」

 

 はは、情けない声だ。

 全く、裏切り者には相応しくない、声。

 裏切り者は、もっと甲高い声で、無様に喚き散らしながら死ぬべきなのに。

 どうして、この人たちは、こんなにも暖かいのだろうか。

 

「桜、私、まだ聞いてないんだけど」

 

 首を、横に動かす。

 そこには、頬を血で染めた、姉さん、が。

 

「……き……く……?」

「ほら、私の勝利条件」

 

 ああ。

 そんなことも、言ったかしら。

 

『あんたをぶちのめして、ぐしゃぐしゃに泣かせて、『ごめんなさい、姉さん』、そう言わせることよ』

 

 そんな、こと。

 そんな、気持ちのいい、姉。

 それを殺そうとしたんだ。

 許されることじゃあない。

 そんなこと、知ってた。

 知ってたけど、やっぱり、怖い。

 でも、満足。

 やれる限りはやったもの。

 これで、この人に殺されるなら、満足だ。

 地獄に堕ちても、きっと笑える。

 

「士郎、ちょっと悪いけど、あっち行ってて」

「凜……」

「無茶はしないわ。自分の恋人を信じなさい」

 

 恋人。

 ああ、羨ましい。

 あの時。

 私の影の前でキスをした、二人。

 それを見て、嫉妬しなかったなんて、嘘っぱち。

 どれだけ、醜い嫉妬の炎が気炎を上げたか。

 それも、出来れば知られたくない。

 ああ、そういう意味では、このまま死にたいなぁ。

 

「そういって、お前どんだけ桜をタコ殴りにしたか、わかってんのか?キャスターがいないと、本気で危なかったんだからな、桜」

「わ、わかってるわよ。ちょっと、初めて試した魔術が上手くいったから、調子に乗りすぎただけでしょう。今度は大丈夫だから、さっさと散った散った!」

 

 苦笑しながら離れていく、先輩。

 彼の行く先には、少し泥に塗れた、イリヤさんと、セラさんと、リズさんが。みんな、笑顔で、楽しそう。

 ああ、いいなあ。

 私も、あの中に入りたいなあ。

 

「桜」

 

 厳しい、声。

 知っていた。

 優しい声なんて、期待していない。

 そんなの、期待していたなんて、嘘だ。

 

「ねえさん、あのひかりは、なんだったんですか……?」

 

 そう言うと、姉は、悪戯を成功させた悪童みたいな顔をした。

 

「ああ、あれね。もう何の機能もしない手だったから、今日の昼に切り落としたの。で、その中に、ちょーっとした細工をね」

 

 切り落とした。

 既に、切り落としていた。

 魔術刻印を含む、左手を。

 

「なんて、むちゃ……」

「でも、効果適面だったでしょう?」

 

 それは……そうだったのだろう。

 魔術刻印は、その家の積み上げられた歴史そのものだから。

 もし、姉さんを殺しても、それだけは回収しようとしていた。

 それを、餌に使われたのか。

 なんて無様。

 

「指先にね、ちょっとだけ宝石を埋め込んでおいたの。音と光。フラッシュグレネードの簡易版みたいなやつね」

 

 いや、違うか。

 私は、及ばなかったのだ。

 力で圧倒的に勝りながら、姉の智謀には圧倒的に及ばなかった。

 この人は、こういう人なのだ。

 転んでも、只では起きない。

 受けたダメージですらも、自分の武器に。

 そういう、人なのだ。

 

「じゃあ、あの血は……」

「粉末の血糊に、周囲の水蒸気を固めて、混ぜ合わせたもの。これでも五大元素使いなるぞ、恐れ入ったか」

 

 ああ、全く、恐れ入る。

 そこまで、私は掌の上だったか。

 何もかも、計算されていた。

 最初から、あの状況に持っていくのが、彼女の戦いだったのだ。

 そう考えると、妙な戦略課題の提言も、その伏線か。

 ああ言えば、私が挑発に乗ることを見越して。

 

『ああ、もう、本当に可愛らしい……。じゃあ、私の課題は、『もう殺して、桜』、貴方にそう懇願させること、に決めました』

 

 そう、私が間抜けに言った後の、姉の表情。

 これで勝ちが決まった、そういうふうな、会心の笑み。

 一撃で殺さないなら、容易に自分の考える状況を作り出すことが出来る

 あれは、そういう意味だったのか。

 つまり、慢心したのだ。

 つまり、及ばなかった。

 ああ、それだけか……。

 

「はやく、ころしてください……」

 

 もう、すべてに納得がいった。

 もう、思い残すことは無い。

 先輩を救いたかったけど。

 でも、それも適わないみたい。

 だから、お願いします。

 姉さん、最後に、お願いします。

 

「どうか、どうかせんぱいを、」

「アーチャーみたいにしないで、そう言いたいの?」

 

 ……。

 ああ。

 この人は、気付いてたのか。

 全部、知っていたのか。

 

「どうして……?」

「これでも、あいつのマスターだったからね。色々なものが流れ込んでくるし、あの魔術を見れば、嫌でもね」

「でも、あれがなんで、とうえいだって……?」

「だって、屋上でキャスターが叫んでたでしょう?『投影するなら、あの化け物の斧剣にしなさい!』ってね。あんなに大きな声で叫んだら、階段にいても聞こえるわよ」

「あら、そうだったかしら」

「キャスター……」

 

 私を見下ろす、優しい瞳。

 それが、二つ。

 ああ、私が死ねば、この人が消えてしまう。

 それだけは、嫌だ。

 

「姉さん、私が死んだら、キャスターのこと、お願いします」

「は?何であんたが死ぬのよ?」

 

 惚けた表情の、姉。

 そこに、一切の害意は無いように思えた。

 

「でも、私は裏切り者で……」

「そうね。だから、貴方には、遠坂の当主として、主命を授けます。心して聞きなさい」

 

 放逐だろうか。

 それとも、魔術の実験体。

 他家の胎盤として売られる、それも在るかもしれない。 

 どうでも、いい。

 どうせ、死んだ身である。

 

「これから、士郎を、絶対にアーチャーにさせない、そのために尽力すること。あいつが正義の味方なんていう訳の分からないものを忘れるくらい、ハッピーにさせる、そのために尽力すること。それを誓いなさい」

 

 ……。

 ……はっ?

 

「きっと、辛いわ。だって、貴方、士郎のことが好きでしょう?でも、あいつは私のものだから、それを見続けなくてはいけない。それは、きっと、死ぬよりも辛いわ」

 

 そんなの。

 そんなこと。

 

「……でも、私が取っちゃうかも知れませんよ?」

「ああ、それは無理無理」

「どうして?」

「だって、あいつ私にゾッコンだから」

 

 限りない明るさと、それ以上の自信に満ちた台詞。

 こんなの、この人以外の誰が口にしても相応しくない。

 そう、心の底から、思う。

 

「……あは、あははは……」

 

 笑いが、漏れる。

 なんて、気持ちのいい笑い。

 なんて、気持ちのいい、涙。

 ぼろぼろと、ぼろぼろと。

 

「ごめんなさい、姉さん、ごめ、ごめんなさいぃ……!」

 

 きゅっと、抱き締められる。

 ああ、暖かい。

 こんなにも、暖かい。

 それを、切り捨てようとしていたのか。

 なんて、間抜け。

 無様。

 それでも。

 ああ、それでも。

 こんなにも、暖かい。

 

「ごめんなさい、姉さん、ごめんなさい、姉さん、ごめんなさい、姉さん」

「もういいの。もういいんだから……」

「痛くしてごめんなさい、冷たくしてごめんなさい、酷いこと言って、ごめんなさい……」

「うん、辛かったよね、痛かったよね、桜……」

 

 ごめんなさい、姉さん。

 でも、この言葉だけは言いません。

 私も、そこまで恥知らずじゃないから。

 たった一言の、言葉。

 ありがとう、姉さん。

 

 

 泣きじゃくるサクラを抱えて、その背を摩り続けるリン。

 敬愛すべき、我がマスター。

 ああ、此度の聖杯戦争は、少なくともマスターには恵まれている。

 誰もが、命を投げ出して救っても惜しくないと、そう思わせてくれる人達ばかり。

 これが、何と言う幸運のもとに許されたことなのか、知る術はないものだろうか。

 

「ああ、ありゃあ、本当にいい女だなあ」

「あれは、シロウのものだ。貴様如きが触れてよい御仁ではない」

「知ってるさ、そんなこと。これでも女運は最悪なんだ、昔から」

 

 ひゅうん、と、槍を一振り。

 すると、彼の手には何も握られていなかった。

 

「帰るのですか」

「流石に、今日は白けちまったからな」

「では、決着はまたの機会に」

「ああ、その時は殺し合いだ」

 

 ゆっくりと振り返る彼。

 そして、その背中に、もう一つの声が。

 

「ちょっと、待ちなさいな」

「あん?」

 

 彼の視線の先。

 そこには、貝紫のローブ。

 キャスター。

 

「これでも、一時とはいえ共闘したんだから、お別れをね」

「はっ、てめえがそういう柄かよ」

「あら、これでも元王女、礼儀にはうるさいほうよ」

「だから、いい男が寄ってこねえんだ」

「何か言ったかしら?」

 

 ぎりぎりと、空気が軋むような緊張感。

 それでも、何故か頬が緩んでしまう。

 

「いずれにせよ、次出会ったときは殺し合いだ。変な馴れ合いは、あとに響くだけだぜ」

「それでも、今日は飲み明かす、それが貴方の流儀でしょう、クー・フーリン」

「はっ、違いねえ」

 

 彼は、ゆっくりと歩き去る。

 背中を見せるのは、彼なりの信頼の表れだろうか。

 

「さ、セイバー、私達も」

「ええ、キャスター」

 

 ゆっくりと、敬愛すべきマスター達の下へ。

 その道程の、なんと幸福に満ちたこと。

 

「あら、何かしら?」

 

 キャスターの、声。

 彼女の足元に、光輝く何かが。

 リンかサクラの宝石だろうか。

 

 どくん。

 

 あれ。

 

 どくん、どくん。

 

 なんだ、この感覚。

 

 どくん、どくん、どくん。

 

 私の、よく知っている、感覚。

 

 どくん、どくん、どくん、どくん。

 

 何度も、味わった感覚。

 

 どくん、どくん、どくん、どくん、どくん。

 

 大切な、誰かが、死ぬときの、感覚。

 

 どくん、どくん、どくん、どくん、どくん、どくん。

 

「下がれ、キャスター!」

 

 その瞬間。

 

 まさに、その瞬間。

 

 地面から突き出た、細長い手が。

 

 表情の消えた彼女の、その右胸を、貫いていた。

 

 

 

 あれ。

 

 おかしいな。

 

 あれ。

 

 なんで、声が出ないんだろう。

 

 あれ。

 

 こんなに、痛いのに。

 

 あれ。

 

 声が、でない。

 

「キャスター!」

 

 あれ。

 

 音が、遠いな。

 

 あれ。

 

 視界が、暗くなっていくよ。

 

「キャスター!」

 

 あれ。

 

 さくらの、こえ。

 

 あれ。

 

 なんで、こたえることが、できないの?

 

 あれ。

 

 ああ。

 

 あれ。

 

 そうか。

 

 あれ。

 

 ここまでか。

 

 

「さ、くら……」

 

 胸の中央から突き出た指先。

 突き入れられた衝撃で身体は前に泳ぎ、引き抜かれた反動で身体は後方に揺らいだ。

 もはや、それに耐えることすら許されない。

 急激に反転する視界に、血飛沫が舞い散る。

 とん、と何かに抱きかかえられた感触。

 しかし、それは錯覚だ。

 私を抱きかかえたのは、なんの慈悲もない荒涼たる大地。

 冷え冷えとした地面に、楽々と横たわる。

 ああ、ここまでなのだ。

 これで、お別れなのだ。

 そう、確信した。

 だから、最後に、この身体を許してあげよう、そう思った。

 身体中の力を抜く。

 抜けていくのではない、意識して脱力する。

 すると、色々なものが消えていった。 

 浅ましく抱いていた復讐心も、世界をゆがめていた猜疑心も。

 色々なものが消えて。色々なものが消えて。

 最後に、人恋しさだけが残った。

 

「キャスター!キャスター!キャスター!キャスター!キャスター!」

 

 狂ったように私を呼ぶ少女。

 桜と、私に呼ばせてくれた、少女。

 

 最初は、偶然だった。

 

 自らを縛る薄汚い鎖を断ち、しかし同時に自らの心臓を一突きしていたと気付いた。

 あの下種なマスターを殺したことに後悔はない。

 ただ、祭りの前に消えていくこの身が情けなかった。

 だから、歩いた。

 止まってしまえば、楽になれるのは知っていた。

 でも、歩いた。

 止まってしまえば、全てが終わってしまうから。

 歩いて、歩いて、歩いて。

 視界に古ぼけた洋館が映ったとき、私の意識は暗転した。

 

 私は暖かい何かに包まれていた。

 暖かい感触。

 暖かい匂い。

 暖かい空気。

 そして、暖かい気配。

 雨に濡れて、血に濡れた私には、その全てが恨めしかった。

 

「気が付きましたか」

 

 横になった世界の中で、声のした方向に首を向ける。

 そこにいたのは一人の少女。

 輝くような黒髪は、溢れんばかりの魔力に満ち。

 その笑顔は、神話の女神にはありえない慈愛に満ちていた。

 私は、ほとんど反射的に暗示の魔術をかける。

 怯えた負け犬が、目をぎらつかせながら吠え掛かる。それと同じこと。

 しかし、その少女は巌のように動じなかった。

 

「無駄です。今のあなたの魔術では、私を縛ることはできません」

 

 静かな自信に満ちた声。

 目を凝らしてみると、そこにあったのは少し信じられないくらいの魔力の塊。

 これがあの男と同時代の魔術師のものなのか。

 彼女を清らかな清流と讃えるならば、あの男は腐った水溜りか。

 それでも。

 私が本調子ならば、それでも彼女は小鳥のようなものだ。

 しかし、衰弱しきった今の私にとって、彼女は空を舞う猛禽の王にも等しい。

 私は覚悟を決めた。

 

「何が目的?私がどういう存在かは気付いているでしょう?何故私を助けたの?」

 

 その言葉に、彼女は笑顔のままこう言った。

 

「助けてください」

 

 助けてください、彼女はそう言ったのだ。

 死にかけて、消えかけて、あまつさえ自らに刃を向けた半死人に、そう言って頭を下げたのだ。

 

「姉が、戦いに赴こうとしています。でも、私にはそれを助ける力がないの。資格がないの。だから、お願い、私を助けて。私に姉さんを、助けさせて」

 

 徐々に顔を歪ませ、いつしか涙に鼻を詰まらせながら、彼女はそう言った。

 ちらり、と彼女の両手を盗み見る。

 そこには、綺麗な白い手があった。

 そこには、なんの痣もなかった。

 そうか、彼女は選ばれなかったのか。

 口だけ達者なあの男が選ばれて彼女が選ばれないとは、この地の聖杯はよっぽど見る目がないのか、それとも性悪なのか。まあ、この身が召還された時点で碌でもないものであることは間違いあるまい。

 

「代わりにあなたは何をくれるの?」

 

 等価交換を持ちかける。

 さて、彼女はなんと言うだろう。

 願いを叶えてあげる、そう言ったら嘲笑おう。なぜなら、彼女は自分の姉の勝利を望んでいる。ならば、私の願いを叶えるつもりなどあるはずもない。

 物で釣るつもりなら、褒めてあげよう。仮にも英霊たる私を、そんなもので動かせると思ってるとしたら、たいした大物だ。ご褒美には冷たい氷の塊を。

 服従を強いるならば、従おう。裏切ることには慣れている。つい今しがたも、やってきた。ご主人様、そういって靴を舐めるくらいはお手の物だ。

 しかし、彼女はこう言った。

 

「……何も、ありません」

 

 俯き加減に、そして、囁くように、何よりも申し訳なさそうに。

 

「何もありません。私があなたにあげられるものなんて、何一つないの。だから、こうして頭を下げてお願いしています」

 

 涙を拭い、恥ずかしそうに言った彼女の頬が、あんまりにも赤かったから。

 少しだけ、彼女と一緒にいてもいいか、そう思った。

 

 

「キャスター、キャスター、キャスター、キャスター、キャスター……」

 

 私を呼ぶ声は、しかし先ほどより小さく、弱弱しくなっていた。

 きっと彼女も気付いている。

 もうすぐ私が消えていくであろう、そのことに。

 

「さ……くら……」

 

 自分の喉から発せられる、熱を失った声。それは死人の囁きに等しい。

 視界に映し出されたのは、相変わらず魔力に満ちた黒髪と、姉との戦いによって煤けた彼女の頬。

 ああ、これでは桜の美貌が台無しだ。もっと綺麗にしておかないと、あの坊やに愛想を尽かされてしまうわよ?

 

「キャスタぁ……おねがいだから、しなないでよぅ、いっしょにいてよぅ」

 

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした桜が、敬愛すべき我がマスターが、縋るように繰り返す。まるで、坊やに自分の罪を曝け出した、あの晩のように。

 ああ、なんだ。

 こんなことで、気付いてしまった。

 そうか、彼女にとって、私も家族だったんだ。

 こんなにも血塗られて、世界中で蔑まれて。

 それでも、そんな私を家族と、認めてくれてたんだ。

 

「そ……、っか……」

 

 私の望みは、叶ってたのか。

 だから、この世界の料理は、あんなにも美味しかったのか。

 本当に大事なものは、失ってからそれと分かる。

 いつか、どこかの誰かが言った、あまりにも苦い真実。

 それでも、私は悔しがるのをやめた。

 だって、私はいつも後悔していた。悔しがっていた。

 だから、それはいつでもできるのだ。

 だから、私は感謝することにした。

 

 ありがとう、桜。

 ありがとう、私を姉のように慕ってくれて。

 ありがとう、私を母のように頼ってくれて。

 ありがとう、私を人のように愛してくれて。

 ありがとう、桜。あなたのおかげで、私はもう一度、人として生きることが出来ました。

 私は、本当に幸せでした。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 私を呼ぶ声は、いつしか謝罪の声に変わっていた。

 謝らないで、桜。

 私はあなたにたくさんのものを貰った。感謝こそすれ、謝られるいわれなんてない。

 もし謝る必要があるとしたら、それは私のほう。

 御免なさい、桜。

 私はこんなにもあなたに救われたのに、何一つ返せない。

 等価交換を守れない。

 だからせめて。

 せめて、私に出来ることを。

 だから、泣き止んで、桜。

 あなたは強い子だから。

 私がいなくても大丈夫。

 絶対に、大丈夫。

 

  

 彼女の、折れそうなくらいに儚い彼女の手から放たれたのは、一振りの短剣。

 まるでデフォルメされた稲妻のような形をした、虹色の刀身。あらゆる魔力を切り裂く、裏切りの魔女の象徴。

 それが、かの槍兵の胸に突き立つ。

 それを一番不思議に思ったのは槍兵自身だった。

 児戯のようになんの技術もない投擲。

 かの弓兵の放つ矢とは比べるのもおこがましいほどの速度の差。

 何故、自分はそれに反応し得なかったのか。

 そもそも、彼には矢避けの加護が備わっている。あらゆる投擲、射撃が彼の前には意味を為さないはずだ。

 しかし、それは厳然と彼の胸に突き立っている。

 槍兵は気付かなかった。

 魔女の動作があまりにも自然で、そこには微塵の殺気も込められていなかったから、彼は反応し得なかったということに。

 その刀身はあらゆる魔術を打ち消し、契約を無に帰す破戒の刃だったから、矢避けの加護も及ばなかったことに。 

 いや、本当のところは誰にも分からない。

 ひょっとしたら、唯の偶然が重なった結果にすぎないかもしれない。

 それでも、魔女の最後の意志は、形となって、槍兵の胸を貫いていた。

 そして、彼女は密やかに、しかし残された最後の力を使って宝具の真名を解放した。

 

「ルール……ブレイ……カー」

 

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