FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
戦えと命じる。
自分の中に、戦えと命じるものがある。
何が。
そう、問う暇は無い。
問うていれば、死ぬ。
俺か、それとも俺以外の誰かか。
だから、従う。
それに、従うのみ。
従う以外の選択肢が存在しない。
従わなければ、死ぬのだ。
それが、理解できている。
だから、剣を振るう。
それが、苦しく、悔しく、切ない。
目の前の敵は、どうやら敵ではない。
それが分かっている。
あれは、敵ではない。
もっと暖かくて、優しいものだ。
あれは、敵などではない。
もっと居心地がよくて、包み込んでくれるものだ。
それが分かっている。
それでも、闘わなければならない。
それが、鬱陶しい。
その滾りを、目の前の異形に叩き付ける。
我武者羅に、見苦しく。
砕け散る外骨格。
飛び散る体液と、耳を劈く断末魔。
蟲が、蟲が、蟲が。
それは、既に戦いですらない。
ただの、八つ当たりだ。
お前らのせいか、と。
貴様らが彼女を変えたのか、と。
その、怒り。
その、矛盾。
分かっている。
こいつらが悪いんじゃあない。
彼女を変えたのは、こいつらじゃあない。
じゃあ、何が彼女を。
追い詰め、疲弊させ、狼狽させたのか。
分からない。
既にこの世には存在しない、醜悪な老人だろうか。
それとも、マキリという魔道の家。
いや、違う。
俺だ。
俺だ。
全て、俺。
俺が、彼女を追い詰めた。
俺が、彼女を疲弊させた。
俺が、彼女を狼狽させた。
俺が、彼女を泣かした。
ほら、彼女は泣いている。
声が、聞こえるもの。
まるで、逸れた親を探す、幼子のような叫び。
それが、静寂の校庭に、痛ましく響いているもの。
泣いている。
泣きながら、謝っている。
誰に?
分からない。
それが、俺の罪だ。
分からないことが、俺の罪だ。
つまり、簡単な話だ。
つまり。
俺が、彼女を不幸にした。
俺さえいなければ、彼女にはもっと輝かしい未来があった。
その確信。
胸を締め付け、そのまま捻じ切るような後悔。
ああ、俺が生まれなければ。
俺が存在しなければ、貴方は。
貴方は。
episode69 人造両儀4 始まりの夜の戦い
「はあああ!」
風の鞘を纏った聖剣を叩きつける。
砕ける外骨格。飛び散る体液。不快な断末魔の声。
一体幾匹の魔蟲を屠ったか。
十匹までは数えた。
しかし、何匹切ったところで終わりが見えない。
理由は、単純明快。
私が蟲を駆逐する以上の速度で、ヨハネが新たな蟲を召喚するからだ。
まるで前回のキャスターとの戦いのようだ。永久機関じみた、無限との戦い。
違うのは、私の左手が万全なこと。
そして。
「しゃああ!」
私と轡を並べるのはランサー。
アイルランドの光の皇子、クー・フーリン。
彼の豪雨のような突きは、一瞬で蟲を蜂の巣に変える。
紙のように貫かれる、堅固な外骨格。
そういえば、前回も同じくランサーと共闘した。彼も、素晴らしい騎士だった。槍兵とは不思議な縁があるのかもしれない。
我々二騎で、瞬きの間に五匹。
巨大な蟲の倒れる音を、聞いた。
それでも。
「おお、中々頑張る。しかし、ほら。もっと急がないと不味いのではないかな?君達の大事なマスター達も、些か追い詰められているようだぞ!」
ちらり、と後ろを見る。
そこには、我々の防壁を突破した、一匹の魔蟲。
それを、必死の形相で取り囲む、シロウ達の姿。
サクラは、気を失っている。
リン、イリヤ、セラの魔術で足止め。
シロウ、リズの攻撃で仕留める。
俄作りにしては、優れた連携。
これなら、一匹や二匹ならば問題はないか。
「そう、この程度ならば問題無かろうさ。しかし、今この身には、この杯には、既に神酒が満たされた。燃料は無限だ。回転数も無限。さあ、いつまで捌き切れるか?」
ヨハネ。
奴の、千切れた左肩。
そこから、屍肉に湧いた蛆のように、際限無く湧き出す芋虫。
その数が、倍加した。
ぼろぼろと、消しゴムのカスのように、溢れ出す白い塊。
まだか。
まだ、増えるか。
「ちい、めんどくせえ!」
ランサーの、声。
あまりに辟易とした、声。
彼は、強者との戦いを望んで召喚された。
ならば、今行われている戦いは、彼にとって児戯に等しい。
彼が心楽しむはずが、ない。
「五秒だ!五秒だけ、戦線を維持できるか、セイバー!?」
「愚問!」
にい、と、彼の頬が吊り上ったのを、視力ではなく心で理解した。
直後聞こえた、地面の爆ぜる音。
大きく後方で、着地音。
そして、空間のマナが吸い込まれる気配。
宝具。
その、発動の予兆。
なるほど、一気に焼き払う算段か。
ならば、私も出し惜しみは無しだ。
「せいやああああ!」
悲鳴のような鬨の声。
五秒。
五秒だけは、一匹たりとも逃がすものか!
◇
思い出す。
懐かしいとすら言えるのかも知れない。
あの、夜だ。
ようやく全てのサーヴァントが召喚された、あの夜。
人気の薄い、藪の中。
高台。
バーサーカーと、セイバー達との戦いを見下ろしていた。
アサシンを連れた、少女。
あまりに魔力の気配が薄いことが気になったが、それでも二人の立ち位置をみれば、こいつらがマスターとサーヴァントなのは明々白々。
だから、その夜の俺は、ついていた。
得体の知れない弓兵、そして規格外の魔術をまるで湯水のように繰り出す魔術師。
殺しても死なない、中々良い瞳をした小僧。
見た目は小便臭いガキのくせして、まるで大砲をぶっ放したみたいな斬撃をお見舞いしてくれた、剣士。
そんな、望外の連中との戦いを堪能したのだ。
良い夜だった。
久しぶりに良い夜だったのだ。
だから、その締めくくりに相応しい、いい戦いを期待していたのに。
全く、胸糞が悪くなる。
今思い出しても、唾が酸っぱくなる。
「何だ、もう帰っちまうのか。まだ夜は長いぜ」
声に、振り返る二人。
一人は、異形の仮面を被った、異相。
一人は、やや赤紫がかった髪に、整った顔立ちの女。
奇妙といえば奇妙な組み合わせ。
仮面のほうは、間違いなくサーヴァント・アサシン。
山の翁、暗殺教団の宗主。
正面きっての戦いには向かない特性とはいえ、到底油断できる相手ではない。
そして、女。
少女と、それよりも更に幼い誇称との中間くらいの顔立ち。不思議と、魔力はほとんど感じない。
しかし、どちらに不吉を覚えたかといえば、それは間違いなく女の方。
なぜなら、嗤っていたからだ。
驚くような表情が、魂の抜けたそれに変わる。
人形の如き空白。
その場所に、段々と何かが満ちていく。
のろのろと、尺取虫が這うような速度で。
それは、歓喜だった。
餓え。
乾き。
何に餓えていたのか、何に乾いていたのか、それは不明瞭だが。
ゆるゆると、何かが満ちていった。
恐ろしくは無い。
俺が脅えているとほざく奴がいたならば、口を引き裂いてやる。
相手の力量くらい、一見で見抜ける。
だから、分かった。
そいつは、さして強くない。
まぁ、人間にしてはそれなりにやるほうか、精々その程度だ。
少なくとも、俺が脅威を覚えるほどではない。
しかし、不吉。
黒猫とか、鴉とか、凶星を見たときとか。
そういうときに、理由も無く涌き上がる感情、その類だ。
そして、そういった感情は、往々にして的を射るもの。
これでも、あまり幸運には恵まれていない一生だったしな。
そんな、戦場には似つかわしくない思考。
それを突き破るように、そいつは微笑いながら言いやがった。
「私は、いまだかつて無いくらい機嫌が悪い。今すぐ消えなさい、私の視界から」
ああ、こいつは嘘吐きだ。
俺は、そう確信した。
だって、嗤っていやがる。
頬に、この上なく醜怪な皺を刻み、腐肉を喰らうように牙を剥き。
目の奥に粘着質な光を湛えながら、じっとこちらを見ている。
じっと、孔の底を覗き込むが如く。
じぃっと。
この、嘘吐きめ。
その、どこに不機嫌の要素があるか。
思わず、苦笑が漏れた。
「そうしたいのは山々なんだがな、人使いの荒い糞マスターが、お前らとも戦って来い、とさ。まあ諦めてくれ」
まあ、いいさ。
こいつが、どれほど不吉な存在でも構わない。
戦えれば、それでいい。
もちろん、一口に戦うといっても質は問いたいところだ。
正面きっての殴り合い、それが一番なのは言うまでも無いし、後ろでこそこそやられるような戦いは遠慮したい。
それでも、贅沢は言える立場じゃあないことくらい、理解している。
戦えるだけ、ましだ。
「お前らとも?」
「ああ、今日は大収穫だ。得体の知れない弓兵に、魔術師。あとは、殺しても死なない、奇妙なガキに召喚された剣士ともやりあったぜ」
一瞬の、静寂。
風が五月蝿いと、何故だかそう思った。
ざわざわと、背の高い木々の木の葉が、軋り、うねる。
そして。
目の前の女。
その頬に刻まれた皺。
それが、更に深くなっていく。
更に、更に、更に。
深く、深く、深く。
口角は、吊り上がっていく。
三日月のような口元は、更に鋭角に。
更に、更に、更に。
鋭く、鋭く、鋭く。
目尻は垂れ下がり。
瞼は細く閉じられる。
更に、更に、更に。
細く、細く、細く。
とろりと、鈍重な印象。
それは、もはや人の造ることのできる笑みではなかった。
くしゃりと、紙を丸めたような笑み。
確実に、人外の笑み。
人を喰らう存在の笑みが、其処にはあったのだ。
「まずは謝罪を。先の言葉は撤回します。あなたはここに残りなさい」
林と呼ぶには小さな藪。そこを殺意が満たしてゆく。
そうだ。
こいつは、身を震わしていた。
飢えを満たせる悦びで。
渇きを癒すことの出来る悦びで。
敵を屠ることのできる悦びで。
仇を討つことのできる、悦びで。
身を震わせながら、卵に向けて射精する鮭のように、悦んでいたのだ。
「次に宣告を。あなたはここで狗のように果てなさい」
その、感情の欠けたような、声。
表情との整合性の無い、声。
理解した。
こいつは、化け物だ。
強弱じゃあない。
大小でもない。
正邪とか、正誤とか、正悪でも、無い。
もっと、別の、根源的なところで、化け物だ。
なるほど、つまり。
こいつは、俺と同じ、か。
俺と同じ存在、それとも、その卵。
なるほど、不吉なわけだ。
「さがりなさいアサシンでばんですプレディクタ」
自らのサーヴァントに後退を命じ、そいつは己の装束を剥ぎ取った。
露になる、幼い肢体。
染み一つない、しかし未熟な女の身体。
それでも、美しいとは思わない。
まるで死蝋のように、きらきらと輝く。
それが、例えようも無く、醜かったのだ。
「Ego sum alpha et omega, primus et novissimus, principium et finis」
呪文。
全く魔力の発動を感じさせない、呪文。
それを奇妙と感じ取る暇をすら与えずに、変貌は始まった。
まず、女の身体が、伸びた。
大きくなった、ではない。
ぐにょり、と、伸びたのだ。
まるで、出来の悪い鏡に映し出された鏡像のように、ぐにょり、と。
長く、そして細く。
ただでさえ肉付きの悪かった四肢は、見た目そのまま枯れ枝だ。
骨の周りを、辛うじて肉が巻き付いている、そんな有様。
弱弱しい月光の元でも、強制的に浮き上がったその青白い毛細血管まで見て取れる。
それほど、薄く、極限まで張り詰めた皮膚は。
やがて、おそらくは当然の摂理として、破裂した。
身体中から、血液が飛び散る。
搾り機にかけられた、葡萄の果実。
その搾りかすから、果汁が迸るかのように。
そして、声。
「……………………………い……………た……!」
悲鳴。
苦痛に、身を捩る。
いや、捩ることすら許されないのか。
棒切れのように突っ立ったまま、悲鳴を叫び続ける。
「…………………た……………すけ………て……………………しろ…………」
乾いた瞳を見開き、口の端を裂けさせながら、それでも叫び続ける。
静かに、静かに、叫び狂う。
いずれ頭頂部の皮膚が裂け、白い頭蓋骨を露出させながら、それでも叫び続けた。
ぶちぶちと、身体中の筋や腱を破壊させながら、なお叫び続けたのだ。
やがて、意味のある叫びは、意味の無い絶叫に。
意味の無い絶叫は、獣の咆哮に。
そして、獣の咆哮すら収まったとき。
そこに、一人の男がいた。
一糸纏わぬ鍛え抜かれた体に、漆黒の呪刻を纏わせ。
溢れるような魔力を、事実身体から溢れさせ。
そこには、男が、いたのだ。
端正な顔立ち。
鷹のように鋭い目つき。
すっきりと通った鼻筋。
形の整った唇。
その瞳は極端に小さく、貌は四白眼の狂相。
唇の両端が持ち上がっているのは皮肉からではなく、嘲笑ゆえに。
背筋は曲がり、猫背気味の姿勢。
視線は粘つき、見るものに不快を憶えさせる。
それでも、その容姿にははっきりと見覚えがあった。
忘れるものか。
何故なら、つい先ほど、そいつと命のやり取りをしたのだから。
弓兵。
得体の知れない、しかし、この上ない強敵。
瓜二つ、なんてもんじゃなかった。
例え双子の兄弟だってここまで似るものか。
だから、似ていたのではない。
同一、だった。
例えば、こいつの髪の毛が、蒼ではなく灰色だったら。
例えば、こいつの体に意味不明な刺青が無ければ。
例えば、こいつの面に、あの皮肉げな笑みが浮かんでいたならば。
こいつは、まるで。
「……貴様、何者だ」
ぼう、と、突っ立った男。
ゆるりと、辺りを見回す。
呆けた表情は、先ほどまで眉目麗しい少女のものだったとは、到底思えない。
辛うじて、その瞳に宿った光、粘着質な光だけが、同一だろうか。
「一つ、問いたい」
「あん?」
目の前の、男。
素っ裸で、陰部すらも曝け出した、男。
無手で戦場に立つ、男。
それが、やはり呆けた声で、尋ねる。
「英雄とは、英霊とは、それでも人だろうか?」
まず思い浮かんだのは、時間稼ぎ。
次が、アサシンによる不意打ち。
問答に意識を集中させ、後ろから縊り殺す。
その、可能性。
しかし、それは無いだろう。
あまりに、戦意に乏しい立ち姿。
まして、アサシンの姿など、何処にも無い。
気配遮断も、こちらに対する殺気があっては役に立つものではなかろう。
ならば、アサシンはこの際除外して構うまい。
故に、意味が分からない。
いや、そもそもこの問いに、意味はあるのか?
「……さあな。元が人だった奴もいれば、人じゃあなかった奴もいる。それでも、元が人ならば、人と呼んでもいいんじゃないのか?」
「ふむ、なるほど」
正確に言うならば、人たる属性を残している、そういうべきだろうか。
例え神に昇華しようが、悪魔に堕ちようが、人の殻は度し難いものだ。
女には欲情するし、上等の食い物を見れば涎が湧くし、酒を飲めば幸せだ。
それは、人が人たる証なのだろう。
「しかし、君には何かが混じっている、そんな風情ではあるな」
粘ついた視線。
何か、深奥の醜いものに汚染されたような、そんな黒い光。
見るもの全てを呪い、汚し、犯すような、視線。
「答える義理はねえな」
「ああ、それは当然だな」
頬が、持ち上がる。
なるほど、こいつらは同一だ。
初めて、そう思った。
「しかし、ならば私は絶対だな。人が人である限り、私に勝てる要素は、無いのだ」
「あん?」
「神は、私に、人を罰する絶対的な権利をお与えになった。故に、我は預言者。故に、サーヴァント、プレディクタ。故に、我が名はヨハネ。滅びと、その結果としての救済を司る者ぞ」
「世迷言を……」
その瞬間。
ぶちり、と。
何かが、肉を突き破る音。
そして、何かが飛んできた。
疾い。
一直線。
狙いは。
眉間か。
「ちい!」
顔を逸らす。
耳に、鋭い擦過音。
飛び退く。
目の前の男。
その胸から突き出た、何か。
先端は尖っていて、所々節くれ立っている。
刺々しく、不規則に生え揃った剛毛。
足。
それも、蟲の足だ。
それが、体内から突き出ている。
なるほど、こいつは。
「蟲使いか!」
「正解」
ぶちぶちと、変貌していく。
身体中から、訳の分からぬ突起が生え揃う。
それは、脚であり、角であり、鋏であり、鍵爪であり、触脚であり、毒針であり、鎌であり、牙であった。
ありとあらゆる虫の、最も攻撃的なパーツ、それが奴の体から生え揃っていた。
蟲使い、そんな生易しいものではない。
こいつは、蟲だ。
蟲、そのものだ。
「てめえ、人、か?」
「私は、蟲倉だ」
そいつは、事も無げにそう言った。
「いや、それは正確ではないか。私は、あくまで彼女の使い魔。蟲倉なのは、彼女だな。彼女は蟲使いの一族、マキリの当主でありながら、その娼婦であり、蟲倉なのだ。あまりに不憫、そうは思わないか?」
辺りの木々を切断しながら、飛んできたもの。
両脇から。
鎌。
或いは、鋏。
跳躍して、かわす。
頭上の、枝に。
見下ろす。
そこには、巨大な鋏。
それが、奴の身体から生えている。
いや、それは正しくない。
その質量を持って主従を判別するならば、明らかに、鋏からそいつが生えていた。
それほどまでに巨大な鋏。
それほど、異常な光景。
こいつ、何者。
「ちい!」
驚いた。
正直に言おうか、こんな化け物を見るのは、初めてだ。
噂では、確かに聞いたことがある。
化け物、特に死徒とかそういう類の輩には、己の体内に命を飼いならす奴もいるらしいことを。
しかし、自分がそれに似た存在と戦う破目になるとは、思いもよらなかった。
だから、一瞬とはいえ、驚いた。
それは認めようか。
だが、それだけだ。
遅い。
動きが鈍重だ。
もちろん、人のそれに比べればまだ速いと言えるのだろうが、今日やりあった二騎と比べれば、雲泥の差に違いない。
全く、遅い。
如何なる攻撃を繰り出そうが、それでも俺にはかすりさえしない。
この程度か、化け物。
胸中に湧き上がった感情は、怒り。
一瞬でもこいつに対して畏怖を覚えた自分と。
自分に畏怖を覚えさせながら、それでもこの程度の力しか持たない敵に対して。
「しッ!」
もはや、こいつに裂く時間が勿体無い。
さっさと終わらせよう。
飛び来る何か、おそらくは虫の脚や角、を払い除け、一息で間合いに入る。
「刺し穿つ」
奴の、呆けたような面にも、もう飽きた。
アサシンと戦えなかったのが残念だが、それでもこれ以上こいつを眺めていたくは無い。
こいつの存在は、今日やりあった、あの弓兵を汚している。
つまるところ、俺の誇りを汚している。
だから、もう終わらせる。
そういうつもりで放った、必殺の一撃。
「死棘の槍!」
易々と、心臓を貫く穂先。
これが、当然。
あの剣士のときのような無様は、無い。
これでいい。
赤い穂先が、更に紅く濡れる。
滴る血液。
穿たれた心臓。
それすらも、忌まわしい。
どう、と倒れる音。
ぱきぱきと、枯れ枝の砕ける音が、した。
それだけ。
それで、終わりだ。
全く、辛気臭い戦いだ。
思わず、愚痴の一つも零しそうになる。
そして、槍を一振りして血を払い落とし、踵を返そうとしたとき。
声が、したのだ。
「くふ、君は酷いやつだな、いきなり心臓を一突き、か」
死体。
心臓を穿たれた、血液の沈殿した、死体。
死体の、はず。
それが、喋ったのだ。
流石に、驚いた。
初めてのことだ。
因果の逆転。
不可避の一撃。
持ち主の俺が見ても、反則染みた特性。
しかし、今までかわされたことが無いわけじゃあない。
現に、ついさっきだってかわされたのだ。
極まれだが、幸運にもこいつを避けきる輩は、いる。
それは、いい。
かわされたとか、通用しなかったとかならギリギリ許容の範囲内だ。
だが、命中し、確かに心臓を、脳味噌を除けば人体で一番の急所を砕かれて、こいつは生きている。
化け物?
心臓を喰らわれても、それでも尚生き続ける、不死者の類か?
違う。
こいつは、人間だ。
蟲だの何だの言っているが、それでもこいつは人間だ。
人間の身でありながら、心臓を破壊されて尚生きる。
こいつは、一体。
「くふふ、私はね、人間だよ、確実に」
ゆっくりと、起き上がる。
ぞわぞわと、そいつの身体中が蠢いている。
細かい何かが、ざわついている。
もぞもぞと、這いずり回っている。
何が。
何が。
蟲、が。
こいつの身体中を、埋め尽くしている。
……違う。
そうじゃあない。
蟲が、蠢いているのではない。
うごめいているのは、身体。
こいつの身体そのものが、蠢いている。
つまり、身体が、それによって構成されている。
こいつの、身体。
簡単な話だ。
「お前、蟲、か」
「正解」
つまり、群体。
一つの生命では、無い。
無数の生命によって作られた、一つの形。
人の形に擬態した、細やかな蟲の群。
それが、こいつの正体か。
「……なるほど、心臓を潰しても死なないわけだ」
心臓の形をした臓器はあっても、それが心臓の働きをしていない、そういうことだろう。
故に、こいつに急所は、おそらく、無い。
こいつに、局所破壊的な攻撃は、一切通じない。
もっと、大雑把に、全体を破壊しうる攻撃。
そうでないと、こいつには通用しない。
「そういうことだ。つまり、君の武器と私の体は、些か相性がよろしくないな」
確かに。
槍は、なんだかんだ言って、『点』を破壊する武器であり、広範囲を一息に破壊する武器ではない。
故に、人体のように急所の塊のような的ならば、すこぶる相性はいい。
逆に、こいつのように、急所が無い、もしくは極めて少ない相手となると。
破壊力に欠ける、そう言わざるを得ないか。
「さあ、続きだ。私はまだまだ元気で、君も同じく活力に満ちている。ならば、為すべきことは一つしかあるまい?」
こいつ――。
ああ。
わかった。
お前、安心しただろう。
俺の限界を、悟ったつもりだろう。
勝てると。
俺になら負けないと。
そう、思っただろう。
そういうことだな。
つまり、俺を。
俺を、見下しやがったな。
そういう、ことか。
ああ、なるほど。
いよいよ楽しくなってきたじゃあないか。
忌々しいほど。
歯軋りするほど、楽しくなってきた。
いいじゃないか。
好きだぜ、そういうのは。
驕り昂ぶった輩が、足元を崩されて絶望する様。
それは、いつだって愉快極まりない。
ああ。
やっと、楽しくなってきた。
胸糞が悪くなるくらい、反吐が喉元までせり上がって来るくらい、いい気分だ。
これからだ。
今からだ。
その、余裕に満ちた暗い顔を。
絶望でゲドゲドの、辛気臭い面に変えてやる。
今から――。
『何をしている』
頭に、ダイレクトに響く、目の前のこいつよりも、更に一段階嫌悪に溢れた、声。
クソッタレな神様が、俺に宛がいやがったマスター。
その、静謐で、底の深い、声。
『私が貴様に命じたのは、サーヴァントとの戦闘のみ。目撃者が出た等の事情があるならば別段、それ以外を許可した覚えは無い』
ああ、くそ、分かったよ。
分かってたことだ、お前と俺が種火と爆薬くらいに反りが合わないってことは。
今は、従ってやる。
この、令呪が効力を持っている間は、だ。
だが、それが失われたなら。
俺は、確実に貴様を。
「だから、今日はここまでだ、化け物」
「ふむ。光の皇子も、敵に背中を見せることがあるか。気の毒にな、マスターに恵まれなかったようだ」
くすくすと、含み笑い。
嘲弄。
屈辱、だ。
何故、己より格下の雑魚相手に、哀れまれねばならないか。
「覚えておけ、俺が貴様を殺す」
「ああ、それは彼女も喜ぶだろうな」
夢見るような、台詞。
己の消滅を希うような、そんな台詞。
唯一、其処にだけ、偽りが無かったような、そんな気がした。
◇
そんな夜を、思い出した。
さて、あれほど忌々しかったマスターは、少しは仕え甲斐のあるいい女に代わった。
それは、中々に気分がいい。
ついでに、この、喉に魚の骨が刺さったような掻痒感も、一掃してしまえると、言うことはない。
そのためには、貴様が邪魔だな。
殴られたら、殴り返す。
痛みには、痛みを。
恩には、恩を。
義には、義を。
屈辱には、制裁を。
侮辱には、死を。
そういう生き方をしてきた。
それは、金輪際変わることは、ない。
だから、これでお別れだ。
貴様は、ここで死ね。
「突き穿つ」
だが。
もしも。
万が一。
これで貴様が死ななかったなら。
この一撃に、貴様が耐え切って見せたなら。
それは。
どういうことだろうか。
どういうことだろうか。
ああ。
そうか。
なるほど、つまり。
楽しみが、もっと増えた、と。
そういうことだな。
「死翔の槍!」