FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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episode71 人造両儀6 少年覚醒

 それを、怖いと思った。

 恐ろしい、おぞましい、と。

 そんな感情は、初めてだ。

 過去も、現在も。

 例えば、あの狂戦士は、強かった。汚染された騎乗兵も、手強かった。

 それでも、恐怖なんて感じなかった。

 あるのは、戦いへの意志と、自らへの信頼のみ。

 それは、私が騎士だったからだ。

 騎士とは、己の力を持って己の誇りを守り抜くもの。

 誇りを守り、領土を守り、民を守る。

 それが、騎士のあり方だ。

 だから、私は恐れない。

 今までも、そしてこれからも。

 しかし、今だけは、私が恐れている。

 私の直感が、最大限の音量で警報を鳴らし続けている。

 あれは、危険だ、と。

 いや、恐れているのは、私ではない。

 私の、もっと奥にあるもの。

 私の奥にある、より大きな、より巨大で、しかし薄いもの。

 それが、奴に対して最大限の警報を掻き鳴らしている。

 預言者、その在り得ないほど長大な呪文。

 私も生前、一度や二度は耳にしたことのある、預言書。

 その一説を、高らかに謳いあげる、蟲の王。

 その姿に、際限なく高まる魔力に、限りない不吉と恐怖を感じる。

 

「セイバー、宝具を!」

 

 リンの、新しいマスターの、声。

 そして、ラインを通じて注ぎ込まれる、良質で潤沢な魔力の泉。

 素晴らしい、そう思う。この、神秘の衰退の著しい時代で、よくもこれだけの力を身に宿したのだと、純粋に感嘆してしまう。

 火薬は、十分だ。

 ならば、砲身の為すべきことなど、一つしかないだろう。

 打ち出すのだ。

 目の前の敵を焼き払う、灼熱とした魔弾を。

 

「承知!」 

 

 聖剣を、肩に担ぐ。

 体内に荒れ狂う魔力の渦を、ただ、この手に握った聖剣に。

 力が吸い取られていく感触。

 力が吸い取られていく快楽。

 力を思うままに振るう悦楽。

 項を、ちりちりと焦がすような力の結晶を。

 今、まさに放たんと。

 そのときだ。

 見えた。

 見えてしまった。

 もと、マスター。

 彼の、とても悲しそうな、顔が。

 悲痛に歪んだ顔、というのではなかった。

 無表情の中に、一抹の救いを求める、藁のような意志が。

 殺さないでくれ、ではない。

 ただ、彼女、だったものが、死んでいくのが、悲しい。

 そんな、顔。

 その顔が、余りにも哀れだったから。

 一瞬、力が緩んだ。

 そして、何かちくりと刺された感触があって。

 身体の表面が爆発したみたいな衝撃があって。

 私の意識は、遥か彼方に弾き飛ばされた。

 

episode71 人造両儀6 少年覚醒

 

 ふよふよと、浮かんでいた。

 ふらふらと、まるで風に遊ばれるように。

 それは、蟲。

 闇の中で、闇を圧して余りある輝きを湛えた、蟲。

 少し大きな、それでもせいぜい仔猫ほどの大きさの、蟲。

 体中が、ガラスをまぶしたように、きらきらと輝いている。

 淡い月光を反射して、宝石のように輝いている。

 黄金の紗を幾重にも重ねて織り上げたような、繊細にして豪奢な、羽。

 体は、つるりと流麗な金属質の外骨格に包まれている。

 形は、蝗に酷似していた。

 細長い胴体。

 大きく、強靭な後ろ足。

 ただ違うのは、腹部が異様に大きく膨れ、蜂のように括れているところだろうか。

 突けば、今にも張り裂けんばかりに、ぱんぱんに膨れ上がった腹部は。

 その先端に、ぬらぬらと光った、鋭く長い針が。

 王のような衣装を纏った、蝗。

 しかし、その頭部は、人の女のそれだ。

 艶やかな、黒髪が、その表情を隠すように、前方に垂れている。

 その隙間から覗く、流れるような、切れ長の瞳。

 頬には、常に微笑が湛えられ。

 口元からは、獅子のように獰猛な牙が覗いている。

 美しい、それ以上に獰猛な、人の女の顔。

 ししを食む、人の顔。

 それが、蟲の頭部を、飾り立てている。

 人と蟲の、合いの子。

 人が、低劣な蟲との間に禁断の交わりを持てば、こういった呪い子が生まれるのだろうか。

 人の、許されざる罪の、具現。

 輝くような威容であるながら、それを上回る嫌悪感を駆り立てる、その姿。

 人類の罪を斬り断つ、神の剣。

 吐き気を催すほどの異様でありながら、贖罪を懇願させるような、その姿。

 絶対の存在感。

 その、群れ。

 その中央で、初めて轟然と胸を反らす、預言者。

 均整の取れた、筋肉。

 無駄な脂肪など、一斤もない。

 神の設計した人体、その理想形。

 一糸纏わぬ裸体が、いっそのこと神々しい。

 誇り高きその立ち姿は。

 頬を歪ませた微笑みは。

 万物に君臨する、支配者のそれ。

 無数の絶望を従えた、蟲の王と、その僕たち。

 終末の軍勢の、本当の姿が、ここに具現した。

 

 

 がちがちと、歯が鳴った。

 寒いからではない。

 緊張しているのでもない。

 ただ、恐怖だ。

 しかし、体が恐怖しているのではない。

 心が恐怖しているのでもない、

 もっと、深奥にあるもの。

 俺という存在の、より根源に深い部分にある、何か。

 それが、あの蟲に、限りない恐怖を覚えている。

 あれは、なんだ。

 あんなもの、この世にいてはいけない。

 許されない。

 あんなものがこの世にいるなんて、許してはならない。

 なぜなら、あれを見るだけで、人が如何に醜いか、理解できてしまう、

 己が如何に罪深いか、理解できてしまう。

 謝りたい。

 何に。

 分からない。

 何に謝ればいいのか、分からない。

 贖罪の対象が、理解できない。

 今まで口にしてきた食物たちの、断末魔の苦痛に対して、だろうか。

 戯れにその命を奪ってしまった、ちっぽけな虫たちに対して、だろうか。

 己が助かるために見捨てた、あの夜の、人だった物たちに対して、だろうか。

 違う。

 正解でありながら、致命的に間違えている。

 その、一つ一つに対して、ではない。

 その、全て。

 俺が生きてきたということ、それ自体。

 それが、罪。

 俺が生まれたこと。

 この世で、産声をあげたこと、それが、許されざる、罪。

 そう、理解してしまった。

 神は、俺を愛していない。

 神は、俺を罰そうとしている。

 涙が溢れてきた。

 恐怖の涙、ではない。

 悲壮の涙、ではない。

 歓喜の涙。

 忘我の涙。

 感じるのは、快楽。

 母の子宮に還ったような、無上の安心感。

 滂沱の涙が流れ落ちる。 

 やっと、許される。

 罪が苦しみならば。

 罰こそは、救いだ。

 この、罪に塗れた体が、魂が、解放される。

 その喜び。

 それを自覚すると同時に、地震のような身体の震えが、ぴたりと収まった。

 理解したからだ。

 ついに、俺は、救われる、と。

 あの夜から抱いていた重たい鎖から放たれる。

 なんという、奇跡。

 そのためなら、如何なる苦痛も受け入れよう。

 その結果として逃れられない死があろうとも、望むところだ。

 ああ、俺は、解放される。

 それは――。

 

「士郎、気をしっかり持って!」

 

 声。

 ああ、五月蝿いな。

 おれは、こんなにも、殺されたがってるんだ。

 あの針から、至高の毒を、どくどくと注ぎ込まれたいんだ。

 許してくれよ。

 そんなに、怖い顔で、俺を見ないでくれ。

 わかってるんだ。

 俺が罪深いってことくらい、分かってる。

 だから、そんな目で、俺を、見ないで。

 ぼくを、いじめ、ないで――。

 

 ぱあん。

 

 音。

 痺れるような、痛覚。

 あれれ。

 俺は、一体、何を?

 

「一瞬でも気を緩めたら、まるごと持ってかれるわよ!あれは、そういうものなの!」

 

 目の前に、厳しい顔の、凜。

 あれって、なんだ?

 闇。

 月。

 夜空。

 影の校舎。

 運動場。

 その、中央。

 光り輝く、蟲の群れ。

 その、更に中央。

 この空間の、座標基準。

 そこに、黒い、男が。

 ああ、あれは。

 見たことが、ある。

 知っている。

 そうだ。

 俺は、今夜、初めてあの顔を見た。

 しかし、俺は、あの顔を知っていた。

 あれは。

 俺の。

 ■さん、なのだから。

 

「ふむ、初見にて理解したか、流石だな、遠坂」

 

 声も。

 聞いたことが、ある。

 ずいぶん昔に聞いた声だ。

 さんざめくような陽光の下で、ともに笑いあった、声、だ。

 知っている。

 お前が、貴方が何者なのか、俺は知っている。

 知っているのに、何で。

 貴方の、名前が、分からない。

 

「……貴方に、そんな呼ばれ方される覚えは、ないわ」

 

 嫌悪感を露にした、声。

 それに応える声は、むしろ楽しげだった。

 

「いや、あるね。お前には、その資格と義務がある。それが何よりも、貴様の罪なのだ。しかし……そんなこと、この時代においては、瑣末ごとでしかない、か」

「そうだ。ぐちぐちと、そんなことはどうでもいい。お前は、やっと本気を出したんだろう?ならば、やることなんて、一つしかない。そうじゃねえのか、預言者よ」

「ああ、初めて君を愛しいと思うよ、槍兵。そうだな、戦おう。戦おう。戦おう。今は何よりも、誰かを殺したい」

 

 獰猛な笑みと笑み。

 軋らせるような、白い歯が覗く。

 ランサーが、槍を下段に構えた。

 鉄筋を束ねたような筋繊維が、薄い皮鎧の下で、ぐねりと蠢いた。

 プレディクタを囲む蟲達が、一斉に羽ばたいた。

 万軍の蹄音のような羽音が、周囲を圧する。

 戦いが、始まった。

 

 

 ちりちりと、肌を焼く。

 どくどくと、血液が身体中を駆け巡る。

 氾濫する、脳内麻薬。

 エンケファリン。

 β-エンドルフィン。

 ドーパミン。

 もっとも、エーテルで編まれたこの体にそんなものがあるのかは分からねえがな。

 少なくとも、俺の主観では、荒れ狂っている。

 緊張感。

 焦燥感。

 産毛が、空気との擦過で焦げ落ちていく、そんな錯覚。

 濃厚な、死の気配。

 襲い来る、蟲の群れ。

 人の顔と、蟲の体をもった、蟲。

 一体これがなんなのか、俺は知らない。

 知る必要も、全くない。

 重要なのは、こいつ等を操る、あの野郎が強いのか、否か、だ。

 その結論は、もう、出ている。

 蟲。

 疾い。

 その数、約三十匹程だろうか。

 それが、まるで砲弾みたいに、すっ飛んでくる。

 あらゆる方向から、ひっきりなしに。

 それを、迎撃する。

 槍。

 呪いの魔槍。

 その、音速を超える穂先。

 それが、蟲の外骨格と、衝突する。

 吹き飛ぶ、蟲。

 しかし、死なない。

 先程までの雑兵とは、桁が違う。

 疾く、硬く、そして何よりも危険だ。

 奴らの尾から、垂れ下がった針。

 あれは、危険だと、本能が告げている。

 あれだけは、かわさなくてはならない。

 そんな思考を嘲笑うかのように、蟲が、来る。

 上下左右、前後不覚。

 あらゆるタイミング、あらゆるコンビネーション。

 一瞬でも気を抜けば、その瞬間にお陀仏だ。

 それが、いい。

 その絶望感が、堪らない。

 いいぞ。

 もっとだ。

 もっと、来い。

 まだまだ、俺は追い詰められていない。

 俺は、もっと追い詰められたことがあるんだ。

 もっと追い詰められて、追い詰められて、絶望して、恐怖して、小便すら漏らしそうになって。

 それでも、俺は勝ち残った。

 最後に立っていたのは、俺だった。

 俺は、負けない。

 貴様が弱いから、じゃあないぞ。

 誰が相手でも、俺は負けない。

 かわいそうにな。

 相手が俺じゃあなければ、お前の勝ちだった。

 相手が悪かったってえことだ。

 運が悪かったってえことだ。

 ほら、運も実力のうち、なんて言葉もあるだろう?

 なら、お前さんは弱いのさ。

 なのに、なんでそんなに笑ってるんだい?

 何がそんなに、楽しいんだ?

 ああ、そうか。

 お前、相変わらず、俺を見下してやがるのか。

 俺に、貴様を殺す手段がないと、そう思ってるんだな。

 確かに、心臓を貫く不可避の穂先は、通じなかった。

 確かに、万軍を蹴散らす、死の流星群を、お前は耐え凌いだ。

 だから、お前は俺に勝ったと思ってるんだろう。

 教えてやる。

 それは、重大な認識の齟齬だ。

 まだまだ、俺にはあるぞ。

 奥の手、そう呼べるものかどうかは、分からないがな。

 それに、お前は勘違いしている。

 お前だって、不死なんかじゃあない。

 真の不死なんて、この世には存在しない。

 なにせ、神様だって、死ぬんだ。

 この世界そのものだって、いずれは病み衰え、祝福すべき死を迎える。

 ならば、何故貴様が死なないはずがある。

 殺してやるぞ。

 殺してやる。

 俺が。

 貴様を。

 今。

 この場で。

 この穂先をもって。

 この世から、消し飛ばしてやる!

 

 

 凄い、戦いだった。

 異形と異形の、戦い。

 光と光が、舞い踊る。

 白い光と、青い光が、綯い交ぜになる。

 もう、俺の目は、それを残像として認識することしか出来ない。

 おそらく、それは皆も同じこと。

 凜も、イリヤも、セラも、リズも。

 皆、呆けたように、その戦いに見入っている。

 視界に焼きつく、恒星の乱舞。

 耳を劈く、硬質な衝突音。

 肉に響く、蟲の羽の振動。

 その全てが、告げている。

 この戦いは、人の身で立ち入ることの出来るものではなくなっている、と。

 ランサーの槍は、既に槍ではなくなっていた。

 周囲を羽撃く、空想の蟲たち。

 あらゆる方向から飛び掛ってくるそれらを打ち払う穂先は、既に、風。

 暴風、嵐、竜巻。

 その中心にある、獰猛な笑み。

 自身の置かれた苦境を、明らかに愉しんでいる。

 なるほど、俺は勘違いをしていた。

 あの夜、俺を襲ったランサーは、本気ではなかった。

 遊んでいた。

 その後セイバーと戦ったランサーは、万全ではなかった。

 おそらく、何らかの制限が課せられていたのだろう。

 そして、先程、巨大な蟲の群れと戦っていたときのランサー。

 本気で、かつ万全。

 あれが、本来の彼の姿だと、思った。

 それが、重大な勘違いだった。

 あれは、如何に本気であろうと、万全であろうと、彼の本来の姿ではない。

 今のランサーを見れば、それがよく分かる。

 血走った、瞳。

 盛り上がった筋肉で、膨れ上がった体躯。

 彼の愛槍が、心なしか小さく見えるほど。

 伝説に謳われた、狂戦士、クーフーリン。

 慈悲深く勇猛な英雄の、もう一つの側面。

 幼少にして、鍛冶屋の番犬を絞め殺したという、その凶暴性が、露になる。

 引き攣り、持ち上がった口元から覗く、尖った牙。 

 身体中に負った細かい傷から、血が噴出す。

 赤く染まった、その姿。

 そして、更に赤く濡れた彼の舌が、ぺろりと唇を舐めた。

 その、妖しいまでの色気に、同性であっても魅了されそうになる。

 

「はっはあぁ!大言壮語の割には、大したことがないなあ、預言者よ!」

 

 ランサーの雄叫び。

 猛り逸る何かを打ち出すような、その言葉。

 しかし、それは酷に過ぎるというもの。

 ヨハネは、確かに強いのだ。

 曲がりなりにも人の身でありながら、サーヴァントと互角以上に戦っているのだから。

 

「ちぃ、やはり混ざり物は性質が悪い!酒でも何でもそうだな、貴様には趣がない!」

「褒め言葉か、それは!?」

「無論!」

 

 苛立たしげなヨハネの声と、天上のように喜び上ずったランサーの声。

 全く非対称なその声に、かすかな違和感を覚えた。

 確かに、ランサーは強い。

 そして、マスターが、桜になったのだ。

 凜以上に豊富な魔力量と強靭な魔術回路を備える彼女のこと、そのマスターとしての能力も折り紙つきだろう。ランサーの能力だって、いくらか底上げはされているのかもしれない。

 しかし、いくらなんでもおかしくはないか?

 どれほど強かろうと、凜がマスターとなった、あのセイバーを圧倒的に凌ぐ筈がない。

 如何に不意を突かれたとはいえ、一撃で吹き飛ばされたセイバー。

 その、神話の蟲に囲まれて、それでも嬉々として暴れ狂う、ランサー。

 その違いは、なんだ?

 単なる相性の差異などではない、もっと根本的な違い。

 それがあるような……。

 違う。

 俺が今為すべきことは、そんな思考をぐだぐだとすることではない。

 今俺が為すべきこと。

 それは、唯一つだ。

 セイバー。

 奴の使役する蟲に弾き飛ばされて、未だ地面に伏せる、彼女。

 彼女を助ける。

 それが、今、俺の為すべきこと。

 走る。

 倒れ伏した、彼女のもとに。

 泥に塗れた、金砂の髪。

 ピクリとも動かない、小さな身体。

 

「セイバー!」

 

 走る。

 

「させるか!」

 

 後ろから、声。

 そして、俺の耳を擦るように追い越していった、光体。

 アポルリオンと、奴がそう呼んだ、蟲。

 圧倒的な、スピード。

 駄目だ、間に合わない。

 このままでは、死ぬ。

 彼女が、殺される。

 何度も俺を助けてくれた彼女を、一度も守れない。

 そんなの。

 もう、一度だけでたくさんじゃあないか。

 もう、いらない。

 もう、守られるだけなんて、嫌だ。

 守りたい。

 彼女を、救いたい。

 どうすればいい?

 どうすれば、彼女を助けることができる?

 この鈍重な足では、到底間に合わない。

 例え今から干将・莫耶を投影しても、あの蟲を倒すことは叶わないだろう。

 ならば、どうすればいい?

 

 知っている。

 

 俺は、その方法を、知っている。

 簡単なことだ。

 もとからあるものを、彼女に返せばいいのだ。

 俺が、彼女から預かっているものを、返せばいいのだ。

 何を?

 俺は、何を彼女から預かったんだ?

 何で、俺はそんなことを知っている?

 そういえば、そんなことが、最近多すぎる。

 

 聞いたこともない、凜の、言葉。

 

『魔術師っていうのはね、自滅さえ覚悟なら限界なんて簡単に超えられる。魔術回路を焼き切らせて、神経をズタズタにして、それでも魔力を回転させていけば奇蹟に手は届くわ』

 

 聞いたこともない、セイバーの、言葉。

 

『シロウ、あなたを――』

 

 見たことも無い、赤い、荒野。

 身を切り裂く、冷たい、風。

 乾いて罅割れた唇、そこから流れ込んでくる血の味。

 今まで感じたこともないような、寂しさ。

 この世に、自分を覚えてくれている人間が一人たりともいないような、絶望感。

 

 考えてみれば、おかしかった。

 

 何で、俺は干将・莫耶を投影することができた?

 知っていたからだ。

 その構成を、製造方法を、長い年月を尽くして、知り尽くしていた。

 

 何で、俺はライダーと戦って生き残ることができた?

 知っていたからだ。

 身体の動かし方、どこでどう攻撃を受ければ致命的な傷を負わずに済むか、生き残るにはどうすればいいか。

 

 俺は、知っていた。

 

 いつだ。

 いつ、知った?

 そうだ。

 思い出した。

 今まで、忘れていた。

 

『のた打ち回れ、衛宮 士郎』

 

 あの、夜。

 土蔵で、一人で魔術の修行をしていた。

 悲しみと一緒に、修行をしていた。

 だって、無理もないだろう。

 無駄だと、言われたんだ。

 俺のしてきた全てが無駄だと言われた。

 無駄だったと。

 俺の努力は、苦痛は、何の実も成さなかったと。

 悲しくないはずがない。

 もう、何もないと思った。

 十年間、磨き続けてきた宝石が、只のガラス玉だと言われた。

 そして、どうやらそれは真実だったんだから。

 それでも、磨いたさ。

 もう、そうすることしか、俺には残っていなかったから。

 ガラス玉を、磨いたんだ。

 大切に、磨いていたんだ。

 そうしたら、後ろから、声をかけられた。

 そのタイミングでよかったよ、本当。

 あと五分遅れていたら、涙でぐしゃぐしゃの顔を見られることになってたからな。

 声の主は、男だった。

 白髪。

 黒い、肌。

 赤い外套に、低い声。

 歴戦の戦士の身が持つ、研ぎ澄まされた気配。

 鷹のように、鋭い瞳。

 ああ、まるで俺の理想だ。

 絶対に届かない、俺なんかじゃあ百年たっても届かない理想の具現が、しかし悲しげな瞳で、俺を見ていたんだ。

 まるで、己の過ちを見つめるような、痛ましい瞳。

 それが、どこまでも優しく見えた。

 そして、彼に手を握られて。

 流れ込んできた、圧倒的な量の、何か。

 俺の、薄くて短い人生とは比較できないほど、膨大な、何か。

 それが、流れ込んできた。

 

 生命の存在を許さぬ荒野。

 風が吹き荒び、一滴の潤いもこの世界には存在し得ない。

 しかし、その男は傲然と顔をあげ、胸を張って、一人歩く。

 付き従える、剣の群れ。

 その背中は言っていた。

 

 ついて、来れるか。

 

 ああ、俺にできるのか。

 俺は、彼になることができるのか。

 

 その時は、そう思った。

 

 でも、今ならば、胸を張って、こう言える。

 

 ついて行く。

 

 貴方がどれほど遠くにいようが。

 貴方の歩が、どれほど速かろうが。

 

 俺は、ついて行きます。

 そして、いずれは追い越してみせましょう。

 

 それが、貴方の、望みなのでしょうから。

 

「――I am the bone of my sword(我が骨子は捻れ狂う)

 

 空の右手に、ずしりと重い、捻れた剣の感触が、あった。

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