FATE/IN THE DARK FOREST 作:shellfish
空気が、変わった。
別に、緊張感が溢れたとか、恐怖で引き攣ったとか、そういうものではない。
もっと、単純なことだ。
中心が、移ったのだ。
ここから、違う場所へ。
あそこから、違う場所へ。
果たして、どこが中心だったのかは、分からない。
ひょっとしたら、ランサーとヨハネが戦っていた、あの場所かもしれないし。
今、俺とセイバーが背中合わせで戦っている、この場所かもしれない。
でも、そんなことは、どうでもいい。
現に中心なのは、ここでも、あそこでもない。
それだけは、ハッキリしている。
今、この場所における中心は、あの男が立っている場所だ。
あの、男。
この場にいる全員、その視線を受けて、なお轟然と立つ、男。
ふらりと、しかし初めからそこにいたかのように校舎の影から姿を現した。
金髪。
でも、セイバーのそれと比べると、やや輝きが強い気がする。
紅い眼。
イリヤのそれに近いかもしれないが、もっとどぎつい何かが宿っている。
そして、何より、口元に張り付いた、他者を蔑視するような、笑み。
ああ、分かった。
こいつは、敵だ。
episode73 人造両儀8 一時閉幕
「そのような雑兵相手に何を梃子摺っているか。我をあまり失望させるでない」
尊大な、詠うような声。
闇から、輝くような金色が姿を現した。
黄金の髪。
紅玉のような瞳。
身につけたのは簡素なライダージャケット。
まるで具象化した太陽をそのまま身に纏ったような威光。
一目でわかる。
あれは人ではない。
「アーチャー!なぜ貴方が現界しているのです!」
驚愕と嫌悪の入り混じったセイバーの叫び。
男はそれに不敵な笑みを返す。
「久しいな、騎士王よ。十年ぶり、いや、貴様にとってはそれほどではないのか」
アーチャー?
しかし、あいつは、もういない。
赤い弓兵は、狂戦士と共に座に帰った。
そして、十年ぶりというセイバーの言葉。
それって、まさか……。
「……前回の聖杯戦争の生き残り?」
戦慄を帯びたイリヤの声が聞こえる。
「ほう、雑種にしては知恵の回る者もおるようだな。その通り、この身は十年前の聖杯戦争において召還された弓兵にして、人類最古の英雄王よ」
人類最古?
こいつも英霊なら、何らかの神話、逸話の類の登場人物であることは間違いないだろう。
確か、世界史の授業で人類最古の叙事詩がどうとか言ってたな……。
エジプト、じゃない。
メソポタミア、だっただろうか。
あれは確か……。
「ギルガメッシュ……?」
俺の消え入るような呟きに、男は射殺すような視線をよこした。
なんだ、これは。
睨まれてるだけなのに、呼吸が速くなる。動悸が激しい。汗が止まらない。
まるで、俺の存在そのものを握り潰すかのような、視線。
「くううぅっ」
思わず、跪きそうになる。
がくがくと笑う膝を殴りつける。
こいつ、桁違いだ。
バーサーカーの殺気も凄かったが、こいつのは違う。
殺気みたいな不純なものじゃなくて、ただ其処に在る、それだけで負けてしまいそうだ。
最強。
それだけで、分かった。
こいつが、一番強い。
「……ふん、少ししゃべりすぎたか。まあよい。騎士王よ、少し待っているがよい。我は十年待ったのだ。王たる貴様が露ほどの時を待てぬ道理はあるまい?」
鷹揚な奴の声に、緊張した声でセイバーが応える。
「……何を待てというのです」
「忘れたとは言わさんぞ。既に十分すぎるほど時間は与えたはずだ。今だ答えが決まらぬというのであれば、次に会うときまでに決めておけ。我もそれほど気は長いほうではない」
奴とセイバーの因縁を知らない俺達には、何のことかさっぱりだ。
しかし、セイバーの顔が嫌そうに歪んだことから考えると、碌なものではあるまい。
「……では、あなたは一体何をしに来たというのですか」
「一つには演劇の鑑賞だな。一人の男を巡る姉妹の醜い争い。使い古された主題ではあるが、なかなかどうして楽しめたぞ。いや、あの男の歪んだ趣味も時には悪くない」
口の端を歪めながら男が哂う。
「もう一つ、この下らぬ遊戯の賞品を回収しようと思ってな。もともとそれほど欲しいものではないが、この世の全ては我のもの。我以外の者がそれを盗むのは些か気に入らぬ」
この遊戯の賞品?聖杯?
一瞬、イリヤの顔が恐怖に歪んだ。
彼女はその視線を、まるでこの場にいない誰かを探すように彷徨わせる。
「勘違いするな、白い聖杯よ。此度の聖杯戦争においては、貴様に器としての価値はない。真品が贋作に劣るとはな、恥を知れ」
視線をすら寄越さずに、その男はイリヤを無価値と切り捨てた。
その、傲慢さ。
何故だろう。
相応しい、と。
この男にだけは、それが許されると。
そう、思ってしまったのは。
そのとき。
びょう、と。
物凄い音を立てて、何かが奴の方にすっ飛んで行った。
闇を切り裂く、白銀。
斧と槍、あとは矛か。
幾つかの武器を足して、それを割り戻さない、凶悪な形。
鮫や虎の牙にも似た、そのフォルム。
ハルバード。
決して人の筋力では扱えない、その重量。
それが、奴の方にすっ飛んでいたのだ。
誰が投擲したしたかなど、問う必要も、ない。
リーゼリット。
彼女が、おそらくは耐え難いほどの怒りに駆られて、その怪力を解放したのだろう。
その、まるでサーヴァントにも届くような一撃。
それを、その男は一瞥もせずに弾き飛ばした。
何が起きたのか、一瞬分からなかった。
それでも、一瞬遅れて理解した。
何か。
何か、あのハルバードを押しのけるだけの威力と速度を兼ね備えた、何か。
それが、無垢の空間から、打ち出されたのだ。
迸るような、威圧感。
間違いない、宝具だ。
宝具が、虚空から生み出され、打ち出された。
あっけない、勝負。
そもそも、人の武器が、英霊の宝具に敵し得るはずがないではないか。
意外なほどに乾いた音を立てて真っ二つになった、リズの怒り。
しかし、英雄王の鉄槌は、その侵略を終えない。
一直線に、不遜に過ぎる、主の敵の咽喉下へ。
死んだ、そう思った。
剣か、槍か、斧か、それは分からない。
それでも、あの武器を防ぐことは、出来まい。
そして、かわすことも不可能。
ならば、その死は不可避だ。
思わず目を背けた。
轟音。
金属と金属が衝突する、乾いた音。
目を、開ける。
そこには、赤い槍と、蒼い獣。
ランサー。
彼が、リズを守るように、立ちはだかっていた。
「おい、どこの誰だか知らねえが、ここは俺の戦場だ。ちゃちゃ入れるなら、それなりの覚悟は出来ているんだろうな?」
「ほう、今日日は犬も人語を解するか。なるほど、あの男が愉しむ訳よな、滑稽だ」
「てめえ……!」
歯の軋る音が、ここまで聞える。
それでもランサーが飛び掛っていかないのは、彼が持つ戦士としての直感だろうか。
それとも、生物の持つ本能としての恐怖心、それに囚われてしまったのだろうか。
だとしても、彼を非難し得ない。
それほどに、目の前の金色は、圧倒的だったのだ。
「しかし……。騎士王との久方の逢瀬に、ここまで不快な連中が揃うとはな」
奴は、俺とヨハネを、等分に眺めた。
そして、呟いたのだ。
この、
「……まあ、よいか。祭りは、そのものよりも前夜祭にこそ華がある。ならば、この不快な舞台も、それなりに愉しむことが出来よう」
ぐにゃり、と奴の背後が歪む。
水面に小石を投げ込んだかのように、空間が震える。
幾重にも重なる、波紋。
その中央、そこから覗く、刃先、刃先、刃先。
俺には、わかる。
あれは、宝具の群れ。
刃の一つ一つが、宝具。
まるで、軍隊。
ならば、奴は指揮官か。
高く掲げた、腕。
その先端、まるでピアニストのようにしなやかで細長い指が、打ち鳴らされようとした、その瞬間。
高らかな笑い声が、戦場を満たした。
「くふふ、くははははは!貴様が、英雄王か!なるほど、これは久しい!」
笑い声。
誰も、一言も話さない。
その静寂の中を、預言者は笑い狂った。
「……久しい、と。残念だが、我には貴様の面に見覚えは、ない。贋作者の不快な面、一度見れば忘れようもないのだがな」
「ああ、我らは初見よ。しかし、私は一度ならず君と顔を合わせたことがある」
彼らの視線が、交わった。
漆黒のような、黒い瞳。
溶岩のような、紅い瞳。
彼らは、瞬時に理解した。
倶に天を戴かざる敵。
それが、目の前にいるのだ、と。
一人は、神を讃え、己以外のたった一人のために、生きる者。
一人は、神を貶め、ただただ、己のためだけに生きる者。
一人は、無限を体現し、有象無象を従える者。
一人は、原典のみを愛し、有象無象を憎悪する者。
そんな二人が、出会った。
偶然の出会いは、必然の殺し合いに。
それは、避け得ぬ宿命だったのだろうか。
ぱちん、と、指が鳴った。
応、と、号令が下された。
刃神の、進軍。
蟲群の、襲撃。
力と力が、ぶつかり合う。
それは、渦。
魔力と神秘の織り成す、大渦だった。
どちらも、一歩も引かぬ。
無限の物量。
無限の魔力。
どちらにも、尽きるという概念が、ない。
ならば、千日手。
どちらにも、勝機はない。
「くはは、なるほど、それが貴様の穢れか、黒き聖杯よ!いいぞ、なかなかに荘厳ではないか、ゲテモノもそこまでいけば見事よな!食欲がそそられるわ!」
「ふん、そうやって慢心しておれ、英雄王が!王などはな、所詮打ち倒されるためにあるもの、歴史が証明しているではないか!」
「ならば、歴史をこそ正そう!」
「やってみろ、愚物!」
二人の魔力が、沸点を突破しようとした、そのとき。
融点を遥かに下回る、冷静な声が、響いた。
「やめておけ、二人とも」
一瞬だけ、二人の動きが止まる。
その、交錯する視線。
そこにいたのは、一人の男。
長身。
巨木のように、揺るがない体。
纏うのは、漆黒の法衣。
口元に湛えられた、笑み。
瞳の奥には、絶えず苦悩の光が燈っている。
言峰、綺礼。
此度の聖杯戦争の、監督にして参加者。
聖杯に相応しい者を選別する役を担うもの。
それが、立っていた。
「言峰、綺礼、か……」
「コトミネ、誅殺である。口を挟むのであれば、貴様であっても容赦はせぬが、覚悟の上か」
心の弱い者であれば、それだけで死ぬるような、殺気が二つ。
それを受けながら、神父はなお涼やかに微笑んだ。
「街中だ。これ以上貴様らが暴れれば、神秘の漏洩に繋がりかねん。協会から妙な横槍を入れられて儀式が中止になるのは、お互い望むところではあるまい」
「ふん、そのような瑣末ごと、知ったことではない。協会?それが邪魔をしたくば、させておけ。王の進軍を阻むものは、悉く灰燼と帰すのが定めである」
一切の気負いの無いその台詞に、些かの誤りも無い。
もし、哀れな協会の犬がこの場に現れれば、その言葉は即座に実行に移され、そして完遂していたであろう。
しかし、神父は苦笑する。
その言葉を信じていないから、ではない。
英雄王を留めるに、あまりに無意味な正論を吐いてしまった、己の浅慮さに呆れたのだ。
「確かに、貴様の言うとおりだ、ギルガメッシュ。しかし、酒は樽を開けるタイミングがその味を左右する。これは天上の美酒にも勝る酒に化け得る、極上の喜劇だ。その幕を引くにはやや性急に過ぎると思うのだが、如何か」
その言葉に、金色の男は、微笑った。
なるほど、確かにそうかもしれない、と。
道化が踊り狂っているのだ。
ならば、それを見届けるのは、観客たる自分の義務ではないか、そう思った。
「……少し、空気が埃臭い。服が汚れるわ」
その言葉を最後に、彼は踵を返した。
それに、神父も続く。
まるで、闇に溶けるかのように消えていく、二つの影。
「待て、言峰、てめえ!」
唸るような、槍兵の声。
その声に、神父は愉しげに返す。
「ほう、ランサー、まだそんなところを這いずり回っていたか。しかも、またもや主替え。なるほど、犬は飯を用意してくれる飼い主にこそ尻尾を振るというが、そういう意味では君は立派な忠犬だ」
「貴様は、俺が殺す。絶対だ」
「残念だがな、ランサー。この命、犬如きに食わせるほど、安いものでもないのだよ」
遠ざかる声に、誰一人として動かない。
虚脱した空気が、流れる。
これで今日の戦いは終った、その場にいた誰もが、そう思ったのだ。
「……さて、けちがついたな。今日はこの辺りにしておこうか」
預言者の呟きに、誰も応えない。
恐るべき、敵であった。
人の身でありながら、サーヴァント二体と互角以上に戦う。
幻想の中でのみ生きる、蟲の群を自在に使役する。
そして、あの、神が使わした、蟲。
なおかつ、限りなく不死に近い体。
それは、間違いなく脅威と呼んで差し支えないものだった。
「これ以上は、彼女も疲れることだろう。いずれ、決着はつける。それまで、精々壮健であることを望むよ」
笑いを含んだ、声。
そして、いつの間にか彼の傍らに控える、暗殺者。
その、長い、腕。
それが、肩に何かを担いでいた。
大きな、荷物。
だらりと、力ない。
それは、人だった。
小さな、細い、人。
それを見て、鉄の少年が、声を限りに絶叫した。
「凛!!!!」
「おのれ、卑怯な、人質をとるか!」
あらたなマスターを敵の手に渡すという、失態。
それを歯噛みしながら、剣士も、声を荒げる。
預言者は、口元を歪めながら、嗤う。
暗殺者は……、仮面の下のその表情は、窺い知れない。
しかし、彼の纏った空気には、一抹の悲しさが、確かに存在したのだ。
「人質?ああ、これは酷い勘違いだ。我々には、この女を生かして返すつもりなど、毛頭存在しない」
静寂。
ただ、冷たい闇が、空気を統べる。
そんな、沈黙。
「……下手な脅しはやめろ。ならば、何故すぐに殺さない?」
当然の、疑問。
悪くすれば人質の身を危険に晒すような、愚問だ。
だが、剣士は秘かに、その脚部に魔力を充填していた。
限界を超えれば、騎乗兵の全力おも凌駕する、その突進。
僅かな隙も見逃さない、そういう視線。
それを知ってか知らずか、悦に入った預言者の声。
「極めて単純明快な理屈だよ。この国の文化は、食材の鮮度をもって尊ぶのだろう?特に、活造りなどは最高だな。全身を切り刻まれて、もう助かる術など無いというのに、ぴくぴくと足掻くその様が食欲を沸き立たせる。願わくば彼女にも、その肉の最後の一片が骨から外されるまで、絶望に満ちた絶叫を聞かせて欲しいものだ」
「貴様、まさか――」
「勘違いするなよ。食べるのは私ではない。マキリ代羽、この女は、彼女の食料だ」
遠くに浮かんだ雲の中で、何かが光った。
遠雷、だったのかもしれない。
「彼女はいつも腹を空かせている。私から戻ったときなどは、特にそうだな。しかし、その空腹は他の何物でも埋めることは叶わない。彼女の空腹を癒すことが出来るのは、ただ、人の肉、それのみだ」
にたにたと、厭らしい笑みを浮かべる預言者。
その手が、意識の無い少女の肢体を弄る。
「やめろ、てめえ!」
「ならば、あの捻くれた剣で我らを射抜くか?いいぞ、やってみるがいい。もしかしたら、彼女を傷つけずに我らだけを害することが可能かも知れんぞ?」
「なんと、卑怯な――」
絶望を含んだのは、剣士の声。
例え神速のランサーでも、彼らとの距離は遠い。一息に少女を助けるのは、困難だ。
かといって、その宝具は対軍、もしくは対城。
少女を傷つけずに敵のみを射殺す、そんなこと、弓兵でもなければ不可能だろう。
もしくは神代の大魔術師の魔術ならば、如何にか出来たかもしれない。
それでも、その二つは意味の無い選択肢だ。
砂時計の針は、戻らない。
極めて単純な、理屈。
手詰まり。
そんな敵の様子を眺めながら、預言者は、沈痛にこう言った。
「彼女はな、人ではない。しかし、人の形を保つために、人の肉を喰らわねばならぬ。どうだ、それを哀れんではくれぬか」
人を、喰う。
人であるために、人を喰らう。
喰らえば喰らうほど、人から離れることを知りながら、それでも人を喰らわねばならない。
その、在り様は――。
「死徒――」
「その通りだ。彼女はな、すでに人ではない。死徒、そう呼ばれる生物の領域にいる。人の意識を保ち、人並み程度の力しか持たず、だが一片の魔力も無く、ただ不死のみを約束された、この世で一番脆弱な死徒、それが彼女の正体だ」
その言葉を聞いて、少年は走った。
させるものかと。
この世で一番大切な者に、この世で一番大事な者を、殺させてたまるか、と。
それは、大切の人を、一度に二人失う行為だ。
もう、嫌だった。
自分の掌から、砂粒のように大切なものがこぼれていくのが、少年には許し難かった。
「残念だがな、これが今生の別れになる。精々惜しむがいい、少年」
一瞬遅れて、剣士と槍兵が走った。
瞬く間に、少年の背中を追い抜く。
それでも一歩、遅かった。
少年が伸ばした腕の、遥か先で。
剣士と槍兵の、僅かに先で。
二人と、それに抱えられた一人の影は、溶けるように、消え去った。
少年の慟哭だけが、響いた。