FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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interval10 Dinner Time

 ぼんやりとした、意識。

 一瞬遅れて理解する。

 ああ、夢を見ているのだ、と。

 

 妹が、泣いていた。

 リボンを、手渡した。

 他愛無い、何かを言った。

 

 夢を、見た。

 

 あの日――妹が虚ろな瞳の人形となって帰ってきた、あの日。

 ドアは、誰にもノックされることは、無かった。

 静かだったから、魔道書の解析が捗った。

 一人分の食事を作って、食べて、寝た。

 

 夢を、見た。

 

 どこかの学校に行って、くだらない仕事を済ませた。

 放課後のグラウンド、制服を着た少年が、高すぎるバーを、飛越えようとしていた。

 何度も、何度も。

 滑稽で、でも尊くて。

 別の場所から、彼を見つめる視線があった気がした。

 気のせいだと、そう思った。

 

 夢を、見た。

 

 弓を引く、彼を見た。

 弓を引く、妹を見た。

 でも、妹は、もう妹ではなかった。

 変色した髪も、瞳もそのままで。

 私とは違う姓で、生きていた。

 もう、戻れないのだと。

 そう思って、少し泣いた。

 

 夢を、見た。

 

 戦いがあった。

 遠坂の姓を持つ者として、避け得ぬ戦いだ。

 皮肉な笑みを浮かべた、従者。

 鉄の意志を持つ少年。

 彼の従者、私が呼び出すべきだった、剣の英霊。

 決して負けるはずの無い、余裕の戦い。

 

 夢を、見た。

 

 剣の英霊は、闇に汚染された。

 弓兵は、その片腕を少年に引き継いで、消えていった。

 妹は、闇の中を這いずり回っていた妹は、狂気に身を委ねた。

 

 夢を、見た。

 

 

 妹を、殺した。

 

 

 夢を、見た。

 夢でよかったと、そう思った。

 これは、耐え難い悪夢だ。

 妹が陵辱され続けていたなんて。

 誰にも救われなかったなんて。

 そんなの、悪夢以外の何物でもない。

 よかった。

 心の底から安堵して。

 妹が、あの腐臭漂う闇の中から救われて、よかったと、そう神に感謝して。

 そのあと、ふ、と思った。

 妹が助かったならば、誰が犠牲になったのだろう。

 妹にとっての救いは、誰にとっての地獄だったのだろう。

 この悪夢は、誰にとっての悪夢なのだろう。

 この夢を、夢でよかったと、そう思うのは、私だけではないのか、と。

 誰が、誰を苦しめているのだろう。

 一体、誰が、誰を。

 

 

 嫌な感覚で、目が覚めた。

 ぼんやりと目を開ける。

 淡い、揺れるような光。おそらくは蝋燭の火が、どこかで揺れているのだろう。

 そして、暖かい。

 冬場だというのに、汗ばむくらいには暖かい。きっと、どこかの部屋の中なのだ。

 軽く身を捩る。

 じゃらり、と、片方だけ残った手首のところで重たい響き。動かそうと試みるが、ピクリとも動いてくれない。

 もしやと思って、足を動かす。

 然り、じゃらりと重たい音、やはり拘束されている。

 なるほど、つまり――。

 

「状況把握は、終りましたか……?」

 

 足元から、声がした。

 背中に、重力を感じる。

 おそらく、寝台か何かに寝かされているのだ。

 ぴんと、一本の棒になったような姿勢。両腕があれば中々様になるのだが、片腕ではいかにも格好がつかない。

 元気のよい小学生が、高らかに腕を掲げたような、滑稽な姿勢。

 その様子を思い浮かべて、私は苦笑した。

 

「ええ、私は囚われの身、そういうことでいいのかしら?」

「はい、正解です、遠坂先輩」

 

 ぴちゃぴちゃと、音がする。

 舌だ。

 それが、私の全身を這い回る。

 下半身を確認することはできないが、少なくとも視界が届く範囲で、私は一切の衣類を身につけていない。

 おそらく、剥ぎ取られたのだろう。

 全裸で、拘束されている。

 それは恐怖よりも、諦めに近い感覚を呼び起こした。

 

「……で、どうするの?私を犯すつもり?ああ、そういえば、貴方、もとは女なんだったわね。なら、今からあの男に変化するの?」

 

 やけっぱちを口にして、それから少し震えた。

 あの、顔。

 頼りがいのあった私の従者と同じ顔でありながら、この上なく歪んだ、貌。

 それが、私の上に覆いかぶさってきたら。

 下卑た笑みを浮かべながら、腰を振ったら。

 私の一番大切なところを、犯したら。

 

 発狂するかも、しれない。

 

 士郎、助けて。

 

 悲鳴を、どうにか噛み殺した。

 

「安心してください、遠坂先輩。私は貴方を辱めたり、しませんから」

 

 くつくつと、笑い声。

 相変わらず、まるでそういう生き物のように、全身を嘗め回す、舌。

 小さく、可憐なそれが、この上なく不快だ。

 

「……じゃあ、どうするつもり?私を取引材料にでもするつもりかしら?」

「なら、お互いに幸せだったんでしょうけれど……」

 

 突然、視界が暗くなる。

 理由は、明快だ。

 誰かが私を覗き込んでいた。

 その、貌。

 間桐、いや、マキリ代羽。

 流れ落ちる、黒絹のような、髪。

 太目の、意志の強そうな眉が、嗜虐に歪む。

 瞳。黒曜石よりも黒い、漆黒。それは、一体どれほどの地獄を見つめ続けてきたのだろうか。

 そして、可憐な唇が、言葉を紡ぐ。

 

「私は、貴方を食べます。厭らしい意味ではありません。咀嚼し嚥下し消化する、そういう意味で、貴方を食べます。ばりばりと、ぐちゃぐちゃと。さて、覚悟は、いいですか?」

 

 ぽとりと、何かが落ちてきた。

 一瞬遅れて理解する。

 涎だ。

 彼女の口から、涎が落ちてきた。

 不意に、口元が笑みを作った。

 きっと、この少女は、お腹を空かせているのだ。

 

『ほら、僕の顔をお食べよ』

 

 そういって自分の一部を空腹の子供に分け与えるヒーローが、どこかにいたな。

 その様が余りにも滑稽で、どこかに恐怖を覚えたのだ。

 しかし、まさか自分が同じ立場になるとは、思いもしなかった。

 私は、喰われる。

 目の前の、少女に。

 理由は、分からない。

 命乞いは、無意味だろう。

 まずは、咽喉元からか。

 それとも、足先から少しずつ。

 ああ、よかった。

 魔術刻印を切り離しておいて、よかった。

 あれがあったら、楽に死ねない。

 きっと、血を流しすぎて失血死するまで、私は死ぬことができないだろう。

 明瞭な意識の中、少しずつ胃の腑に納まる自分を見続けなくてはならない。

 それは、耐え難い地獄だ。

 なら、一息に殺されるほうがいい。

 いや、嫌だ。

 だって、やっと一つになれたんだ。

 想いが、伝わった。

 もう、離れたくない。

 士郎、助けて。

 死にたくないよう。

 死にたくない。

 貴方と一緒に、生きたい。

 正義の味方なら、助けなさいよ、この馬鹿。

 

「怖いですか?だって、こんなに震えている……」

 

 彼女の小さな手が、私の乳房の先端に触れた。

 昨日、あいつが何度も愛してくれた場所。

 そこを、穢された。

 恐怖を遥かに凌駕する、怒り。

 それが、震えるこの身を焼き尽くす。

 

「そこに触るんじゃないわよ、この蟲が……!」

「ああ、いいわ、先輩。そんな声で罵られたら、濡れちゃうじゃないですか……!」

 

 恍惚とした、声。

 びり、と、激しい痛みが襲ってきた。

 顎を引いて、体を眺める。

 そこには、赤子のように乳房にしゃぶりつく、代羽の姿が、あった。

 

「……噛まないでよ。そこ、私とアイツの赤ちゃんを育てる、大事な場所なんだから」

「ああ、それは失礼。でも、ここが一番美味しそう……」

 

 そうだった。

 こいつは、食べるのだ。

 私を、捕食する。

 もう、蜘蛛の巣にかかった。

 あとは、ちゅうちゅうと体液を吸い尽くされるだけ。

 ならば、せめてもの抵抗を。

 地獄に堕ちても胸を張れるくらいの、抵抗を。

 

「――Anfang」

「無駄です、今の貴方に、魔術は使えない……」

 

 確かに、その通りだった。

 本来、全身に溢れかえっている魔力が、全く感じられない。

 エンジンに流れ込むガソリンが、存在しない。

 これでは、魔術が使えるはずなど、ないではないか。

 

「魔力を吸い取る蟲をね、貴方の体内に入れておきました。今の貴方は、一般人と変わる所が無い。普通の、女の子なのですよ……」

「人の体に好き勝手してくれちゃって……ん!」

 

 口を、何かで塞がれた。

 そして、口内で暴れまわる、太い芋虫のようなもの。

 ああ、覚えがある。

 昨日、窒息しそうなくらいに交わしたのだから。

 キス。

 それも、舌と舌を絡めあう、濃厚で緻密な、キスだ。

 舌を、噛み切ろうとする。

 顎を捕まれて、それが出来ない。

 ならばと舌で追い出そうとしても。

 愉しげに、絡み取られる、だけ。

 何も、出来ない。

 何も、出来ない。

 ただ、されるがまま。

 これじゃあ、本当に只のか弱い女の子じゃあないか。

 涙が溢れた。

 情けなかった。

 だから、心の中で、謝った。

 ごめん、士郎。

 私、汚されちゃった――。

 

 一体、何分ほども陵辱され続けたのだろうか。

 もう、息も続かなくなって。

 求めるように、鼻を鳴らしながら酸素を貪り始めた、とき。

 とっても、名残惜しげに、彼女の唇が、離れていった。

 つう、と架かる、唾液の端。

 それを、涙で濁った視界で、見つめる。

 そして、驚いた。

 だって、彼女は嗤っていると思ったから。

 哀れな、抵抗することすら諦めた哀れな獲物を、嗤いながら見つめるのだろうと、そう思った。

 

 でも、彼女は、泣いていた。

 

 口の端に泡立つ涎を貼り付けながら、絶え間なく涙を流し続けていた。

 

「……どうして、泣いているの……?」

「……お腹が、お腹が、空きました……」

 

 その、矛盾した思考。

 目の前に食料が転がっているのに、空腹に涙する。

 それを癒す最も簡単な方法があるにも関わらず、それを行わないで。

 何故。

 そう問うことは、己の寿命を縮める行為。

 好奇心は猫を殺す。

 愚か者でも分かるその理屈を、私はどこかに置き忘れてしまったのだろうか。

 

「……なら、何で私を、食べないの……?」

「食べたいんです!こんなにも、私は貴方を食べたいのに……!」

 

 少女は、咽喉の奥に、指を突っ込んだ。

 寝台の横で、嘔吐く音が、聞える。

 

「おえ、げええ!」

 

 びしゃびしゃと、凄い音が響く。

 つん、と、反吐の臭い。

 ああ、酷いな、こりゃ。

 そう、思った。

 

「食べたいよう、食べたいよう……」

 

 これは、地獄だ。

 きっと、あの子が垣間見た蟲倉以上の、地獄。

 

 餓鬼地獄。

 

 食べても食べても、空腹が癒えることは無い。

 只管に、食い尽くす。

 動物を、草木を、土を、虫を、糞便を、無機物を、人肉を。

 そして、最後に自分を。

 彼女は、そういう場所にいるのだ。

 それが、哀れでならなかった。

 きっと、私の妹の代わりに、地獄を味わった、彼女。

 ならば、この体が食べられてもいいか、そう思った。

 

「……どうして。どうして、食べられないんだろう……?こんなに、お腹が減っているのに、貴方は、あんなにも罪深いのに……何で、何で……」

 

 声が、聞えた。

 ただ、声が。

 

「遠坂、俺は、お前を、食べられない……!」

 

 その、響き。

 遠いどこかで聞いたことがあるような、その響き。

 それを聞いて、私は、決意した。

 

「いいよ、食べても……」

 

 ぴくり、と、何かが動いた、気配。

 それが、耳を立てて周囲を窺うウサギみたいで、少し可愛らしかった。

 

「だって、腕も一本ないし、足の一本くらいなら、いいわよ……」

「……遠坂、先輩……」

 

 ゆらりと立ち上がった、人影。

 目が、爛々と輝いている。

 その瞳は、墓場を徘徊するグールのそれだろう。

 しかし、美しいと。

 そう、思ってしまったのだ。

 

「条件は、二つ。痛くしないこと。あと、質のいい義足と義手を用意すること。これでどう?」

「ああ、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます……!」

 

 彼女は、何度もそう言って、私の胸元に縋りついた。

 そして、泣いた。

 声を上げ、恥も外聞もなく、泣き叫んだ。

 ああ、こんなに大きな子供を産んだつもりは無いのに。

 これでは、まるで母親ではないか。

 ならば、片足くらい、くれてやってもいいのだろうか。

 きっと、三十分後には後悔する思考。

 それでも、今はこの子を、助けたかった。

 いつしか、胸元の体温が、消えていた。

 ちくりと、注射針の感触。

 思わず顔を顰める。

 ごめんなさいと、何かが詫びる、声。

 しばらくしてから、音が、聞えた。

 視界の及ばない足元から、くちゃくちゃと肉を咀嚼する音が聞え始めた。

 

 ――ああ、私、食べられてるんだ。

 

 薬でぼんやりとし始めた意識の中、そう、思った。

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