FATE/IN THE DARK FOREST   作:shellfish

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episode82 Between the hammer and the anvil 4 最愛

 パン、と、軽い音が、一度鳴った。

 軽い、音だった。

 例え、視界を遮るほどの豪雨が無かったとしても、その音は夜の闇に吸い込まれて、余人の耳を騒がすことはなかっただろう。

 そんな、軽い音。

 花火や爆竹のそれと、何ら変わるところが無い。

 そんな、音が、一度だけ響いたのだ。

 そして、少年の苦痛の声が、辺りを圧した。

 喉の奥を絞り上げたような、声だった。

 ばしゃりと、少年の身体が崩れる音。

 次に、ぱんぱんぱんと、三回、乾いた音。

 音源は、少女の握った、黒い金属。

 人を殺すために作られた、呪われた出自を持つ、金属だった。

 いつの間に、手にしていたのだろうか。

 少年は、気付けなかった。

 機会があったのは、少女の構える双剣、その片方が折れ飛んだとき、だろうか。

 その、一瞬。

 意識が、闘争から次の段階への移行に、無意識に備えてしまった一瞬。

 彼女は、背中に隠してあったホルスタから、拳銃を抜き取っていた。

 早業では、あったのだ。

 まるで、西部劇の主人公が行うような、早抜き。

 いや、流石にそれほどではなかったかもしれない。

 だが、少年の油断をつくには、十分過ぎる速度ではあった。

 そして、何のためらいも無く、引き金は引かれた。

 

 まず、一度。

 

 狙いは、左大腿部。

 命中。

 苦悶の響きが、辺りを満たす。

 がくりと崩れ落ちる、少年の身体。

 少女は、表情一つ変えない。

 

 次に、引き金は三度引かれた。

 

 グロックシリーズ。

 各国の軍隊や警察組織で採用されている、名銃。

 その中でも"Baby"と称されるほど小さく、携帯に適した、それ。

 グロック26。

 彼女が握った金属塊は、それだった。

 きっちり三度のマズルフラッシュが、辺りを照らし出す。

 そして、苦痛の声は、一度。

 全てが、脚部に命中。

 そもそも、剣で斬り合うような至近から発射されたのだ。

 外せというほうが、むしろ難しい。

 では、何故頭部を狙わなかったのか。

 そう問われれば、彼女は苦笑をもってそれに応えたかもしれなかった。

 彼女の足元で蹲る、少年。

 彼の体には、四つの風穴が開いている。

 傷口を押さえ、無様に転げ回る。

 それでも、その瞳から戦意が失われることは、無かった。

 天より降り注ぐ慈雨が、少年の身体から流れ出した血液を、洗い流していく。

 しとしとと、癒すように。

 それでも、雨は徐々にその勢いを収めていった。

 ざあざあとした雨脚が、しとしととした、それに。

 そして、それすらも、勢いを落としていく。

 もう、雨は上がるのだろう。

 少女は、空を見上げた。

 

episode82 Between the hammer and the anvil 4 最愛

 

「さて、衛宮士郎。起源の話、でしたでしょうか…」

 

 少女は、豊かな程に蜜を含んだ声で、そう言った。

 彼女は、近場にあったベンチに腰掛ける。

 そこあったのは、勝者の余裕というよりは、敗残兵の疲れであった。

 雨に濡れた、ベンチ。

 腰掛ければ、服は濡れてその冷たさが直に伝わることだろう。

 しかし、そもそも彼女の体に、これ以上水分を含むことの出来る衣類は存在しない。

 べしゃりと、粘着質な音が、鳴った。

 少女は、僅かに眉を顰めた。

 眉を顰めながら、ポケットに手を突っ込む。

 そこから水浸しになったシガーケースを取り出し、近くの水溜りに投げ捨てた。

 

「魔術師が、その魔術の習得の際に、己の起源にあったそれを選ぶという話を聞いたことは…?」

 

 少女の、質問。

 しかし、少年は、答えない。

 答えることが、出来ないのだ。

 そもそも、その口はものを言えるような状態では、なかった。

 食い縛っている。

 奥歯を噛み折るかのように、満身の力で食い縛っている。

 理由は明白だ。

 開けば、苦痛の呻き声がもれる。

 それは、誰よりも彼自身の心をへし折るだろう。

 その確信があったから、彼は口を開けない。

 口を開かず、ただ睨みつける。

 そうして、戦おうとする。

 痺れて動かない足を無視して、両腕を持って起き上がろうとする。

 まるで、オットセイが鼻に玉を乗せるかのような、姿勢。

 そんな間の抜けた姿勢で、少女を睨みつける。

 それを、少女は鼻で笑い。

 少年の右肩を、手にした拳銃で打ち抜いた。

 

「うぎいいッ!」

 

 少年の身体は弾け飛び、左手で右肩を抑えながら、転げまわった。

 それを見る少女の視線は、やはり無表情。

 それは、若人の視線では、ありえなかった。

 まるで、人生に疲れた老婆のような諦観が、そこにはあったのだ。

 

「聞けば、疾く答えなさいな。そう、学校で教わりませんでしたか…?」

「ぐはあぁ、ぐはあぁ、ぐはあぁ…!」

 

 喘ぐような、呼吸。

 仰向きに寝転がった少年の影、その胸部が大きく脹らみ、萎む。

 少女はそれを見ながら、唾を吐き捨てた。

 まるで、口の中に異物が残っていたかのようだった、

 そうして、それは正にその通りだった。

 少女の吐き捨てた唾液、そこには細やかな、小動物のような毛が、大量に含まれていたのだ。

 

「人は、いいですねぇ…。鉛の玉で苦しんでくれる…。大変、安上がりです…」

 

 くすくすと、陰に篭もった笑い声が響く。

 少年は、それを聞く余裕すらない。

 ただ、苦痛に喘ぐ体を宥め抑えるので精一杯だ。

 だが、仰向けのまま、空を見上げた。

 そこに、分厚い雲は、無かった。

 薄い雲と、そこから覗く夜空と星々。

 通り雨だったのかもしれない。

 そう思って、一度だけ大きく息をついた。

 

「死徒を相手取るに、鉛の玉では通用しない。銀の弾丸、それも高名な悪魔祓い師に洗礼を受けたものでないと、障壁を貫くことすら出来ない。だから、私はいつも食うや食わずやでしたよ…」

「…お前、偉い貴族様に養われてたんじゃあ、なかったのか…?」

「…ああ、それは酷い勘違いだ。知っていますか、衛宮士郎。金持ちとはね、吝嗇家の代名詞なのですよ…」

 

 初めて、少女は本当に楽しそうに微笑った。

 少年も、その身を犯す苦痛が無ければ、笑いたかった。

 そうして、心底驚いた。

 自分の恋人を攫った、そうして、その身体の一部を喰らったであろう相手と、こんなふうに話せる自分が、不思議でならなかった。

 

「装備は、自費負担です。それでも、私は戦いに赴きました。一銭の報酬も出ない、戦いです。何故だか、わかりますか…?」

 

 少年は、再び答えなかった。

 銃弾が怖くなかったわけではない。 

 あれは、確かな苦痛だからだ。

 それでも、答えるわけにはいかなかった。

 何故なら、彼はその答を知っていたから。

 彼は、その問いに、正答をもって応じることができたから。

 それは、彼自身が同じ懊悩を抱えていると、宣言するに等しい行為だったから。

 

「また、答えて、くれないのですね…」

 

 彼女は、ゆっくりと銃口を持ち上げた。

 そして、それが当然のように、引き金をしぼった。

 パン、と、軽い音が鳴って。

 少年の身体に、もう一つ風穴が、開いた。

 

「ぐあああ!」

 

 まるで、陸に揚げられた海老のように、無作為に飛び跳ねる少年の身体。

 少女は、それを愉快だと思って。

 そうして、頬の内側の肉を、噛み切って、飲み込んだ。

 

「…私は、誰かに必要とされたかった。それだけで、私は生きていける、そうでないと、私は生きていけない。私は、そうだったのです。衛宮士郎、貴方は如何ですか?そう、思ったことは、ありませんか?」

 

 少年の喘ぎ声が、寒空の下に響いた。

 今度は、少女は、その手を持ち上げなかった。

 ただ、まるで泣き顔を隠すかのように、俯いていた。

 その理由は、明白だった。

 彼女も、少年の答を、知っていたのだ。

 

「『白』、です…」

「…?」

 

 少女の呟きに、少年は首を捻った。

 何のことを言っているのか、分からなかったからだ。

 それでも、少女の瞳は、真剣そのものだった。

 それ以上に、苦痛に満ち満ちてはいたが。

 

「…私達の起源は、『他の何物よりも、他の色に染まり易い』。つまり、『白』、それが私達の持った方向性です」

「…」

 

 少年は、その言葉をいとも容易く受け入れた。

 驚きというよりも、納得があった。

 ああ、なるほど、と。

 言われてみれば、そうかもしれない、と。

 そう、思ったのだ。

 少女の頬は、自嘲に歪んだ。

 内心で、思ったのだ。

 何と因果な起源だろうか。

 他の何物よりも、他の色に染まり易い。

 

 白。

 

 背景としての、色。

 他の色に塗り潰されるために存在する、色。

 それ単体では、色として成立しないような、色。

 彼らは、そんなものを起源として、生まれてしまったのだ。

 起源とは、魂の更に高次元に位置するもの。

 人の一生が如き薄まった価値観では、それに抗いようも無い。

 故に、彼らには、個としての意思が限りなく薄い。

 何せ、白、なのだから。

 他者の思想の影響を、真正面から受け止めてしまう。

 その飛沫にすら、毒される。

 そんなものに、人並みの幸福など、求めよう筈が無いではないか。

 人足り得ない、人。

 人以下の、人。

 それが、彼らに与えられた、宿命であった。

 

「ほら、貴方の名前にも、『しろ』の文字がある。きっと、私の名前にも、そうだった筈。名前に起源を練り込むというのは、どうやら魔術師の世界ではありふれたことのようですから」

 

 それは、例えば少年の義父のように。

 衛宮切嗣。

 切って、それを嗣ぐという、捻れた名前。

 それを冠した少年は、やがて少年の理想を抱えたまま、大人と成り果てた。

 それがどれ程の悲劇を周囲に撒き散らすか、それすら理解しないままに。

 そうなのだ。

 名前は、原初の願い。

 その言霊は、他の何物よりも強烈に個人を縛り付ける。

 起源とは、魔術の方向性をも含める。

 それを原初の言霊と同一化させることで、より魔術に強烈な意味を含ませる。

 ならば、それは呪いと。

 何故、言い切ることが出来ないか。

 

「…貴方は、火事によって空っぽになったのではない。私達は、最初から空っぽなのです。後から何かを詰め込むつもりだったのか、それとも、もうそんなことすら薄れるほどに、魔術から遠ざかっていたのか、それは定かではありませんが」

 

 遠い、遠い、もう、誰も覚えていない、意味の無い話だ。

 彼らの家は、普通の家だった。

 暖かい家族、暖かい食事、暖かい空間。

 それらは、魔道の探求に血道を捧げる一家のそれには、似つかわしくない。

 だが、少年と少女の体には、二十七本の魔術回路が走っている。

 もっとも、少年のそれが目覚めたのはごく最近のことであり、少女のそれはもう一つの人格に支配されて、彼女の体には化石のようにしか残っていないのだが。

 だから、それは真実だったのだ。

 その家は、真実、魔道を、切り捨てたのだ。

 それは、無為であると。

 誰も、幸福にしない、と。

 それは、完全な正解だ。

 何も、人外の秘法を求めずとも、人は幸福になれる。

 自分達と、その子孫の笑顔を得るに、魔術は必要ではない。

 そう、少し昔に悟った一族がいた、それだけのことだ。

 そうして、その一族から、魔の色は、消えていった。

 だが、連綿と続いたそれは、一代では消えてくれない。

 染み付いた穢れは、一代では落ちてくれないのだ。

 徐々に、徐々に、少しずつ。

 今までかけてきた時間を、手繰るように、少しずつ。

 そうして、慣習だけが残った。

 意味を失い、目的を失い、そうして形だけが残る。

 往々にしてあることではないか。

 惰性。

 この世の大半は、それで出来ているようなものだ。

 その家も、そうだった。

 優れた後継者を残すための儀式が、只のおまじないに。

 そうして、付けられた呪い名。

 一つの受精卵から分かたれたが故に、同じ起源を持つ二人。

 その双子には、共に『しろ』の韻を含む名が、与えられた。

 それは、完全な親の愛情からだった。

 幸せになってほしい。

 そう願わぬ親の、あろうことか。

 その名が、二人の子供に、この上ない因果を齎すことになったとしたならば。

 親は、そのような名前、掃き捨てたであろうに。

 違う名前、ならば。

 違う名前、だったならば。

 或いは、全く違う人生が、ありえたのだろうか。

 しかし、それは意味の無い仮定だった。

 意味の無い、仮定だったのだ。

 だからこそ、少女は、求めた。

 意味の無い仮定を。

 己の持つ意味を、計るために。

 

「貴方の身体には聖剣の鞘が与えられ、貴方の身体は無限の剣を内包する、巨大な鞘と化した。貴方の精神には正義の味方という呪いが与えられ、貴方はその盲信者となった。それは、共に我らの起源が故に」

「…じゃあ、代羽。お前の身体には、何が埋め込まれた?お前の精神には、何が埋め込まれたんだ…?」

「私が、ですか…?」

 

 少女は、一瞬、驚いたように目を見開いた。

 その後、自嘲に頬を歪めた。

 少年は、言葉を発してから、後悔した。

 音波が色と形を持つならば、それを回収したいという欲望と、戦わなくてはならなかった。

 分かりきっているではないか。

 彼女が、その身体に何を孕んだか。

 彼女が、その精神に何を孕んだか。

 知っているはずではないか。

 幾度も、戦ったのだから。

 それを、一瞬でも忘れた自分の脳髄が、恨めしかった。

 

「…私は、身体に無数の蟲を埋め込まれた。故に、私の身体は無限の蟲を内包する、巨大な蟲倉と化した。そして、私の精神には、ヨハネというもう一つの人格が埋め込まれ、私は彼の従者と成り下がった。それだけの、ことですよ…」

 

 少年は、耳を塞ぎたかった。

 それでも痺れた右手が、それをさせてくれなかった。

 その時点で、彼は初めて、己を撃った少女を、憎んだのだ。

 

「そういえば…彼女は、一度だけ私の願いを聞き入れてくれた。一度だけね、我侭を言ってみたのです。時計塔に保存されている、幻想種の標本が見たい、と。なるほど、彼女は最高権力者だ。あっさりと私の願いは叶った」

 

 彼女の視線は、遥か過去を眺めるかのように、遠くを見詰めていた。

 雨雲は、完全に姿を消していた。

 彼らの頭上には、月が輝いていた。

 ほとんど欠けるところのない、しかし満月にはぎりぎり手の届かない、そんな月だった。

 その月が、笠を被っていた。

 丸い、ぼやけたような線が、丸い月の回りを飾っていた。

 それは、涙で視界が滲んでいるようではないかと。

 二人は、ほとんど同時に、そう思ったのだ。

 

「私の世界に内包される蟲達の原型は、ほとんどがそこに在りました。だから…彼女はやはり、私と彼の、恩人なのでしょう」

「…代羽、お前の望みは、何だ…?」

 

 少年が、ゆっくりと立ち上がる。

 その様を見て、少女もベンチから腰を上げた。

 ふらつき、折れそうになる膝を叱咤して、それでも立ち尽くす少年。

 悠々と、それが当然であるかのように、しっかりとした足取りで近付く少女。

 彼我の距離は、約五メートル。

 それが、まるで無限のように、少年には思えた。

 

「貴方に、質問する権利は、ありません。ただ、答える義務があるだけ…」

「答えろ、代羽。お前は、聖杯に何を望む?世界征服とか、復讐とか、そんなくだらない嘘は、もういい。本当の望みを、聞かせてくれ」

 

 少女は、引き金を引き絞った。

 銃口は、少年の右膝を狙っていた。

 銃弾は、少年の右膝を破壊した。

 

「…!」

 

 少年は、顔を顰めた。

 顔を顰めただけで、苦痛の叫びはあげなかった。

 それがどれ程の精神力のなせる業なのか、少女には計り知れなかった。

 だから、もう一度、引き金を引き絞った。

 銃口は、少年の左膝を狙っていた。

 銃弾は、少年の左膝を破壊した。

 

「…!」

 

 少年は、顔を顰めた。

 それでも、やはり苦痛の叫びはあげなかった。

 都合、少年の身体には。八つの風穴が開いたことになる。

 もちろん、流れ出した血の量とて、致死に値する。

 雨に濡れた身体は、体温を保てない。

 意識が、遠くなりかける。

 実際に、先程から何度も細かく気絶と覚醒を繰り返している。

 そういう意味では、苦痛すら愛おしいほどだった。

 

「…教えろ、代羽。お前の、本当の望みは、何だ…?」

 

 少年は、少女に歩み寄った。

 一歩一歩、ゆっくりと。

 

 少女は、気圧されて、後ずさる。

 一歩一歩、ゆっくりと。

 

 少女は、悟った。

 この少年は、止まらない。

 止まることが、できないのだと。

 それが、彼に与えられた色で、呪いなのだと。

 そうして、彼は走り続けるだろう。

 彼の幻影の中にだけ存在する、義父の背中を追い求めて。

 そうして、走り続けて。

 最後に、奇跡を求めるのだ。

 そうして、走り続けて。

 彼は、英雄に祭り上げられるのだ。

 人類の抑止、アラヤの戦士へと。

 そうすれば、もう駄目だ。

 何者も、彼を救うことは、できない。

 それこそ、世界を滅ぼしでもしない限り、彼は永久に救われない。

 そんなのは、嫌だった。

 何よりも、それが許せなかったのだから。

 少女は、決意した。

 その、余りに幼い胸のうちで、決意した。

 

 少年を、殺そうと。

 

「止まりなさい、衛宮士郎。これ以上近付けば、貴方を殺します」

 

 その声に、一切の迷いは、無かった。

 あったのは、決意。

 堅い、堅い、ダイヤモンドのように堅い決意だ。

 堅く、鋭く、しかしダイヤモンドのように砕けやすい、決意だ。

 その声は、間違いなく、涙に濡れていた。

 少年が初めて聞く、少女の悲鳴、だったのだ。

 

「お前には、出来ないよ…」

「試してみますか…?」

 

 背筋を伸ばして、まるで最後の審判に立つ罪人のように、しっかりと屹立する少女。

 苦痛に背を丸め、それでも己の義務を果たそうと立ち上がった、無垢の少年。

 二人の視線の高さは、同一。

 荒い、呼吸。

 白が、二人の顔の前に、現れては消える。

 それは、まるで二人の運命のように。

 ゆっくりと持ち上がった、少女の腕。

 そこに握られた、小さな拳銃。

 人の命を奪う以外、如何なる機能も持たない、それ。

 その銃口が、少年の心臓を、ぴたりと狙った。

 もちろん、少年はそのことを理解していた。

 少女の視線に、全く嘘がないことを、少女以上に理解していた。

 だからこそ、引くことは、出来なかった。

 何故なら、少女は、泣いていたからだ。

 今も、以前も。

 初めて出会ったときから、ずっと。

 少女は、泣き続けていた。

 情けないことに、少年は、初めてその事実に、気が付いたのだ。

 そして、今、自分が引けば、少女はこれからも涙を流し続けることも。

 そんなの、いや、だった。

 絶対に、許せなかった。

 だから、立つのだ。

 皿を砕かれた、膝で。

 風穴を開けれれた、太腿と爪先で。

 必死に歯を食いしばって、それでも立ち上がったのだ。

 少女は、それを知っていた。

 少年が如何に優しいか、知っていた。

 知っていて、殺さなければならなかった。

 もし。

 少女は、そう思わざるを得ない。

 もしも、この男が卑劣漢であったならば。

 唾棄に値する、屑だったならば。

 彼女の懊悩は、どれほど軽くなっていたことだろうか。

 放っておけばいい。

 どこに行こうが、知らぬ存ぜぬで、関わらなければいい。

 勝手に生きて、勝手に死んで、勝手に英雄にでもなればいい。

 そう思えただろう。

 無関心は愛の対義語だ。

 愛は、人を苦しめる。

 ならば、無関心の何と安楽なこと!

 そんな仮定を夢想して、少女はぎしりと歯を鳴らした。

 結局、少年は優しすぎた。

 少女が全てをかけて庇護するに、十分過ぎる価値を有していた。

 だからこそ、彼女は苦しまねばならなかった。

 

 二人の視線が、交錯する。

 

「話せ、代羽、お前は、聖杯に何を望むんだ?」

「黙りなさい…」

 

 恐れないのは、少年だった。

 恐れているのは、少女だった。

 そして、全てを終らせる権利を持ったのも、少女だったのだ。

 

「話せ、代羽!お前は、聖杯に何を望むんだ!?」

「黙れと言っている!弟の分際で、私に偉そうな口を叩くな!」

 

 少年は、唯一残った左手で、その短剣を投擲した。

 少女は、その剣線から身をかわし、そうして数度、引き金を絞った。

 ぱんぱんと、二度。

 今までと合わせて、全部で十回。

 それで、彼女の愛銃の弾倉は、完全に空になった。

 狙いは、心臓。

 命中したのも、心臓。

 回転する弾頭が貫いたのも、心臓だった。

 倒れていく、少年の身体。

 少女が、弟と呼んだ少年の、身体。

 やがて、ばしゃりと、盛大な水音が聞こえた。

 水溜りの中に倒れ伏した少年。

 ぴくりとも、動かない。

 少年の身体は、今、機能することを、止めたのだ。

 そして、少女はやっと安堵した。

 これで、少年が英雄になることは、無い。

 これで、私の目的は、達せられた。

 なのに、何故。

 少女は、頬に、手をやった。

 明らかに雨粒とは異なる熱い液体が、そこを伝っていた。

 ああ、と、大きなため息が、響いた。

 せめて、彼の血の赤が、闇に隠れてくれていること。

 それが、この上なく、ありがたかった。

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