隻眼の信濃さんが不器用可愛い   作:コロリエル

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27.約束なんかより

 

「……お、今日は俺が先か」

 

 

 3日後。約束の時間の三十分前。マンションのエントランスホール。

 

 いつもならとっくに来ている信濃さんだが、今日は珍しく俺の方が先に来た。

 思わず呟いてしまうくらいには珍しい。俺が信濃さんより先に到着したことは、片手で数えられるくらいしかない。その時も、五分と待たずに信濃さんがやってきて、負けたと言わんばかりにムッとしていた。

 

 今回もそのパターンかな、と壁に背を預ける。どうせすぐ来るだろうと、ワイヤレスイヤホンは装備しない。

 

 

「信濃さん、今日はあのワンピース着てくるのかぁ……」

 

 

 脳裏に思い浮かぶのは、3日前の試着室。

 あまりの破壊力に一目惚れならぬ二十目惚れしてしまいそうになったあの事件。この3日間、思い出す度に悶えていたが、何とか克服した……筈である。

 

 今日はスマートにエスコートするんだと息巻いて開けた玄関。お弁当を忘れていたことに一歩目で気付き、Uターンしたのはご愛嬌ということで許されないだろうか。

 

 

「……大丈夫。俺、いい人になりたいから」

 

 

 人生の中で、一番自分に言い聞かせてきた言葉を再び言い聞かせる。

 今日はもう大丈夫。これで戦える。

 

 

「……にしたって、遅いな信濃さん……」

 

 

 待ちぼうけ初めて十五分。約束の時間まで、残り十五分。

 流石にここまで遅いのは初めてだ。本来ならこの時間に来ても十二分に早いのだろうが、信濃さんにしては遅すぎる。

 

 連絡を入れた方が良いだろうか──そう考え始めていた時、エレベーターの扉が開いた。

 

 

「お、はっ、よう……おそくっ、なった」

「そんな、全然待って無いよ。おはよう、しなの、さん……信濃さん?」

 

 

 俺の目の前に現れた信濃さんの様子は、一目見て普通では無いと分かるほどだった。

 綺麗なワンピースとは裏腹に、それを身に包む彼女はあまりにもくたびれていた……いや、くたびれたなんて言葉では言い表せないほど、弱りきっていた。

 

 病的にまで白かった肌は赤く火照り、じっとりと脂汗を浮かべていた。顔は苦痛に歪められており、その足取りはふらふらと危なっかしい。

 

 

「……信濃さん。大丈夫……じゃないよね」

「大丈夫……けほっ、けほっ……たまに、こうなる……いつもの、こと……」

「そんなにしんどそうなのに、大丈夫なわけ無いよ」

 

 

 彼女のそばに駆け寄り、身体を支える。何とか一人で立とうとする信濃さんだったが、やがて俺に身体を預けてくる。

 触れ合った身体の熱さ。明らかに発熱している。

 

 

「信濃さん。その身体で出かけるのは流石に見逃せない。今日は家でゆっくりした方がいい」

「やだっ……!」

 

 

 掠れた声で、苦しみながら、それでも信濃さんは俺の胸元の服を掴む。

 どこか大人びた彼女が、初めて子供のように声を上げた。俺を見上げる瞳は、どこか怯えているようにも見えた。

 

 

「約束したっ……この服を着て、デートにいくって……!」

 

 

 まるで、今日このまま家に帰ったら、俺がどこかに逃げていってしまうと言わんばかりに。

 

 そんな彼女を見て……先程まで心の中に残っていた下心が、全て消えていった。

 

 

「ごめん、信濃さん……本当に嫌だったら、殴ってくれ」

「へっ……わっ」

 

 

 信濃さんの膝を抱えあげ、背中に腕を回して抱き上げる。

 所謂お姫様抱っこ。一昨日中学生のしーにもやって見せたが、それよりもずっとずっと、軽かった。

 

 

「ごめん、信濃さん。約束なんかより、君のことが心配なんだよ」

 

 

 抱き上げた俺は、そのままエレベーターへと歩く。先程信濃さんが乗ってきたエレベーターが、そのままそこに残っていたのでそれに乗る。

 

 最初こそ身体を強ばらせていた信濃さんだったが、本当に無茶をしていたのだろう。やがてぐったりとこちらに身体を預けてきた。

 

 

「確か……五階の507号室だったね。家の人は?」

「……伯父さんは……居る。けど……すぐ出かけるって……」

「そっか……」

 

 

 息苦しそうに答える信濃さんを、揺らさないようにしながらエレベーターのボタンを押す。

 待つことしばらく。ようやくエレベーターが五階に到達した。

 

 開く扉。その先に一人の中年男性が立っていた。

 

 

「おっと失礼……咲!? どうしたんだ!?」

 

 

 横抱きにされた信濃さんを見て、彼は驚愕の表情を浮かべていた。

 優しそうな人だ。白髪が混じりつつある頭髪は綺麗に整えられており、ジャケットにスラックスのオフィスカジュアルがカッコよく決まるイケてるおじ様。

 

 なるほど。この人が信濃さんが言う伯父さんか。

 

 

「信濃さん……咲さんの伯父さんですよね。友人の黒澤奏と申します。いつもお世話になってます」

「あ、あぁ……そうか、君が黒澤くんか……咲から話は聞いてるよ。私は信濃 賢治。彼女の保護者だ」

「賢治さんですね。実は、今日咲さんと出掛ける約束をしていたのですが、体調がかなり悪そうでして……家まで送り届けようと」

 

 

 幸い、同じマンションに住んでいるのでと締めくくると、彼は抱えられたままの信濃さんの顔を覗き込む。

 それに気付いた信濃さんが、ゆっくりと辛そうに目を開く。

 

 

「……今日朝ごはん要らないって言ってたのは、体調悪いの隠すため、か……そう言えば、朝からずっと部屋に篭ってたな」

「……ごめん、伯父さん……約束、破りたく……なかったの……」

「怒ってないさ。そうか……そんなに君と遊びたかったのか……」

 

 

 その言葉通り、賢治さんの表情は穏やかなものだった。まるで、我が子の成長を目の当たりにした親のよう。

 

 よくしーやつーを似たような表情で見つめる親父やお袋の姿を見かける。恐らく、俺にも同じ表情をしているのだろう。

 

 ──あぁ彼はちゃんと『親』なんだ。

 

 その事実が、何故か嬉しかった。

 

 

「……奏くん。これから私は少し出掛けなければならない。と言っても、二、三時間……昼には帰ってくるつもりだ」

「? はぁ……」

「それまで、咲の看病を頼めないだろうか?」

「…………へ?」

 

 

 そんな信濃さんの『親』の提案に、俺はただ目を丸くするしか無かった。

 

 両手にのしかかる信濃さんの重さが、増したような気がした。

 

 

 

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