「ところで……最近北中の奴らはどうなのよ?」
翌日。いつも通り咲さんと肩を並べて登校したすぐ後。図書室に向かった彼女を見送った俺に話しかけてきたのは、やはり木谷くんだった。
彼が居るおかげで、俺はこのクラスの友人が咲さんだけになってしまうという悲しき事態にならずに済んでいる。本当にありがたい。
「ぜーんぜん?」
「マジで? 信濃さんのこと下の名前で呼び始めてからも?」
「うん……正直、何かあると思ってたんだけどね……」
木谷くんが彼らを牽制したあの日から、北中の面々は基本大人しい。
おかげで毎日少しの視線を気にするだけで済むようになったが……それはそれとして拍子抜けだ。
こちらとしては、彼らの誤解や偏見を解消したいと思っているから、交流が無くなるというのは流石に避けたい。
「いいことなんじゃねぇの?」
「いいことだけど……北中の人達だって、色々あったのかなって思うと……どうにかしたいなぁ」
「……前々から思ってたけどさ、黒澤くんってお人好しすぎるよな」
「まぁ……それはそういう性質だとしか……」
「……性格じゃなく?」
「うん。性質……毎回毎回、余計なお節介かなって帰ってから反省しまくりだよ」
俺は根っからの善人ではない。悪人では無いが、ヒーローでもない。
ただ善人であろうとし続けるだけの人間。俺の根っこは、その辺にいる普通の男子高校生で、物語の主人公になれるような存在では無い。
だから、性格ではなく性質。人間性ではなく生き方。
「別にいいんじゃねぇの? 実際、信濃さんは楽しそうだし」
「そうだけどさぁ……当然、咲さんは幸せにするよ? でもさぁ……だからって北中の人達が不快であり続けるってのは違うよ……」
「……あのさ、一個だけ聞いていいか?」
「なに?」
「……信濃のこと好きなの?」
どきり、と心臓が跳ねた。
しかし、そこは鉄仮面奏くん。動揺するなんて初歩的なミスをするわけも無い。
「……さぁ?」
「さぁ? って……あんなに毎日一緒に居るのに?」
「毎日一緒に居るのに」
「──嘘だぜ、それ」
「うわっ!? って、赤嶺さん? いつの間に……」
突然掛けられた声に驚いて右を向くと、信濃さんの席に足を組んで腰をかけている赤嶺さんの姿。
いつも通りの軽薄な笑みを浮かべた彼女は、頬杖を付いて俺の顔を覗き込んでいた。
「そいつ、完全に信濃に惚れてるぜ?」
「……あの、赤嶺さん? ある事ない事吹き込まないで貰えますか?」
「別に全部事実だから問題ないだろ。ってか、あの距離感で惚れてないなんて言われても、信じてやんねーよ。大体、お前は保留にするとしても……信濃は、絶対お前に惚れてるだろ」
「……」
それはそう、としか言えなかった。
俺はアニメによくある鈍感系主人公でもないし、人の気持ちが読めない人間でもない。
咲さんが俺に抱いている感情の大きさくらい、理解しているつもりだ。
それが、ただの友情なんかじゃ収まらないことになっているくらい。
「……少なくとも、まだだよ」
観念した俺は、小さな声で呟く。
いつもなら、咲さんが帰ってくるまであと五分くらい。なら、ここで話してもその途中で帰ってくるということは無いだろう。
椅子に深く腰掛け、窓の外に目を向ける。
「まだ……咲さんの過去に関しては、何も解決してない。まだ、囚われている……今の状態で俺が彼女の気持ちに応えたら、彼女の世界は狭いままだよ。そんなの……危うい」
「危うい?」
「依存先が少ないと、その依存先が消えた時……また入学式の時の『信濃さん』に逆戻りだよ」
世界に一人しか味方が居ないと思い込んでいた時代の彼女。
もし、あの時賢治さんが咲さんの目の前から消えるようなことがあれば? 咲さんのことを大切にしていなかったら?
もしかしたら、咲さんは……精神が壊れるだけならまだいい。下手すれば、この世に居なかったかもしれない。
今の咲さんの依存先は、勿論賢治さんと、俺、そして読書。まだまだ少ない。少なすぎる。
「だから、まずは依存先を増やす。友人、趣味、仕事、遊び……沢山増やして、健全な精神を育む。勿論、健全な精神は健全な肉体に宿るって言うから、ご飯もきっちり食べてもらって……精神面がきちんと安定してから、彼女に過去と向き合ってもらって……きちんと彼女を、幸せにしてからだよ。俺の気持ちなんて、その後の後」
あの日……咲さんのことを抱きしめたあの日から、ずっとずっと考えていたことを、初めて言語化して他人に聞かせた。
これで正しいのかなんて分からない。もしかしたらお門違いのことを考えているのかもしれないし、それこそ咲さんにとっては余計なお世話なのかもしれない。
だけど、約束したから。
「約束したから。咲さんを、幸せにするって」
語り終えた俺は、ちらりと二人の表情を見てみる。
木谷くんは、俺の発言に圧倒されたのか、背筋が伸び目を見開いていた。
赤嶺さんも目を見開いていたが……それはそれは嬉しそうに、満面の笑みを口元に浮かべていた。
「……重いねぇ」
赤嶺さんの一言が、全てだった。