隻眼の信濃さんが不器用可愛い   作:コロリエル

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48.私の名前は

 

 自分の部屋に入ることに緊張するなんてこと、基本的には無い。

 世界で一番安心できる場所で、自分のために存在している場所。そこに足を踏み入れることはごくごく当たり前で、何かを意識するなんてことは無い。

 

 だけど、今。

 

 自分の名前が書かれたネームプレートがぶら下がる扉の前。俺は立ち尽くしていた。

 

 現在時刻、11時半。早寝早起きを信条に掲げている俺にとって、普段ならもうとっくに眠っている時間だが、眠気なんてものが入る隙間がないくらい、これから起こるであろう出来事に身構えていた。

 1つ、大きく深呼吸した俺は、ノック3回。

 

 

『……どうぞ』

 

 

 中から聞こえてきた声に従い、扉をゆっくりと開ける。

 見慣れた勉強机。相棒とも言えるエレキギター。趣味や勉強で埋め尽くされた小さな本棚。お気に入りの服が沢山入ったクローゼット。そして、ベッド。

 

 何もかも俺の部屋の筈なのに、ベッドの上に座る咲さんのせいで、圧倒的なアウェイ感。

 

 

「……顔、強ばってる」

「そうかな……いや、そうだね、うん」

「……座ってよ」

 

 

 ぽんぽん、と咲さんが叩くのは自分の隣。椅子に座ろうかとも考えたが、咲さんが──覚悟を決めたかのような目で俺を見つめるものだから。

 よっこいせ、と咲さんの右隣に腰を下ろす。拳一個分の隙間は、この2ヶ月で詰めてきた距離。

 

 

「……昼はごめん。酷い態度とった」

「それは……俺のほうこそ」

「謝らないで」

 

 

 ごめん、と口にしようとしたところで咲さんが遮る。

 

 

「奏くんは、何も悪くない。私が言ってなかったから。何も知らなかったから。なのに、あんな態度取った、私が、悪いから」

「…………分かった」

「……そう、知らないんだよ。奏くんは」

 

 

 俯き床を眺める横顔。

 これまでの咲さんには無かった、後悔するかのような、懺悔するかのような雰囲気に思わず息を飲む。

 

 

「奏くんは何も知らないのに、私のために色々してくれた。私の事を知ろうとしないでくれた。私を傷付けないために、私を救うために……私は、救われてる。今こうしている間にも」

 

 

 だけど、と咲さんはすっと立ち上がり、俺の前に立つ。

 小柄な身体だ。座った俺が少し顔を上げるだけで、ふたつとひとつが交わる。

 

 

「……私は、奏くんの優しさに、甘えてた。奏くんは、ずっと待っててくれたのに……情けなかった」

「…………咲、さん」

「……でも、今日で、終わり。話す。聞いて欲しい。他の人には、無理だけど……奏くんには、聞いて欲しい。知って欲しい。私の、全部を」

 

 

 ──私が、誕生日、大嫌いな理由。

 

 くるり、俺に背を向ける。小さい背中だ……いや、背中だけじゃない。何もかも、彼女は小さい。

 

 ──その小さな背に、両肩に。何を背負い何に呪われているのか。

 

 

「……俺、は……たとえ君の身に何が起きていたのかを、知っても……君を、幸せに、するよ。してみせる」

 

 

 そんな月並みな言葉しか言えない自分が、悔しかった。

 もっと気の利いた言葉とか、もっと彼女の自信を肯定してあげられるような言葉を彼女の心に届けたかった。

 

 だけど、俺の言葉を聞いた咲さんの両肩から、少しだけ力が抜けたのを見て……少しだけ、安心した。良かった、今の俺のぎこち無い言葉は、きちんと咲さんに届いていた。

 

 

「……やっぱり、私、奏くんに会えて──本当に良かった」

 

 

 ぱさり。

 

 

 咲さんの言葉が終わると同時に、床になにか軽いものが落ちた音がした。

 音のした方──咲さんの足元へと目を向けると、そこには──眼帯。

 

 ──がん、たい?

 

 目に入った情報を脳が理解し、それの意味を理解した俺は咲さんを見上げる。

 

 

「……咲、さん?」

「──入学式の日、奏くんに隠してもらったこと、本当に嬉しかった」

 

 

 ──咲さんの体が、こちらへ向き直る。

 

 

「何も聞かないでくれたこと、本当に助かった」

 

 

 ──咲さんの顔が、こちらを向く。

 

 

「──もう、奏くんの前では、隠さない」

 

 

 ──初めて見る、彼女の素顔。

 

 

「──察してたかも、しれないけど」

 

 

 頑なに隠されてきたその眼帯の下──まるで紛い物のように綺麗な、碧い瞳。

 

 思わず息を飲んだ俺の意識を戻したのは、他の誰でもない、咲さんの声。

 

 

「──明日は、私の誕生日──そして、色々なものを、失った日」

 

 

 ──1つ、と指を折る。

 

 

「私の、左眼」

 

 

 ──2つ、と指を折る。

 

 

「私の、両親」

 

 

 ──3つ、と指を折る。

 

 

「私の、夢」

 

 

 指折り数え、その右手をじっと見つめた咲さんは──今にも泣きそうな顔で。だけど決して、涙を流すことなく、その双眸で俺を見た。

 

 

「──私の名前は、信濃 咲」

 

 

 ──そして、彼女は語り出す。

 

 

「生まれは山梨。小学生時代まで山梨にいて──こう見えても、昔は体を動かすことが大好きだった。空手の全国大会にも出場してた」

 

 

 俺が知らない、彼女の物語。

 

 

「だけど──忘れもしない、誕生日」

 

 

 信濃 咲が、俺の知る信濃 咲になるまでの物語。

 

 

「私の人生は──180度、変わった」

 

 

 ピクリとも動かない左眼と、ぐちゃぐちゃになった感情に歪む右眼。ちぐはぐで歪になってしまった、その理由。

 

 

「──どうか、最後まで、聞いて欲しい」

 

 

 ──途中止めには、できそうにない。

 

 

 

 

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