──3年前 北中 とある教室──
「──よぉ、信濃。おはようさん。早速で悪いけど、漫画の書き方教えてくれ」
──事故の日以来、初めて抱いた悲しみ以外の大きな感情が「困惑」だったことを、今でも覚えている。
初日と比べても重たく感じた教室の引き戸を開けた私は、しばらく入口で立ち尽くしてしまった。
それもそうだろう……自分の机に、目が覚めるような金髪の少女が座っていたら。
「……誰」
中々に失礼な物言いだが、許して欲しい。この時の私は、彼女に対して不審者と同等の感情を抱いていた。
「おいおい、同級生の名前と顔くらい覚えといてくれよな。赤嶺だよ、赤嶺 瑠璃。出席番号1番なんだから、覚えといて欲しかったなぁ……アタシ、そんなに地味かねぇ」
わざとらしくため息をつく彼女の言葉に、あぁ、と合点が行く。その名前は、確かに聞き覚えがある。
いくら当時人間不信気味で、人の名前を覚える気が更々無かった私でも、出席番号1番という覚えやすい生徒の名前は、確かに頭の中に残っていた。
──だからといって、先週まで黒色だった髪の色が金色に変わっていたら、分からなくなるに決まっている。そんな髪色の人間は、このクラスには一人もいなかったことは、流石に把握していた。
「……覚えては、いた。何、その髪」
「ん? これ? あー……中学デビューだよ、中学デビュー。最悪地毛っつって押し通す。似合ってるだろ?」
──馬鹿なのか。
素直にそう思った。
「似合ってない。それに、押し通せる訳ない。無理」
「つれねぇなぁ……それはそれとして、だ。漫画ってどー書くんだ?」
なにが「それはそれとして」なのか。一旦置いとくには彼女の髪はあまりにも鮮烈だ。
釈然としないが、彼女にならってそれはそれとして──私にとって彼女は邪魔者以外の何者でもないし、漫画の書き方も知らない上に、知っていたとしても教える気は無い。
別に私の席に腰掛けてても生理的な不快感は覚えないが、単純に邪魔だ──いや、座った後が人肌程度の温度になっているのは、少し気になるか。
「どいて。教える義理は無い。邪魔」
「おう、わりぃわりぃ。よっこいせっと……で?」
「……なに?」
「どいたら教えてくれるんじゃねぇの?」
「義理は無い、って言った」
話が通じないのかと、困惑が苛立ちに変化した。人に話が通じない、と言うのは中々にストレスなのだと痛感した。
最も、瑠璃さんはわざと話を聞いていないフリをしていたのだろう。瑠璃さんなら平気でそういうことをする。
……つまり、だ。この三年間、瑠璃さんは私の話を何度も何度も聞かなかったことにした、ということ。腹立ってきた。
珍しくどかっと椅子に座り、鞄の中身を机の中に移していく。そんな私をずっと見つめる赤嶺さん。興味津々に私の顔を見つめるものだから──あぁ、またかと辟易する。
結局、瑠璃さんもこの教室にいる他の人間と同じく、私の左眼に興味があるだけなのだと──そう、決めつけていた。
「……なぁ」
だから、だろう。
「信濃ってよぉ」
この時、私は。
「────めっっっっっっっっっっっっっっっちゃ可愛いな?」
──瑠璃さんが何を喋っているのか、理解できなかった。
耳から入ってきた音の響きが脳に届き、それが自分の中に意味のある言葉に変換されるまで、普段では考えられないほどの時間が掛かった。
は、と小さく口から空気が漏れる。右眼を一杯に開いて、私の前の席に腰掛けた瑠璃さんに意識の全てが向く。
「顔ちっちゃ!? まつ毛なっが!? 肌めっちゃ綺麗!? は? お人形さんかよ!」
「……あ、の?」
「うーん、こりゃあ男連中が黙ってねぇだろうなぁ……いいか? 信濃。男子中学生なんてのは股間と脳みそが直列接続してるような連中だからな。安易に心を開くんじゃねぇぞ? お前が『コイツだ!』って奴にしとけ?」
「話を、聞いて」
熱くなったのか、何故か私の交際について意見を出し始めていた瑠璃さんをどうにかなだめようとした。
──これ、気にならないの?
そう、口にしようとしたはずだ。当時の私は、間違いなくその事について困惑していたはずなのだから。
そして、この教室の人間は、皆が皆私への興味の大半はこの左眼である──そう考えていた。だからこそ、彼らは私に話し掛けてくるのだと、そう認識していた。
だけど──うん。相手は、赤嶺 瑠璃だった。
「──ま、どーでもいいけどな」
──まるでそれまでの熱弁が幻であったかのように、赤嶺さんの表情は豹変する。
どこか興奮したようなそれから、よく見るあの顔……全てを見透かしたかのような、軽薄な笑みを浮かべる。
「じゃ、邪魔したな」
私……いや、私を含めた教室中の人間がその変わり様に呆然としている中、そんな事眼中に無い瑠璃さんはぴっと立ち上がると──便所行ってくると一言言い残して、彼女は教室を後にした。
ぴしゃん、という扉の閉まる音が鳴り響いて暫く、教室は完全な無言に包まれていた。
「……なんだ、今の」
誰かのそんな呟きが、その場の感情を代弁していた。