翌日。教室。昼休み。
思えば──今日の咲さんは、朝からおかしかった。
「咲さん。それ歯磨き粉。それで顔洗ったらお肌ズタボロっすよ」
「咲さん。それ俺のカフェラテ。関節キスになってもうてますよ」
「咲さん。その鞄しーの。咲さんに中学の勉強は物足りないでしょ」
「咲さん。そっちは図書館の方向っすよ。サボりなんて咲さんらしくないでっせ」
「咲さん。それ俺の席。裕也びっくりしとりますよ」
──心ここに在らず、とはまさにこの事。
朝起きた時からぼーっとしており、注意力散漫によるやらかしが後を絶たない。
それだけ、咲さんの頭の中は赤嶺さんのことでいっぱいなのだろう。
恐らく、謝る決心はできたが、どうやって謝ればいいか分からない、といった所だろう。もっとも、今回に関しては俺は見守りこそすれ、口を出すつもりは一切ない。
咲さんが、咲さんの言葉で赤嶺さんに伝えるべきだから。
「……」
隣の席で百面相。ああでもない、こうでもないと表情をころころと変える咲さん。初めて会った時に比べても、随分と表情豊かになったものだ。
初めて会った時は、中々の塩対応をされた上に、北中の矢掛くんから話しかけられて──。
「黒澤くん。ちょっといいかな?」
そう、こんな感じで矢掛くんから話しかけられたのだ。そして、あまり刺激しない方が良い、と……。
「……あれま、矢掛くん。俺に用?」
「うん。ちょっと話したいことがあって。できれば、人目が無いところが良いんだけど……」
最早、話すこと自体随分と久しぶりな気がする彼──矢掛くんは、咲さんに背を向け、俺の席の隣に立ち俺を見下ろしていた。
──その表情に、彼が抱いている決心や覚悟が、見えた気がした。
「うん。俺は構わないよ。咲さん、先に行ってご飯食べてて」
「……わ、かった」
俺に話しかけてきた矢掛くんを見て、どこかバツが悪そうな表情を浮かべた咲さんだったが、すぐに頷く。
そして、俺ががたりと、席を立とうとした時だった。
「ちょい待て。その話、俺が同席しても構わないか」
──裕也が、矢掛君に対し警戒の色を隠そうともせず、鋭い眼光で睨みを利かせていた。
そこまで警戒しなくても、矢掛くんは大丈夫だと思うのだが……俺がそう言ったとしても、裕也は納得しないだろう。
俺は構わないけど、という意味で矢掛くんに目を向ける。暫し悩んだ素振りを見せた後で……矢掛くんは頷いて見せた。
────────体育館裏────────
最初は屋上で……と考えたが、覗いて見たら思いの外沢山の生徒が居たので、裕也におすすめされた体育館裏へと足を運んだ俺達。
矢掛くんが奥、俺達が手前になるような立ち位置で……矢掛くんは、語り出す。
「……なんかさ、久しぶりだね。黒澤くんと話すの」
「まぁそうだね……なんか、色々あったからね」
腹の探り合い、とまでは行かないが、当たり障りのないところから話を始めていく。
正直、矢掛くんから何を言われるか──想像ができない訳では無い。むしろ、十中八九こうだろう、という予想はできている。
──咲さんの誕生日の翌日だったか。俺と咲さんがカレカノの関係ではない、と言った時に胸を撫で下ろしていたから。
「……単刀直入に聞くけど……黒澤くんって、信濃さんのこと、好きなんだよね」
「勿論。その内告白してお付き合いさせてもらうし、そのまま結婚までするつもりだよ。咲さんの親御さんにも挨拶は済ませてるし」
だから、質問に対して即答することが出来た。
それぐらいの覚悟はしている。咲さんのことは好きだ。ずっと一緒に居たいくらいには。
俺の回答に息を飲み、どこか辛そうに顔を歪めた矢掛くんだったが……やがて、諦めたかのような笑みを浮かべた。
「……凄いなぁ、黒澤くんは。3年かけて何も出来なかった俺とは違って、たった3ヶ月で信濃さんとそこまでの仲になれるなんて」
「……」
「ねぇ、君は……信濃さんの左眼について、知ってるのかい?」
「……無論だよ。全部聞いた。全部受け止めた。その上で、咲さん自身が、乗り越えたよ」
「……本当に、信頼されてるんだね」
──何が、ダメだったのかなぁ。
少し震えた声でそう吐き出した矢掛くん。その様子に、少し……いや、尋常じゃない、罪悪感。
──しかし、そんな感情を持つこと自体が烏滸がましい話だと思い、今だけ心を強く持つ。
「……咲さんは、俺が責任をもって幸せにする」
「……頼むよ」
俺はそう言い残して、裕也に軽く目配せをした後、そのまま立ち去る。
──咲さんを幸せにする理由が、また増えた。
そんなことを考えながら、俺は咲さんと赤嶺さんが待つであろういつもの空き教室へと足を運ぶ。
◇◇◇
「……正直、滅茶苦茶に喚き散らすかと思ってた」
奏から矢掛の事を任された俺……木谷裕也は、体育館の壁に背を預けて座る矢掛の隣に腰を下ろす。
肩をがっくりと落とし、如何にも不幸な目に遭いましたと言わんばかりに目が虚ろになっている矢掛。生憎バレーボール一筋で恋愛経験ゼロの俺には分からない話だが、バレーボールが出来なくなったら同じような状況になりそうだ。
「……そこまで酷い人間じゃないと思うよ、俺は」
「あー、すまん。北中の奴らって信濃の事になるとだいたい血相変えてくるからよ……そのイメージで話してたわ」
「……やっぱり、いいイメージ無いよね」
「あるわけないじゃんか。言っとくけど、俺は奏みたいに優しくないからな。慰めなんか期待するなよ」
「そりゃあ厳しいね……そんな厳しい木谷くんに聞くんだけど、黒澤くんってさ……凄い、よね」
友人という訳でもない、特段話したこともない俺と矢掛。自然と共通の話題……先程までこの場にいた奏の話になる。
そりゃあな、凄すぎると吐き出す。
「何がってまず、顔が良すぎる。下手なアイドルよりかっこいいぞあれ」
「本人的には、信濃と赤嶺が有り得んくらい可愛いからそんなにだと思ってるらしいぞ」
「目が肥えてるねぇ……それに、優しいよね、黒澤くん。怒ってるとこ見たことない」
「あれだけ詰められた北中の連中にすら悪いことしたって思ってるからな。天性のお人好しだよ」
「……なんかさ、この前彼、他のクラスの女子に呼び出されてなかった?」
「あったあった。なんでもその女子が落としたハンカチを拾って渡した時に一目惚れされたんだとさ。断ってたけど」
オマケに、成績もクラス上位だし料理上手。非の打ち所が若干運動神経が宜しくないことくらいしかない。
奏なら、どんな相手でも幸せになれるのだろうという想像は容易だ。相手なんて引く手数多だろう。
そんな男が、全身全霊で信濃の事を幸せにしようとしているのだ……勝ち目なんて、あるはずも無い。
「ま、あんな男が現れたのが運の尽きさ。しかも、見た聞いた感じ、信濃からお前らへの印象って最悪だし……左眼の件も、奏は最初聞こうとすらしてなかったし」
「……それについては、何も反論出来ないね……」
「マジでどうにかしろよ? 実質クラスが二分されてる状況で学祭とか迎えたくないからな」
「それはまぁ……頑張ってみるよ……気が重いなぁ」
最後に浮かべた苦笑を見て、取り敢えずは大丈夫かと納得することにした。
今度、奏に何か奢ってもらおう。