隻眼の信濃さんが不器用可愛い   作:コロリエル

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66.こぼれる

 

 

 確かに、俺は何でもすると言った。間違いなく言った。

 今思えば、あまりにも考え無しすぎる。咲さんなら変なこと言わないだろうけど、それにしても無防備すぎる。

 それは咲さんにしても同じだが……まぁ、そこはお互い様だ。

 

 そして、今。

 

 

「……えっと、こんな感じかな?」

「う、うん……」

 

 

 夕食前に、咲さんの耳元で囁いてみせたあれ。

 あの時は軽い気持ちでやっただけ。本当にただの思いつき。

 それがどうやら、咲さんにとっては俺の想像以上のクリティカルヒットだったらしく。

 現在、咲さんが壁を向くようにベッドに寝転がり、俺は目の前に咲さんの後頭部が来る位置に腰を下ろしている。

 長い髪から晒し出された、咲さんの小さな耳。

 

 俺はこれから、咲さんにダイレクト寝かしつけASMRをすることになった。

 

 ハッキリ言わせてもらおう──なんだこれ。

 

 

「……な、何を話せばいいの?」

「い、いつも寝落ち通話してる時みたいな感じで……お願いします。あ、後、夕方の時みたいな、ちょっと低めの、囁く感じで……」

「……分かった」

 

 

 注文が多い。咲さんがわがまま言うようになって嬉しいなぁ。

 ……などと、心の中で現実逃避。正直、困惑が強くて正常な判断ができてないような気がしないでもない。

 

 しかし、やると言ったからにはやらないなんて選択肢は無い。男に二言は無い。

 

 腹を括った俺は、咲さんの耳元にそっと口を近付け、注文通り低めの声を作って囁く。

 

 

「……咲さん」

「────っ! 」

 

 

 平仮名にしてたった四文字呟いただけで、身体を硬直させる咲さん。

 壁の向こうを向いている都合上、その表情を拝むことは出来ないが……もう既に、耳まで赤くなっている。

 

 ……これは良くない、気がする。さっさと寝かしつけないと、俺の心に良くない。

 

 

「こーら。そんなにびっくりしないで。いい子だから、ね?」

「んっ……! うん、分かった」

「喋っちゃだーめ。これから咲さんは、ゆっくり、ぐっすり、寝るんだから、さ」

 

 

 意識して喋る速度を落とし、子供をあやすように。

 俺の言葉を受けて、咲さんはこくこくと頷く。

 

 

「おっけー、いい子。それじゃあ、いつも通り、ゆっくり呼吸しよっか……目を閉じて、ほそーく、ながーく、すってー………………ほそーく、ながーく、はいてー………………すってー………………はいてー………………」

「すー……………………ふー…………」

 

 

 最初こそ、動揺が隠せていなかった咲さんだったが……やはり、寝落ち通話の時から、睡眠に入るまでの時間は短いようで。

 

 耳元で喋ること、五分。規則正しい寝息が聞こえてきた。

 

 

「…………さきさーん?」

 

 

 小さく優しく、声を掛けてみる。しかし、咲さんから返事はなく、変わらず可愛らしい寝息を立てていた。

 案外早かったな……と思いつつ、俺はベッドに背を預けるように腰掛ける。

 ひと仕事終えた俺は、ふぅと一息。コレが一時間続くとかならさすがにしんどかったが、五分程度で終わるなら全然問題ない。

 

 ──本当に、色々あった2週間だと振り返る。

 

 やはり、咲さんの過去を知ったのは、咲さんにとっても俺にとっても、あまりにも大きかった。

 正直、咲さんと恭介の関係については、今でも悩むことはある。

 隠し通すのなら、本当にそれを隠し通せるのか。話すとするなら、どんな風に話すのか。悩みの種は尽きない。考えても考えても、最適解が分からない。

 

 だけど、咲さんが過去を見つめ直し、前を向いて進めているというのなら……俺の悩みなんてのは、本当にちっぽけなものだ。

 

 それとなく、寝息を立てる咲さんを見る。

 シングルサイズのベッド。小柄な咲さんにとってはシングルサイズでも広い。

 

 暫く、眺める。正直な話、ここまで咲さんのことを好きになるとは思っていなかった。

 最初こそ、咲さんのことは放っておけない、過去に何かあったと類推できる女の子だった。確かに可愛いとは思っていたが。

 そこから、彼女の冷たい表情に隠された優しさや不器用さに触れてきた。

 心配だった。このまま放っておいたら、あっさりこの世から消えてしまいそうな危うさがあって……なりふり構わず、彼女の懐に潜り込んだ。

 

 結果、彼女の魅力に当てられてしまっていた。ミイラ取りがミイラになる、じゃないけれども。

 

 ふと、手が伸びる。彼女の頭を、起こさないように優しく撫でる。不慣れながらも手入れがされてきた髪の毛は、ふわふわサラサラで触り心地が気持ちよかった。

 

 

「…………咲さん、大好きだよ」

 

 

 抑えきれなくなった気持ちが、不意に零れた。変わらない寝息が、咲さんに俺の言葉が届いていない何よりの証明。

 このままここにいたら、愛おしさでどうにかなってしまいそうだった俺は、物音を立てないようにそっと立ち上がり、部屋から立ち去る。

 

 このままだと眠れそうにない……そう思った俺は、ココアでも飲もうかと、キッチンに向かう。

 

 結局、お休み特攻兵器のココアでも効果はなく、いつもよりほんの少しだけ寝不足で、日曜日の朝を迎えることになった。

 

 

 

 

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