黒煙を上げ、傾きを増しながらも何とか空に留まるヘリキャリア。各所で襲撃者との銃撃戦が、そしてハルクによる破壊が横行する空の要塞にイリヤはいた。
「どうしようか、バーサーカー?」
照明が明滅を繰り返す薄暗い場所で、イリヤの声が静かに木霊する。
イリヤとハルク。2人の後ろを一直線の破壊痕が、そして前には味気のない通路が延々と続いている。
イリヤは代わり映えのしない破壊に飽きが来ていた。
一方のハルクといえばこれだけ──フューリーが見たら青筋を浮かべるだろう規模──破壊し終えても気は晴れなかったようで、物足りないように階段か何かの残骸を放り投げる。
そんなバーサーカーの様子を見ていたイリヤの脳裏に甲板上の物資が浮かぶ。兵器に明るくないイリヤだが、甲板にいた戦闘機は素人目にも高級品だと分かる。あれを壊したらバーサーカーはどんなに楽しむだろう。あの気に食わない
きっと胸がすく思いになれるに違いない。
「行くわよ、バーサーカー!!」
イリヤの掛け声に吼え声を上げハルクは動き出す。
緑の拳が階層を隔てる鋼鉄の板に次々と大穴を開け、装甲を銀の斬撃が切り裂きながら二人は上へ上へと進み続ける。
ヘリキャリアの被害はハルクの暴力に晒されているにしてはあまりにも小さい。
それでもハルクが現れたのはヘリキャリアの下層部分。上層を目指すハルクの破壊は留まることを知らない。
だが、その進路は無造作に動かれるよりも遥かに読みやすい。
ならば彼が間に合う。
この空に浮かぶ要塞で唯一、ハルクとの戦闘が成り立つ最高の単騎戦力。地球外の生物にして、神話に名を連ねる地球の守護者。
雷神 ソーが。
床を引きちぎって這い上がる、怪物とその肩にのる少女。
その二人に目掛けて何かがやってくる。ハルクのように障害物を全て薙ぎ倒し、しかしハルクよりも速く。
雷神のムジョルニアが向かってくる。
それはハルクの聴覚が異常を察知するのと同時だった。
向かってくる“何か”がハルクの横っ面をぶん殴り、生物の肉体から発せられたものとは到底思えない音が響き渡る。衝撃波すら生じさせた衝突に吹き飛ばされたハルクの巨体は次々と壁を突き破り、ヘリキャリア中央部の格納庫に転がり込む。
突然現れた怪物に格納庫から慌てて逃げ出す作業員たち。
彼らの悲鳴と怒号をよそにハルクとイリヤは鋭い視線で静かに待つ。
現れるであろう敵を。
そうして待つこと数秒。その敵が姿を現す。
豪奢な鎧に身を包み、ハルクを吹き飛ばしたハンマーを握りしめた男が。
かつてアスガルドを追放され、人を守り、人に寄り添うことを選んだ雷神がそこにいた。
「おい、何をやっているバナー!俺たちは敵同士じゃない!!」
感情を剝き出しにしてソーは吼える。
それはかつての彼からは想像も出来ないような言葉だった。戦いが好きで自分の力を見せびらかすことが大好きだった彼が争いを止めようとしている。その姿を見れば親であるオーディンは息子の成長をさぞ喜んだだろう。
「いい加減目を覚ま──」
だが続くソーの言葉は、彼がイリヤの操る小鳥によって吹き飛ばされたことで強制的に打ち切られた。
「今、何て言った」
一瞬、それがだれの言葉かソーには分からなかった。
年頃の子供にあるはずの明るさは微塵もなく、純粋な敵意のみで作られた何かが少女の口から漏れ出る。
イリヤの攻撃を受けてなお、鎧には僅かに傷がついた程度。だが踏みとどまる彼の動きは愚鈍だった。
なぜイリヤから攻撃されたのか、バナーを止めるにはどうすればいいのか。
疑問でいっぱいの彼の頭は未だに切り替えができていなかった。
ここが戦いの場であるということに。
気づけば彼の視界は巨大な拳で埋まっていた。
そして彫りの深い整った顔に突き刺さった拳がソーの身体を錐もみ回転させながら吹き飛ばす。
たった一歩の踏み込みでソーの目の前へと迫り、その拳を振りぬいたハルクはイリヤから放たれる怒気に呼応するように怒りのボルテージを上げ、その拳を振りぬいたのだった。
「何をやっているイリヤ!」
鼻息荒く憎々し気にこちらを睨みつけてくるハルクを前にソーはハルクの隣に立つ少女へと声をかける。
ソーにとってイリヤはただのバナーの連れ子だった。だがそんな子供は見境なく暴れるバナーの隣に平然と立ち、暴れる彼と意思を通わせている。
つまり彼女ならバナーの暴走を止めることができる。
そう考えたソーはイリヤへと頼みの綱を移すが、その返答は余りにも淡泊だった。
「何ってバーサーカーと一緒にいるだけよ?」
きょとんと心底不思議そうに小首を傾げるイリヤに、ソーは薄気味悪さを感じながらも言葉を続ける。
「今すぐ彼を止めろ、これ以上人々を傷つけるな!」
「先に
「バナーはどうする!?
「バナーが望んでないから何?」
イリヤの答えにゾッとソーの背筋を寒気が走る。
何かが違う。目の前で不思議そうにこちらを見る少女と自分の間に何かがある。
認識の一致を阻害する致命的な何かが。
言葉が詰まったソーの姿に、ハルクはつまらない時間が終わったと動き出す。
そうして再開された二者の戦闘はハルクによる一方的な蹂躙へと形を変えた。
争いを止めたいソーと目の前の敵と排除したいハルクとイリヤ。どちらが優勢かは火を見るより明らかだった。
そして何より、ハルクの戦い方が雷神を蹂躙せしめる。
柔道家を相手に素人は勝てない。素人は彼らの磨き上げられた技術を知らないから。
ボクサーを相手に素人は勝てない。素人は彼らの積み上げられた経験と戦術を知らないから。
技術も戦術も全ては先人たちの流した血と汗の結晶。それこそが今日の人類の発展せしめた。
だがここにいる。
技など知らない。戦い方なんて知らない。積み上げられた歴史を嘲笑うようにハルクは戦う。己の肉体に依存した、ただただ純粋な力で。
ぶつけられるハルクの暴力にソーの身体は木の葉のように舞う。
巨大な拳が突き刺さるたび衝撃が全身を襲い、地球人とは比べ物にならぬほど丈夫なはずの体が軋む。だが拳に注意を向けようとすると白銀の小鳥が横から邪魔をする。
1対1ならまだ、形になったはずの戦い。
しかしイリヤとハルク、2人の連携は数年ぶりの再会にも関わらずまるで魂が繋がっているかのような阿吽の呼吸でソーをなぶり続ける。
だがそのあまりにも一方的すぎる展開が、遂に雷神の怒りを呼び起こす。
「ぐ、うおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
ぐるぐると回る視界の中、ソーは張り裂けんばかりの雄たけびと共に雷の力を解放してムジョルニアを出鱈目に振りぬく。
周りにいるのは無力な地球人。自分がいるのは地球人の作った飛行船。
そんな認識のもと自分の力を制限していた彼のストッパーは、自身に振るわれる暴威を前に外すほかなかった。
放たれた青白い雷光が格納庫を照らし、戦闘の余波でできた格納庫の傷をより深刻なものへと変える。だが雷と共に振りぬかれた一撃はハルクを吹き飛ばすと、イリヤの小鳥を余波で全て破壊せしめた。
雷光の眩しさに顔を顰めるイリヤとハルク。その二人に畳みかけるように、未だ雷を伴ったムジョルニアを投げる。ソーの手から離れ、轟音と共に飛ぶハンマー。それを向かい撃つべく、ハンマーを待ち受けるハルクだったが───
「避けて!バーサーカー!!!」
嫌な予感にイリヤが叫ぶ。瞬間、捻られた彼の上半身があった空間をハンマーが削り取る。
間一髪の回避。
彼方に飛び去ったハンマーが格納庫の壁を突き破っていくのを見届け、ハルクはゆっくりとソーに向き直る。
彼の顔に刻まれた怒りの形相にハンマーを手放したソーの額を一筋の冷汗がつたう。
それは、さらなる蹂躙の幕開けだった。
雷神の身体が天井に突き刺さり、床にめり込み、壁をぶち抜く。
ハルクの暴走は止まらない。止められない。
止めに入ったソーですらその餌食になりつつあり、ハルクの暴走は格納庫を飛び出しても止まることはなく、ヘリキャリアは最早限界だった。
「このままでは艦が沈みます!!」
フューリーの副官、マリア・ヒルの悲痛の叫びはヘリキャリアの状態を端的に表していた。だがそんなことはコントロールルームの誰もが分かっていた。
手段を選ぶ余裕はとうに底をつき、フューリーは苦渋の決断を下す。
「何でもいい。あるものを使ってこのヘリキャリアからハルクを落とせ」
気を逸らすでも何でもいい。倒すことはとうに諦めている。
これはハルクを、そしてイリヤと言う少女を見誤ったバナーとフューリーのミスだった。
命令を受け、即座にヘリキャリアを護る戦闘機がハルクを照準に収める。そしてパイロットは訓練通りに引き金を引く。
戦闘機の放つ25 mm口径機関銃が火を吹き、弾丸の雨がハルクを襲う。
一発で人をミンチに変えるはずの弾丸は、強靭な肌を前に火花を散らす。一見無意味なそれは、ハルクの注意を逸らすという大役を成し遂げ、ソーに夢中だったハルクの意識は弾丸の先へと向かう。
空中に佇む戦闘機へと。
目の前で繰り広げられる光景にイリヤは笑っていた。
バーサーカーがこんなにも生き生きとしている。我慢なんてさせられず、本能の赴くままに敵と戦っている。
バナーとの日々は楽しかった。新しいことばかりの毎日は、驚きと興奮に満ち溢れていた。世界はこんなにも広く、輝いているのだと知った。
でもそれでは足りない。何かが足りない。
バナーに見せる笑顔の裏で、何か喉に引っかかるような違和感がイリヤにこびりつく。
そうだ。この生活には彼がいない。
私はこんなにも広い世界にいるのに、彼は今もバナーの中に閉じ込められている。
心に重く圧し掛かる彼への負い目に喉が締め付けた。
でもそんな不快感はもうない。
最後に会ったのはとうの昔。あの忌々しい城で戦ったときのことだった。
私は彼を置いて行った。憎悪に支配され、自分の欲を優先した。
だから決めたのだ。今度は離れないと。
「待って───」
戦闘機に飛びかかるバーサーカーに手を伸ばす。届くはずがない。届いたところで何だというのだ。彼を引きとめることなどできるわけがない。
だが手を伸ばさずにはいられなかった。
戦闘機のパイロットはハルクを振り払おうと機体を振り回したことでハルクとヘリキャリアはさらに遠のく。
見上げるほどの巨体は豆粒のように小さくなっていくのを、イリヤはただ茫然と見ているほかなかった。
「いや、いやよ、ねぇ………お願い、待って」
あまりにも弱弱しい懇願がイリヤの喉から漏れ出る。
だが、その声が誰かに聞こえることはない。
「私を………置いて行かないで………」
耳五月蠅い警報音が鳴り響くラボで、ペタリと力なくイリヤはガラス片の散らばる床に腰を落とす。
少女の甲高い嗚咽は誰の耳にも届かなかった。
次回:イリヤお説教タイム
今話でイリヤの曇らせ適正高いことに気づいたので、そっち方面にも挑戦してみます。