ヘリキャリア 会議室
その部屋の空気はあまりにも重かった。
誰もが静かに下を向き、ムードメイカーのトニー・スタークですら口をつぐみ、静かに俯いていた。
エージェント・コールソンの死
彼と面識のあった者は多い。
その仲は友人といえるほど深いものではない。だが、それでも彼は紛れもない仲間だった。
そして何よりも彼らに影を落とす、完全な敗北という結果。
ニック・フューリー肝煎りの計画だったアベンジャーズは、ほぼ全員が揃っていたにも関わらずロキに裏をかかれ、仲間割れという醜態を晒した。捕らえたロキには逃げられ、彼の杖も奪還され、拠点のヘリキャリアは何とか空を飛んでいる有様。最大戦力であったブルース・バナー、ソー・オーディンソンの二人が抜けたことによって空いた巨大な戦力の穴。
これで気を落とすなと言う方が無理な話だった。
そんな彼らの前にフューリーは血にまみれたカードを広げる。それは菓子に付いている販促のヒーローカードだった。
それに視線を向けて、フューリーは重々しく口を開く。
「彼はサインをもらい損ねたようだな」
「……コールソンのものか」
「そうだ。彼は信じていた。君たちの可能性を。ヒーロー達が一丸となって脅威に立ち向かう、そんな夢物語を」
そうして、フューリーは語る。
地球にいる人間離れした能力の持ち主を集めた、最強のヒーロー集団をつくる計画、アベンジャーズ計画を。
そして四次元キューブをどのように使おうと考えていたのかを。
フューリーは四次元キューブを確かに兵器として使おうとした。だが、それは決して侵略などという下種な目的ではない。
全ては地球を、人類を護るため。
アスガルドから来たと言う、見た目は人類と変わらない彼らの小競り合いで町一つが吹っ飛びかけた。
そこで分かった、地球人類とは隔絶した身体能力と技術力を持つ文明。そんな存在が意図的に地球を攻めてきたら。
勝てるわけがない。少なくともアベンジャーズ計画では明らかに力不足。
だから、四次元キューブを武器として使う他なかった。
フューリーは知っていたはずだった。
宇宙にいるのが我々だけではないと。地球外の誰も彼もが敵ではないと。
だがS.H.I.E.L.D長官となったフューリーは耐えられなかった。
敵を知っているからこその恐怖に。
フューリーは非情に徹してしまった。ヒーローも人間だという事実から目をそらし、大儀のためだけに動き続けた。
フューリーの身勝手な独白が終わるとまずトニーが、そしてそれに続いてロジャースが静かに席を立った。
その二人を見送るフューリーには、彼らに投げかける言葉は無い。そして彼はただ一人、会議室に抜け殻のように居座る少女に声をかけた。
「君にも不信感を与えてしまった。すまなかった」
フューリーの謝罪に俯いていたイリヤはただ一言、短く呟く。
「バーサーカーは?」
「……彼の所在は不明だ。だが、地上の被害が入ってこないことから考えるに、暴れているわけではないようだ」
「そう」
帰って来たのは少女の親代わりに等しい存在の所在のみ。
年頃の天真爛漫さも、来たばかりのころにあった刺々しさも失った彼女の態度にフューリーはただ静かに向き合い、そして問いかけた。
「君はこれからどうする」
「……分かんない」
彼女の罪はあまりにも重い。ロキに操られていなかったにも関わらず明確な意思を持ってハルクを暴れさせ、ヘリキャリアを危機へと陥れた。普通なら獄中に入れられるか、ヒーローたちは許さないだろうが研究対象として人権を無視した施設へ放り込まれることだってありえたはずだ。
事実、そう息巻くS.H.I.E.L.D職員がいなかったわけではない。
だが彼らはフューリーによって口を噤まされているだけだった。
これ以上、戦力を減らすわけにはいかない。
現状を端的に表したフューリーのその一言は、渋々とはいえ彼らを黙らせるには十分なものだった。
「私がバナーとの約束を破ったせいだ。私が浅はかなせいで、私がもっと強ければ──」
泣きわめくわけでもなく、見切りをつけることなく、ただ現実を嘆き、後悔を続ける少女。
「──この船を堕とせたのに」
フューリーの背筋を悪寒が走る。それは理解できないものへの恐れ。
排除しろという本能を、冷徹に算盤を弾く理性が捩じ伏せる。
彼女の在り方はハルクと同じく災害に近い。
川の氾濫は人々の生活を奪い、彼らの人生の基盤を押し壊す。だが、エジプトではナイル川の氾濫こそがエジプト文明の基盤たる肥沃な土壌を作った。
この二面性を使いこなさなければならない。
すでにスタークとロジャースに布石を打った。バートンとロマノフも彼らが動けば行動を共にするとフューリーは確信している。あとはこの少女だけなのだ。目の前で項垂れるこの少女がハルクと共に見せた力があれば、喫緊の問題に対応できる戦力はさらに増す。
「確かに君はバナー博士との約束を破り、彼が暴れるのを止めなかった」
それはフューリーらしからぬ手探りの説得。事実イリヤに関する情報が碌にない今、フューリーには地雷原を目印なしで進むような会話を続けるほかなかった。
「あなたの計画、アベンジャーズ計画っていうの、バナーも含まれてるんでしょ」
先手をとったのは、意外にもイリヤだった。
じろりとフューリーを見る彼女は見透かすようにフューリーの計画を言い当て、フューリーもまた素直にそれを認める。
「あぁ、確かに彼は含まれていた。そしてイリヤ、君もだ。その力を使ってくれないか。人類のために」
「人類のため、ね。フフッ、あなたのおもちゃを滅茶苦茶にした私が?」
縋るようなフューリーの頼みをイリヤは皮肉げに嗤う。
「あなたの部下と追いかけっこをしたわ。バーサーカーから這う這う体で逃げる姿は見物よ」
「…………」
「あのソーとかいう男の邪魔がなければもっと滅茶苦茶にできた。甲板にあった戦闘機も、何もかもを壊せた。あなたの大事なおもちゃを完膚なきまでにね」
「確かに君がこの船を破壊した事実は消えない。それがロキの策略にのったものだとしてもな。だが奴の計画はまだ止めることができる。協力してくれないか」
「ロキの策略?」
フューリーは幸運にも引き当てた。イリヤの注意を惹くジャックポットを。
初めて聞く子供らしい声音と呆けた顔にフューリーは内心驚きながらも話を続ける。
「そうだ、バナー博士は奴の策略に利用された。そしてそれに君は見事に乗っかり、この船を破壊している間にロキは逃げた。そう、全て、彼の計画どおりにな」
「そう、そういうこと……」
懇切丁寧にフューリーが語ったロキの脱走劇を、イリヤは容易く理解した。
そうつまりは──
「利用されたのね。私は。バーサーカーは。」
指令室と併設された会議室は常に騒音と共にある。
その空間が静まり返る。
当然、文字通り静まり返ったわけではない。現に指令室は今も最悪の現状を少しでも好転させとうと奮闘する職員たちで騒々しく、動き回っている。
だが現状を理解した少女の発する空気は、歴戦の諜報員であるフューリーをたじろかせる。
「私、あなたのことが嫌いよ。でもね──」
喉から絞り出すように、嫌悪の表情を隠しもせずにイリヤは言う。
「あなたの計画に乗ってあげる。そのロキとかいう男は殺すわ」
端的に言うならキレていた。
「それで……ロキはどこ」
言わねば殺す。
それを言わずとも理解させる少女の圧に、フューリーはただ、事実を伝える。
「さぁな。私には分からない。だが、彼らなら知っている」
彼らが誰なのか。
それが分からないほど、イリヤは愚鈍ではない。
フューリーの答えを聞くとすぐさまイリヤは会議室を出て行った。先ほどまでの弱り切った姿ではなく、確固たる歩みを伴って。
「バナー博士は来るのか?」
フューリーは問う。
周囲から疑念、警戒心、そして敵意の籠った眼差しを向けられるイリヤ。
見た目通りの年頃なら萎縮し、碌に受け答えできないであろう空間で、イリヤはどもるどころか、毅然とした態度で言い放つ。
「彼、負けず嫌いよ。私よりもね」
重い瞼を持ち上げると見慣れたはずの、それでいてどこか懐かしさを感じる青と白のコントラストが見えた。
隙間だらけの錆びれた屋根にぽっかりと空いた大穴から顔を覗かせる空、どこからか聞こえる鳥たちの囀りと木々のせせらぎ。いや、それだけじゃない。深く息を吸い込めば潮の匂いが僅かに鼻腔をくすぐる。
まるで世界が自分ひとりになってしまったかのような感覚が、外の世界を、現実を隠すように身を包むが、バナーにはそれがとても心地よかった。
「あんたは空から落ちてきた」
ふと耳に入った知らない男の声にバナーは瓦礫のベッドから体を起こす。向けた視線の先には老人が一人、静かにこちらを見ていた。
「やぁ、どうも。あーー僕、何か変なこと言ってた?」
「何も。今のがあんたの第一声だ。変なことっていうんだったらあんたが空から落ちてきたことが俺の人生で一番変なことだ」
「それはそうだろうね、誰かケガした人とかいる?」
「誰も。ここには俺一人さ。それよりとりあえず服を着てくれ。男の裸なんぞ見たくもない」
ほらよ、と投げ渡された服は些かオーバーサイズだったがぼろきれよりは遥かにましだ。
そんなことを考えて、ゴソゴソと慌ただしく服を着るバナーに老人は言葉を投げかける。
「なぁあんた、小さくなれる巨人か?それとも巨人になれるのか?」
「……さぁ、どっちだろうね」
一瞬、服を着る手を止めたバナーは質問に対し曖昧な答えを返す。
以前までなら、巨人になるタイプだと断言できただろう。いや、なってしまうというのが正しい。
だが、今となってはもう分からない。
「そうか、答えられないか。まぁいい。それで?どうするんだ、これから」
服を着終え、黙り込んだバナーをお構いなしに、老人は容赦なく話を続ける。
「イリヤのところに……いや………」
二年以上かけて染みついた思考回路が当然のように答えを弾き出すが、バナーはそれを否定する。だが、完全に否定はしきれない。
そうして訪れた沈黙に老人は笑う。
「ハッハッハッ、まぁそうやって悩むのも無理はないな。何せ空から落っこちて、随分と転がりまわってたからな」
「違う、そうじゃないんだ」
混乱しているのだろうと、そう言う老人をバナーは否定する。
本当は老人の言うことを肯定したかった。
自分が断言できないのは混乱しているからだと。
逃げたかった。自分の過ちから。
「行かないといけない場所があるんだ。そこには僕を必要としてる人がいるかもしれない。役に立てるかもしれないし、迷惑をかけるかもしれない」
「そんなのみんな、そうだろう」
「え?」
「やってみるまで、どうなるか分からない。それが人生だ。俺は怖かった。怖がって、一歩を踏み出さず、ずっと逃げ続けて、最後はこんな郊外の錆びれた工場に一人っきりさ」
「……」
「こんな辺鄙な場所だ。一人で物思いにふける時間は余るほどある。あんたも考えてみたらどうだ。自分がこれからどうするか」
そう言いじっと海を見つめる老人につられて,バナーも潮風を感じながら漠然と思案に耽る。
思い出すのはヘリキャリアで久しぶりに感じた、しかし忘れることなどできない、自分が自分でなくなる恐ろしい感覚。
あのとき、爆風で体を吹き飛ばされ階下へと落ちた時、怒りを抑え込める理性は限界に達していた。
そしてそれはイリヤもそうだったのだろう。彼女はハルクを止めなかった。
いざという時は頼むというバナーの数少ない頼みを無情にも無視して。
とうの昔からバナーは分かっている。イリヤはハルクを災害として見ていない。彼女にとってハルクは命の恩人であり救世主。あの雪の降り積もる常冬の森で、彼女を救ったのは他でもない、ハルクだ。
分かっていた。だが、認めたくなかった。
自分がこの世で最も憎んでいる存在に、彼女が親愛の感情を向けていることを。彼女とバナーの2年近くの絆よりも、一日に満たない刹那の時間を共にしたハルクを求めていることを。
「合わせる顔がない。僕は彼女を否定し続けた」
「なら、謝らなくちゃな」
さも当然かのようにそう言うと老人は鍵をバナーへと差し出す。
「俺のバイクの鍵だ。やるよ。迷惑をかけない、役にも立たない俺には必要ない」
「でも…………」
「今はただ行け。理由なんて後からいくらでもついてくる」
未だに悩み続ける背中を無理やり押し出す老人に、バナーは戸惑いながらもバイクに跨り、エンジンを吹かす。
錆びついた見た目に反しエンジンは力強く震え、バナーの身体を揺らす。そしてその震えはバナーの迷いを徐々に溶かす。
「行先は?」
吼えるエンジンに老人は負けじと、声を張り上げて問いかける。
バナーはその声に振り返り、はっきりと告げた。
「スターク・タワーだ」
あの爆発が事故であるはずがない。十中八九、ロキの仕業だろう。
四次元キューブはニューヨークのブルックリン区にある。
彼が何を企んでいるかは知らないが、ここまで好き勝手したのだ。代償は償って貰わなければ腹の虫が収まらない。
それに負けず嫌いの彼女のことだ。
毛嫌いしていたフューリーの力を借りてでもスターク・タワーへと向かっているはずだ。
命に代えてでも、彼女を護る。そう誓ったはずだ。古びたベッドで横たわる彼女に、手を差し伸べ、自分と供に来ることを提案したときに。
バナーを乗せた年季の入ったバイクは、マフラーの低音を海へと響かせながら進む。
バナーの瞳にはもう、迷いなど欠片もなかった。
四次元キューブはニューヨーク・ブルックリン区←グーグルマップで確認しました。間違えてたらすみません。
バナー博士は負けず嫌い←どちらかというと頑固の方があってると思いますが、本作では負けず嫌いで。
今年はスパイダーマン・アベンジャーズと新作があり、非常に楽しみですね。