男はかつてかの国の科学者であり研究者だった。
家に金はなく、幼いころの生活は何とも苦しいものだったが、それは親のせいではなかった。
母国が戦争に負けたからだった。
戦争で物を、人を失い、敗戦で領土を失い、賠償金に苦しみ喘ぐ。
一度は立ち直りかけたにも関わらず、恐慌により経済は再びどん底まで落とされた。
だからこそ、『彼ら』が生まれた。
人類は進歩した、過ちから学んだ。
そんなことを言っていた知識人たちを嘲笑うかのように、中世の魔女狩りのようなものを公然と主張し、ある民族の迫害を進めた彼ら。
普通ならありえない。ありえていいはずがない。
だが、彼らは狂っていた。一人ひとりの大したことのない狂気が集まり、混ざり合い一つのとてつもない狂気に変貌した。
しかし、そんな狂気の塊のような彼らもまた、別のものに操られていた。
戦争に負けたからこんなことになったのだ。勝たなければならない。
富を。勝利を。そして復讐を。
そんな強迫観念に駆られた彼らに、勝利ための手段を選ぶ余裕も、それを吟味する理性もなかった。
そうして科学が常識となった時代の国家直属の組織としてあるまじき選択であったが、神話という名のオカルトにまで頼り始めた。
『馬鹿げている』
狂気の中で理性を保っていた一部の人間は嗤った。
『予算の無駄遣いだ』
軍の上層部には非難された。
科学者として組織に属していた自分ですらも、自分の所属する組織を内心そう思っていた。
しかし、その思いは一変した。
組織のトップが神話の力の一端を見つけ持ち帰るという、偉業を成し遂げたことで。
そこからの組織の躍進は凄まじかった。手に入れた力で作られた兵器群は桁違いの性能を示した。
狂気の塊から生まれ落ちた怪物。ギリシャ神話の怪物、ヒドラのように頭は次々と増え戦火を広げ続けた。
だが、それでも戦争に負けた。
生えた頭は全て狩り取られ、ヒドラという名の怪物はキャプテン・アメリカという名の正義の怪物によって打ち倒された。
敗残兵と言う他ない。栄華を誇った我々はその大半を失い、ある者は戦死し、ある者は囚われた。そんな中、逃げ延びた男たちはこの城で見つけたのだ。
ニーベルングの指輪、ラインの黄金を。
伝承にあった無限の富とは正しく、指輪から湯水のように溢れ出るエネルギーだったのだと理解した。そしてそのエネルギーは世界を支配する力があることを本能的に理解した。
だが、それよりも男たちの心を惹いたのはアインツベルンと名乗る彼らの遺物だった。
指環のエネルギーを利用したと思われる人造人間たち。
人体錬成という、神の御業に手をかけた彼ら。だが、彼らの身に何かが起こった。
そして、彼らはこの城を去った。
遺されたのは自分たちと戦った女たちと彼らが放置した作りかけのなにか。
そんな残り物すら、自分から見れば遥か先の傑作。
嫉妬するのも馬鹿馬鹿しくなるほどの差。しかし、それでもと諦めきれぬ研究者としての魂があった。
生き残り、志を共にした仲間たちとひたすら研究に打ち込む日々。
何年、何十年という月日すら大した代償とは思えなかった。それだけの価値がこの研究にあると確信していた。
そして遂に我々は自力で人体の錬成に成功したとき、我々の心にあったのは絶望だった。
何だ、この出来損ないは。
身体能力はあまりにも低く素人の銃弾を避けることすらできない。知能も普通。
そしてあまりにも醜い容姿。
その結果に仲間は次々と去っていた。
ある者は城の外の銀世界へと旅立ち、ある者は失意のまま永遠の眠りについた。
そんな中、周囲より一回り若かった自分はどうにか立て直し研究を続けた。
足りない人手には製作物を宛がった。だが、製作物には仮面を付けさせた。見るに堪えなかったからだ。
そうして、さらに数年が経った頃。
気づけば鏡に映る自分の姿は老人に変わっていた。豊かな金髪は白くなり、張りのある肌は皺だらけに。
そして、その劣化は体だけでなく記憶にも及んでいた。
脳裏に焼き付いていたはずの光景ですら徐々に擦れていく。燦々と輝き、目を焼き尽くした光景でさえ朧げに光を放つ存在に成り下がってしまった。
しかし朧げになったことで、記憶は奇跡に名を変え、男の心を蝕んだ。
その奇跡が手の届く場所にあるのなら。
そしてついに、男は手を出した。
イリヤスフィール
名前であろう、そう刻まれた入れ物に納められた幼児に。
イリヤは知りたかった。
自分が何者なのかを。なぜ、この城に閉じ込められ訳の分からない実験に付き合わされたのかを。
そしてその答えが今、顔を覗かせようとしていた。
「アインツベルン?」
「この城の本当の主だ」
「この城の……じゃあ、あなた達は何なの」
「盗人だ。彼らの、アインツベルンの遺産を勝手に使う、墓泥棒だ。お前も、あの女たちも、全てアインツベルンが造ったものだ」
「じゃあ、そのアインツベルンっていうのは?」
「知らない」
「知らない?知らないって何?」
聞き返すイリヤ。しかし、男からの返事はない。
訝し気にイリヤが男を見るが、男はイリヤを見ていなかった。
「夢を見た……知りたかった……もしかしたら自分にも……」
朦朧と脈略のないセリフをブツブツとつぶやく男。
眼はギョロギョロと虚空を映し、青白かった顔色は土気色に変わり、腕のあった場所から流れる血は水たまりの域を超えようとしていた。
「待って、まだ質問に答えてない。私は何なの!アインツベルンって何!?」
イリヤは水たまりに膝まづき、汚れる服に目もくれず瀕死の男に掴みかかる。襟元を掴み、心に燻る衝動の赴くままに男の首を乱暴に揺らす。
その衝撃のお陰か男の目に理性の光が戻ると最後の力を振り絞り、腕を動かす。
持ち上がった男の腕は痙攣を繰り返し、すでに限界であることを明瞭に示していた。
「部屋……あの部屋に行け……」
「部屋?そこに何があるの!?」
聞き返すイリヤ。
しかし何とか持ち上がっていた男の腕は、その言葉を最後に床に落ちる。
「ねぇ?ちょっと……」
戸惑い男の襟から手を放す。支えを失った体は、パシャリと水音を鳴らして床に横たわりピクリと動かない。
死んでる。じゃあ自由?
ふざけないで。これのどこが自由。未だに心はあの男が図々しく居座り続けている。
イリヤの感情はグチャグチャだった。
あれだけ憎かった男を殺せたというのに、自分は自由のはずなのに喜び以外の何かが心に渦巻く。
知らなければ。自分が何なのか。
そうしなければ気が済まない。
その思いを胸に男が最後に指示した部屋の前に立つ。
最初は気づかなかった扉。
まるで壁に紛れるかのように存在感のない、しかし中に何かがあるのを感じさせる不思議な雰囲気を持っている。
そんな扉に、イリヤは容赦なく取っ手を掴む。
鍵がかかっていれば容赦なく壊す心持ちだったが、そんな覚悟を嘲笑うかのように扉は滑るように開く。
そして、イリヤは部屋の中を視界に収めた。
「何なの、これ」
とても狭い部屋にポツンと一つ、ガラスケースが寂しげに置かれている。
そしてその中には金色の指輪があった。
全体に細かな装飾がなされているとはいえ、一見すればただのアクセサリーだと思っただろう。
記憶に新しい土産屋に埋もれていても違和感のない意匠。
しかしそれが大きな間違いであることを、感覚が教える。
形容し難い何かを体の内で感じる。小鳥を生み出した時に体内に感じた何かと似たものがこの指輪から流れている。
ケースの下のプレートには文字が刻まれていた。
「ラインの黄金……」
そう書かれたプレートを見つめる。
これもアインツベルンの遺した何かなのだろう。
私を造ったのはアインツベルンとかいう連中。
あの男は、彼らの遺産に踊らされていただけ。
答えはここにない。
それを理解した瞬間、倦怠感が体を包む。
気力はもうない。もう、何をすればいいかも分からず、ただただ惰性に身を任せて部屋を出て、そのまま歩き続ける。
そうしてイリヤは気づけば、城の玄関ホールにまで戻ってきていた。
「イリヤ!」
イリヤの名を叫び、駆け寄るバナー。
イリヤの様相は城に来る前とは比べ物にならないほど変わっていた。
死にかけの男に掴みかかったせいで、汚れていないところを探す方が難しい。髪も服も肌も、赤黒く乾いた汚れの存在を際立たせる傍役になったせいで、一見すると全身血まみれと思われても仕方のない様相だった。
「バナー?」
異常な様子のバナーに戸惑うイリヤ。
しかし、疲れ切った様子のイリヤが抵抗しないことをいいことにバナーはイリヤの全身をくまなく触りながら確認しケガが無いことを確かめる。
そうして、イリヤの無事を確認するとしっかりと抱きしめる。
「無事でよかった……」
心の底から安堵した。
そのことを感じたからこそ、イリヤは不愉快でも抵抗することなくバナーの行為を受け入れる。
だが、抱きしめられるイリヤの視線は別のものに向く。
壁に寄りかかり、地面に横たわる女たち。
「殺したの?」
「いや、気を失ってるだけだよ……多分。ハルクは手加減したみたいだ」
「そっか」
やっぱりバーサーカーは優しい。
あの容姿を見て、私の関係者だと気づいて殺さなかった。
私は殺すしかなかったのに。
イリヤの気分は最悪だった。
何もかもが上手くいかなかった。自由にはなれなかった。男の代わりにアインツベルンとかいう連中のことが、ラインの黄金とかいう変な指環が心の中に居座る。
「これからどうすればいいの?」
イリヤの声は、弱弱しかった。まるで、帰り路を見失った子供のように。
バナーは抱きしめる力を強め、イリヤに問う。
「気は済んだ?」
「分かんない。何にも……」
「……今は分からなくていいよ。これから焦らず、ゆっくり理解していけばいい」
「……うん」
「どう?バナー」
「うん、似合ってるよ」
汚れを落とし、着替えて身なりを整えたイリヤをバナーは褒める。
城から探し出した新しい服を見せびらかすイリヤ。しかしそこに、村で駆け回ったときのような元気はない。
二人は旅立ちの準備をしていた。
目的地は決まっていない。バナーにとっては、いままでと同じような放浪の旅。だが、バナーは一人ではなくなった。
そしてイリヤはこの城を出て、新しい世界に身を置く。
二人にとっての新たな門出。
当然、何もかもが綺麗すっきりとした旅立ちではない。イリヤにとって、自分が何なのかという疑問は居座り続ける。
でも、すべてを知るのは今でなくてもいい。
そう考えることで、一先ず心を整理した。
「じゃあ、行こうか」
「うん」
荷物を背負ったバナーが差し出した手を、イリヤは握りしめる。
そうして二人は手をつなぎ、銀世界へと歩き出した。
それをどこか遠く、遠くから見つめる視線に気づくことのないまま。
まずは、ここまで読んでいただきありがとうございました。
この小説の設定自体はファイズ3完結後に某BRS小説の影響をモロに受けて考えたネタでした。なので約3年ほど温め続けたことになります。
それを今回、駆け足気味とはいえ区切りのついたところまで書き上げることができ、また色んな人に読んでもらえて嬉しい限りです。
イリヤの設定に関しても初期と比べると二転三転しており、最終的にフェイズ4でよく出てきた腕輪(指輪)というオチで締めることにしました。これは特段、関わらせる予定はないので気にしないでください。
次は一話、幕間を挟んでからアベンジャーズ編に話を進めたいと思います。
これからもよろしくお願いします。