燦々と太陽の光が降り注ぐ空母の甲板。
軍用機がずらりと並び、所狭しと並べられた物資の隙間を軍人たちが慌ただしく走り回っている。
そんな場所で物見遊山をしているかのように談笑する二人が目立つのは当然のことだった。
「バナー博士!」
「あぁ、どうも。よろしく。来るって聞いてましたよ」
日差しに目を細めながらキャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャースはブルース・バナーに声をかける。
温和な雰囲気の男だ。
ロジャースのバナーへの第一印象はそれだった。
今回の惨事に当たって、ロジャースはバナーのことは資料で読んではいた。彼が優秀な科学者であり、厄介な体質をしていることも知っている。
だがその欠点を差し引いてなお、今起こっていることを考えれば彼ほどの適任はいない。
ただ気にかかることが一つ。
「子供がいたとは知らなかった」
呼びかけに振り返った彼と握手しながらも、ロジャースの目線はどうしても彼の隣にいる少女に向かう。
どう見ても科学者のような年頃でも、ましてやS.H.I.E.L.Dの構成員にすら見えない。
ふんわりと広がる膝程度の白いスカートと首元までシャツのボタンをきっちりと留めた様子は、まるで外行きのためにおめかしをした子供のようだ。
そんなことを考えるスティーブの目線を感じてか、バナーは苦笑いする。
「まぁ、そうだろうね。血は繋がってないんだ。ほら」
「イリヤよ、よろしく」
バナーに促され自分のかなり下から伸ばされた、あまりにも細く小さな白い手。力を入れれば潰れてしまいそうなそれを、そっと握り返しロジャースも答える。
「スティーブ・ロジャースだ、よろしく。君はどうしてここに?」
ジッとこちらを見上げる宝石のような紅い瞳に、むずがゆさを覚えながらロジャースはイリヤに聞く。
「バナーの付き添いよ」
「彼の?」
「彼、癇癪持ちだから」
イリヤのはぐらかすような答えにロジャースが首を傾げているとナターシャが声をかける。
「三人とも、そろそろ中に入った方がいいわよ。呼吸がつらくなるだろうから」
その声を合図にしていたかのように響きだす、重々しい機械音。それは今乗っている船体からの音だった。
「これは潜水艦か?」
「なるほど、僕を金属コンテナに入れて海に沈めようって?」
「沈むならそこの飛行機は全部スクラップね」
そんな雑談をする三人がいる船のへりの前で沈み始める海面。そして、そこから現れる巨大なタービンエンジン。それが三人の立つ船の周囲に4つ、海をかき分け姿を現す。
「わあ」
感嘆の声を上げるイリヤの長髪をタービンの起こした風が轟音と共に巻き上げる。
そうして徐々に海面を離れ、徐々に空へと浮かび上がる巨大な船体。
「潜水艦の方がまだマシだ」
船が空を飛ぶという非現実な光景に、バナーの苦笑気味ながら絞り出された感想はけたたましく唸るタービン音に呑まれていった。
場所は変わってヘリキャリアの管制室。
「エージェント・ロマノフ。バナー博士をラボに案内しろ」
S.H.I.E.L.D長官、ニック・フューリーとブルース・バナーの顔合わせは思いのほか、早く終わった。それは早く仕事を終えて帰りたいバナーと早くキューブを見つけたいフューリー、二人の目的が合致した結果だった。
そうしてバナーとの話を終えたフューリーは、その隻眼をイリヤに向ける。
「それで君は誰かな。お嬢ちゃん?」
日頃のニック・フューリーと比べると気遣いがふんだんに込められた優しい声掛け。
しかし彼の隻眼に油断はない。それは彼の眼帯の下に残る傷で買った経験から来るものだった。そんな警戒心の籠った冷たい視線に、イリヤも態度を硬くする。
「あなたこそ誰よ」
「おっと、これは失礼した。私はニック・フューリー。君が今乗っているこの大きな玩具の持ち主だ。そしてこの玩具に乗っているのは、私が信頼する人員か招待した人間のどちらかだ。だが君はそのどちらでもない。──君はどうしてここに来た?」
「……バナーの付き添いよ。彼が癇癪を起こしたら大変でしょ」
「君が本当に彼の可愛い癇癪を止められるならな」
S.H.I.E.L.Dにとって、ブルース・バナーをこのヘリキャリアに招待するのは危険な賭けだった。四次元キューブを見つけられる人材と制御の利かない爆弾が同一人物という最悪の選択肢。
だがフューリーはそれを選んだ。いかに危険な賭けであろうと、目の前に薄皮一枚で突き付けられたナイフを取り除けるのなら自分が死ぬかもしれない爆弾だろうと使ってやる。そう考えて。
「どうしてバナーのことをそんなに警戒するの」
しかしだからといって爆弾を手荒に扱うわけがない。
「制御できないからだ。そしてそれには当然、君も含まれている。答えてくれないか。君は一体何者なのか」
毅然とした態度の彼女を身長差故に見下ろす隻眼の目。
イリヤにとってその冷たく、静かにただ価値を測ろうとしている目が心の底から、本当にどうしよもなく──
「──気に食わない」
「何がだい?」
イリヤの呟きに作業中のバナーは耳ざとく反応する。
バナーのために用意された、四次元キューブを追跡するためのラボ。
そこでイリヤは暇つぶしにと渡されたタブレットには目もくれず、ソファに寝そべり作業を続けるバナーを眺めていた。
「あの男よ。眼帯を着けた黒人。あとハゲの」
「あぁ、彼か。きっと気が立ってるんだよ。彼らにとって今が正念場だ」
あとハゲって呼ぶのはやめよう、とバナーはPCの画面から顔を上げることなくイリヤとの会話を続ける。
彼自身はS.H.I.E.L.Dとその長官、ニック・フューリーに同情的だった。
四次元キューブというとんでもないものを盗まれて地球が危機に瀕している今、それを止めようとする彼らの心労は計り知れない。
「あの男、バーサーカーを見てた。バナーだけじゃない」
「……そっか」
だからバナーはイリヤの言葉にほんの少し苛立ちを覚えながらも納得し手を動かし続ける。この仕事を手早く、正確に終わらせることが最善と信じて。
そして、もし叶うのならアメリカなどと贅沢は言わない。できるだけ治安のいい土地で自分の能力を人助けに活かしながら、普通の生活をするイリヤを見守りたい。
強欲かもしれない。いや、間違いなく強欲だ。
もうすでに
そんな穏やかな未来にバナーが思いを馳せる一方、イリヤの心の中は嵐のごとく荒ぶっていた。
イリヤはあの男──フューリーがバーサーカーを脅威として、そして戦力として見ていることを短い会話の中でしっかりと理解していた。
もしバーサーカーを上手く暴れさせられれば、彼らS.H.I.E.L.Dにとってどれだけの利益になるだろう。
バーサーカーは破壊と暴力の権化だ。
敵のど真ん中にバーサーカーを解く放てばそれで戦いは終わりだ。
ニック・フューリーはそれを狙っている。
私以外の人間がバーサーカーを使おうとしている。それも道具として。
許せるものか。許してなるものか。
イリヤの胸中は沸々と静かに、しかし噴火前の火山のように滾っていた。
「僕自身は彼になる気はないけど……もしもの時は頼むよ」
だから彼女は答えるのに一瞬の間を要した。
バナーが恐れる最悪。それに対する、彼の数少ない頼みに対して。
「分かってる」
1年以上、共に暮らした少女の声。それに何か違和感を覚え作業の手を止め、顔を上げるバナー。
しかし、またしても二人の視線は合わない。
今度はイリヤがバナーを見てはいなかった。
「彼女が気になるの」
「あぁ、そうだ。エージェント・ロマノフ」
ハルクの資料を見直すニック・フューリーにナターシャは声をかける。
とはいってもその資料の大半がブルース・バナーに関するもの、ハルクに関する記述があるのはほんの一部。それは主にニューヨークの騒ぎのものだった。
S.H.I.E.L.Dはニューヨークで2体の怪物によって行われた戦闘をかなり正確に知っていた。
ロス将軍配下の軍人、ブロンスキー。彼がハルクを倒すべくバナーと同じく超人血清を使って変身するも見境なく暴れ、ブルース・バナーがそれに対応するべくハルクに変身し彼──通称アボミネーションと戦った。その過程で多くの被害が出たが、ハルクの破壊活動は以外にもアボミネーションとの戦闘に関してのみでありハルク自身が無意味な破壊を行った記録はなかった。
それらの戦闘詳細からフューリーは、一つの仮説を立てた。ハルクは明確な敵がいればそちらを優先すると。
ならば制御不能なことは大した問題にはならない。
それとなく彼を敵の真ん中に解き放てばいい。そうすればバナーはハルクになり地球を守る戦力になる。
そのはずだった。突然現れた、もう一つの懸念点がなければ。
バナーが連れる一人の少女がフューリーの思考にノイズを走らせる。
「S.H.I.E.L.Dがバナーを見失っていた期間、何かがあった。そしてそれを知っているのは彼女だけだ。そして彼女が何者か、知っているのもバナー博士だけだ」
「あの子をどうする気?彼女はバナーの逆鱗よ」
「何もしない。少なくとも今は。下手に刺激して我々を敵と認識されればこちらは終わりだ」
「そう、なら安心したわ」
ナターシャにしては珍しくさらけ出された心の底から出た本音。
しかしフューリーはイリヤへの追及の手を緩めることはない。
「猛獣にテディベアを与えれば大人しくなる?冗談だろう」
バナー博士は人格者だ。だが、それは彼が孤児を連れる理由にはならない。
なぜ彼女だけを。孤児は世界中に溢れるほどいる。
彼女が偶々選ばれた?そんなはずがない。
バナー博士のプロファイリングは自分を恐れ、一人になることを望んでいる善人。
そう、彼は
だが現実として、彼の隣にはプレティーンの少女がいる。それも現場に連れてくるほどに。
彼女を1人にできない理由がバナーにはある。
バナーは知っている。バナーだけが彼女の何かを知っている。
知らなければならない。彼女が何者なのかを。
そんな会話をしているときだった。
「──ヒットしました。適合率67%。いや、79%です」
エージェントの一人が声を上げる。それはS.H.I.E.L.Dが待ちに待った、今回の事態の首謀者の発見報告だった。
「場所は」
「ドイツのシュツットガルド、ケーニッヒ通り28です」
「キャプテン」
金髪の爽やかで整った顔立ち、筋骨隆々の逞しい体、そして強靭で高潔な精神。
正しくヒーローの名に相応しい在り方。
アメリカの象徴だった男が、フューリーの呼びかけに振り返る。
内心はどうあれ、命令を待つ男の表情に変化はない。
その姿は彼本来の職を思わせる、軍人のようだった。
「出番だ」
フューリーが初めて地球外の脅威を知った日から、この計画を考えて数十年。
その計画が遂に動き出した、そんな音がした。
あとがき
今作のイリヤは、プリヤの年相応の明るさ・未熟さとstay nightイリヤの冷酷・残酷さを併せ持ったキャラクターとしています。大人ぶった態度を取りつつも幼さが見られるのは、特殊な環境で育ったがためです。
今後、ストーリーに合わせてイリヤは成長させていくので長い目で読んでいただければ幸いです。