雲一つない、爽やかな朝、主水は朝特有の綺麗な空気を肺一杯にすい、浴びる陽射しを眩しそうに目を細めながら歩いていた。
「おはよう主水の旦那。いい本入荷してるよ。中入って見てってよ」
「おう、じゃあ少し邪魔するぜ」
ラバックの目配せを受け、主水は貸本屋の中に入り、外を一瞥した後にラバックも続いた。
ラバックの貸本屋は、帝都内でのアジトとして活用され、仲間が良く休憩したり、情報を集める拠点として使われていた。
「で、ボスからもう話は来ているか?」
主水の表情から緩みは消え、仕事人特有の真剣さが表れていた。
「ああ、ナジェンダさんから繋ぎは来てるよ。じゃあ読むぜ。『今回の的は偽善者を気取った外道貴族一家三人と、それを黙認し護っているガードマン六人の計九人。罪状は――』」
「罪状はいい、実際にこの目で見ているからな」
無表情で呟くように告げる主水。
ラバックも主水の表情から、触れるべきではないと察し、小さく頷き淡々と続ける。
「『結構は今夜の8時、夜の闇に隠れて忍び込む。主水はそのまま的の屋敷に向かい。目に入ったヤツを殺ってくれればいい』ということだ」
「分かった」
主水は変わらず無表情で了承すると
「邪魔したな」
という一言を残し、ラバックの貸本屋を後にした。
――――
主水はこれまた日課の見回りをしていると四人の護衛を伴い、ショッピングを満喫する貴族の娘が。
(いい気なもんだぜ)
傍目に見ながら通りすぎる、その壁際には、ナイトレイドの手配書が貼られている。
(たいしたもんだな。俺たちだったら顔が知れた瞬間、江戸から身を隠し、解散なんだがな)
少し苦笑いを浮かべるが、
(それが目標がある者のとない者の違いか…)
と結論をつけた。
その日は、隊舎でお茶汲みをしたり、書庫で調べものをするふりをして昼寝したり、机に向かって久しぶりに書類に向かっていたので、警備隊仲間に
「雨でも降るんじゃないか」
と茶化され、セリューにさえ、
「今日の主水君変だよ。帰って休んだほうがいいよ」
と言われる始末であった。
そして時間が過ぎ、血のように真っ赤な、今日の夜の仕事を予兆するような夕日が、地面に沈み、漆黒の夜の帳が辺りに満ちていた。
「行くか」
主水は、二本挿しを腰に挿し隊舎を後にする。
時刻は夜の7時、街灯一つない道を、マフラーを口元まで上げ、目的地に向かって歩く。
主水が的の屋敷に着いた頃には、既に仕事は始まっていた。
屋敷の中から発砲音、人の叫び声、破壊音などが辺りに響き渡っている。
ここまでの大音量が辺りに響けば、他の人に知られそうではあるが、見渡す限りの辺り一面が、的の貴族の所有地になるので、邪魔が入ったり、援軍が来ることもない。
権力を示す、広い所有地が自分の首を絞めることになるとは、皮肉なものである。
締め切られた門まで来ると近くにいる門番に声を掛ける。
「警備隊の中村と言います、何かあったみたいですが開けてくれませんか?」
「これはいいところに、お入りください」
躊躇することもなく、即座に開かれる門。
門番はパニックに陥り、さらには、指揮系統も混乱しているらしい。
「賊が、ナイトレイドが現れたようです。お助けください」
その一言を残した、その刹那、門番は朱に染まり、崩れ落ちた。
何の感情も感じさせない無表情で主水は、物言わぬ事切れた死体に吐き捨てた。
「お前はお前のように助けを求めた者にどういう対応をしたんだ」
いつの間にか抜き放たれ、血に濡れた刀を振り、血を払う。
(次へ行くか)
主水は更に奥へ向かう。
辺りには既に無数の死体が転がり、血の海が広がっている。
体を両断された死体、何かに貫かれた死体、更には眉間を撃ち抜かれた死体と千差万別である。
(俺が一人、ここに三人。残りは殺られてなけりゃ六人か。だがやつらの腕だ、もう終わってるかもしれんな)
主水はそのように思いながらも先を進む。一人でも逃すわけにはいかないのだから。
しばらく歩くと闇の中から、荒い息遣いと足音が聞こえてくる。
主水は足を止め、待ち構える。
現れたのは、的となる衛兵の一人だった。
「その姿は警備隊か、いいところに」
平常時ならば、なぜこんなところにと疑問に思うシチュエーションだが、人間危機的状態になると、自分に都合の良い方向に考える。
そのため、この衛兵も何の警戒心も持たず主水に駆け寄り、すがり付くように、懇願する。
「お嬢様の所に急いでくれ。この先にいる」
「分かりました」
主水は音もなく、鞘から刀を抜き放つと、心臓を穿つ。
血に染まり月に煌めく刃は、怪しい美しさを醸し出す。
「先に地獄で待ってな。じきにお嬢様も送ってやるからよ」
刀から血を払い、鞘に収めながら主水は告げた。
(この先と言っていたか)
先から感じる気配は全部で四つ、その内一つからは、以前身を持って体験した殺気を感じる。
(研ぎ澄まされた殺気…アカメか。手こずっているようだな)
戦っているのはアカメだと察知した時には、もう大丈夫だと考えた。しかし、戦いが続いていることを示す殺気が、消えないことから、まだ片付いていないことを理解した主水は、戦闘が行われている場に急いだ。
目的地に近づく度に剣撃の音と、濃密な殺気が強くなる。
(一つの家がなんでここまで広いんだ)
主がブツブツ文句を言いながら、茂みを抜けると、月下の元で、帝具〈村雨〉を振るうアカメと、辛うじてアカメの斬撃を必死の形相で、剣で捌く少年の姿が。
背後には、その少年に護られるように佇む、金髪の癖毛の少女。
「アカメ、手こずってるようだな」
声を掛ける主水。すると隣に現れたレオーネが、アカメの変わりに答える。
「ああ、あの少年やるぜ。アカメと戦ってまだ死んでないんだからな」
レオーネはどこか嬉しそうに話す。
(剣の軌道、動きにはまだ粗さや無駄はあるが、素質はありそうだ)
主水も静かに二人の剣舞を見守る。
「頼む、この子だけは助けてくれ。罪もない女の子なんだぞ」
少年の言葉を聞いた主水の眉間にシワがよる。
表情を消し、主水は黙って大きな倉庫に歩みより、刀を抜き、一閃した。
大きな音をたてて鋼鉄の分厚い扉は真っ二つに両断され、砂ぼこりを巻き起こし崩れ落ちた。
「おい、小僧中を見てみろ。そこにある真実を見てから自身で判断しろ」
主は背中を向けて、離れ、中を見るように促す。
少年は最初呆気にとられていたが、立ち直ると、主水に促されるまま倉庫を覗きみる。
「な、なんなんだよコレ!!!」
偽善によって隠された中(真実)を見て、少年は顔を真っ青にする。
何がなんだか分からないといった感じだ。
「これが、この家族のしてきた所業だ。地方出身の身元不明者を甘い換言をもって誘いこみ、自分の欲望を充たす玩具として拷問にかけて弄ぶ。これが真実だ」
冷ややかな声で主水はいい放つ。
呆然と佇む少年が何かに気づいたように、幽鬼のようにフラフラとした足取りで倉庫に足を踏み入れる。
「サヨ?おいサヨ!サヨなんだろ!」
鎖に吊るされて無惨な姿に変わり果てた、死体に手を伸ばして、悲痛な声をあげる。
アカメやレオーネ、主水は冷静に見ているが、やはり込み上げてくる何かがある。
「おっと、逃がさないよお嬢ちゃん」
そっと逃げ出そうとした、少女をレオーネが捕まえる。
「わ、私は屋敷内にこんな場所があるなんて全く知らなかったわ。タツミは、貴方を助けた私と、この殺し屋のどちらを信じるのよ!!」
タツミと呼ばれた少年は微動だにしない。
あまりにも受けた衝撃が大きすぎ、頭の整理がつかない状態にあるのであろう。
次にタツミが動いたのは、格子に囲まれた牢屋の中の人物から、声を掛けられた時だった。
「タ…ツ…ミ。タツミなんだろ!俺だ…」
「い…イエヤス!!」
タツミは更に悲痛の色が濃くなった声色で慟哭をあげる。
聞いているこちらさえも、悲痛な気分になる声である。
「俺とサヨはそこの女に誘われて、飯を食ったら意識を失い、気がついたらこんな目にあっていたんだ。その…その女が…サヨを拷問に掛けて殺しやがったんだ!!」
イエヤスは訴えるように、涙まじりの声で叫んだ。
自分の目で見た真実を。
嘘偽りのない。
「何が悪いのよ!!」
闇に怒号が響く。
醜悪に歪んだ、悪意に満ちた醜い様相で少女が開き直って、叫んだのだ。
「役立たずの地方の田舎者なんて、家畜と同じよ。それを自由に扱って何が悪いのよ!!だいたいそこの女はムカつくのよ。私がこんなに癖毛で悩んでいるのに、家畜の分際でサラサラの髪しやがって。だから私が念入りに遊んであげたのよ!感謝こそされ怨まれる理由なんて一つもないわ」
歪みきった自己中心的な考え、自分勝手な論理、耳に入れることさえ憚られるとんだ戯れ言。
この腐りきった世界をそのまま形にした人間がそこにいた。「とんだクソッたれだな」
「ああ善人の皮を被ったサド家族だ」
主水とレオーネが胸くそ悪そうに吐き捨てるように言うと、それまで全く動かなかったタツミが、少女に向かって歩き出した。
そして、剣を握り締め、振りおろす―――所で主水が割って入った。
「小僧、こいつを斬るのには文句を言わねえが。もしここで、お前が、その手で、斬ったら、もう戻ることはできねえぞ。一生重荷を背負うことになる。お前にはその覚悟はあるのか」
主水の冷たく底冷えする声が、タツミに覚悟を問う。
人を斬った瞬間、斬った者は業という名の重荷を一生背負うこととなる。
さらには、今まで何人か仕事仲間でも、足を踏み入れた仕事に疑問を持ち、それが災いして果ては殉職するものもいた。
そのため、怒りに任せて斬った後に後悔させないためにも、主水は問い質したのだ。
「イエヤスやサヨの無念を張らせるなら覚悟ぐらい決めてやらあ!!」
タツミの覚悟を聞き、主水は手を離す。
直後、タツミは躊躇なく少女を切り裂いた。