薄い雲に覆われ月も隠れた夜の闇の中で、扉が壊れ家の光が漏れでる一軒の家を見詰める大小二つの影があった。
大きい影は、身の丈二メートルはあるのではないかという巨大を持ち、上半身裸の鎧のような筋肉を持つ男。
小さい影は露出過多な様相の口許にうっすらと妖艶な微笑みを浮かべる美女であった。
「ねえねえシュテン、ノバラ勝てると思う?カモクもいるけど役に立つか分からないしぃ?」
「簡単にはいくまい。シリュウという男、最近では鳴りを潜めてはいるが、以前は一度戦場に赴けば血の雨が降ると言われ、誰もが背を向けて逃げたというほどの槍の使い手であるからな」
シュテンが述べるように、シリュウは帝都でも一番の槍の使い手であり、右に出る者はいないとまで言われていた男であった。
「そうかぁ、ノバラ死んじゃうのかぁ。まあいいけどねぇ、ノバラが死んでも戦闘狂のイバラっていう後継ぎがいるみたいだしねぇ」
「だがな」
仲間が死ぬかもしれないという最中でありながら、ケラカラと笑いながら話す女性に、深いため息をひとつはきつつも、逆接の言葉を継ぐシュテン。
「地の利はノバラにある」
◇◆◇◆◇◆
「大層に人ん家の扉壊しやがって。弁償してもらうからな」
シリュウは怯えるセラを庇うように前に立ち、軽口を叩きながら家に土足で入ってきた二人の男を睨み付けた。
一人は長身の男でラリったような汚れた瞳でニヤニヤと嫌悪を抱かせる笑みを浮かべる不気味な男、二人目は、深編み笠を被り錫杖を携えた虚無僧のような男であった。
両極端な見た目ではあるが、共に纏う気配は尋常なものではなく、シリュウは油断なく二人の動作を観察していた。
「ピリピリと肌を刺すような殺気、すげえなぁイキそうだぁ」
一般人であれば意識を失ってもおかしくないほどのシリュウの殺気の込められた視線を受けるノバラだが、怖れるどころか恍惚の表情を浮かべている。
反して、カモクは無言で佇むのみ、逆に不気味な雰囲気を纏っている。
(セラとセリューは俺の命にかえても守り通す!)
シリュウは覚悟を決めていた。
敵が強大であろうが臆することなど無かったシリュウではあるが、今回は全てに於いて不利な状況であったからだ。
第一にセラの身を一番に考え護りながら戦わなくてはならないこと。
守勢を取ることは然程難しいことではない。しかし今回は自分ではなくセラを護らなくてはならないのだ、手練れの敵を相手にすることによって難易度は遥かに高くなる。
しかし、そのような状況であったとしてもシリュウにとって自分の身は二の次、三の次であり、セラだけはどんなことがあろうとも護ると心に決めていた。
第二にシリュウの得物は槍であり、屋内のような狭い中では圧倒的に不利になる。
それらを知っていや、熟知した上で羅刹四鬼は家にいる所を狙ったのだ。
「じゃあ羅刹四鬼ノバラ行きまーす。カモクは手を出すなよ!」
(羅刹四鬼だと。オネストの個飼いの暗殺集団実在したのか)
「…………」
納得いったような表情のシリュウと、無言で何をするともなく佇むカモク。
仲間でありながら何を考えているか分からないことからノバラは苛立たしげに舌打ちをしつつ狭い家屋の中で一踏みでシリュウの間合いに入り込んだ。
「ひゃっはああぁぁ!!」
「くっ……」
「あなたっ!!」
ノバラの拳がシリュウの鳩尾にめり込みシリュウの体がくの字に曲がる。
普段のシリュウならば避けることなど容易かった。
しかし、今は後ろにセラがいる状態でありかわすことは封じられていた。
「無防備なヤツを一方的に弄ぶことほど面白いことはないねぇ」
舌舐めずりし、口許からヨダレを滴らし快楽に満たされた表情で殴り続ける。
シリュウは鳩尾の一撃を受けた後に痛みに体を支配されながらも、その強靭な精神力で持ち直し腕を交差して防御の体勢を取っていた。
しかし、ノバラの攻撃力も生半可な物ではなく明らかにシリュウの体にダメージを蓄積させていた。
「うぐっ……」
「ひゃははははははは!!」
興奮が頂点に達したのかノバラは笑いを響かせ絶えず攻撃を続ける。
体が左右に大きく振れ今にも倒れそうになるが、シリュウの目は死んではいなかった。
鋭く何かを狙っていた。
「死ねえええぇぇぇ!!」
「てめぇがな!」
ノバラが留めとばかりに振りかぶったその僅かな隙をつき、シリュウはノーモーションで拳を放つ。
「がはっ!?」
鈍い音を立ててシリュウの拳が突き破らんほどの勢いで腹部を深く抉り、それと同時にノバラは内蔵を損傷し吐血し、腹部を押さえ一歩二歩後退りをした後地に頭をつけて踞った。
起死回生の一撃、興奮したことにより攻撃一本やりになり出来る限りの隙を伺っていたシリュウが、コンマ何秒という刹那の隙を確実に捉えたのだ。
「まずは……一匹目だ…………なっ!!」
シリュウはほんの僅かの時間ではあるが油断をした。
そのようなコンマ何秒の世界でさえ、この戦いの中では致命的なことであった。
シリュウの背後にいたはずのセラの姿が消え、カモクの腕に捕らえられていたのだ。
「あ、あなた………」
「セラ………ッ」
何よりも大事に思っていたものを奪われたことによる自分への怒りにシリュウは身を震わせた。
しかし、それと同時にカモクの恐ろしさにも気づく。
(気を抜いたとしても、俺がきづかなかっただと…………)
確かに気を抜いたのは事実だが、それであってもセラに近づけば気づかないはずがない。
「ゴホッ…………ガハッ…………良くやったカモク……お前はそれぐらいにしか役にたたないからな…そのまま押さえておけよ」
生半可なダメージではないはずではあるが、ノバラは体に鞭をうち立ち上がると、目を血走らせシリュウを睨み付けた。
その瞳は憎悪と殺気に満ち溢れ、シリュウを殺すこと以外考えられなくなっていた。
「動くな!守るな!そうしなければ分かってるな」
「………」
シリュウは観念したかのように瞳を閉じると腕をだらりと下げ、ノバラの命令通りなすがままにされることを受け入れた。
わずかでもセラが生きていられるならばとシリュウは賭けたからだ。
「あなた私のことは構わずに……うっ……この者たちを」
セラは首もとに突きつけられた刃で首に傷を負いながらも臆することなく立ち尽くすシリュウに声をかけた。
「セラ……!!すまん……俺にはできん…お前を見捨てるなんて……」
「よし、そのままでいろよ。妻だけは生かしておいてやるからな(バカがなぶり殺したあとこいつは犯し尽くして殺してやる)」
ニタリと口許を三日月のように吊り上げるとゆっくりとシリュウに歩み寄った。
ノバラの影がシリュウを覆い見下すように見下ろしつつ、右拳を振り上げ、振り下ろした。
「ぐはっ!」
「あなた!!」
右拳はシリュウの顔面を打ちシリュウはそのまま吹き飛び壁に叩きつけられた。
ーーーーー
「あれ?なんだろ大きな音が?」
セリューは目を擦りつつ体を起こすとベッドを出て音の出所に向かった。
普段であれば一人でトイレに行くことさえ躊躇するセリューてあるが、今回はその恐怖さえも押さえ込むほどの嫌な予感がしていたためだ。
「パパ、ママ?」
嫌な予感で高鳴る鼓動を感じながらもセリューは音の出所に向かう。
すると音だけでなくセラの泣き声交じりの悲痛な声がセリューの耳に届いた。
「ママの声!」
今まで聞いたことの無いほどの胸を締め付けられるほどのセラの声。
セリューは居ても立ってもいられず走り出す。
「ママ!えっ!!」
セリューが勢い良く扉を開くと押さえつけられ首もとに刃を突きつけられ血を流すセラの姿と、見たことのない長身の男が背を向けて拳を振るい続ける姿が。
「セリュー来ちゃだめ!!逃げなさい!!」
「ママを放せ!!」
セリューはセラの言葉を聞き入れることなく走り出しカモクに体当りする。
不意をつかれたことと、母を助けたいという強い思いからでた火事場のバカ力が重なることにより、カモクはよろけセラを手放した。
「ちっ、ガキが居やがったか。もういい殺せカモク!」
「…………」
カモクは即座に身を反転させると、刃を捨て手近にいるセリューに向かって錫杖を振りおろすべく振りかぶる。
「セリュー!!」
痛みとダメージで朦朧となる意識の端で、視界が最愛の娘に訪れようとしている避けようのない「死」を捕らえる。
(ふざけるな!ふざけるな!ふざけるな!!動け体!!今動かなくていつ動くんだ!!)
もう動くことはないと思われたシリュウではあったが、最愛の娘を護るため、アドレナリンが溢れるほど体を巡り、痛みすらも押さえ込み立ち上がった。
セリューは自分に振り下ろされる死を運んでくる錫杖を茫然と見詰めるしか出来なかった。
小さな子供が大人の、しかも戦いなれた男の攻撃を避ける術はない。
錫杖は無情に振り下ろされグシャッという鈍い音と共に血が吹き上がる。
防衛本能から瞳を閉じていたセリューだが頬を打つ温かい何かに気づき恐る恐る瞳を開ける。
「セリュー………だい…じょ…う…ぶ……」
涙を流しつつも優しい笑顔を浮かべたセラが口許から血を流しながら途切れ途切れに最愛の娘のセリューに問い掛ける。
それは、セリューを守れたという安心した気持ちから流れた涙だったのかもしれない。
「マ…マ……」
セリューは言葉を失った。
今目の前で何が起こったのかが全く理解出来なかった。
なんでママは泣いてるの?
なんでママは血を流してるの?
疑問が頭を駆け巡る中、セリューが無事なのを見届けるとセラは再度安心したような安らかな顔をして自分の流した血だまりに崩れ落ちた。
「セラアアアアアアアッッッ!!」
体を引き摺りながら走りよったシリュウは断末魔に近い悲痛な叫び声を上げ鼓動を止めた最愛の妻を抱き締めた。
「パパ……」
セリューは自然と溢れる涙で顔をぐしゃぐしゃにして姿を現した父に抱きついた。
「セリュー……恐い思いをさせてしまいすまなかった…………ママがお前を命をかけて守ったように俺もお前をなんとしても守る!!」
悲しくないはずはない、しかしそれを一時的に押さえ込み、泣きじゃくるセリューを安心させるように優しくセリューを抱き締めた。
「パパァァァァァァ!!」
「泣かなくてもいいぞ。俺が同じ所に送ってやるからよ。ヒヒャヒャヒャヒャ」
すでに満身創痍で抗うことも出来ないであろうシリュウと、小さな子供のセリューなど恐るるに足らずとノバラは判断し無警戒に歩み寄ろうとした刹那、なぜかバランスを崩し倒れこんだ。
「セラを殺し、セリューを手にかけようとしたお前らは生きては返さねえ!!」
辺りが凍りつくほどの目に見えるほどの形となった殺気がシリュウから吹き荒れ、いつ手に携えたのか朱に染まる血潮が滴る白刃を持つ槍を構えシリュウは鬼の形相で立ち上がった。
「セリューには見せたくないんでな場所変えるぞ」
満身創痍とは思えない身のこなしで槍の柄の尻にあたる石突きで、殺気をもろにうけ動きを止めていたカモクの額を穿ち、そして足首を失い倒れこんでいるノバラを首を掴み外に放り投げた。
ノバラとカモクは家の壁を突き破り夜の闇の中へ吹き飛んでいった。
「セリュー、パパは野盗を凝らしめてくるからここにいるんだよ」
優しく頭をなで、向きを変えると再び怒りの形相で外に向かった。
この際セリューに、男達が羅刹四鬼と伝えなかったのは、今後セリューが命を狙われなくするためである。
帝国の羅刹四鬼の飼い主であるオネストならば、その存在を知っている者は生かしてはおかないのではとシリュウが考えたためである。
「あれぇ!?カモクとノバラが飛んできたよ」
「二人はもうだめだ。逃げるぞ!」
シュテンは女を抱えると走り出した。
「どうして逃げるのよぉ」
「二人が鬼を呼び覚ましてしまったからだ。それにオネスト様に言われている犠牲は最小限に留めろと」
シュテンは振り返ることなく髭を夜の寒風に靡かせ走り去った。
「……………」
「クソヤロウ!」
カモクとノバラが起き上がるのを怒りの滲んだ瞳で見下ろすと、シリュウは槍を構えた。
「セラに会ってからは決して外に出さなかった俺の残虐な面をてめえらに冥土の土産として見せてやる。恐怖に顔をひきつらせて地獄に墜ちろや!!」
夜の寒空にシリュウの怒号が響き渡った。
二話で終わらせるつもりが次回に続くことになりました。