原作では簡単に流れたオーガ編ですが、主水にとってはセリュー絡みで深くなるので二編になりました
沈黙の中、室内にはペンや筆が走る音、そして、書類が捲られる音のみが、リズミカルに響いている。しかし、中にはいっこうに動かない筆もあるが、それには敢えて降れはしない。
そんな静寂が一声で壊される。
「中村!またお前の書類間違っているぞ!直してやったから見ておけ!」
「申し訳ありません、オーガ隊長」
主水は平伏しながらオーガから書類を受けとると、またペコペコしながら自分の机に戻った。
「ったく、昨日今日で何度目だ!てめえは茶汲みしかできねえのか!」
不機嫌なオーラを迸らせるオーガの言葉に、どこからともなく笑いが漏れる。
「疲れてるの。昨日からなんか間違い多いみたいだけど」
主水が自分の机に書類を置き見ていると、隣の席に座るセリューが心配そうに声を掛けてくる。
ここの所、提出した書類で間違いを連発している主水を、気遣ってのことである。
「書類仕事が苦手なんで…」
苦笑いを浮かべ、疲れた顔をしている主水。
今主水は重要案件を抱えているためこのような状態なのである。
それは、約3日前のことだった。
―――――
体を伸ばし、大きな欠伸をしながら市内を徘徊していると
「おう主水の旦那!」
爽やかな笑顔で手を振る見覚えのない男が。
流れるようにサラサラな髪、目を見張るほど整った目鼻立ちをした、かなりのイケメンである。
「誰だ?」
「そりゃあねえぜ主水の旦那。ちょっと待ってくれよ」
櫛を用意して前髪を整え始める男。
みるみるうちに、よく見覚えのある、フランスパンのような髪型が形成される。
「おおっ、ブラートじゃねえか」
「やっと気づいてくれたか」
切な気な笑顔を浮かべるリーゼントのブラート。
主水に気づかれなかったのがショックだったらしい。
「すまんすまん。お前がここまでいい男だとは思わなくってよ」
「いい男!!!……旦那今から鰻屋行かねえか、俺奢るぜ」
頬を染めたブラートが主水の手を握り、危ない方面へ向かいそうになる。
以前の失敗を繰り返す主水。
主水の血の気がとんでもない勢いで引いていく。
(なんとかしなくては俺の大事なものが)
主水は頭をフル回転させ、逃げ道を探す。
「今日はなんでいつもと違う髪型でこんな場所にいたんだ?」
捻り出した答え。
ブラートはそうだったと残念そうな表情に。
「そうだった。今日急に遠征することになってな。準備をするために買い物してたんだよ。ただ顔ばれしてるから変装してな」
「一人か?」
主水は話を変えることに成功し、気を落ち着けて話す。
先程まで新境地が開けそうで、恐怖で顔面がひきつっていたぐらいだが。
「俺とマインとシェーレとラバックでな。で人員が足りないから少し顔出してやってくれねえか」
面倒見がいいブラートだからこその頼み。その気遣いに感心し、主水も二つ返事で了承する。
「旦那が行ってくれるなら安心だ。じゃあな。今度一緒に鰻食いに行こうぜ」
ウィンクを残しブラートは颯爽と去っていった。
この性癖さえなければ、本当にいいやつなのにと残念に思う主水であった。
―――――
「よっ!」
主水はブラートに頼まれたので、警備隊の仕事を早々に切り上げ、ナイトレイドのアジトに顔を出していた。
「主水さんこんにちは」
「おっ主水の旦那いいところに」
室内にいたタツミが丁寧に挨拶をし、レオーネはちょっと来てみというふうに手招きをしている。
「新たな仕事か?」
主水が部屋に入りナジェンダの近くに歩みよる。
「ああ、新たな依頼だ。ちょうどお前に来てほしいところだったんだ」
ナジェンダはそう言うと、二枚の写真を取りだし、机に主水に見えるように提示した。
その写真を見た主水に衝撃が走り、顔が無意識にひきつる。
(マジかよ…)
今まで築いてきたものが、バラバラと瓦解していくのではという強烈な不安に襲われる。
「今回の的はお前が属している警備隊の隊長オーガと油屋のガマルだ!」
(こんな日が来ようとは…)
主水が恐れていたことだった。
確かに警備隊隊長オーガには後ろ暗い噂が、どこからともなく伝わっていた。
警備隊内でもタブーになってはいたが、それでも伝わって来るほどだった。
主水にとってオーガを斬るのは別段問題はない。
しかし、オーガを殺したその後に大きな問題がある。
セリューだ。
セリューは純粋にオーガを尊敬し、またオーガが裏で悪どいことをしているということを全く知らなかった。
そのため、オーガが殺されたとなると、殺したナイトレイドヘの、そして悪人への強烈な怨みから、また歪んだ正義にたち戻りかねないということが、主水にとって大きな問題であった。
「どうしたの主水。大丈夫?」
何も耳に入らず、呆然と動かなくなった主水を心配し、アカメが主水の前で手を振る。
「すまん。大丈夫だ」
「よし、では主水も含めて作戦を―――」
「皆すまないが。今回の仕事は俺に全て任せてくれないか」
ナジェンダが本題に入ろうとした矢先に、主水が真剣な表情で要求した。
「どういうことだ主水」
ナジェンダの視線が自然と厳しくなる。信用している主水だからこそ、きちんと説明してほしいという思いが表れてのことだ。
「ちょっと事情があってな」
主水も仕事に私情を挟むなどもっての他だということは、重々理解していた。
私情を持ち込んだゆえに、命を散らした仕事人をも見てきた。だからこそ、仕事人として、あってはならないと、深く自覚している。
しかし、それを持ってしても、自分を律することはできなかった。今までの関わりから。
主水も熱の通った人間であったからだ。
「皆すまん。しっかり二人は殺す。今回だけは譲ってほしい」
主水は深々と頭を下げた。
主水の今までに見たことがない姿に、困惑を覚えるが、主水が頭をあげるころには、皆笑顔だった。
「しょうがねえな。今回だけは譲ってやるか」
「主水さんにそこまで言われたら譲るしかないですよ」
「主水なら大丈夫だとは思うけど、気を付けてね」
レオーネ、タツミ、アカメの言葉に心が熱くなる。
「すまねえな」
たった一言で礼を言った。主水の照れ隠しである。
「はぁ、仕方がない、皆がそこまでいうならな。じゃあ今回は主水に任せる。ただし、これは仕事だ。主水に限ってないとは思うが、必ず殺せよ」
ナジェンダが折れた形となり、オーガ·ガマル暗殺の仕事は主水に一任される運びとなった。
月明かりのみが光源の薄暗い道を、主水は、険しい思案顔で歩いていた。
主水は仕事を任されるまではこぎ着けたが、まだ明確にどのようにしようという案ができていなかったからだ。
今主水がアジトから帰宅の途についている、暗い道同様、五里霧中、暗中模索の状態である。
確かにこの世界では仕事の期限はない。仕事を引き延ばしても、仕事人最強の死神が現れて始末されるような恐れはない。
しかし、信用して譲ってくれた皆の体面を考えても、長々と仕事を引き延ばす訳にはいかない。
まさに主水は追い詰められていた。
この世界に来て初めてのことである。
ゴールも、さらにはスタートラインすら見えない中、主水はもがき苦しんでいた。
頭の中では、ナイトレイドだと分からないように殺してしまえ、という妥協案が浮かんでいるほどである。
「もーんーど君!」
いきなり背後から飛び付かれよろける主水。
一体なんだと振り返ると、いつもと変わらぬ笑顔のセリューが。
僅かだが柔らかい物が背中にあたるような気がする。
「せ、セリューさん。どうしたんですか?」
「今ね、盗賊を捕まえて警備隊の隊舎に連れていったんだよ」
「殺さなかったんですね」
「うん。倉に忍び込む時にジャンプして入ったって言ってたから、足はもらったけど、命は取らなかったよ」
セリューはあの頃から本当に成長していた。
前までであれば、悪であれば、容赦なく殺してきた。
しかし、今では、罪の重さを判断して対応するようになっていたのだ。
このセリューをあの時に絶対に戻してはならない。
主水は強く心に誓った。
主水は帰宅してからも、考え抜いた。
そして、ついに答えに辿り着いた。
前の世界でもしたことのある殺しかたであり。
いくつか手順を踏まなくてはならないものもあるため、決行は下調べした後にすることとなった。
そして、次の日から準備を始めることにした主水であった。