物音一つしない、豪華な宮殿内を、思案顔で主水は歩いていた。
今一番の懸案事項である、タツミをどう逃がすかという問題。
イェーガーズのメンバーから逃がすのであれば、然程悩むことも苦労することも無いのではあるが、なんといっても帝都一の危険人物エスデスから逃がさなくてはならないということが、一番の問題であった。
「おはよう主水君」
「おはようございます主水様」
「おはようございます」
無意識化で挨拶され、反射的に主水は挨拶を返していた。だれとも気づかずに。
主水は一瞬の間を置き、現実に帰る。挨拶を返したものの、いったい誰に挨拶をされたんだ?と。
挨拶を掛けた相手を見た時、主水は懐かしさを感じた。
笑顔で立つチョウリと、父チョウリを護衛する娘のスピアがそこにいた。
「これはチョウリ様。スピアお嬢様、お久しぶりです」
「昨日謁見の間で目を合わせはしたが、会って話すのは本当に久しぶりだね。私も君に会えて嬉しいよ。この魔の巣窟の中で気を許せる相手なんて、まずいないからね」
チョウリは以前と変わらぬ笑顔で話す、昨日謁見の間で見た無表情とは違った、感情が隠った笑顔。
その表情を見ただけで、チョウリも再開できたこと大変に喜んでいることは、容易に感じ取ることができた。
「あれから大丈夫ですか?」
命の危険やら、宮殿内の仕事について、暗に問う。あまり声高に出来ない話題であるからだ。
「私も何度も修羅場を大臣という立場で乗り越えてきた身だからね。大丈夫だよ。ただ、今では良識派の官僚達からは、大臣に寝返った裏切り者と後ろ指をさされる身分ではあるがね」
苦笑いを浮かべながら話すチョウリ。
自分の命を守り、大臣に取り入ったふりをしながら、尚且つ民のことも思いやる。チョウリの苦労の程が思い知られた。
「主水君なら今の言葉で察してくれたと思うが、上手く大臣に取り入れたのは幸先がいいよ」
チョウリの苦笑いが、いつの間にか、不敵で、何か含みを込められた、薄気味悪い笑顔に変わる。
(分かってはいたが、チョウリもかなりの狸だな。まあドロドロと悪鬼蔓延る宮殿内じゃ、そうでなくては生きていけないんだろうがな)
純粋に戦闘力のみを必要とする、主水が属する世界と真反対の世界に生きるチョウリを見て、政治家の強かさを知った主水であった。
「ついつい嬉しくて話が長くなってしまったな。すまないな主水君」
「いえ、私も気分が晴れましたから」
二人は笑顔を交わす。
「さあ、今日も大臣に媚を売りながら政務に励むか。またな主水君」
晴れやかな笑顔を浮かべチョウリは去っていく。
後ろでスピアも頭を下げた後、チョウリに続いて去っていった。
(チョウリは大丈夫のようだな。次は俺の番だ)
主水はチョウリの後ろ姿を見送った後に、気合いを入れ、イェーガーズの特殊警察会議室に向かった。
角を曲がると特殊警察会議室に差し掛かる所で、主水の足が止まる。
部屋の死角から壁に背を預け、頬に手をあて、室内に耳を傾ける白衣の男、スタイリッシュがいたからだ。
(ヤツは何を探ってやがる)
主水はスタイリッシュを嫌い、尚且つ警戒していた。
前者はセリューの人体改造のことから、後者はナイトレイドの中でも屈指の頭脳を誇ることからである。
主水も、スタイリッシュに警戒しながらも、室内に目を向ける。
室内ではウェイブとクロメ、タツミ、そしてエスデスが会話をしていた。
主水が位置する場は、部屋から離れているため、如何せん声は聞こえてこない。
しかし、主水はあるスキルを備えていた。
(フェ、ク、マ、に、行、く、ぞ、か)
読唇術である。
(ひ、る、は、タ、ツ、ミ、と、ウェ、イ、ブ、だ。しめたこの機会を逃す訳にはいかんな)
主水はタツミ救出を行動に移すことに決めた。
(フェクマはたしかフェイクマウンテンの略語だったな。先回りするか)
物音一つ立てず踵を返し、去ろうとした時だった。
「おはよう主水君!何してるのこんな所で?」
元気いっぱいの声で、いつの間にか背後に来ていたセリューに声を掛けられた。
「おはようございますセリューさん。少し落とし物をしまして…」
「大丈夫?私も手伝うよ」
「いや、もう見つかりましたから」
セリューと会話を交わしていると、スタイリッシュの姿は霧のように消えており、室内から出てきた、エスデス、タツミ、ウェイブ、クロメと鉢合わせした。
「中村とセリューではないか。私達は今からフェクマに向かう。後のことは任せたぞ」
「お任せください!」
エスデスに向け、ビシッと敬礼するセリューとコロ、それを見て満足そうに頷くと、エスデスは三人を引き連れ、颯爽と去っていった。
「じゃあ私も悪人探しに行きますか」
主水も遅れることなく行こうとする。
「あ、主水君!今日の午後暇かな?」
少しソワソワしながら聞いてくるセリュー。
「午後なら大丈夫ですが」
「ほんと!じゃあ修行に付き合ってくれる?」
「いいですよ」
「ありがとう主水君。じゃあ今からボルスさんの書類仕事の手伝いをしてくるね。またね主水君!」
セリューは満面の笑顔で、嬉しそうに去っていった。
(気付かれないギリギリの間を取って追うか)
本当なら先回りをするはずだったのだが、エスデス達が先に行ってしまったために、尾行することにし、主水は気配を消し、十分に間を取り、エスデスの後を追った。
――――――
主水は着かず離れず尾行し、フェイクマウンテンに辿り着いた。
そこで、タツミとウェイブ、エスデスとクロメに別れ、フェイクマウンテンを登って行った。
(タツミを追い、隙あらば逃がし。もしも隙が無ければ作って逃がすか)
主水は二人の後を追う。
しばらく、タツミとウェイブが雑談を交わしながら、登頂していたが、いつの間にか、木に擬態する危険種に囲まれていた。
(今がチャンスか)
主水が思惑と、タツミの思惑は一致していた。
危険種を全力で相手するウェイブの目を盗み、タツミはその場から逃げ去った。
(俺が手を貸すまでもなかったか)
タツミの成長を僅かながら喜ぶ主水。
(後はウェイブがどう動くかだな)
ウェイブに視線を移すと、タツミが居なくなったことに狼狽し始める。
(そりゃあ、ああなるはな。タツミを逃がしたと知ったらエスデスがどうなるか…)
主水がウェイブの身になって考え、身震いしていると、ウェイブの頭にもおぞましい笑みを浮かべながら、嬉々として拷問の準備を始めるエスデスが浮かんだのであろう。
顔面蒼白になり、
「タツミお前の気持ちは分かるが。俺はまだ死にたくねえんだああぁぁ!!」
魂の叫びを上げると、腰に携えた剣を抜き、地面に突き刺した。
「グランシャ――」
(すまんウェイブ…)
ウェイブに気取られず、主水は瞬時に背後を取ると、帝具アレスターで後頭部を一閃した。
「………俺は何をしているんだ?」
思考することを封印されたウェイブは頭を抱えて、悩み始めた。
(お前が犠牲になってくれたことに感謝する…)
後にウェイブに訪れるだろう災難(エスデスの制裁)に思いを馳せ、合掌した。
(本当はタツミを追いたいが、ここまでお膳立てすれば大丈夫だろう。帰るか)
主水は憐れなウェイブを置いて、その場を立ち去った。
◆◇◆◇◆◇
主水が特殊警察会議室に帰還すると、書類の山に埋もれる、ボルスとセリューの姿が。
「…大丈夫ですかボルスさんとセリューさん?」
どう見ても大丈夫ではないのは明らかである。
イェーガーズのメンバーは戦闘以外にも高い能力を有してはいるが、好き嫌いが激しいのか、書類仕事など一切しなかった。
そのイェーガーズの面々の後始末を、ある意味イェーガーズの良心、言い換えればイェーガーズの母のボルスが受け持っていたのだ。
「……大丈夫…だ…よ」
「私も…大…丈夫」
二人とも意識が朦朧としているのか、端切れが悪い。
ただでさえ、重要な役職のため書類仕事が多い。その上、イェーガーズは発足間近なのが書類仕事を増やすことに、拍車をかけていた。
「私も手伝いますね」
主水は二人を見捨てることが出来ずに、果敢に書類の山に飛び込んでいった。
その後、やって来たランが、やつれ果てた三人の惨状に気付き、手を貸してくれたことで、主水達にはランが本当に天使のように見えていた。