あの壮絶な一夜を乗り越えて主水はいつも通り帝都の警備をしていた。
この一年と違いダラダラと、そして少し落ち着かない様子で。
(おいおいどういうことなんだ?なぜあの巨乳の姉ちゃんに見張られなきゃならないんだ……)
主水が今日出仕してからずっとつけられ、そして見張られていた。付かず離れず。
そうナイトレイドの一人に。
(いつまで、何の目的でこんなこと続けるんだ?)
主水は深いため息をつき、ダラダラと警備という名の市中徘徊を続けていた。
「困っている人はっけーん!正義光を照らすために行くよーコロちゃん!主水君!」
どこからか急に現れたセリューが走っていく。
主水はさらに深いため息をつきそれに続いた。
離れた所から何やら叫び声に似た男の泣きじゃくった声が。面倒くさいことに巻き込まれそうで、本当は放っておきたかった主水であるが、セリューが既に向かってしまったため嫌々向かう。
主水がセリューに追い付くと、セリューはなにやら顔を赤くして目を反らしている。
泣きじゃくった男はパンツ一丁の半裸の姿だった。
「も、主水君お願いできるかな?」
セリューはあまり男の裸に慣れていないようである。
「いいですよ」
主水は渋々男に声をかける。
「おい、お前。こんな所でなに泣いてんだ?」
「ちっオヤジかよ。あの綺麗な姉ちゃんの―――」
「三途の川渡るか?」
主水は既に抜き身の刀を男の首に当てがっていた。
「す、すいません」
「次はねえぞ」
主水は刀を鞘に納める。どことなく残念そうな顔で。
「で、何があった」
「博打で――」
「自業自得だ。家へ帰れアホが!」
一刀両断した。
同心として働いていた時もこの手合いの訴えは門前払いしてきた。決して面倒だからではない。
「ま、待ってください。そうは言ってもイカサマなんですよ」
「見抜けねえお前が悪い。帰んな」
「ひどいよ主水君!」
いつの間にか背後に立っていたセリューが非難の声を上げる。
「そ、そうですよね。お姉さん」
「うん。安心して、私が皆殺しにしてあげるから」
セリューの発言を聞き、背筋に冷たいものが走る。今まではほとんど口出ししたことがなかった主水だが、さすがに今回は口出しをしなくてはならなかった。
「セリューさん。イカサマぐらいで死刑はさすがにないと思います」
「えっなに言ってるの主水君。悪いことしたら死ななくちゃ」
セリューは真顔で答える。
その姿にはさすがの主水も呆気に取られた。
彼女の観念では重い軽いに関わらず『悪』=『死』であった。
この時主水には、セリューの観念を正さなくては後々大変な事態を招き兼ねないという強い不安が心に芽生えていた。
「それは駄目だ。いくらなんでも重すぎだ」
主水の口調は無意識の内に強くなっていた。
「えっ!?じゃあどれくらいならいいの?」
普段見せたことのない主水の一面に気圧されたセリューが折れた。
「まあ、指の一本か二本が相場ですね」
「軽い気もするけど主水君が言うなら…」
「ちっ」
セリューは弱々しくもそれを了承をした。
それに呼応するかのように響いた舌打ちは今後の波乱を予言していた。
◇◆◇◆◇◆
「ここの賭場です」
男に案内され、主水とセリューが賭場に至る。
賭場は日本の江戸時代ならば、藩邸や大棚の別邸など役人が立ち入れない場所で開催されていた。
ご多分に漏れず、その場所も貴族の屋敷であった。
(ここは……)
主水の眉間に皺がよる。
何かしら疑問を抱いたらしいが、男もセリューも主水の変化には気づいてはいなかった。
「セリューさん少し厠にいきますので待っててくれます」
「いいよ、ここで待ってるね」
主水は満足げに頷くと、屋敷の中に入っていった。
(いよいよヤツの信憑性が怪しくなってきたな。ここで賭場を開催している組は親父がしっかりしていたから、イカサマなどしないはず)
この世で警備隊に属してから、主水は帝都にある全ての賭場に通い組の性格さえも把握していた。
(だが一応裏を取らんと。しかし、ここに来て俺が自ら裏を取らなくてはならんとはな)
主水の脳裏には裏を取ってくれていた加代の姿が浮かんでいた。
裏とは仕事に掛ける相手が本当に仕事をかけても良いのかを判断するために、証拠を集めることである。
主水も賭場でのイカサマを裏としようとしたのだが、賭場を開催する組を見て疑問を持ち先に入ったのだった。
「こりゃあ旦那今日はどんな御用で?」
「よおフリィいいところに。ちょっと聞きたいことがあるんだが」
―――――
「セリュー様、主水の旦那は置いといて中に入りませんか」
「でも、主水君に待っててって言われたし……」
かれこれ一時間ほど待っても主水が全く戻ってくる気配さえしないので、男は焦れ始めていた。
ただそれ以外にも何かしら焦りを感じているようだがセリューは全く気づいてはいない。
「悪人達が逃げてしまいます!」
「悪人が逃げる……うん、先に行こう」
悪人というある意味セリューに取っての禁句が出たため、セリューは進んで賭場の中に足を踏み入れた。
屋敷内には目を見張る程の豪華な装飾がなされていた。
敷き詰められた赤い絨毯、アンティーク品とも言える部屋を照らすランプ、壁に掛けられた絵画、どれも価値が分からない二人にも高価であり、この賭場がかなりの儲けがあるということを印象付けるのに十分だった。
「俺たちがイカサマで騙し取られた金で、ここの悪党たちはいい暮らしをしてるんです。金を騙し取られたヤツの中には娘や妻を売ったり、首をくくった者もいるって話です」
「許せない!」
セリューの表情があからさまに歪んでいく。悪に対する憎しみがフツフツとセリューの中で燃え上がっていた。
男はそれを見て、笑みを噛み殺している。
「この先です」
「分かった…」
二人は無言で際奥に位置する賭場の扉を開けた。
部屋の中には多くの客が。
客層的には裕福そうな者が多く、一般的な賭場とは違う雰囲気を醸し出している。
それだけ見れば、分かる者は、ある意味この賭場は裕福な者の社交場的な物と理解できるのだが、セリューにはその知識がないことと、怒りに燃えているため冷静に考えることができなくなっていた。
「どうなされましたお客様?」
扉の前から動かないセリューと男に疑問をもった黒服の男が話かけてくる。
「姉さんコイツらです。俺たちをイカサマで嵌めて苦しめているのは」
「悪は絶対に許さない!!コロ皆殺しよ!!」
怒りで歪んだ表情で、『死刑』の断を下す。
コロの体が膨れ上がり、巨大な今まで何百と悪人を食い殺した口を開く。
「ひっ!!」
コロの異様な姿に黒服の男が腰を抜かす。
部屋中の客や胴元も異変に気付き、大騒ぎに陥る。
だが、その喧騒さえもセリューには聞こえていないのか、静かに顔を歪めて男を睨み付けている。
男は死神に見いられたように動けない。
そして、断罪者たるコロは唾液を散らしながら、男に『死』を運ぶ―――はずだった。
食い殺そうとしたコロの顔面が大きくひしゃげ、まるでピンポン玉のように勢いよく吹き飛び、壁をぶち抜き、屋外に吹き飛んだ。
「待っていてくださいといったはずですよセリューさん」
黄金の十手を右手に携えた主水が、あまりの恐怖に意識を失って倒れている男の前に立っていた。
その表情はいつもの剽軽さも、怒りも、感情さえも伺えない無表情である。
「で、でも主水君が帰ってこなかったから」
主水の顔を見たセリューからは底知れね本能的に感じる恐怖から怒りさえも失われ、まるで、怒られた子供が親に謝罪するかのように、うつむきボソボソと呟くように話した。
「確かに私が遅れたのは申し訳ありません。しかし、独断で制裁を加えられては困ります。現行犯ならまだしも、この者たちは犯罪など犯していないのですから」
「えっ!!でも……」
セリューは主水の言葉に混乱しながらも反論するかのように、華美に装飾された部屋内を見る。
これが悪事の証拠だと言わんばかりに。
「この賭場は花会、つまり臨時のものです。貴族や裕福な者に娯楽を提供するために、貴族の屋敷を使ったのです」
「そ、そうだったの…」
セリューの声が消え入りそうに弱々しくになる。
「ええ。そのためこの賭場では身ぐるみを剥ぐほどのことはありませんし、調べた所イカサマの類いは発見できませんでした」
主水は懐から何かが詰まった袋を取り出すと、中身をぶちまける。
床に転がる裁断された賽子の残骸。
「用意されていたもの全てを調べましたがこの通り細工はありません。そして」
主水は先程まで使われていた賽子を手に取り、宙に投げる。
刹那抜き放たれた主水の刃が煌めく。
あまりにも早い、刹那の閃き。
落ち真っ二つになった賽子もイカサマなどなかった。
「つまり貴女は無実な者を手にかけようとしたのですよ」
主水は抑揚のない声で、突き放すようにセリューに宣言した。
セリューは青ざめ、床に頭をつけて涙を流した。
正義を重んずる自分が罪を犯しかけたという重たい真実にうちひしがれて。
◇◆◇◆◇◆
「クソッ、あの女に全員ぶち殺させるつもりだったのに」
暗闇を走る男。
セリューに主水が真実を話していた時に隙をついて逃げ出していた。
「汚ねぇ野郎だな」
「!!」
男の進行方向の暗闇から響く声。
「なんでテメエがここに!!」
「少し用事があってな」
「用事だと?」
暗い闇の中にいる主水に問いかける。
刹那
「お前の命を頂くという用事がな!」
「ガハッ!」
主水のゾクリとするほどの底冷えのする声が耳元で聞こえたその刹那、男の胸から月光を浴び煌めき、鮮血を巻き上げる刃が。
「う…嘘を…ついただけで…この仕打ちかよ……軽い罪は………許すんじゃなかったのかよ」
途切れ途切れに男は呟く。
「それだけじゃねえだろ。謝罪は閻魔様ん所でするんだな」
主水が刃を更につき入れると、男は痙攣したかのようにピクピクした後に絶命した。
―――――
それは屋敷の中で顔見知りのフリィという男に出会った後の話。
「あいつを見ろフリィ。おめえはヤツを知らないか。俺たちをけしかけようとしやがってるんだがよ」
「あ、あいつは……」
フリィは顔を怒りに歪め、ポツリポツリ話ずらそうに語り出した。
「あいつは家の組で御法度とされていた、アヘンを捌いてたんで、親父の怒りをかって制裁を加えられた後に簀巻きにされて放り出されたんですよ」
「アヘンか…」
「へい…旦那ついてきてくだせえ」
フリィに招かれ近くの建物に入る。
「こ、こりゃあ…」
主水の目の前にいつか主水が遊廓で目の当たりにした、地獄の様相が広がっていた。
のたうち回る多くの女。涎を滴ながらアヘン、アヘンと呟く者、何も存在しない所に話かける者、苦しみにもがき苦しむ者、すでに息を引き取った者。あまりにも凄惨で、主水さえも目を背けたくなる状況だった。
「家の組に属していたヤツがしでかしたことなんで、家で面倒を見ようということになりまして…」
「…」
主水も返す言葉がなく無言でいると、袖が下から引っ張られる。
主水が視線を下に向けると、足下に女が。
「どうしたんだ?」
主水は腰を下ろし、女の目線に合わせる。
「こ、これで」
女は小さな袋を震える手で主水に渡す。
「これは?」
主水は一目見ただけで中に何が入っているのか、そしてこの女が何を望んでいるのか既に察していた。
「どなたが存じませんが、どうかこれで……私たちの怨みを。……帝都の何処かで金で怨みを張らしてくれる人がいると…聞いたことが…あります…どうか、どうか……」
今まで何度も見てきた光景がそこにあった。
(どこであろうと俺は殺ることになるんだな)
主水は覚悟を決めたように女に問いかける。いつも言っていたあの台詞を。
「どこの、どいつを殺ってくれとおっしゃるんで?」
女は主水の問いに喜び話すと、痛みと苦しみの中ながら、僅かに微笑んで息を引き取った。
主水は女の瞳を瞑らせると、覚悟を決めたように立ち上がる。
この世に仕事人中村主水が生まれた瞬間だった。
かなり構成に甘さがあるオリジナルの話ですがお許しください。
次に大きく繋がってくるので。