主水(もんど)が突く!   作:寅好き

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第49話

 雨が降りしきるロマリーの街の片隅に、雨を凌ぐために目深に外套を被った一人の男が、何かを待つように、静かに佇んでいた。

 何をするでもなく、微動だにしないので、すでに街の一つの景色と化している。

 激しい雨のため、街中は閑散としており、雨音以外の音が存在しない中、一つの足音が男の元に近づいてくる。

 足音の主たる一つの影は、番傘をさした主水であった。

「待っていたぜ」

外套を目深に被った男は主水を見て、不適な笑みを浮かべる。

「仕事は終わったの?」

主水は窶れた表情で問い掛ける。普段以上に疲れはてたという印象だ。

「ああ、なんとかな。助かったぜ」

男が答えを返すと、主水は右手で指の間の一本一本にメイク道具を挟み、振ると、主水は白い煙に包まれ、掠れ、みるみるうちに姿がチェルシーのものとなる。

「本当に大変だったんだよ。エスデスは鋭い眼差しで見てくるわ、拷問させろって言ってくるわで、気を抜けなかったのよ。今までの仕事の中で一番大変だったよ」

「その表情を見りゃあ分かるな。悪かった」

外套を被った主水は労を労うように笑みを浮かべた。

「もう、ストレス溜まりっぱなしだよ。解消のためにやけ食いして太ったら責任とってもらうからね」

「ああ、一緒に運動すりゃあいいか?」

主水の答えに、一度ポカンとした表情をチェルシーが浮かべた後、半目になって意味深な笑みを浮かべ、顔を近づけてきた。

「主水、それセクハラだよ~」

チェルシーの指摘に、今度は主水が少し思案する。

主水としては、タツミと修行していたことを頭に浮かべて、そのようなことを言ったのだが、チェルシーは主水をからかうために、別の際どい解釈をし、主水がそれに、どのように対応するかを楽しんでいた。

(タツミならあたふたしながらおもしれぇ反応するだろうが、俺には通じねぇぞ)

チェルシーの思惑に気づいた主水は口の端を吊り上げると、ずずいと詰め寄り、壁まで追いやると、壁に手を当て、逃げ場を無くす。

つまり壁ドン状態で、耳元で囁く。

「チェルシーはそっちを考えたのか、そっちに考えがいくってえなら、おめぇも溜まってるんだな。今夜でも付き合ってやるか?俺はお前なら大歓迎だぜ」

「えっ!!」

チェルシーの顔が茹で蛸のように真っ赤に染まる。耳までも朱に染まっている。

「わ、私はそんな意味で言ったんじゃ…」

あたふたと視線を右往左往させ、挙動不審な動きを見せる。

「ふっ」

「へ?」

「最高の反応だ。気が和らいだぜ」

主水は腹を抱えて笑いだした。

「主水に一本取られちゃったな」

チェルシーも、笑いながら言うが、目は全く笑ってはいない。負けず嫌いな性格が表れていた。

しかし、次の瞬間チェルシーは何かに気づいたような動きを見せると、真からの歪んだ笑みを浮かべる。

主水は主水で、何か冷たいものを背筋に感じて周囲を見回す。

「蒔いた種は育ちきったみたいね。楽しみ、楽しみ」

チェルシーがウキウキしながら、視線を向けた先から、雨音以外の足音と、

「も~ん~ど~く~ん」

と間延びした声で主水を呼ぶ声が。

「ありゃあセリューじゃねえか。どうしたんだ。何かしたんじゃねえだろうなチェルシー?」

嫌な予感がした主水はチェルシーに視線を向けるが、既にその場にチェルシーの姿はなかった。

首を傾げる主水の肩がポンポンと叩かれる。

何か嫌な予感をビンビン感じ、頭の中に警鐘が鳴り響く。

主水の危険察知能力が働いていた。

恐る恐る主水が振り返ると、声とは違い、顔に影が射し、無表情でずぶ濡れのセリューが肩に手を置いていた。

その瞳は、底無し穴に広がるような、漆黒の闇を湛えていた。

「お·は·な·し·きかせてほしいな」

「?」

全く抑揚のない声が、不気味さを醸し出している。

だが何がなんだか全く分からない主水。

(チェルシーの野郎俺に化けているとき、セリューになんかやらかしやがったのか)

「え~と、なんの話でしょうかセリューさん」

考えても無駄なので、刺激しないように、出来るだけ丁寧に、探り探り尋ねる。

「お店に行ったことだよ」

(店?)

主水の頭の中に浮かぶ店は、最近であれば甘味処しか思いあたる所がなかった。

(怒ってるてぇことは、甘味処に連れていかなかったことを、俺の姿でチェルシーがばらして、怒らせたのか)

検討違い甚だしいことを考えていた。

しかし、主水が導き出せるのはこれが限界であった。

まさか女郎とハッスルしたなんて言っているとは、夢にも思うはずがない。

「すいません。ついついうまそうで、我慢できずに食べてしまったんです」

「じゃ、じゃあ、あの話は本当だったの!!」

「はい、おそらく」

「!!」

セリューの無表情だった表情が瞬時に驚愕と絶望と悲しみと憤怒の交ざった複雑なものに変わる。

瞼一杯に涙をため、顔は真っ赤に染まり、体はプルプルと震え、虹色のガントレットからはスパークが飛び、雨粒を蒸発させていく。

(なんだこのエスデスをも超える殺気は、しくったか)

主水はその恐ろしさに気圧されていた。修羅場を果てしなく潜ってきたあの主水がだ。

一歩主水が後ずさると、俯いたセリューが一歩進む。

「主水君のーー」

セリューは腕を大きく振りかぶる。ガントレットからはセリューの心境を表すように、多数のスパークが弾け、辺りに音がこだまする。

「バカーーーーー!!!」

主水(パパ)に裏切られたように感じたことからの絶望、自分の知らない所で行われた不潔な行いへの怒り、どこぞの馬の骨か分からない女に主水(パパ)を取られたことに対する嫉妬、あらゆる負の感情がない交ぜになり、爆発した力が込められた拳が主水に迫る。

(ヤバイ!死ぬ!!)

主水は脊髄反射の域で、とっさにアレスターを抜き、守りを固める。幾多の修羅場に遭遇してきた経験がものを言った。

セリューの拳がアレスターに迫る。

存在する金属の中で最高の硬度を誇る、神から人類が下行されたオリハルコンで作られたアレスターが軋むようにすら感じられる程の破壊力。

(マジか!!)

殺し切れない勢い。

辺りには爆音に近い音と、突風のような衝撃波が走り、辺りのガラスが砕ける。

だが、まだそれは序の口であった。

セリューが拳の手の内をしめ、そしてアレスターに交錯した。

主水の教えがここで出たのだ。

桁違いの爆発的な威力が主水を襲う。

耐えきれず、主水は吹き飛び、お星さまになった…

「もう、主水君なんか知らない」

雨雲の向こうに消えた主水を見据えるように呟くと、セリューは悲しそうな表情を浮かべた。

そのずぶ濡れの背中には、哀愁が感じられ、寄り添うコロも主人と同じように、静かに佇んでいた。

―――――

 主水が再び吹き飛ばされた先から、ロマリーの街に戻ってきたのは、二刻あまり経った後のことであった。

 体はボロボロ、服は泥だらけでヨレヨレになっていた。

 杖をつきながら歩く姿には、悲壮感が漂っている。

(や、やっと辿り着いた)

主水は生還し再びこのロマリーの街に戻ってこれた嬉しさを噛み締めながら、滞在中の宿屋に向かう。

もう既に外套は雨を凌ぐことさえ出来くなっているので、泥だらけの上、ずぶ濡れになっていた。

「大変な目にあったようですね主水さん」

宿屋の前で待っていてくれたのだろうか、ランが主水に歩みより、傘を差し出してくれる。

主水にはそのような心遣いが嬉しく、頭を下げた。

「ありがとな。しっかし大変な目にあったぜ」

しみじみと語る主水に、ランは苦笑いを浮かべると、

「私も男ですから、主水さんの気持ちも分かります。そして、率直に話すことにも好感が持てます。しかし、慕われている女性にあのような答えをするのはどうかと思いますよ」

たしなめるようにランは話てくる。

(チェルシーは一体俺の姿で何を言いやがったんだ)

ますます気になるチェルシーの発言。

ランの発言からすると、男ならではのようだが、

いくら考えても分からない。

(しょうがねえ)

主水はどうしても知りたくなり、賭けに出た。

「すいませんが、さっきセリューに殴られて、何を言ったか記憶が無くなってしまいまして。後学の為になんて言ったのか教えてくれませんか」

記憶喪失を装い尋ねる。

「大丈夫なんですか?」

ランは心配そうに尋ねてくる。

「はい、大丈夫です。発言した辺りの記憶がなくなっただけですから」

「そうですか。ではお話します。主水さん、あなたは『昨夜色町で、女郎と朝まで張り切ってしまいまして』と言ったんです」

主水は絶句した。

(チェルシーの野郎なんてこと言いやがったんだ。いくら俺でもそんな軽卒な発言するわけねえだろ)

心の中で絶叫した。

(ってえことは…)

主水は先程のセリューとの会話を思い出すと、血の気が引いた。

(俺は甘いものについて聞かれたと思い、「ついついうまそうで、我慢出来ずに食べてしまったんです」と答えた。だが、セリューからすると、「ついつい、女郎がうまそうで、我慢出来ずに食べて(やって)しまったんです」と解釈しちまったのか)

主水の脳裏に、悪魔の笑みを浮かべたチェルシーが、ニシシと笑う姿が想像された。

(俺の負けか…だがこのまま済ませる訳にはいかねぇな)

主水はもうセリューに顔を会わせられないなと考え、一方では、貸しどころでは賄えないぞチェルシーと心を復讐に燃え上がらせていた。

 


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