清々しい朝を迎えるように鳥の囀ずりが、淀みない新鮮な空気が、新しい日の到来を告げる。
誰もが心地好いと感じるような朝であるのに、主水にはそうではなかった。
目の下には深いくまができ、見るからにゲッソリとし、くたびれ果てた様相である。
「体中がまだ悲鳴を上げてやがる。エスデスの野郎嬉々として拷問しやがって。これじゃあ体がもちゃあしねぇ」
昨夜の苛烈な拷問を思い出す。
主水がエスデスの部屋を訪れた時には、これ何に使うの?というような奉行所の尋問部屋でも見たことがない器具が、選り取りみどりに、ところ狭しと広い室内に、置かれていた。
そして、その器具の使い心地を確かめるように、陶酔とした表情のエスデスが、罰という名の拷問を明け方まで続けたのだ。
「野郎、いつか仕事にかけてやる」
体の具合を確かめるように、動かしながら嘯く。
今回に限っては、普段のようなエスデスの趣味趣向による理不尽な拷問ではなく、ある意味自業自得なものであるのだが。
持参してきた着流しを着用していると、扉をノックする音と共に、
「おはようございます。開けてよろしいでしょうか?」
声がかけられる。
「ん、誰だ?」
主水は、丁寧な挨拶の為、警戒心を僅かに緩めながら、扉を開けた。
開かれた扉の前には、メイド服を来た少女が、深々と頭を下げている姿が。
「イェーガーズ様のお世話を申し付けられました、シズクと申します」
緊張しているのか、震える声で、依然として頭を下げたまま挨拶をする少女。
「そうか、まずは顔を上げてくれねぇか?」
「はい」
か細く消え入りそうな声で、返事をする少女は、ゆっくりと顔を上げる。
「あっ…」
「おめぇは…」
顔を見合わせるように動きを止める二人。
共に見知った相手だったのだ。
「あっ、その節はソウタの面倒を見て下さりありがとうございました」
再び深々と下げられる頭。
昨日弟を迎えに来たあの少女だった。
「あの坊の姉ちゃんだったか」
「はい」
(やはり教団内で働いていたか)
「緊張してるみてえだが、気抜いていいぞ」
昨日の弟を迎えに来た時の姿とは全く違うので、頭を掻きながら参ったなといった感じで主水は話す。
「いえ、イェーガーズ様に無礼な真似は出来ませんので…」
はぁと深くため息を吐くと、
「気をつかわれちまうとつかれちまうから、俺のために気を抜いてくれ」
頭に手を置き、優しく話かけた。
どう接すればいいか、分からなかったため手探りをしながらといった感じだ。
ただ、頭に手を置かれた瞬間、ビクリとし、暫く身を縮こませるように、硬直してしまったため、逆効果であった。
「シズクは俺のお世話係になったのか」
「はい。イェーガーズ様が快く滞在出来るように、お手伝いするようにと」
「そうか」
(自由に探る時間が制限されるかもしれねぇな)
少し思案するそぶりをすると、少女の表情が固くなる。
「お気を害しましたか」
「いやいや、大丈夫だ」
消え入りそうな声で目を潤ませる少女にタジタジの主水。
やりにくさを感じながらも、何とかしないとなと考え、部屋の中に招き、共通の話題から繋ごうと試みる。
「シズクはここで働いているみてえだが、親と一緒に働いているのか?」
「…両親は亡くなりまして、教主様のお陰でここで働かせていただいています」
気丈を装いながら、儚げな笑顔を無理して作るシズク。
「悪かった」
「いえ…」
気まずい沈黙が流れる。
「そ、そうだ。腹が減っちまったから飯を貰えると嬉しいんだが」
「分かりました。少々失礼します。用意してきます」
丁寧に45度の挨拶をし、部屋を後にした。
少女が出ていくのを見届けると、無意識に息を吐いた。
すると、
「タジタジだったね。あ~面白かった」
初めて見る、こちらもメイド服を纏った女性が、笑いながら部屋に気さくに入ってくる。見知った仕草で。
「…………。チェルシーか」
「当ったりー」
白い煙が沸き、晴れるとイタヅラな笑みを浮かべたチェルシーが姿を現した。
「おめぇのせいでひどい目にあったぞ。とんでもねぇこと言いやがって」
「そうかな。主水を演じたら自然に出た言葉なんだけどな~」
からかうように話すチェルシー。
「はぁ、まあ今はいい。でおめぇは偵察か?」
「そうだよ。先に入っていた偵察隊の話によると、どうもボリックの部屋には墓場に通じる抜け道があるみたいで、悪行を確認しながら、そこら辺も探るように言われてね」
(あの部屋か)
ボリックの私室は到着した当日に訪れた部屋なので、思い出しながら考えるが。いまいち記憶が曖昧で何も気づくことはなかった。
「チェルシーなら心配ねぇとは思うが、気をつけろよ」
「大丈夫だよ。危ない羅刹四鬼は外に出てるし、私が世話するように言われたのはウェイブってイェーガーズで、結構鈍そうだし、女に馴れてないみたいで、からかうと面白い反応するんだよ。まるでタツミみたいに」
(ウェイブじゃあチェルシーには勝てんな。遊ばれるだけだ…)
「分かったが、油断はするなよ」
「分かってるって、私の仕事は完璧だから」
チェルシーは再び入ってきた姿に戻ると、「じゃあね」と帰って行った。
入れ替わりに湯気が沸き立つ食事を持ったシズクが現れる。
「おっいい匂いだな」
匂いによって食欲を掻き立てられた主水は感想を漏らす。
「口にあうと良いのですが」
自信なさげに出された食事を見て、主水は感動した。
焼き魚に、だし巻き卵のような物、そして汁物といたって普通の物。
しかし、主水にとっては感涙ものであった。
江戸では、決まってメザシや海苔ばかり、そしてナイトレイドでは飽きるほどの肉ずくし、日本人としての本能を呼び起こされたのだ。
「いただきます」
手を合わせて、マイ箸を懐から出すと、相当な勢いで食べ始めた。
因みに、主水の箸は、スサノオ作の匠の品であり、漆塗りで精巧な彫りが施されたものである。
「こんなうめぇ朝食初めてだぜ。ありがとよシズク」
食べ終わった主水は笑顔でシズクに礼を言う。至福の時だったと言わんばかりに。
「あ、ありがとうございます」
シズクは満面の笑顔で答えた。
「初めて笑顔見せてくれたな」
「あっ」
言われて初めて気づいたといった感じのシズク。
「私がイェーガーズの皆さまのお世話となった時に、仕事仲間が、イェーガーズの皆さまは恐ろしい人ばかりだと言われて。少し機嫌を損ねると命はないと言われて…それだけでなく、私のお世話する方は…」
「俺は?」
「女色を好むお方ですぐに寝床に引き込まれると、シェルチさんが…」
(シェルチ……チェルシーか。またしても)
風評被害がチェルシーにより酷くなっていくのをヒシヒシと感じた主水であった。
「でも、穏やかで優しい人のようで。安心しました」
「そうかそれは良かった」
主水も笑顔で返すと、徐に立ち上がり、太刀と脇差しを帯の左に挿し、アレスターを右に挿し、中村家の紋が刺繍された羽織を羽織る。
「お仕事に行かれるのですか」
「まあな。シズクはどうするんだ?」
「私はこれからは主水様の世話だけをするように言われたので、洗濯やお掃除をさせていただきます」
少し主水は考えると、
「俺の仕事手伝ってくれねえか」
と提案し、
「私に出来ることでしたら…」
と言うシズクを伴い、仕事に向かった。
主水とシズクが広場に訪れると、既に子供たちとセリューがところ狭しと遊んでいた。
「あっ主水君おはよう」
「おはようございますセリューさん」
主水に気づき駆け寄ってくるセリュー。
「あれその娘は?」
「この娘は私のお世話を命じられたシズクです」
「よろしくお願いします」
緊張の面持ちで挨拶をしるシズク。やはりまだ主水以外のイェーガーズに恐れを抱いているらしい。
「こちらこそ」
二人が挨拶をするのを見終ていると、
「おじさんおはようございます。約束守ってくれてありがと。遊ぼう」
子供達が主水に群がる。
「よし、何するかなぁ」
「えっ!!」
セリューとシズクの声がはもる。
「主水君(様)巡回の仕事はいいの(ですか)」
「これも大事な仕事ですよ。それにナイトレイドについては何とか四鬼が探しているので大丈夫でしょう。足手まといになりたくないので」
あっけらかんとして話す主水。全く懲りたというか、反省した様子は見られない。
「主水さーーん。どこにいるんですかー。俺達の見廻りの番ですよー」
ウェイブが焦った声で走りながら主水を呼んでいる。いつになっても現れない主水を探しに来たのだ。
「おめえら、今日もかくれんぼだ。セリュー鬼頼んだ」
主水は早口で告げると、ウェイブから逃げるように立ち去った。
丸一日子供と遊び、時が過ぎた。
既に日は暮れ始めセリューは巡回に、子供達も家路についた。
「シズクも今日はありがとな。今日はあがってくれて構わねぇぞ」
「ありがとうございました。でも晩御飯はいいんですか?」
「ああ、どうにでもなるからな。ちょうどいい。街に買いに行きがてら、もう暗いから送っていくぜ」
「えっそんな悪――」
「やったー!」
遠慮しようとしたシズクを遮るようにソウタは喜び、連れだって街に出る。
既に夕飯時は過ぎ、人は居なくなり、外灯に日が灯るなか、街のメインストリートに差し掛かる。
「家はこの先です」
「あれ何?」
ソウタが何かを見つけたのか走り出した。
突然足を止めたソウタに追いつくと、三人に衝撃が走る。
そこで見たのは、地に倒れたラバックとそれを見下ろすように立つ羅刹四鬼のシュテンとメズであった。
(ラバックは死んでるのか……いやコイツらは気づいてはいねえが微かだが息はある。死んだふりといったところか)
主水は情況をいち早く悟り、冷静さを取り戻したが、姉弟は青ざめた表情で立ち尽くしている。
初めて死んだ、それも殺された人を目の前で見たのだ、ショックを受けて当然である。
「これはこれはイェーガーズの。このナイトレイドはワシが救いを与えましたぞ」
「それはそれは御苦労様です…」
シュテンに頭を下げる主水。それを見て満足気なシュテン。
「たいしたことなかったけどね」
腕を頭に組ながらメズも話す。
「では我々はこれで」
二人を連れ、その場を立ち去ろうとしたその刹那。
「待たれよ。ことの顛末を見てしまった小さき二人の迷い子にも救い与えねば」
シュテンが三人の前に立ち塞がった。
裏の仕事を見たものは、何者でも生かしておけないということだろう。
「この姉弟は安寧道の信者です。ここで見たことも決して口外することはありません。どうかお見逃しを」
主水は懇願するように、丁寧に説得を試みた。
しかし、
「ワシらには知ったことではない。ワシらの主はオネスト大臣であり、ボリックではないのだからな」
決して認める気は更々ないようであった。
もしも、邪魔するならば、お前にも救いをとでも言うかのように、恫喝気味に言い捨てた。
(どうするんだ主水の旦那)
死んだふりをしているラバックも気が気でない。
ある意味自分がこの一件の発端であるからだ。
(しかたねえな)
主水の表情が消えた。
直後、主水の姿も闇に溶けるように消える。
「この二人に手を出してみろ。おめえにも俺が救いを与える」
シュテンの背後を取った主水が突き刺すような殺気を叩き付け、シュテンのみに聞こえるように囁いた。
今まで味わったことがないほどの殺気と威圧感に言葉を失う。
幾多の修羅場を、鍛練を乗り越えてきたが、それすらも霞むほどの、恐怖をまざまざと見せつけられ、シュテンは立ち尽くしていた。
「さあ、行こう」
動きを止めたシュテンを無視し、二人を連れ、主水は去っていく。
小さくなっていく背中を黙って見送るしかシュテンには出来なかった。
「どうしたのシュテン。何で見逃したの」
「…ワシは人間には救いを与えられるが…本当の鬼には救いは与えられん」
青ざめた表情でシュテンはポツリと呟いた。
(さすがだぜ主水の旦那。だが、俺はいつまで死んだふりしてりゃあいいんだ)
ラバックは心の中で嘆いていた。
ラバックの見せ場がなくなってしまいました。