のどかな昼下がりだが、その日は、鉛色の雲が広がり、人の気分も重くなる日、それとは対照的に辺りを後光で照らすかのような、黄金の輝きを纏いし十手を携え、主水はアジトに来ていた。
ナジェンダの急で悪いが来てほしいという繋ぎをラバックからもらったからだ。
「入っていいか?」
「ああ、入ってくれ」
慣れない手つきで扉をぎこちなく開く。
江戸では見慣れていない扉には、未だに主水は慣れてはいなかった。
ナジェンダの執務室に扉を開けて入ると、ナジェンダは机に向かって、なにやら厚い書物のような物に視線を落としていた。
「急に呼び出してすまんな。そこに掛けてくれ」
ナジェンダに促されるまま、主水は椅子に腰かける。
「仕事は大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。また上司の目を盗んで抜けてきた。日常茶飯事のことだしな」
さも当然そうにあっけらかんと話す主水。日頃の仕事具合が垣間見れる。
「そ、そうか」
ナジェンダも苦笑いを浮かべるしかなかった。
「で、急な用とはなんなんだ」
主水の表情が真剣になる。
新たな仕事が入ったのではないかと思っていたためだ。
「今日来てもらったのは、主水のその十手についてわかったからだ」
ナジェンダは帯に挿した黄金の十手を指差して答えた。
ナジェンダは以前主水に会った時から、見慣れないその捕縛具に何か惹き付けられるものを感じていたのだ。
「これか。多分俺が、この世界に来ることになった切っ掛けになるものぐらいしか分からないが…」主水は帯から十手を抜き、右手に携える。
あれから何度か主水もその十手について調べたのだが、何も分からなかった。
考えてみると、死に行く主水をこの世界に、迎えに来たということだけは、感覚的に悟っていたが。
「ああ、私も気になってな、革命軍本部にある帝具図鑑を送ってもらい調べてみた」
先ほど目を通していた、分厚い書物を主水に見せる。
そして、口許を上げ
「漸くその正体が分かった」
ほくそ笑み、話した。いたずらっ子のいたずらが成功したような嬉しそうな表情だ。
「これは帝具だったのか」
主水はセリューから帝具についての説明を受けていたので、帝具の存在は知っていたが、自分が帝具を知らず知らずのうちに所持していたことに驚いていた。
「では、その帝具について説明する。名称は〈一網打尽〉アレスターだ」
「〈一網打尽〉アレスターか…」
主水は十手を見ながら呟くと、それに呼応するかの如く、十手の光が増す。
天気が悪く、暗い室内が照らしだされる。
「ああ、材質が人間が神から賜りし金属オリハルコンでできている。世界で一番固いと言われる材質だ」
「そういやあ確かに固かったな」
この世界に来た瞬間、この十手を噛み味わった、あの感触を思い出し、あの頃の自分を嘲笑うかのように、冷ややかな笑みを浮かべた。
ナジェンダは、主水の表情の変化を不思議に思ったが、先に進める。
「次にその帝具の特殊能力だが、私はなかなか使えるとは思うんだが、お前はあまり好まないのではないかと思う」
少し複雑な表情を浮かべ主水を見る。
「教えてくれ」
「ああ、一つ目の能力は、その十手では相手を殺すことはできないと言うことだ。いくら打撃を加えてもな」
まさに不殺の捕縛具たる能力だった。
しかしながら、主水の心が沈むことはなかった。
今でこそ、主水は人を躊躇なく殺すことができるが、元々は人を殺すのを恐れていたからだ。昔の自分を十手が見透かすかの能力であった。
「二つ目の能力だが」
「二つ目もあるのか?」
殆どの帝具が実質一つの能力と、奥の手ということをセリューに説明されていたため、二つの能力があるということに、驚きを覚えたのだ。
「いや、それだけだったらとんだ木偶の坊だろ…」
「棒だけに木偶の坊か上手いこという」
二人の発言に反発するように十手の光が増す。まるで言葉を理解しているように。
「で二つ目だが。私はこの能力は優れていると思う。その十手で打たれた箇所の動きを封じるという効果だ。例えば腕を打てば、その腕の自由を奪い、首を打てば言葉を発することができなく、頭を打てば思考ができなく、という具合だ」
主水はナジェンダの説明を聞きながら、微かな喜びを覚えていた。
この帝具を使えば、金を貰わなくても、戦闘に参戦できるのだから。
日は浅くとも、仲間と交流をもったことが、主水にも少なからず影響を与えていた。
「一つ聞きたいのだが、封じられる時間はどれくらいになるんだ?」
「細かいことは言えないが、うち据えた威力で決まると書かれている。また十手使用者は任意でその封印を解くことができるらしい」
ナジェンダの話を聞いて主水は
(誰かに試してみるか)
と良からぬ考えを巡らしていた。
一番始めに頭に浮かんだのは、なぜかラバックだったことは言うまい。
「もう一つ、奥の手はどうだ?」
帝具のもつ切り札。
帝具同士の戦いだと、必ず最も重要になる点だ。
「すまないが、奥の手については分からなくてな」
ナジェンダは申し訳なさげに話す。
主水は主水で気にする素振りもなく、自分で開発すればいいと、どこか嬉しそうであった。
「だが不思議な帝具だ。自ら使い手を呼びにいくだけでも規格外なのに。帝具使いと帝具使いがぶつかり合えば、どちらかは必ず死ぬという前提すら無視することになるぞ。主水の相手は死なないのだからな」
ナジェンダがシンミリとしながらポツリと溢す。
「構わんよ。殺る時は、こちらを使うからな」
主水は笑いながら腰の愛用の二本挿しに視線を送る。
「まあそうだな。お前なら、その刀だけでも帝具持ちでも完封しそうだしな」
ナジェンダは盛大に笑った。
実際に先の初仕事を目の当たりにして、絶対の信頼感を主水に持っていたためだ。
「主水、その十手についてだが、人目につかないようにしてくれないか」
主水はナジェンダが言いたいことを即座に理解した。
帝具はそれだけで、絶大な力を秘めている。そして、革命軍だけでなく、帝国も同様に集めており、抜き身の帝具をぶら下げて、帝国内を歩くのは危険だということを言いたいのだと。
「ああ分かった。何か被せる物を検討してみるかな」
主水はナジェンダの要望に頷き、執務室を後にした。
(鞘みたいなのを作るか、もしくは袋にするか)
主水は一応多少の案は浮かんでいた。
主水は十手はいつも抜き身であったが、中には袋に入れて持ち運ぶ同心も多く、その姿をよく見ていたからだ。
主水が思案しながら廊下を歩いている時だった。
「おーい、主水ー!」
掛けられた声の方を見ると、上半身裸のブラートが。
「主水一緒に汗を流さないか」
ウィンクを飛ばし、頬を赤らめながら誘ってくるブラートに、貞操の危機を覚える。
しかし、多分ナイトレイドの中でも屈指の戦闘力を持つであろうブラートとは、一度手合わせをしてみたいと、予々思っていたのも事実であるので、細心の注意を払いながら受けることにした。
広さ約40米四方程の、土の練習場で各々の得物を構えて向かい合う。
物音一つしない場に、ピリピリとした緊張感が漂う。
改めて対面してみることで、主水もブラートも、どちらも数多くの修羅場を潜り抜け、相当な実力を有していることを、再認識した。
(これほどのやつとやるのは久しぶりだな)
(槍の方がリーチは長い、どうする主水)
共に間合いを取り、動かない。
鉛色の空から、一滴の雨が地面に落ち、弾ける。
その瞬間、主水は木刀を下段に構えたまま摺り足で走り出す。
(懐には入らせん)
槍は間合いを詰められた時点で不利になる、主水の意図を読み取ったブラートは、壮絶な突きと横凪ぎを交えて繰り出す。
共に一撃必殺の威力を持ち、轟音をまといながら、放たれる。
主水は突きは必要最小限の動きで避け、横凪ぎは、下段から上にかちあげ、軌道を反らす。
一進一退の攻防が続く。
主水はブラートの槍をかすらせもせず、いなし続け、ブラートは主水に攻撃させる暇さえ与えない。
体は若いが、経験が豊富な主水は、拮抗しているにも関わらず、冷静に成り行きを見守り好機を伺う。
ブラートも経験は豊富であったが、完璧な防御力を誇る帝具の特性を生かした戦い方が身に付いている為か、攻撃が大振りになる。
主水は、そのブラートの攻撃の変化を見逃さなかった。
一直線に放たれる突きを木刀で巻き上げ、天に反らし、大きな隙を作る、そして、ブラートの視界の中の主水がぶれたと思ったその時、既に喉元に木刀の鋒が突き付けられていた。
「さすがだな主水。俺の負けだ」
爽やかな晴れ晴れとした笑顔で語るブラート。
悔しさは微塵もないようで、男らしさを感じさせる。正に兄貴である。
「いやブラートの槍さばきも凄かったぞ。全てかわしていたはずなのに、見てみろ」
主水は帯を解き着流しをはだける。体には無数に青アザができている。
「これだからな……!!」
主水に戦慄が走る。
顔を真っ赤に染め、ウットリと主水の体を見つめるブラート。
さすがにブラートにしてはならない、軽卒な行動をとった自分を怨んだ。
「主水、お互いいい汗をかいた、温泉で男同士、裸の付き合い……主水どこに行った」
主水は既にブラートの前から姿を消していた。
危険察知能力の高さが、幸いした主水であった。
主水がいなくなったことを認知したブラートは呟くように
「淡白だなぁ……」
と寂しそうに呟いたという。