なぜやるべきことがある時に限って筆が進むのだろう。
「そうですか。シュラが自分の身と引き換えにナイトレイドの二人を捕らえたのですか……うぐ、うぐ」
「はい…」
執務室の机でうつむいて報告を聞く大臣のオネスト。
まるで悲しみ涙を流すように机に突っ伏し体を震わすオネストに、感情移入したのか、報告をしている兵士も沈痛な面持ちで背筋を正し返答を待っている。
「!!」
たが、そんな思いを嘲笑うかのように顔を上げたオネストを見て兵士は青ざめ、目を疑った。
自分の息子が捕らえられたというのに顔を上げたオネストは、泣いているのではなく、薄ら笑いを浮かべ肉の塊を貪り食っていたのである。
つまり、先程まで集中して机の上の肉にかじりついていたのだ。
「旨い肉ですねー。この肉の方がよっぽど役にたつ。私の糧になるのだから」
「……」
兵士はなにも言えなかった。
確かにオネストはよく言えば狡猾、悪く言えば狂っているということは知っていた。
しかしながら、息子が捕まったことに思いを馳せない所か、息子と肉を比較し始めたのだ。
呆れを通り越して恐怖すら感じていた。
「報告ありがとう。帰っていいですよ」
「は…………はい……」
兵士はオネストの声で我にかえり、執務室を後にした。
「息子が捕まったのにタンパクよのぉ」
ニタニタと笑いながら出てきたドロテア。
まるでこういう反応をするのだろうと分かっていたように。
「当然でしょう。子供などいくらでも増やせます。次は母体を厳選しなくては。どうですドロテア殿私の優秀な子供を生んでみませんか。満足させてあげますぞ」
「ふぇ!?」
やはりシュラのオヤジである。この子ありて、この親あり。子は親の鏡とはよく言ったものだ。
あまりにも予想外の問いかけに優秀なドロテアの頭脳さえも一時フリーズする。
「本気か?」
「ええ、いたって私は真面目ですよ」
ドン引きのドロテア。
見た目幼女にメタボッたオヤジが、真剣な顔で子作りを要求したのだ。
これは東方に伝わる物語りの少女を自分好みにしたて(調教し)た美男子もビックリな光景であろう。
「大臣よ、それを妾の国ではロリコ……」
「失礼します」
ドロテアが、ジト目でオネストに苦言を述べようとした際に、水をさすように左京亮が執務室に入ってきた。
本来の不敵な笑みを浮かべた姿ではなく、仮面を被った紳士的な態度で。
「どうしました。左京亮」
「今日の人質の扱いについてお聞きしておきたく」
オネストはほぅとアゴヒゲを一撫でした後に、まるで三日月のように口許を吊り上げて答える。
「予想としては革命軍はシュラとあの二人の交換を求めてくるでしょう。私としてはあのようなクズはどうでもいいのですが、ただ棄てるだけではもったいない。最後に役にたってもらいます。つまり革命軍の要求に乗ったふりをし、そしてのこのこ現れたナイトレイドをシュラ共々皆殺しに」
「面白いですね」
数々の謀略を謀ってきた左京亮をしてもオネストの計略には感嘆した。
どんなに非情な悪党であっても親子の愛情というものはある。
しかし、オネストにはそれさえも微塵もなく、逆に冷酷に利用するというのだから。
左京亮でさえも姉を慕っていたことがあったというのに。
「それについてですが、今日一日猶予をいただきたいのですが」
「いいでしょう。どうやら策があるようですからね。左京亮あなたは優秀です。自由におやりなさい」
「ありがとうございます」
左京亮は深々と礼をし、妖艶な笑みをうっすらと浮かべ執務室を後にした。
「オネストお主は奴を気に入っておるようじゃのぉ。じゃが奴は助けた妾が言うのもなんじゃが、自分の主をも利用し、利用価値を失うと最後には裏切る男じゃぞ」
「重々承知しておりますよ。そのような私に似通った狡猾な部分も含めて私は彼を、大変気に入っているのですよ」
(類は類を呼ぶか)
帝国では様々な思惑が渦巻いていた。
◇◆◇◆◇◆
暗く、黒いシミや鉄錆びの臭いが漂い、血がこびりついた器具がところ狭しと並べられている拷問室の中で苛烈な尋問がラバックに対して行われていた。
「はけ!はけ!はけば楽になるぞ!」
何度も熾烈に縄で吊るされたラバックに暴力という名の尋問を行う拷問官。
「誰が…仲間を売るかよ………」
体が揺らされ、苦悶の色が表れながら血へどをはいても頑なに拒絶するラバック。
ラバックも先に捕まり拷問を受けたチェルシー同様、この拷問室に連行された時から、情報はどんなことがあっても吐かず、死を迎えることを覚悟していた。
それは全て愛するナジェンダのために。
「ちっ。まだはかねぇとは強情な野郎だ。今日はここまでにしておいてやる。だがな明日はこんなもんじゃねえぞ!」
拷問官は、吊り下げられ意識が朦朧としながらボロボロになったラバックに吐き捨てた。
重い扉が扉が重厚な音をたて閉まっていくのを認識し、ラバックは相棒のタツミを、そして最愛の女性ナジェンダを思い描いていた。
(俺はなにがあってもナジェンダさんは裏切らねぇ。たとえ死んだとしても!)
自分の血が滴り落ち音をたてるような静寂に包まれる室内に、外から声を潜めた会話が聞こえてくる。
「聞いたか。捕まったもう1人のやつは強情ですぐに内密で処刑され、晒し首にされるらしいぞ」
「取り引き材料にするのかと思っていたがな」
「ああ、どうも見せしめにするためらしいな」
(嘘だろ。タツミが処刑……)
茫然自失となるが、自分も明日をも知れぬ身であり、何もできない状態であるので、唇を悔しさで噛むしかなかった。
ーーーーーー
もう何時間経ったのであろうか、ラバックが拷問室にある鉄格子が嵌められた窓を見上げると、淡い月光が射し込んでいることから、最低でも五、六時間経っていることが容易に想像された。
そんな時だった。
「な、なにもんだ!うげっ!!」
「うごっ!!」
くぐもった声と悲鳴の後、ドサッという何かが倒れる音が響き刹那、扉が開かれた。
「だ、旦那!」
「声をたてるな!」
主水が血を流し倒れた拷問官を背に室内に音をたてず入ってきた。
これを期待していなかったわけではない。
しかし今回は宮殿内部での大きな事件であったことと、以前捉えていたチェルシーに逃げられていたこともあり、警備は比較にならないほど厳しいものになっていた。
故に、ラバックは主水の助けはないものと自分に言い聞かせ諦めていたのだ。
そういう理由から自然と目頭が熱くなり、視界が揺れていた。
「大丈夫かラバック」
「ありがとう旦那。俺は大丈夫だ。ただタツミは……」
「わかっている。タツミは明日にも処刑されるとのことだ。そのため警備が厳重でどうにもならん。幸いこちらは警備が手薄でな、おめぇは急いでこのことをナジェンダに伝えてくれ」
「旦那はどうするんだ」
「俺は少ししておくことがある。急げ!」
主水はラバックの縄を切り、開放すると、アジトに知らせに行くようにラバックに指示をだした。
ラバックも頷くと体に走る痛みをこらえ、主水に言われた通りに警備の穴をつくように、宮殿を走り抜けた。
タツミの危機を知らせるために。
◇◆◇◆◇◆
東の山裾が線を引かれるように赤くなり、空が僅に白み始めている。
あと二時間もたてば夜が明けるのだろう。
そんなことさえも気づくことなくラバックは息をきらせて走り続けている。
宮殿から走り続けてすでにラバックの足はしばらく前から感覚を失っていた。
通常であれば、走ることはおろか、歩くことさえも困難な状態。
しかし、ラバックはタツミの危機を知らせ、そして助けるためにアジトに走り続けていた。
(あと僅だ。タツミ待ってろよ)
一般的に仕事人(殺し屋)が捕まった場合は組織を守るため見殺しにするのが暗黙の掟であり、ラバックもそれは重々承知の事実であった。
しかし、見殺しに出来ないほどにタツミの存在はラバックの中でも大きくなり、さらには、ナイトレイドの仲間なら助けに行くと言うのが目に見えていたため、ラバックは諦めることなく走り続けたのだ。
日が顔を出しかけてはいるが、アジト前の森は深いため薄暗い。
しかし、すでに慣れ親しんだ森のためラバックは一度も止まることすらなく進んでいく。
「やっと……………誰だ!?」
アジトが見える森の出口に差し掛かった刹那ラバックは後ろに人の気配を感じとる。
(つけられていたのか………)
深い後悔に駆られながら後ろを振り向いた。
しかし、その後悔は杞憂に終わる。
人影を見たラバックが、その姿に安堵した。
「旦那、用事があったんじゃなかったのかよ」
「いやぁ、おめぇが心配でな」
頭を掻きながら苦笑いを浮かべラバックに歩み寄る主水。
ラバックも僅に表情を崩した刹那。
「ご苦労ラバック」
薄暗い闇を切り裂くように銀色の光が駆け抜け、血飛沫が舞いラバックに激痛が走る。
主水が太刀を抜き放ちラバックを一閃したのだ。
「だ、旦那!!」
何が起きたのか理解出来ずに力が抜けていき崩れ落ちていくラバックに、無表情で主水は切り上げた太刀を返し振り下ろし首を跳ねた。
首と胴が分かたれ、暗転していく意識の中でラバックはナジェンダとの出合いから、共に帝国を抜け革命軍に加盟したあの日。そして今に至るまで苦楽を共にした充実した日々。また、気心が知れたナイトレイドの仲間との厳しくも楽しく歩んできた日々を走馬灯として見ていた。
命の灯火が消える刹那、ラバックの瞳から一筋の涙が溢れ落ち、首と共に地に落ちた。
ーーーーーー
(ラバ!!)
「どうしたんたボス?」
作戦会議中に突然立ち上がったナジェンダに問い掛けるレオーネ。
(なぜ急にラバのことを思い出したんだ)
自分でもなぜ突然ラバックのことを思い出したのかは分からないが、たしかに嫌な胸騒ぎに心はざわつく。
しかし、ボスである自分が慌てる訳にはいかず、なんとか心を落ち着ける。
「いやなんでもない」
「で、でもよ」
何事もなかったようにナジェンダは答えるが、人知れずナジェンダの瞳には光るものがあった。
長年共に過ごした為に通じるものがあったのかもしれない。
ーーーーーーー
主水は亡骸となったラバックを蔑むように見下ろすと、太刀を伝うラバックの血液を払い、鞘を走らせ納刀した。
静寂に包まれた森に静かに鍔が鯉口を打つ音が響いていた。