朝焼けが僅かに山裾を朱に染める中、一人の男がブツブツと愚痴を溢しながら拓けた大地に穴を掘っていた。
「朝からこんなことさせやがって……金貨一枚じゃ割にあわねぇな……」
天閉であった。
今から約二時間ほど前、真夜中に突然主水に叩き起こされ、金貨一枚で依頼を出されたのだ。
天閉自体が寝惚けた状態で判断能力が欠けていたことと、主水が有無も言わさぬほどの気迫であったため、その雰囲気に気圧され天閉は依頼を受けてしまい、今になって後悔をしたのだ。
しかし、天閉も受けたからにはと愚痴を溢しながらも行動に起こしていた。
◇◆◇◆◇◆
主水は天閉に依頼を出し、久しぶりの自宅で少し体を休めたのち身仕度を整え、主水は宮殿のイェーガーズの詰め所の前に来ていた。
任務という口実があったとはいえ、三日ほど無断欠勤をしてしまったのだ、鬼のようなエスデスが黙っているはずはないと内心ビクビクしながら、詰め所の扉を少し開け、中を覗いてみた。
(いないか……)
中に居たのは、ウェイブとクロメだけのようで、ウェイブは机に積まれた本を一心不乱に読み耽り、クロメは横でそんなウェイブをニコニコしながら見つめているのだった。
(エスデスがいないのは良かったが、入りづらい……)
なにやら甘い雰囲気の漂う室内に幾ばくの入りづらさを感じる主水。
いくら男女の機微に疎い主水であっても、ウェイブとクロメの間に流れる妙にむず痒く、甘い雰囲気は感じ取れるのだった。
(どうすべきか)
「遅い帰りだな」
(この雰囲気では入りづらい……)
「久しぶりに現れたと思ったら無視か。いい度胸だな中村!」
(しかし、入らないといけないしな)
主水は深く考えているが故に全く気づいていなかった。
一番警戒していたはずのエスデスがすぐ後ろにランを伴い立っていたことを。
エスデスの額に青筋が浮かぶ。
するとエスデスは徐に足が上げ、振り抜いた。
「ぐほぁっ!!!」
突如鈍い痛みが体を巡り、主水の体は扉をぶち抜き詰め所の壁まで吹き飛び叩きつけられた。
「なにが起こったんだ!!」
「なに!?」
静寂が訪れていた中、突然扉が砕け、何かが室内に飛び込み壁に大きな音をたててめり込んだのだ、本を読んでいたウェイブとそれを笑顔で見つめていたクロメも呆気に取られていた。
「帰ったぞ」
「あっ、隊長おかえりなさい。それと今の音は?」
扉の破片が舞い散る中、姿を現したエスデスに二人は頭を下げる。
エスデスはウェイブの問いかけに答えることはなく、つかつかと未だに埃が舞う壁の所に向かうと、腕を伸ばし掴むと、ウェイブに向かって放り投げた。
「おっとなんだ!?って主水さん!!」
受け止めたウェイブが確認し、驚きの声をあげる。
「主水生きてる?」
クロメは主水をつつき、反応が薄いのを見ると八房を抜こうとする。
「待て待て、主水さんは生きてる」
「ああ、これぐらいで死んでいるならとっくに私の拷問で死んでいるぞ。起きろ中村!!」
「はい!」
エスデスの一喝で主水は飛び起き返事を返す。
エスデスが座った椅子の斜め後ろに立ったランは、クスッと嬉しそうな笑みを浮かべ、主水の隣でウェイブは微妙な表情をし、クロメは残念そうに八房を腰に戻した。
「中村この三日お前が姿を現さなかったことには理由があるだろうから、それは後で聞かせてもらう。それと、セリューとスタイリッシュは何処にいる?」
エスデスは鋭い視線を巡らせ、室内にいない、二人の団員についてウェイブに問う。
「セリューは朝現れると同時に見回りに行きました。スタイリッシュは分かりません」
「そうか。ならば今いるメンバーだけで話は進める。後で二人には伝えておけ」
エスデスはランに視線を向けると、ランは頷き資料をめくり、一歩前に進み出て口を開いた。
「先ほどの隊長が出席なさった会議で決まったことを説明します。今日から四日後の昼の十二時にタツミ君とシュラ様の人質交換が帝都郊外の拓けた大地で行われることが決まりました」
「四日後か……」
(資料通りだな)
「一体私がいなかった間に何があったんてすか?」
ウェイブが複雑な表情で言葉を溢した横で主水は昨夜手にいれた資料に書かれていた通りと考えながらも、知らなかった体で問いかける。
タツミが捕らえられたことも、シュラが捕らえられたことも主水が帝都に居なかった時に起こったことのため、主水は知らないふりを通さなければならなかったのだ。
「そうか、主水さんはいなかったんですよね。実はーーー」
「そんなことがあったんですか」
ウェイブがこれまでの経緯をかいつまんで説明してくれたのを、驚きの演技をしながら聞き、礼を言った。
「では話を再開します」
ウェイブの説明が終わるのを見届け、ランは再び説明を始める。
「四日後、人質交換にはエスデス隊長とブドー将軍が立ち会われるので、その間皆さんには手薄になった帝都の守備についてもらいます」
「少しいいですか」
「なんだウェイブ?」
気になることがあったのか、少し自重気味に手を上げたウェイブに対し、エスデスが言ってみろというふうに問いかける。
「戻って申し訳ないのですが、帝国はナイトレイドからの要望を受け入れるのですか?」
人質交換はナイトレイドからの要望であり、それを呑んだのであれば、どんな条件を課したとしてもそれは帝国がナイトレイドに屈したことになるとウェイブは考えたのだ。
「それは……」
「構わん私が答えよう」
答えづらそうに困った表情をしていたランを制しエスデスが重い口を開いた。
「やつらの要望を受けたふりをして誘きだし、殲滅するのが今回の目的だ。故に私とブドーが出ていくことになった」
「タツミはどうするんですか?」
偽りであろうとも一時仲間であり、助けられ、さらには、エスデスの思い人であることを知っていたからこそ聞きたかったこと。はたしてエスデスはどう答えるのかと。
しかし、エスデスはその答えづらいであろう問いかけに対しても、さして気にする素振りを見せず、冷たく言いはなった。
「ナイトレイドと共に私の手で始末する」
「そんな隊長は……」
タツミが始末されるのは分かっていた、しかしそれがエスデスの手によってということにウェイブは黙って受け入れることができなかったのだ。
「ウェイブ!」
立ち上がり声を上げかけたウェイブをクロメが止める。
「私は分かる。最愛の人だからこそ自分の手で殺し(救っ)てあげたいってことが」
「そんなことって……」
常識人のウェイブにとって『愛しているから自分の手で殺す』というのは到底受け入れることが出来ない二人の考えであった。
近頃ランの話を聞き、物事の考え方にも様々なものがあることを知り、それらを受け止められるようになるために知識をつけるべく本を読み漁る日々が続き、実際に多くのことを知り、物事を多角的に見ることができ始めていたが、今回のことには納得できなかった。
「聞きたいことはそれだけか」
「はい……」
「では連絡事項は以上で終了です」
力なく項垂れるウェイブに優しい視線を送ったランは説明を終了した。
「中村少し話がある」
「はっ」
エスデスが部屋を出ていく際に呼び掛けられたため、訝しがりながらも後に続き部屋を出る。
「なんでしょうか?」
「言っただろうこの三日のことを聞かせてもらうとな」
普段と違い真剣なエスデスを見て主水も謀ることなく真実を話すことにした。
「そうか……最近の辺りがきな臭くなってきたからまさかとは思ったが。いい度胸だ私に喧嘩を売ったこと後悔させてやる!」
「いえ、隊長に売ったわけではないと思いますが」
「私の部下に喧嘩を売ったのは私に売ったのと同じことだ」
少し過激ではあるが、部下思いの一面を見て、主水は頬を緩める。
「なにが可笑しい。そうか久しぶりに私とスキンシップを取りたいのか」
「いえ、滅相もない!」
ニヤリとどす黒い笑みを浮かべるエスデスを見て、背筋に冷たいものが走った主水はすぐさま冷や汗を流しながら否定する。
「フフフ、まあいい。では今の話をランに伝えて調べるように言っておけ。ランの情報収集力も個飼いの諜報員も侮り難いものがあるからな。それと」
エスデスは大事なことを付け加えるように、またはこれからが本題のように新たな話に移す。
「ランに伝えたらすぐにセリューの元へ行け。最近お前がいなかったためか、はたまたそれ以外の理由かは分からんが元気がなくてな。少し心配していたんだ。私が癒してやっても構わんのだが、中村が帰ってきたのだお前がしたほうがいいだろう」
「分かりました」
主水が頷くのを見て、滅多に見せない優しい笑顔を浮かべると満足そうに颯爽と去っていった。
(部下の様子をよく見てるな)
心暖まる思いと、それとは裏腹に警戒を緩めてはいけないという思いに駈られる主水であった。
少しでも素振りを出せば、そくナイトレイドと見透かされそうな危機感を抱かされた。
「ランに伝えないと」
「主水さんあの依頼でなにか問題でもあったんですか。主水さんのことだから大丈夫だとは思っていたんですが、心配で」
「大丈夫だよウェイブ。死体さえあれば八房があるから」
「いえそれでは解決にはなりませんよ」
主水は踵を返し部屋に戻るとウェイブとクロメとランが歩み寄ってくる。
各々対応に違いはあるが、心配はしていてくれたようでなにか温かいものが込み上げてくる。
「いやはや、私はいつものサボり癖が出たのかと思っていましたよ」
朗らかな笑みを湛え茶化すように話すランであるが、それも主水を信用してのことと思い笑顔を返す、温かい言葉を付け加えて。
「私はランのように簡単に女をたぶらかし出会い茶屋にしけ混むようなことはできませんよ」
「これはご冗談を」
不敵に笑い会う二人に不味いなと思うウェイブは話題を戻す。
「戻りますが何かあったんですか」
主水は軽く思案した。
ランに伝えることは決まっていたが、ウェイブとクロメに伝えてもよいかと。
しかし、ここまで来て二人に話さないのもばつが悪いことと、二人にも警戒するほうが良いだろうという考えから伝えることとした。
「実はーーーー」
「そんなことが」
「気持ち悪い……」
「………分かりました。調べておきます」
ウェイブは大変だったんですねと同情的な、クロメは敵の姿生理的な嫌悪感を持ち、ランはなにか考え込む仕草をする。
「では、私はここで。お二人も中村さんの話からすると何かあるかもしれませんので気を付けてくださいね」
「これから大変でしょうからこれをあげますよ」
主水は立ち去り際にランに何かを手渡す。
「これは……危険種レッドデスワームドリンク」
精力増強剤であった。
情報収集をしようとすればエスデスの言う個飼いの諜報員メズに頼むこととなる、ならば遅かれ、早かれそそういうことをしてあげることになると読んで主水は、ランに手渡したのだ。
「これはこれはお心遣い痛みいります」
嫌みではないと受け取ったランは軽く頭を下げ、受け取るとその場を後にした。
「ねえウェイブあれにはどんな意味があるの?」
「なんだろうな。分からないな」
二人は主水とランのやり取りの意味が分からず、顔を見合わせるのだった。
「そうそうウェイブその難しそうな本はなんなんだ?」
日頃のウェイブからするとかけ離れた印象を受ける厚く難しそうな本の数々に主水は疑問を持つ。
「これですか。少し前にランになぜイェーガーズに来たか聞いたんです。その時に、敵討ちと国を内側から良くするためという目的を聞いたんです。俺もランのように国を良くすることに賛成です。でもランのようにどうすればいいかは分からなくて。それを知るために本を読むことにしたんです」
「そうか、ウェイブも成長したんだな」
「私もそう思う」
クロメも笑顔で主水の意見に同意し、ウェイブの頭を撫で始める。
ウェイブは恥ずかしがりながらも、満更ではない様子である。
ランにしろウェイブにしろナイトレイドにしろ、国を良くしたいという思いは同じであるが、アプローチの仕方が異なり、ぶつかり合うことになる。
上手くいく方法はないものかと染々思う主水であった。
「じゃあな」
主水はセリューを探しに詰め所を後にした。
◇◆◇◆◇◆
主水は宮殿を出るとセリューを探すために街を歩いていた。
帝都は以前のような暗さは漂ってはいないがいまいち活気が感じられない。
革命軍との戦いが続くため、大臣のオネストが税を上げ民が窮し、さらには兵役を課しているのが大きく起因していた。
しばらく歩いていると、泣いている小さな子供と手を繋いだセリューの姿が。
「どうしたんですかセリューさん」
「あっ主水君!!」
まるで花開くように満面の笑顔を咲かせるセリュー。
「無事帰ってきたんだ。よかった。この子は迷子みたいなの。お母さんとはぐれちゃったみたいで」
セリューは泣かないでと頭を撫で慰めている。
その姿からは正義という名の狂気に駆られていたあの時の面影はない。
「ではお母さんを探しましょうか」
セリューが子供から聞き出した情報を元に二人は帝都内を隈無く探し、母親を見つけだし親子を対面させることができた。
喜んでいる二人を見つめて、セリューはどこか羨ましそうにしているように主水には感じられた。
「よかったですね」
「うん……」
セリューは余韻に浸っているのか僅か影のさした顔をしている。
(エスデスの言ってた通りなにか悩みがありそうだな)
そうは思う主水ではあるが、中々聞き出す切っ掛けがつかめない。
どうしようかと悩んでいるときだった、
「主水君。最近正義の意味が分からなくなってきちゃった。今まで帝国にために働くことが正義なんだと思っていたの。でもそれで本当にいいのかなと疑問に思うようになってきたの」
おそらく、客観的に見れることになったのか、帝都の闇を垣間見ることになっていたのかもしれない。
もう以前のように盲目的に帝都=正義と思い込んでいた小さな少女ではなくなっていた。
(劇薬かもしれんがここがセリューの分岐点かもしれねぇな)
主水は自分を納得さするように頷くと、セリューに切り出した。
「セリューさんその悩みを解消することができます」
「本当に」
「ええ、しかし悲しい過去を思い出させることになるかもしれませんがそれでも構いませんか?」
真剣な眼差しを向けられたセリューは、戸惑いを見せるが意を決したように頷いた。
「どんな悲しい過去を思い出すことになってもこの悩みが晴れるなら」
「分かりました。ではついてきてください」
主水が歩いていく後に続くセリュー。
しばらく黙って歩いていると、一件の崩れかけた廃墟にたどり着く。
主水が入っていく後に続き、いいのかなという疑問を持ちながらもついていくセリュー。
崩れかけの廃墟は、埃がつもり、所々穴が開いたら天井から光が射し込みうっすらと概要が見えるかというぐらいである。
「少しここで待っていてください」
主水はセリューにそう告げると奥に入っていく。
辺りを見回していると、主水がボロボロな何者かを引き連れ戻ってきた。
「主水君その人は!?」
「悪徳医師のフヨウという者です。フヨウ以前俺の前で話したことをまた話してもらうぜ」
「は、はい」
フヨウば怯えながら過去のことを語り始めた。
セリューのトラウマとなり、正義という名の呪いを課すこととなった過去の真実を。